成長の実感。
新しく入塾した子は、これまで
習っていなくて、今の授業に
必要な内容を急ピッチで
仕上げています。
それゆえ、取り組んでもらう
ことも多く、苦労もそれなりに
してもらいます。
その過程で、過去の内容で
不理解であった内容も発見され、
新しい内容をガンガン教えながら、
過去の内容についても修正を
加えてゆきます。
なぜ成績が伸びなかったのか、
色々新しく教えながら理解されてゆき、
しかし、過去の内容に完全に
戻ることなく、ゴリゴリ新しいことを
させながら、なぜ過去にそれを
身につける必要があったのかを
同時に教え、加速度的に
成長を促してゆきます。
その子は、そもそも
方程式の移項、多項式の筆算、など、
かなり基礎的なところから
つまずいていましたが、
無理やり追いつこうとする過程で
移項のミスは消失しています。
入塾当初、そんなとこでミスっていて
修正もされてこなかったのかと
ビックリしましたが。
また、
一次関数のさまざまな解法とともに、
連立方程式の加減法を習得するという、
方法により順序を制御するような
乱暴に見える手順で教えてますが、
軽く連立方程式もいなせるような
力もついてきました。
ただ、まだ練度は不足しているので、
これからまだ数週間はかかりますが、
すでに普通に授業についてこられる
段階には到達しつつあります。
1学期分を1ヶ月でジャンプ
しようとしているので、
私もつぶさに身につきかたを
確認する目が必要になり、
まだ手はかかってますが、
そもそも勉強は、必要に応じて
やればよく、順序よく与えられた
通りにやる必要はあまり
ないかなと思っています。
話は長くなりましたが、
自分が何をできるようになったかという
実感や評価は結果大切だということは
教えながらそう思うところです。
評価したら、その評価に応じようと
不思議と丁寧に理解したものを
運用しようとするものです。
丁寧に見る、ということと、
適切に指導する、ということは、
別物だと思うのです。
私は、中途入塾だろうとなんだろうと、
期待して、目標は高く設定し、
できないことを細かく見定め、
できるようになったことは
細かく評価するようにしています。
その過程で、能力に見合わない結果しか
出せないようならかなり厳しく
当たりますし、元々の出発点が
ぐっと前にある子は、細かく
できるようになったことを
評価するのです。
成長の実感を覚えられたならば、
つぎも、さらにつぎもと、
努力が加速してゆきます。
努力は、評価の好循環を生むので
基本的に何でも今以上を
目指して損はないです。
特に評価にもまれている中学生は。