ロマン派以後1-ユダヤ人音楽家マーラー
2023.04.22 11:22
1888年、ユダヤ人指揮者で作曲家のグスタフ・マーラーが若干28歳でブタペスト国立歌劇場の音楽監督に就任した。彼はここでブラームスをして「理想的なドン・ジョヴァンニを聴きたければブタペストに行け」という評価を引き出し、敬愛するワーグナーを演奏して評価を高めた。
そしてなんとオペラの言語を全部ハンガリー語にした。これは当時のナショナリズムの影響を受けてハンガリー国民オペラの確立をめざしたのだが、さすがに一流歌手が歌えないとの苦情が出るようになり、本人もやりにくくなっていく。しかし聴衆は喜んだようである。
マーラーは演奏に熱中して少しのミスも許さないという癖があり、楽団員の反発を呼んだ、しかし反ユダヤ主義の影響も大きかった。メンデルスゾーンを音楽祭の中心曲にしようとしたところ、「偉大なドイツ人をさしおいて、ユダヤ人を中心にもってくるのはけしからん」と上司に言われた。
89年に交響曲第一番「巨人」が完成したが、初演はいい評価が得られなかった。そしてこの作曲に時間をとられることで、ますます総支配人はマーラーを攻撃するようになった。さらに母と妹を亡くし、彼は交響曲第2番を「葬礼」として着手した。結局10年契約にもかかわらず、2年で歌劇場を辞めた。