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芸術療法のエビデンスと運動療法としてのヨガ

2023.04.22 07:28

https://imagawa-clinic.com/archives/663 【芸術療法のエビデンスと運動療法としてのヨガ①】より

今川クリニックの院長ブログ

当クリニックの前院長 今川正樹が提唱した『芸術療法』について説明させていただきます。芸術療法その目的は、「海馬の可塑性:成体海馬神経新生(AHN)」にあります。詳しく説明しますと、「海馬」は、学習・記憶、空間認知機能を担う脳部位です。特に歯状回では生涯にわたり新しい神経細胞が生まれる(神経新生)など、他の脳部位とは一線を画しています。Cajalの提唱(1928)以来、成体の脳の神経細胞は増殖しないと考えられてきましたが、1965年のAltmanの仮説を証明するGageらの研究でヒトの海馬歯状回、脳側室下帯においても神経新生が起こると報告されました。海馬で新たに生まれた神経細胞は増殖、分化、生存期を経て新たに神経ネットワークに組み込まれ記憶形成に関するなど重要な役割を果たすと考えられています。これを「海馬の可塑性:成体海馬神経新生(AHN)」といいます。

このAHNは加齢やストレスにより減少し、認知症やうつ病を招くとされています。AHNは、運動や豊かな環境、ストレスの少ない精神状態、抗うつ薬などで促進されます。うつ病治療においては、低下したAHN改善を標的とした治療薬の開発が進んでいますが、認知症治療においては、先日このブログ「アルツハイマー病の新薬について」でご紹介したエーザイの新薬の記事にあるように、脳内のアミロイドβを減少させることが主眼で、AHNについての効果は不十分、不透明です。ですから当クリニックでは、非薬物療法である「芸術療法」に取り組んでいます。

そのうちの一つが、「季節に沿ったお題を出し、絵と文章もしくは俳句などを作成いただく」ことになります。認知機能において重要な見当識(時間、場所)を意識したうえでいわゆる「絵日記」を書いていただきそれについてお話しすることで、童心に返っていただき、心豊かな様態を再現し、AHNの促進を期待しています。これは、心理検査の一つであるバウムテストの結果が改善している患者様が大勢いらっしゃることからも効果を期待できると愚考しております。ただ、やはり絵日記のような創造性が高いものは苦手になっている患者様も大勢いらっしゃいます。思い返せば、筆者も夏休みの宿題の絵日記はいつも後回しにしておりました。(筆者に絵心がないことも大いに関係しますが。)そういった方のお気持ちが非常にわかるので、最近取り組んでおりますのが「塗り絵」をしていただく「芸術療法」です。


https://imagawa-clinic.com/archives/667 【芸術療法のエビデンスと運動療法としてのヨガ②】より

今川クリニックの院長ブログ

こちらに関しましては、杏林大学医学部精神神経科教授の古賀良彦氏が

御講演された内容をまとめた記事から一部抜粋させていただきます。

ぬり絵は下絵に色をぬるという、一見するとシンプルな遊びだが、実は意外に広範囲の脳を使う。例えば下絵を眺めているときは、視覚野のある後頭葉や、色や形の記憶が保存されている側頭葉を使い、「何色でぬるか」「どこからぬるか」など、作業プランを立てているときは、前頭葉にある前頭連合野が働く。もちろん実際に色をぬるときは、同じく前頭葉にある運動野によって、手の動きがコントロールされる。

古賀氏はこのことを裏づけるデータとして、脳が活動状態にあるときに出るP300という脳波に着目した。そしてぬり絵をする前とした後では、ぬり絵をした後の方が、脳のより広い範囲でP300が出現することを明らかにし、あらゆる世代のストレス対策や脳のアンチエイジングにぬり絵を勧めている。

加えて古賀氏は、NIRS(近赤外線スペクトロスコピー)という、脳血流中の酸化ヘモグロビン濃度を計測する特殊な装置を用いて、ぬり絵をしている最中の脳の活性状態も捉えている。酸素は血液によって運搬されるが、血液中では酸素は酸化ヘモグロビンの形で存在している。脳が活発に活動している部分ほど、大量の酸素を必要とするので、酸化ヘモグロビンを多く含んだ血液が集まってくるが、NIRSではその集まり具合を測定する。

ぬり絵開始直後から30秒後までのNIRSの画像を見ると(中略)ここでは主に前頭部を中心に見ているが、ぬり絵を始めてわずか15秒後には脳に変化が現れ、30秒後には酸化ヘモグロビンが集まっている部分、すなわち脳が活発に働いて、酸素をよく消費している部分がかなり増えている。古賀氏は認知症の人にぬり絵を継続的に行ってもらうことで、記憶や認知といった脳の高次機能に、どのような変化があるかも調べている。

実験では東京都内の病院に入院中の中程度~重度の認知症患者6名に、1ヵ月間、週に4回程度ぬり絵をしてもらい、ぬり絵を始める前と1ヵ月後に、認知症の診断に一般的に用いられる知能検査「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」を実施した。その結果、被験者の平均得点はぬり絵開始前は12点だったのに対し、1ヵ月後の検査では14点に上がっていた。これは統計学的な有意差には及ばないがぬり絵を行わなかったグループ(同じく中程度~重度の認知症患者)では、1ヵ月の間に13点から12点へと得点が低下し、認知症の症状が進行していることがうかがえる。古賀氏は「病院など外部からの刺激が少なくなりがちな環境では、どうしても認知症が進行してしまうケースが多いが、1ヵ月間ぬり絵をしただけで、このような変化が見られたのには非常に驚いている。認知症に対する治療法が確立されていない現在、認知症患者に対するぬり絵の可能性は、十分に期待できる」とその効果を高く評価している。

また被験者のワーキングメモリも改善された。ワーキングメモリは、人間の知的活動のベースとなる重要な脳の機能で、例えば人が何かを考えて行動しようとするとき、過去の記憶の中から必要な記憶だけを引き出して、参照したり判断したりするのは、このワーキングメモリの働きである。実験では「知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください」という問いに対し、野菜の名前をいくつ答えられるかを調べた。ぬり絵を行ったグループは、ぬり絵を始める前の回答数は6個以下で、1点にも満たなかったのに対し、ぬり絵を1ヵ月間行った後では1. 85点と得点が伸びていた。一方、ぬり絵を行わなかったグループは、1ヵ月間でワーキングメモリが低下した。

古賀氏御本人もおっしゃっているように、結果に有意差がないですが、

ぬり絵の一番お勧めできるところは、ぬり絵そのものの効果に加え、準備や片づけが簡単なぬり絵は、負担が少なく毎日続けやすい。古賀氏は「脳のアンチエイジングは『毎日続けること』がとても大切。その点でもぬり絵は奨励できるとされています


https://imagawa-clinic.com/archives/669 【芸術療法のエビデンスと運動療法としてのヨガ③】より

今川クリニックの院長ブログ

この毎日続ける、つまり習慣化することが非常に大事であると、認知症予防、治療の第一人者であられる、東京医科歯科大学特任教授・メモリークリニックお茶の水院長 朝田隆医師もご講演おっしゃっていました。習慣化するためには、励ます役割、インストラクターが必要とも強調されていました。

以上より、AHNの促進と良質な習慣化が期待できるという点から「ぬり絵」も芸術療法としてお勧めしております。そのどちらも苦手な方には、男性でパズルなどのほうが得意な方には数独がよいのではないかと個人的には考えています。また、運動療法としては、ヨガに注目しています。ヨガは有酸素運動として、マラソンなどと違い膝などの関節や太ももなどの筋肉を損傷するリスクが少なく、呼吸法を意識することにより瞑想の効果も注目されています。

それを調べた研究がありますので、それをご紹介しようと思います。

瞑想について中程度の訓練を積んだ参加者の海馬や前頭前野が、(数年間の訓練を積んだ瞑想者と同様に)無言のマントラ瞑想中に活性化されるかどうかを調べた研究があります。

研究者らは、2年以下の瞑想の練習(the Kundalini yoga or Acem tradition)を積んだ人たちが実験に参加し、無言のマントラ瞑想中の脳活動をfMRIで計測しました。

これにより記憶に関連する両側の海馬と海馬傍回の活動が見られました。

その他の領域では、両側の中帯状皮質、両側の中心前皮質の活動が見られました。前帯状皮質(ACC)の活動はみられませんでした。わずかに前頭前皮質の活動が見られました。

海馬は、修行を十分に積んだ瞑想者と同様に、中程度の訓練によっても活性化(activation)することがわかりました。このような海馬の活動が、記憶の固定化に関連するのかどうかについては、さらなる研究が必要です。

当クリニックで推奨している芸術療法と運動療法をご紹介させていただきました。もしご興味があればお気軽にご相談ください。

文献1)日本生物学的精神医学会雑誌 26巻1号

文献2)大熊 輝雄:現代臨床精神医学第12版 金原出版株式会社

文献3)杏林大学医学部精神神経科教授 古賀良彦:「国際ぬり絵シンポジウム」の基調講演「ぬり絵とアンチエイジング」

文献4)日本ブレインヘルス協会 2007年10月3日掲載記事

文献5)Engström, M., Pihlsgård, J., Lundberg, P., & Söderfeldt, B. (2010). Functional magnetic resonance imaging of hippocampal activation during silent mantra meditation. The Journal of Alternative and Complementary Medicine, 16(12), 1253-1258.

http://1993perbody.seesaa.net/article/442522649.html 【中村天風、カリアッパ師に弟子入りする】より

タイトルに、「中村天風、カリアッパ師に弟子入りする」と書きましたが、「ヨーガの里に生きる」(おおいみつる著)では、「弟子」という言葉が一度も使われていないので、天風氏本人には、弟子入りする、というような意思はなかったと思われます。

しかし実際に、カリアッパ師と出会って話した後、天風氏はカリアッパ師について行き、ネパール東部のカンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で、ヨガの修行を始めることになります。

カリアッパ師について行く決心をする時の、カリアッパ師とのやりとりが書かれた部分を、「ヨーガの里に生きる」から引用します。

(ここから)

「とにかく、私の目に映るあなたは、まだ死ななければならない運命にあるとは思えない。何も、医学が全てであると考える必要はなかろう。あなたは、一番大事なことに気づいていないのだ。それさえ分かれば、まだあなたは死ななくてすむ」

その言葉を理屈どおり受け入れるには、三郎の症状は重すぎたし、またそれに対する知識も豊富でありすぎた。

とても助かるとは思えなかったが、肺を病んでいる男と知りながら、それを少しも忌み嫌うことなく、そうまで言ってくれるこの人の真情に、三郎の心は大きく揺れ動いた。

実際のところ、結核患者と分かっただけでも、人々はそっと避けて通った。

近寄るのさえ恐ろしいと言うか、きたないと言うか、ちょうどハンセン氏病患者に抱くような、そんな感情を露骨に示すのが普通であった。

それなのに、この人は親のような親愛さを自分に示してくれる。

三郎の心が、異常なまでにたかぶってくるのも、当然だったかもしれない。

「どうだろう、あなたがまだ気づいていない、一番大事なこと、それを私が教えてあげようじゃないか。これから、私の行くところへついて来ないか?」

ふっと三郎は顔を上げた。目には、いくらかの光るものを貯めながら。そしてはっきりと答えたのである。「はい、参ります。ついて行きます」それは、実に明快であり、かつ力がこもっていた。三郎自信、そう答えてから、そんな自分に意外さを感じたほどである。

その意外さは、三郎がこの人についての知識を何も持ち合わせていなかったということからきている。どこの国の人か、いかなる身分にある人なのか、そして職業は・・・?

とにかく何も聞かされてはいない。第一、どこへ連れて行こうというのか、また何を教えてくれようというのか、それすら分からないのである。

普通なら、それらを一つ一つ質問し、それに対するなにがしかの回答を得て後、考える時を与えて欲しいとか、あるいは仮に即答するにしても、かなり入念に心の中で検討がなされるはずである。なにしろ、ことは命に関わる重大な問題なのであるから。

であるにもかかわらず、人一倍理屈っぽい三郎が、何一つ聞こうともせず、ついて行くと答えてしまったのであるから、自分でも妙な感に打たれるのも無理はなかった。

それは、それらの疑念や迷いというものを、いっさい起こさせないほどの徳の高さを、その人が備えていたということがまず言えるが、それと同時に、この病み衰えた薄気味悪い自分に、たとえどのような動機からかは分からないにせよ、肉親も及ばぬ深い愛情を示してくれることに対し、もういっさいを投げ出しても悔いるところはない、たとえ結果はどうあろうと構わない、ついて行ってそのまま死んでもいい。そんな意気が、三郎の心の中に炎のごとく燃えさかっていたのである。「それでは、後で私の部屋へいらっしゃい」とその人は言い、二人の侍者をうながし席を立って行った。

後に残された三郎は、その後ろ姿を呆然として見送っていた。

「あなたは幸運な人ですね」その声に、三郎は我に帰った。見ると、食堂のテーブル・マネージャーが立っている。「なぜ・・・」

「・・・どうしてって・・・あなたは、あのお方が誰なのかを知らないのですか?」「ああ」

「本当ですか?」これは驚いたというように、彼は肩をすくめたが、それもそのはずで、途中から三郎とその人との交わす話の内容を、食堂の片隅で聞いていたのであった。

「あのお方は、ヨーガ哲学の大聖者カリアッパ(Colliyaha)師ですよ」そう言われても、三郎にはなんのことやらさっぱり分からない。

ヨーガ?なんのことだろう?大聖者というからには、どこかの宗教団体の偉い人なのかもしれない、と思ったが、さりとてそれ以上の興味もわかなかった。

(中略)

三郎がカリアッパ師の部屋を訪れると、師はいかにも待っていたというように、三郎を迎え入れてくれた。そして自分の前に椅子をかけろと勧めた。

テーブルの上には小さな木箱が置かれていたが、師はすぐそれを手にすると、中から五寸ほどもある畳針のようないかつい針を一本取り出した。

そして左腕のサリーをまくり上げると、その日焼けしたたくましい腕に、深々と刺し込んだのである。針は腕を突き抜け、先端が皮膚から飛び出していた。

「どう?あなたもできるかな」そう言われた三郎は、持ち前のきかん気が勃然(ぼつぜん)として顔を出した。ハラキリと言われた日本人が、こんなことで驚いてたまるか、と思ったのである。

出された針を受け取った三郎は、自分の萎えた(なえた)白い腕に思いきり突き刺してやった。「偉い、あなたはやはり、まだ死ぬべき運命の人間ではない。助かるべを助からずにいるのは神に対する反逆だ」師はおごそかに言い、また柔和な顔に戻ると、「私は明朝の七時にここを発つ。そのつもりで用意しておきなさい」と、言ったのである。

これで、三郎の人生は大きく転換されることになるが、もちろん三郎自身はこの時点において、そのようなことを知る由もなく、ただ奇妙な邂逅(かいこう:思いがけなく会うこと)と思っただけであった。

(ここまで)

文章中に、カリアッパ師に「できるか?」と言われた天風氏が、いきりたって自分の腕に針を突き刺す場面がありますが、天風氏は肺結核を患ってからは弱気になることもしばしばありましたが、もともとは非常に気が強く、負けず嫌いの性格だったとのこと。

ここで、その性格がよく現れていますね。


http://1993perbody.seesaa.net/article/442522756.html 【ヨーガ哲学 by 大井満】より

前の「中村天風、カリアッパ師に弟子入りする」で、「そう言われても、三郎にはなんのことやらさっぱり分からない。ヨーガ?なんのことだろう?大聖者というからには、どこかの宗教団体の偉い人なのかもしれない、と思ったが、さりとてそれ以上の興味もわかなかった。」

という箇所がありました。

天風氏はヨガについて全く何も知らない様子でしたが、それもそのはずで、この1911年(明治44年)ころは、「ヨガ」という言葉さえ、ほとんどの日本人が知らなかったような時代です。

「ヨーガの里に生きる(おおいみつる著)」が出版されたのは、1979年(昭和54年)で、その頃には「ヨガ」という言葉は、ほとんどの日本人は知っていましたが、今のようなブームはなかったですね。

その当時も今も、「ヨーガ哲学」を正しく理解できている人は、私もふくめ、日本人にはほとんどいない、といってもいいんじゃないでしょうか。

「ヨーガの里に生きる」の中にヨーガ哲学について触れている部分がありますので引用します。

この本は、おおいみつる(大井満)さんが書いているので、大井満さんのヨーガ哲学に対する考え方ですね。

(ここから)

ヨーガ哲学については、今日ではおよそその名を知らぬ人はいないだろうと思う。

日本でもいわゆるヨガと称するものは、道場のようなものはあちこちに見られるし、出版物にしてもかなりのものが出回っている。

しかし明治や大正の時代には、哲学の専門家ならいざ知らず、一般的には全く知られていなかった。

それが今日のように、欧米をはじめとして、世界に広く普及するようになったそもそもの端緒というのは、今世紀の初頭に、ラマチャラカという一人のヨギ(ヨーガ哲学の修行者)がアメリカに渡り、発明王エジソンの難病を治したり、その他多くの著名人と接触を持ったことで、これが機となってその後、次第に世界各地へと広まっていったのである。

したがって、人々がヨーガ哲学に求めたものは、まず病を治す方法としてであり、また健康法としてであった。

勢いそうした傾向は今日においても依然踏襲(とうしゅう)され、ヨーガ哲学は総体的に把握されることなく、きわめて部分的な捉え方をされている、というのが実情である。

部分的であるということは、その目的によっては必ずしも悪いとは言えないが、ただ問題なのは、そうしたごく一部分のみをもって、これがヨーガ哲学なのだと速断されてしまうことなのである。

もちろん部分的であり、かつまた内容が歪曲(わいきょく)されているようなものは、はじめから対象として考えていないが、案外そうしたものが世の中には多いことも事実である。

ヨーガは哲学であって、宗教ではない。

しかしながら、今日の日本において、ヨーガ哲学の真髄を求めようとするなら、むしろ禅寺へ行くのが一番いい。

そこには、日本の風土につちかわれた独特の雰囲気と禅の哲学があるが、これこそ四千年、五千年のその昔、ヒマラヤの山麓において発生したヨーガ哲学を源(みなもと)とし、そしてその真髄をまっとうに継承しているものだからである。

アクロバットのような行(ぎょう)は、ヨーガ哲学の一派であるハタ・ヨーガにおいて、それもごく初歩的な行として行われたものであり、しかもそれは大分昔に行われていた行なのである。

またいわゆる神秘的な面も備えてはいるが、それとて、科学的に分析した場合、大変合理的であるものがほとんどなのである。

カリアッパ師が三郎の胸部疾患を一目で言い当てたのも、深い瞑想から得られた鋭い直観力、すなわち勘(かん)の働きであり、こうしたことも、熟達した医師ならかなりこの線に近い診断をすることもあるのであって、決して荒唐無稽(こうとうむけい)なものではない。

ただこうした論法に飛躍を感ずる向きには、職業的な熟達者の勘というのは、しばしば常識を超えたテレパシー的なものを発揮することを思い出していただきたい。