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iKizuku

【働く天使ママインタビュー】#11 mitsukimamaさん《後編》

2023.05.14 00:00

様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。

今回は、管理職として働きながら死産を経験されたmitsukimamaさんのエピソード《後編》です(《前編》はこちらから)。



《#11 mitsukimamaさん》

【プロフィール】

mitsukimamaさん(東京在住/30代)

・お仕事:経験時は広告業界の営業職(中小企業)

・雇用形態:正社員

・ご経験: 2018年9月、第二子である長女を21週6日で死産

・Instagramアカウント:mitsuki_255g



10.職場復帰後はどのように働いていますか。働き方やモチベーション、キャリアに関する考え方はご経験前後で変わりましたか?

  復帰してみて、これまでと同じ職種、ポジションでは戦えないな、、と思いました。今までここまで大きな喪失経験はなく、自分の努力でなんとでもなるだろうと思っていましたが、そうではないと気付かされました。同時に、たくさんの医療ケア児やその家族を知り、18トリソミーについて知ることで、生きることが最優先の人たちや、自分の意思ではどうにもならないことと戦っている人たちがいることにハッとしました。だいぶ今更ですが、、。

  すると、広告の仕事が必要不可欠ではなく、エゴイズムに近いものだと感じ、仕事へのやりがいを感じなくなりました。今まで大好きで全力で楽しんでいた仕事が、無意味なものに感じてしまい、やりたいと思えなくなってしまったのです。

  ただ、働くことのモチベーションが下がったわけではなく、産休中に色々考える中で、いつ人生が終わるか分からないなら、やりたいこと、やってみたいことをやろうという気持ちになりました。自分自身が今後どうなっていきたいか、本当に自分の仕事が人の役に立っているのか、それを考えた時に、営業職ではなく、社員のサポートをし、社員や会社の成長を支えることに力を注ぎたいと思いました。

  幸い、私の気持ちを汲んでくれたのか、新卒採用に関わらせていただき、仕事へのモチベーションはグッと上がりました。でもやっぱりどこかで、当時の仕事は次にまた子供を授かれるまでの繋ぎの期間だという気持ちがありました。また赤ちゃんがほしい、この手に抱きたい、という気持ちに囚われすぎていた時期もあり、うまくいきませんでした。また、どこかで、今回の経験を生かしたり、医療ケア児やいろんな病気と戦う人、グリーフと向き合う人と関わるような仕事をしたい、という気持ちもありました。

  そんな中で同じ会社内で人事へ異動したのは、急に休んで迷惑もかけたし、新卒から13年働いてきた会社には感謝があったので、恩返しをしたいと思ったからです。営業から人事への異動は前例がなかったため、自分で役員や社長にまで「こうゆうことをやりたい」と説明をして叶えてもらいました。

  しかし、異動してみたものの、所属や待遇面において満足いく内容ではなく、総務や社長秘書などの仕事ものしかかり、営業より多忙になってしまい、自分のやりたかった人事の領域(研修・教育育成等)にあまり時間が割けませんでした。自分の力不足ではあるものの、時短勤務なのに時短で上がれず、家のことも疎かになって、疲弊していきました。そんな状況に意義を唱える気力もなかったし、許容してしまったのですが、今思うと悔やまれます。


  そんな多忙な人事で約2年間過ごす中、娘に恥じない生活を送れているか、いつも自問自答していました。長男の小学校入学も控えていたころ、コロナが流行り出しました。保育園の登園自粛で長男と過ごす時間も長くなり、働き方を本気で考え直していた頃、昔お世話になった方から現職へのお誘いを受けました。話をして、オフィスに遊びに行ったところ、良い意味でのカルチャーショックが大きく、即決定しました。復帰して2年間で恩返しも少しはできたと思い、転職をしました

  転職後は、リモートワークもでき、ゆるく穏やかに仕事はできています。仕事のやりがいという点では少し物足りなさはありますが、子供との生活、自分のやりたい「陽だまりのような笑顔」をキープできるようなバランスで働けていると思います。当時はレインボーベビーを授かりたい、育てたい、というのが私の根底にあった一番の大きな願いでしたが、4年越しでその願いも叶い、転職してよかったと思っています。

  

  死産から4年経ち、今度は赤ちゃんのいる産休を過ごすことができ、育休を取得することができ、他の方からしたら当たり前のことかもしれないけれど、日々がとても尊いものだと改めて噛み締めています。

  しかし欲張りなもので、この先復帰を考えた時に、キャリアとしてどうなのか、どうしたいのか、はまた別の問題として悩んでいます。とても忙しく、常に複数のプロジェクトを動かし、20~30人程度のチームでプロジェクトを回していた前職に比べ、今は時間的にも余裕があり、また少ない人数で、個人で仕事をしていたり、上司がおらず自分に期待されることが明確でないなど、モチベーションとやりがいという点で、どうしても物足りなく感じてしまいます。改めて、自分のキャリアもちゃんと考えたいという気持ちも湧き出てきています。


娘さんコーナーとお花①



11.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。

  最初はハレモノのような空気感はありましたが、2週間もすればいつも通りでした。職場の人は今までと変わらず接してくれたので、普段の仕事であまり困ることや辛かったことはありませんでした。復職したのがとても多忙なタイミングで、部下が体調を崩して入院する事態となりました。お見舞いに行ったり、彼の埋め合わせをしたりと、「気にしないでゆっくり休んで」と口では言ったけど、私だって辛いのに。。という気持ちが拭えませんでした。でも、マネージャーという立場でもあったので、暗くなる部署を一生懸命明るくしようと自分から話題をふったり、笑顔を作ったり、かなり無理をしていたと思います。

  また、得意先等に復職の挨拶をする際は辛かったです。「急に不在になってすみませんでした。もう大丈夫です。」というような言葉を本心ではないのに繰り返し言わなければなりませんでした。体調不良と伝えていたので、「体調よくなったの?大丈夫?」と聞かれると、作り笑いで対応せざるを得ませんでした。

  取引先との忘年会の際に、「そろそろ2人目とかも?」みたいなことを話の流れで聞かれた時に、返答に困り、焼肉を口にほうばりただ笑顔でいることしかできなかったことを覚えています。その時同席した部下たちは、どういう気持ちだったのだろうか、と思います。

  そんな日々に疲れて、1ヶ月経った頃、上司に正直な気持ちをメールで伝えました。上司は「そんな気持ちだったんだね。普通にしているのを見て、頑張ってて強いなと思った。もう大丈夫かと思っていた。」と、私の姿を見てもう立ち直ったと思っていたようでした。そんな簡単に立ち直れる人はいないので、作り笑顔だということはわかって欲しかったです。

  でも、変に励ますのではなく、私の気持ちを汲んでくれたので、当時の上司には本当に感謝しています。年末年始の得意先への挨拶回りもありましたが、そこまでメンタルを保てず、全て断りました。

  嬉しかったのは、復帰初日に席に来て何も言わず、背中をポンポンしてくれた先輩がいたことです。「大丈夫?」と声をかけてくれた同僚もいました。その時は全然大丈夫じゃなくて、そのままトイレに行って、一緒に泣きました。

  初めての命日を迎える前、記念日反応が出てしまい、仕事に集中できず、涙がでてくることもありました。ミスをして怒られたのですが、実際はそれに対してではなく、記念日反応で涙が出てしまいました。それが悔しかったです。

  翌年、2回目の命日は有給を取ることに決め、家族でのんびりキャンプをしました。

  3回目の命日は転職後でしたが、仕事を休むこともできたけど適度に仕事をして気持ち穏やかに過ごせました。

  4回目の命日は、レインボーベビーの息子と一緒に迎えました。だんだん記念日反応は軽くなって来ていると実感しています。



12.ご家族(パートナー・ご両親・ごきょうだい等)との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのように相談されましたか?どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?

  胎児異常の宣告を受けたとき、夫以外に連絡をしたのは母親です。なぜか母の声が聞きたかったというのもありました。入院の際は病院にも来てくれて、一緒に処置の話を聞いてくれていました。生まれた娘にも会ってくれましたが、その時の反応が忘れられません。相当ショックなものを見た表情でした。

  義理両親には夫から伝えてもらいました。医師である義理兄からも自分たちだとしても同じ結論を下していたと思うと言ってくれたことが救いでした。自分の姉妹には直接は言えませんでした。やはり罪悪感があったのだと思います。

  親からは納骨や供養について一度勧められました。休み中一度実家に帰ったときに、供養などについて書かれているある自助グループのHPを送って読んでおいてと予防線を張りましたが、言われて嫌なことがあったと記憶しています。

  仕事に関しては正直あまり夫にも家族にも相談はしませんでした。

  夫には一方的に手紙を書きました。ですが、今でも正面切って話し合うことはできていません。このインタビューのこともです。先日、18トリソミーの写真展のお手伝いをしに行ったときは、娘と同じ18トリソミーの子たちの写真を「おれは、真正面から見れない」と一言言われました。それが、申し訳なさからなのか、過去を思い出して辛いからなのか、それすらもわかりません。あとで(3年後くらい)に知ったのですが、夫は娘を産んだ病院の病気の子供たち向けに毎月寄付をしているそうです。彼にとってのグリーフワークなのかもしれません。

  

  当時3歳だった長男には、「赤ちゃんはお月様になったんだよ」と説明していたため、月を見て「あ、●●(娘)ちゃんだね」と、保育園の帰り道によく2人で月を見てお話をしました。  しばらくして、自分にはきょうだいがいたはずなのにいないのはなぜ?という疑問を持ち始めました。その後も、月日が経つにつれていろいろありました。無邪気にお月様をみて、「どうして●●ちゃんは月からおりてこないの?」、「ぼくいっしょにあそびたかった。」「手をつなぎたかった」「ぼくには妹はいないけど、●●ちゃんは妹だよね。」「ぼくも●●ちゃんみたかったな・いいな、ママは見れて」、飾ってある手形を見て「え?こんなにちっちゃかったの??」というように。

  レインボーベビーの弟が生まれてからは、「●●(妹)ちゃん今何歳?」「●●(弟)と●●(妹)ちゃんどっちが大きい?」「●●(妹)ちゃん死んじゃったんだよね」「**くんも赤ちゃん死んじゃったんだって」「僕は一番お兄ちゃんだよ。●●(妹)ちゃんもいるしジョージ(ぬいぐるみ)も、●●(弟)もいる」「僕の家族は6人だね。パパ、ママ、ぼく、●●(妹)ちゃん、●●(弟)、ジョージ」という感じです。

  夜寝る前、たまに涙をながしながら妹を思っている長男。とても優しい長男。親戚の年下の女の子と遊ぶ時、妹と重ねているのかな、と思うと涙が出てきます。

  休み中も、復職してからも、いつも長男に助けられています。感受性が強く、自分の気持ちにも、周りの気持ちにも敏感な長男。彼がいてくれたから正気を保てたのかもしれません。

3歳(当時)の長男が描いた小さい娘。4人家族の絵。



13.今、振り返ってみて、こうしたのが良かった、こうすればよかった、当時のご自身に伝えたいことなどはありますか?

  あの日から4年半。死産した意味をひたすら探し続け、そのメッセージを汲み取り、体現していくことが償いだと思って、今も生きています。

  意識したものもしないものも含めて、振り返ってみるといろんなグリーフワークができたので、悲嘆のプロセス通りに少しずつ回復をしていったのだと思います。元々、文章を書くのが好きで、以前からブログやインスタグラムで投稿をしていました。死産後も、これまでのように、自分の中に言葉がたまったら書く、ということをしました。書くことが気持ちのデトックスになる。日常的にやっていたことが、グリーフワークとして自然とできたのがよかったのだと思います。あの時、しっかりと泣いて、しっかりと休んで、しっかりと気持ちと向き合って、アウトプットした自分に、ありがとうと伝えたいです、そして、それをさせてくれた、家族、会社、インスタで出会った天使ママさんたちに感謝を伝えたいです。

  ひとつだけ「こうすればよかった」があるとしたら、自分の体験に近しい方と気持ちを共有できたら何かが違ったかもしれないということです。

  同じ天使ママでもお別れの仕方はさまざまです。私はどうしても「人工死産」という点で、他の人たちとは違うんだ、という線を引いてしまっていました。同じく人工死産を選択せざるをえなかった方達ともう少し交流できたらよかったのかもしれないとも思います。でも匿名のSNSだとしても、鍵付きだとしてもやっぱり、その選択をしたことを大きな声では言えません。そこが本当に苦しい。この罪を一生背負って生きていく覚悟はしていても。やっぱり胸を張ることはできないと感じます。



14.パートナーに伝えたいことはありますか?

  同じ「罪」と一生一緒に生きていく、その決心をしてくれてありがとう。パパがとても素敵な名前をつけてくれたので、名前をつけることに前向きになれなかった私も納得できたんだ。真っ暗闇だったあの頃から、我が家では確実に"娘"が道を照らして、導いてくれている。パパもたくさん苦しい思いをしていると思うけど、これからもお互いに支え合える存在であり続けたいです。



15.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。

  まずは、この記事を読んでくださり、ありがとうございます。

  私は、月命日にはこれをする、命日にはこれをする、みたいにガチガチに決めていたわけではなく、自分なりに自分のタイミングで娘のことを思い、行動してきたことが、結果、自分にあったグリーフワークになったと実感しています。

  最近はSNSでも天使ママとして発信している方も多いし、いろんな情報が多くなって、逆に、困惑したり混乱する方もいるのではないかと思っています。

  価値観は人それぞれ、グリーフワークの仕方もひとそれぞれ。自分にあったやり方で、自分にあったペースで、お子さんと向き合い、天使ママになった自分と向き合っていただければと思います。

  また、復職のタイミングや、復職後の働き方を自分でコントロールできるならば、無理のないようコントロールしてあげてください。早いからすごい、遅いからだめ、なんてことはまったくなくて、正解は人それぞれです。

  私も、復職当時は、自分の役割を全うしないといけないと、頑なに思っていました。でも、もっと周りに甘えてもいいんだよ、と言いたいです。

  他人と比較せず、ご自身の基準でご自身の心を信じてあげてください。



16.その他、このインタビューを通して伝えたいことなどがあればお願いします。

  大切な人との別れはどんな人でも辛いと思います。特に子供との別れは。天使ママが世の中にこんなにもたくさんいて、その経験もさまざまです。でも似たような経験の方を探していた自分もいたので、私のこのインタビューが、似たような経験の方の目に少しでも届けば嬉しいです。まだ、天使ママ歴4年。もう4年。これからもっと気持ちは変わっていくと思うけど、改めて向き合う機会をいただきありがとうございました。

娘さんコーナーとお花②