【働く天使ママインタビュー】#10 えみさん
様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。
今回は、えみさんのご経験をご紹介します。
《#10 えみさん》
【プロフィール】
えみさん(千葉県在住/30代)
・仕事:保育士
・雇用形態:正社員
・経験:第二子の長男・透空(とあ)くんを、生後1ヶ月25日でお別れ
・SNS:https://ameblo.jp/emiosada/(ブログ)
1.あなたのお仕事について教えてください。
正社員の保育士として、0歳〜5歳児までの保育業務をしています。
2.あなたのご経験について差し支えない範囲で教えてください。
2022年6月、36歳の時に、第二子の長男を、生後1ヶ月25日でお別れしました。
産まれて約3週間頃、難病指定の先天性心疾患である修正大血管転移とエプスタイン奇形の併発が見つかりました。手術が適応でき手術をしましたが、そこから心臓が自力で動くほどに回復せず、術後約1週間後、人工心肺装置離脱の決断をしました。
1人目も不妊治療(体外受精)、2人目はFT手術後、2回目の人工授精で授かりました。妊娠中は特に問題もなく、出産も帝王切開で(第一子が帝王切開だったため)無事に産まれました。しかし、退院直前に心雑音が見つかり、大きな病院に紹介されましたが、予約が取れたのが3週間後。その検査で病気が見つかり、即入院となりました。
最初の入院中は顔色も悪くなく、ミルクも飲めたため、一週間の一時退院も出来ました。その後手術の為再入院をしましたが、手術2日前から呼吸数が増え、ミルクの飲む量が少なくなり、急にICU入院。そのまま手術まで麻酔で鎮静下で過ごすことになりました。
難しい手術で10時間かかると言われていましたが、その時間が過ぎても連絡がなく、ようやく医師と会話出来た際には、「手術は成功するも、人工心肺装置が離脱できない状況」と言われ、様子見となりました。
コロナ禍で通常面会時間や人数が制限されているのに、両親ともに毎日面会でき、「会わせたい人がいれば」と言ってもらい、通常は子どもはICUに入れてもらえないにも関わらず、長女も会わせてもらうことができました。これらの病院の対応から、息子の状況は厳しいのだなと感じていました。
入院中でも元気だった時の写真
3.ご経験されたときのお気持ちを教えて下さい。
なぜうちの子だけ…。手術は成功したのになぜ…私はこれからどうしたらいいのか…という気持ちでした。また、自分には何もできなかった、という無力感と、何故こんなに早くいなくなってしまったのか、という悲しさでいっぱいでした。病院には、やれることをしてもらったという思いがあり、怒りなどは特にありませんでした。
4.ご経験後、精神的・身体的な影響はありましたか?
産後まもなかったので、母乳が出続けました。急にやめると張って乳腺炎になりそうなので、搾乳を続けることがつらかったです。母乳を止める薬があるということは病院からも言われず知らなかったので、自分で母乳が止まるというハーブティーを飲んだりしていました。
また、産後ケアの施設は赤ちゃんがいっぱいいるので行けないなという思いから、相談することもなく、自分の身体のケアはしませんでした。
とりあえず、夜ベットに入った時や1人になると何もしなくても泣いていました。
5.ご経験後、仕事はどの程度お休みされましたか?それはどのような制度でしたか?
約1ヶ月休みました。それは全部慶弔休暇と有休でまかなったので、無給にはなりませんでしたが、その後の有休が少なくて困りました。もっと本当は休みたかったですが、住宅ローンもあったので、家計のことを考えるとこれ以上は難しかったのが実態です。有給か欠勤かの100か0かではなく、育休のように給与の何割かが保障されるような休暇制度があればと思いました。
また、自分の子どもの慶弔休暇は、自身の職場では3日しかないので、もっと制度として配偶者と同じレベルの休みがあってもいいと感じました。
6.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。
新居に引っ越しがあり、引っ越し準備や夫も約2週間程休みが一緒だったので、新しい家具などの買い物で気分転換に行きました。
一人の休みになった後は、ひたすらインスタなどで「天使ママ」で検索し、グリーフケアについてや、同じ境遇の人がいないかなどの情報を調べていました。流産・死産の経験者はいても、新生児死はとても少なかったです。その中で、新生児死を経験された方のインスタを見るようになり、カウンセリングをやっていると知り、受けてみることもありました。
当事者同士のお話し会にも2・3回出ました。普段は自分の経験や想いを話す機会が少ない中、同じような境遇の人と話すことで気持ちが楽になったり、今の状態でもいいんだという気持ちになれました。
死者のメッセージをタロットしてくれるセッションも受け、そのメッセージがとても心に響きました。「息子は短い人生でも幸せだったか?」という質問に対して100枚の中から引いたのが赤ちゃんを抱っこしているカードで、「短い人生とわかっていてもお母さんに抱っこしてもらいたかった。だから幸せだった」「お母さんとの絆が強い存在である」というメッセージでした。
7.ペリネイタルロスが判明する以前に、妊娠の事実は職場に伝えていましたか?
職場には産休に入るまでいました。病気については亡くなったその次の日に上司に電話して伝えました。
8.職場へはご経験の事実、その後のプロセス、お休みの仕方、体調、働き方などに関してどのように連絡・相談しましたか?その連絡・相談のやり取りについて、また相談後のやりとりについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。
復帰はゆっくりでいいと言ってもらい、有休を使うでも休職でもいいと選択肢は委ねられました。ただ、ゆっくりでもいいとは言ってもらいましたが、実際は、働かないと家のローンも始まったので、家計の逼迫や貯金を切り崩すことになるのが嫌でした。また、家にずっといるのもどうかなという気持ちもありました。ただ、休みはもう少し自由に選択できればよかったと思います。
新居へ引っ越しして一週間後、上司が弔問にきてくれて、その後の働き方や環境を相談しました。私の職場の保育園は系列園が3つあったので、系列園への異動をお願いしました。一からではなく3年前までいたことがあったので、知ってる職員もいて少し気心も知れていましたが、子ども達や保護者の方達は今回の私の妊娠中のことを知らない場所なので復帰しやすかったです。同僚にどう伝えるかも聞いてくれ、自分から話すのは辛かったので上司から伝えてくれることになりました。前の職場にも新しい職場にも伝えてくれてありました。
そうして復職しましたが、出産が帝王切開だったため、復職時には帝王切開の傷の痛みもまだあり身体は辛かったです。本当はあと2〜3ヶ月は休みたかったです。傷の痛みが収まったのも実際それくらいでした。保育士という体力仕事ですが、小さな子のクラスには入らず、あまり抱っこなどをしないように配慮してもらえたのが有り難かったです。
旅立った日の天気。「透空は産まれた時のいい天気から名付けたので、旅立った日もいい天気でした」(えみさん)
9.職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。
その時に妊娠中の同僚もいたので、その姿をあまり見たくなかったです。初期流産の経験もありますが、その際は休みもなくすぐに復帰し、職場で子供をみてその場で泣いてしまうくらい辛かったです。その為、泣かないで職場の子供と接することができるか不安でした。
実際に復職した際には、初期流産の時と違ってそこまでの感情の落ち込みはなく、職場では普通に過ごせました。1ヶ月休めたからかな、と思います。
10.職場復帰後はどのように働いていますか。働き方やモチベーション、キャリアに関する考え方はご経験前後で変わりましたか?
元々いた職場の園では主任だったので、異動することでその立場はなくなり、一般職になりました。働き方は主任でなくなった分、責任や重圧はなくなった一方、土曜日の出勤や当番勤務をやらざるを得なくなりました。気持ち的には一般職なので気楽に働いています。
経験前後での仕事への向き合い方はそんなに変わらないように感じています。子供を見て、命の重さ、こんなに元気に健康に生きていることは奇跡なんだということを噛み締めて働いています。ただ、妊娠中の保護者を見るのはまだ辛いです。
11.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。
今の職場では前もって私の状況について話してもらっていたので、理解してもらっている一方で、その話に触れられない寂しさがありました。
前の職場の園長が私のことを気づかって全職員が私に「おかえりなさい」「待ってたよ」と連日、今の職場に訪問にきて、声をかけてくれたのは嬉しかったです。
12.ご家族(パートナー・ご両親・ごきょうだい等)との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのように相談されましたか?どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?
夫や母、義母には復帰時期は伝えて、無理しなくていいよとは言われましたが、やはり家計のことが気になって1ヶ月の休み以上にはとれませんでした。自分も一人でいた方が病んでしまうと感じていました。夫は忌引と有給休暇で2週間くらいの休みで復帰していました。
経験後すぐから夫の休み期間中、長女の保育園の送り迎えは全て夫に頼みました。長女の保育園の先生には夫から事実を伝えてもらいました。職場復帰してからはお迎えは自分が行くようになりましたが、その際に会う可能性のあるママ友には、一人一人に会って説明するのは辛いため、予め保護者のグループLINEで伝えておきました。
長女には一緒に住んでいて急に入院した為に「弟の心臓が元気でない」ということを話していました。ICUでも会えたし、お空に行ってしまったことも伝えました。葬儀にも出て「お別れ会」だと伝えています。本人がどこまで理解しているかは分かりませんが、「今どうしているんだろうね」、という話はしています。最近、別の親族の葬儀もあり、小さいながらもちょっとずつ死を理解しているのかなと思っています。
13.今、振り返ってみて、こうしたのが良かった、こうすればよかった、当時のご自身に伝えたいことなどはありますか?
私だけがなぜって思っていたけれど、世の中には同じ境遇ではなくても、沢山天使ママがいることを知って良かったです。
看取りの時期は家族の時間を沢山とることができて後悔せずに過ごせました。休みの間、夫婦や家族の時間を沢山取ることで気持ちが落ち着いていた時間がありました。
14.パートナーに伝えたいことはありますか?
そばにいて支えてくれてありがとう。夫があんなに泣いたのを初めて見て、同じくらい息子を愛していたことが感じられたよ。入院してからは私ばかり息子に面会させてくれてありがとう。パパも本当はもっと会いたかったよね。
15.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。
できるだけ自分の気持ちを沢山吐き出して、少し前を向けるまでゆっくり休んでほしいです。職場の復帰の仕方も相談すれば考えてくれます。
16.その他、このインタビューを通して伝えたいことなどがあればお願いします。
全く同じ境遇の人はいないけど、自分の境遇と近い人やペリネイタルロスを経験した人と繋がることで、一人じゃないと思えました。
日本のグリーフケアがもっと充実してほしいです。また、家計のことを気にせずゆっくり天使ママが休めるように国がこういう経験をした時の休みの制度を充実させてほしいと思います。
また、息子を亡くした直後は、葬儀についての情報が欲しかったです。ペリネイタルロスやグリーフケアについての情報がもっと出ることで、一人じゃない、自分だけじゃないと思ってくれる人が増えるといいなと思っています。