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Kazu Bike Journey

小豆島八十八ヶ所遍路 02 (23/04/23) 土庄町 上庄 - 上庄/北山/平木、渕崎 (1) - 赤穂屋

2023.04.24 01:29

小豆島八十八ケ所遍路 

土庄町 上庄地区

旧上庄村 (上庄)

旧北山村 (上庄)

旧平木村 (上庄)


土庄町 渕崎地区

旧赤穂屋村 (渕崎)

旧土庄村 (後日レポート予定)

バス移動: 48.7km

ウォーキング: 11.5km


今回の小豆島訪問は当初自転車を東京から運び、自転車で遍路巡りを計画していたのだが、東京からの出発日が近い段階で自転車修理が必要となり、自転車を機内荷物として持ってくる事を断念した。ただ、小豆島に着いて分かった事は、小豆島遍路道は四国遍路と異なり、山道を通る事が多く自転車での巡礼は無理がある。その反面、バスの運賃が上限300円と格安になっていた。以前は福田から土庄までは2000円ほどかかったので、バスを使うことは考えていなかったのだが、行政が補助金を出してこの格安運賃となっていた。本数は1時間-2時間に一本だが、予定さえ合わせれば、徒歩で遍路をするにはうってつけな交通手段だった。今回はこのバスをフル活用してまわってみる。昨日はバスを使わず隣村の吉田まで山道と遍路道で散策をしたが、今日はバスで目的地まで往復をし、散策は徒歩にて楽しむ事とする。


今日訪れた小豆島八十八ケ所霊場

第49番 東林庵 (上庄 上庄村)

  • 本尊: 地蔵菩薩
  • 真言: オン カカカビ サンマエイ ソワカ

第50番 遊苦庵 (上庄 上庄村)

  • 本尊: 薬師如来
  • 真言:オン コロコロ センダリ マトウギソワカ

第51番 宝幢坊 (上庄 北山村)

  • 本尊: 十一面観世音菩薩
  • 真言: オン ロケイ ジンバラ キリク

第52番 旧八幡宮 (上庄 北山村)

  • 本尊: 無量寿如来
  • 真言: オン アミリタ テイセイ カラ ウン

第54番 宝生院 (上庄 北山村)

  • 本尊: 地蔵菩薩
  • 真言: オン カカカビ サンマエイ ソワカ

第55番 観音堂 (上庄 平木村)

  • 本尊: 馬頭観世音菩薩
  • 真言: オン アミリトドハンバ ウン パッタ ソワカ

第56番 行者堂 (淵崎 赤穂屋村)

  • 本尊: 神変大菩薩(役行者)
  • 真言: オン ギャクギャク エンノウバソク アランジャ ソワカ

第58番 西光寺、奥の院 (土庄)

  • 本尊: 千手観世音菩薩
  • 真言: オン バザラ タラマ キリク



旧上庄村、旧北山村、平木村 訪問ログ



土庄町 上庄地区

旧上庄村 (上庄)

福田からオリーブバス北廻り福田線に乗り馬越の峠を下って約40分で上庄に着く。現在の上庄内には山に挟まれた小さな集落が三村 (上庄村、北山村、平木村) あった。

バス道路の北側に民家が集中している。上庄は元々は淵崎村の一部落だったが、淵崎村が土庄町に吸収され、土庄町に属している。ここから今日の遍路旅を開始する。

バス道路の南側は今日 (4月23日) は見なかったのだが、4月27日に南側を訪問すると、南側にも山が迫り、やまの谷間に伝法川が流れて一面水田となっている。上庄の東端、黒岩部落との境には大きな溜池があり、この地域の水田へ水を供給している。


名称不明の庵 (4月27日訪問)

溜池の畦道には石の祠があった。

その向こうには庵がある。道内には地蔵や上庄の札所の宝生院のお札が置かれ、庵の脇には祠があり金剛像 (何の金剛像かは分からなかった) が置かれていた。たまたま、ここで休憩しているとばあさんが通ったので庵の名を尋ねると、困った顔をして、昔聞いた事はあるのだが、覚えておらず、地元では単に「庵」と呼んでいるそうだ。地元の人には庵の名は重要ではない様だ。暫く世間話をして上の方にあるバス停に向かっていった。


49番霊場 東林庵

今日最初の霊場は49番の東林庵 (御真言: オン カカカビ サンマエイ ソワカ)。バス停から少し戻った所の山の麓のあり、民家の間の道の脇には石塔が置かれ、庵への入り口にはいくつもの地蔵や石仏が祀られている。

東林庵は、昔は寺格を持ち万願寺と号していたが、今は庵となって残っている。本尊は地蔵菩薩では仏師安阿弥の作と伝えられている。

庵のすぐ隣には墓地になっている。万願寺時代からの墓地だろうか? 東林庵は地区住民により維持されている。


上庄荒魂神社

遍路道を次の霊場に向かう。大きな屋敷もある。地域の有力者だろう。

遍路路は坂になりその上に鳥居が置かれているので神社だ。この神社はgoogle mapには表示されず、何というなの神社か不明。後で調べると上庄荒魂神社だった。小豆島各地には荒神を祀った神社が置かれている。商売繁盛の神、火の神、かまどの神とされている。その土地、部落を守る氏神で、荒神神社、荒神社、荒神宮、荒魂神社など様々な名称だが、地元では荒神さん (こうじんさん) と呼んでいる。


50番霊場 遊苦庵

遍路道に戻り少し進んだ所、池の辺りに50番霊場 遊苦庵があった。薬師如来を本尊として、御真言はオン コロコロ センダリ マトウギソワカ。池は蓮華池と呼ばれ、夏になると一面に蓮華の花が咲くそうだ。遊苦庵の名は良いだ。人生は楽しくもあり苦しくもあるということか?苦しも遊と思って生きなさいということだろうか?それぞれの人はこの名を解釈して良いのだろう。個人的には苦しみも楽しみの一部というのがしっくりくるかな。


 

旧北山村 (上庄)

遊苦庵を過ぎると、旧北山村に入る。



地蔵菩薩安置堂

山の麓の遍路道を進むと祠が見えて来た。地蔵菩薩安置堂で三体の地蔵が安置されている。この辺りに置かれていた地蔵をここにまとめて祀っているのだろう。1971年 (昭和46年) に、ここに安置堂を造ったと書かれていた。


北山部落共同墓地

遍路道を更に進む。墓地がある。この辺りの北山部落の共同墓地で1978年 (昭和53年) に部落によって設置されている。無縁仏や六地蔵がある。脇の小屋には聖観世音菩薩を祀っている。北山部落は地番では上庄になっているが、かつては上庄の隣の部落で淵崎村の一部だった。


北山荒神社

墓地の裏側に北山部落の氏神を祀つる北山荒神社があった。拝殿がひとつだけ建っている。この様にその地域の氏神である荒神を祀る神社があれば、その地域がかつては独立した部落だった事が分かる。

写真を撮ろうとすると、何か動くものが!たぬきだ。じっとこちらを見ている。人馴れしているのか逃げない。こちらが動くと、顔をこちらに向けてじっと見ている。驚かせないように、ゆっくりと次の場所に向かう。


修行大師像

石臼の上の石の道しるべにしたがって道を進む。この辺りは石臼を使った石造物が多く見られる。すると、今度は道沿いに修行大師像に出くわした。


54番霊場 宝生院

遍路道の向こうに森が見えて来た。そこが目的地の宝生院になる。小豆島霊場の54番になる。宝生院は皇踏山吉祥寺と称し、昔は大覚寺派中本寺であったが、今では高野山派となっている。立派な寺院で、中には小豆島霊場の51番、52番のニヶ所の霊場も置かれている。この二つはかつては別の場所にあったが、明治維新の神仏分離でここに移されている。


客殿

門を入った正面には客殿が置かれている。寺院の事務所でもある。


手水鉢、鐘楼、観音像

境内に入った所、客殿の前には手水鉢 (左下)、鐘楼 (上)、観音像 (右下) がある。


大師堂

客殿の先には弘法大師を祀った大師堂がある。弘法大師 (空海) は生国が讃岐 (香川県) で京都への上京や帰郷の際に、しばしば小豆島立ち寄り、島の各所で修業や祈念を行なったと伝わり、小豆島と弘法大師の縁は深い。小豆島88ヶ所巡礼は四国88ヶ所巡礼とほぼ同じ時期の江戸時代に出来上がったとされている。


宝箧印塔、水掛地蔵、宝の石

大師堂の手前には宝箧印塔 (左下)、水掛地蔵 (右上)、石で三回叩き願い事をする宝の石 (右中) が置かれている。


陸軍軍人墓地

大師堂の隣には陸軍軍人墓地がある。この墓の詳細については見つからなかったが、


天満宮跡

陸軍軍人墓地の奥に鳥居があり、天満宮と書かれている。鳥居をくぐり階段を登ると、本殿は無く、その台座だけが残っている。いつの時代かに移設されたのだろう。


本堂

宝生院の本堂は客殿から階段を登った少し高い場所にある。春なのだが、赤い葉の木があり、紅葉の季節に来たかの様な風景だ。


稲荷神社、納骨堂

本堂の隣には稲荷神社と納骨堂 (写真右下) が置かれている。


51番霊場 宝幢坊

稲荷神社の隣に51番霊場の宝幢坊がある。元々は土庄町渕崎の富丘八幡宮の別当寺だったが、明治の神仏分離の際に別当寺は廃寺となり、本尊をこの地に移し、札所を宝生院に併置している。本尊は十一面観世音菩薩で、真言はオン ロケイ ジンバラ キリク。


愛染明王

52番霊場 旧八幡宮の前には愛染明王が祀られている。縁結びに御利益があると書かれている。


52番霊場 旧八幡宮

宝生院の東隣に52番霊場の旧八幡宮がある。仏教札所として旧八幡宮とは妙な名前と思ったのだが、この旧八幡宮とは、土庄町渕崎の富丘八幡宮 (4月26日に訪問) のことで、第51番宝幢坊と同様、明治の神仏分離で、富丘八幡宮の神宮寺をこの地に移し祀っている。富丘八幡宮の本地仏であった恵心僧都作と伝わる無量寿如来像を祀っている。真言はオン アミリタ テイセイ カラ ウン。


大真柏 (シンパク) 

宝生院から旧八幡宮に向かう所には第15代応神天皇御手植と伝わる大真柏 (シンパク) がある。高さ24m、幹周囲16mで、樹令二千年という。世界一の古い木だそうだ。この応神天皇は実在したかどうかが議論されているが、一般的には初代神武天皇から14代の仲哀天皇までは実在しなかった可能性が高く、実在が確認できるのはこの応神天皇からとなっている。残っている文献からは応神天皇は4世紀後半〜5世紀初頭ごろに存在していた可能性があると言う。そうすると応神天皇が植えたとする2000年前とは年代が合わない。とはいえ、小豆島では応神天皇が92歳の時に小豆島へ御遊幸したと伝わり、応神天皇所縁の地が各所にある。


玉光神社

地図に宝生院の北側に玉光神社が記載されていたので、坂道を登り来てみた。広大な敷地に立派な社殿が造られているが、門は閉まっており中には入れない。玉光神社は神道系新興宗教の一つで、1932年に教祖となる山口県出身の本山キヌエが小豆島で崖から飛び降り自殺を図った際に玉光大神が降臨したことで助かり以後玉光大神の代弁者となり、玉光神社の教祖として、1934年に小豆島に玉光神社を創設した。1949年には、東京都三鷹市に神社を設立し、1952年宗教法人玉光神社となっている。1959年にこの場所に今日訪れたのは1959年造られた本宮にあたる。


地蔵堂

宝生院に戻り、遍路道を進むと地蔵堂がある。本尊を弘法大師、地蔵菩薩、子安地蔵としている。


白石大明神

地蔵堂の墓地を突っ切っている遍路道を歩いていくと道沿いにコンクリートブロックに板の屋根を置いた中に石の祠があった。白石大明神と呼ばれている。石の祠が置かれている白い石が白石の由来なのだろうか?


旧平木村 (上庄)

白石大明神を越えたところから旧平木村に入る。旧平木村は現在の上庄と淵崎にまたがっていた村のようだ。



神社 (荒神 名称不明)

遍路道を次の札所の馬頭観音堂を目指し進む。坂道の途中に鳥居がある。神社だろうが、地図には表記されておらず名称が不明。拝殿内の中心には荒神が祀られ、隣には八幡宮、大神宮、金毘羅も祀られている。地元の人に確認をしたかったのだが、ここは人里から少し離れて人が見あたらず、名前は不明のままとなってしまったが、ここから下った所は平木という部落になるので、その氏神としての荒神さんと思われる。


55番霊場 観音堂

遍路道の坂を登り、少し小高い丘の上に観音堂がある。小豆島霊場の中で唯一馬頭観世音を御本尊とする寺で、昔より牛馬安全を祈願している。また、地域の人達は安産の祈願をすると子供が楽に産めると言われている。関東では至る所に馬頭観音像が見られるが、この小豆島でははっきりと馬頭観音像と分かる石柱はここが初めてだった。

ここからは上庄の村が一望できる。



土庄町 渕崎地区


旧赤穂屋 (あこや) 村 (渕崎)

観音堂から遍路道を少し進むと現在の渕崎地区に入る。この辺りは旧赤穂屋 (あこや) 村にあたる。


行者原薬師堂

観音堂から山の中の遍路道を次の札所の56番の行者堂に向かう。

遍路道の途中に行者原薬師堂がある。薬師堂の下には地蔵が安置されている。以前は小さな堂の中におさまっていたのだが堂は壊れてしまい。地蔵だけになっている。このあたりは行者原という地域で、現在は上庄地区に属しているのだが行者原は赤穂屋と平木にまたがっている。


56番霊場 行者堂

行者原薬師堂から遍路道の山道を進んでいくとやっと舗装道路に出る。最近のお遍路さんはマイクロバスや自動車でこの様な自動車道路で巡礼をしている。

この行者堂は小豆島では唯一、修験道の開祖とされる役ノ行者 (えんのぎょうじゃ、神変大菩薩) を本尊としている。1月6日、10月6日に祭祀を行い地元の住民の祭りが模様されている。役の行者は役の小角 (おづぬ) とも呼ばれ、634年 (舒明6年) に奈良県葛上郡茅原村の高賀茂家に誕生、幼少の頃より博学で密教を信仰していた。大和の葛城山を中心に吉野の金峰山、富士山等合わせて九十余峰を開き修行をし修験道の開祖とされている。没後千年以上の後に1799年 (寛政2年) に光格天皇から神変大菩薩の諡号を送られている。修験道の修行で野山を駆け回っていた事から足腰の弱い人々を救う菩薩と言われている。真言はオン ギャクギャク エンノウバソク アランジャ ソワカ。

行者堂の裏には大きな岩があり、〆縄があり祀られている。これは盤座 (いわくら) で神道で神が鎮座する所という。仏教のお堂に神道の盤座は神仏習合時代の名残りだろう。

ここからは淵崎や土庄の街が眼下に広がり、その向こうには四国本島の高松が臨める。ここから土庄までは徒歩で一時間程だ。


荒神神社

行者堂の裏から遍路道が続いている。

遍路道の途中、ここにも荒神 (こうじん) さんの神社があった。この荒神神社の情報は見つからず、どの部落の氏神を祀っているのかははっきりとはしないのだが、行者堂から旧赤穂屋村の民家に降りていく途中にあるので、多分、赤穂屋村の荒神さんだろう。


六字庵

荒神神社から遍路道で麓の民家に降り、旧淵崎村 (現在は土庄町淵崎) のスポットをめぐる。途中、地蔵尊が道端に置かれていた。

下り坂の途中に六字庵という仏教庵がある。南無阿弥陀仏が六字なのでこの名が付けられている。庵の前には句碑 (写真下中) があり、明治初期に造られ、芭蕉の句の「のミ虱馬乃尿する枕もと 蚤虱蚊蝿」と刻まれている。妙な句の碑と思った。この句はノミやシラミに責められ、枕元には馬の小便する音が響く、すさまじい一夜だ、の意で、山越えの厳しさが詠まれている。ここには皇頭山があり、そこの遍路道はかなり険しく、小豆島の北側から遍路を登り、降りてきてこの地に着いた時はこの様だったのかも知れない。後日、この皇頭山の頂上まで登ったのだが、かなりきつくこの句がここに置かれた事がよく分かった。芭蕉の句碑は時々寺院で見かける。香川県には21の句碑があり、小豆島にはそのうち5つがある。芭蕉は四国には足を伸ばしていなかったのだが、この庵と芭蕉には何か関係があったのだろうか?


かどや発祥の地 (4月24日訪問)

4月24日の渕崎地区を訪問した際、行のバスで土庄に近づいた際に目に留まった場所があった。バスを降りて、その場所まで戻る。昨日訪れた六字庵の道を南に土庄に向かって降りてきたところとバス道が交差する所にかどや発祥の地の説明板がある。かどやといえば胡麻油で有名だが、小豆島で創業したとは知らなかった。1858年 (安政5年) に加登屋製油所とし創業。赤穂屋交差点角にあったことで加登屋 (かどや) と店名を付けたそうだ。昭和の初めまでは西日本中心に活動していたが、その後、事業の全国に拡大し、1957年 (昭和32年) に加登屋製油株式会社と社名変更し本社を東京に移している。ごま油の製造は創業以来現在に至るまで、小豆島で行い、土庄港に大きな工場がある。現在でもごま油ではシェア1位を堅持し、小豆島では優良企業で就職先では人気の高い会社だ。


稲荷神社

道を進むと祠がある。稲荷神社だ。更に道の向こうにも小さな石の祠が見える。この後も道沿いにはこの様に地図には載っていない幾つもの石地蔵や祠、石柱を見ることになる。


光現寺

浄土真宗本願寺派のお寺で阿弥陀如来を本尊としている。小さなお寺で特に見所は無く本堂以外は境内に石碑が建っているのみだった。お遍路は弘法大師が起源とされているので小豆島では真言宗の寺だけが札所となっている。この寺の様に浄土真宗などの他宗派は除外されている。四国八十八ケ所札所には少ないながらも、天台宗、臨済宗、時宗、曹洞宗の寺院など現在では8寺院 (昔は他宗派はもっと多かったが真言宗に改宗したものもある) も含まれているのとは異なっている。小豆島の方が保守的なのかも知れない。


地主大神

光現寺の北側には神社がある。地主大神と地図にはある。地主神は神道において、土地ごとにそこを守護する神とされている。この後にも数知れずの地主神の石柱、石祠を見る事になる。多くはその家、一族の土地の神として家や敷地に置かれている。ここの様に神社として鳥居や拝殿が置かれているのは珍しい。荒神の様に、この地域の氏神としての地主神と思う。ただ、どの部落の氏神なのかは分からなかった。



旧淵崎村にはまだまだ寺社仏閣があるのだが、今日は旧淵崎村から旧土庄村に移動して散策を続けた。旧土庄村で訪れたスポットについては、後日、旧土庄村を散策したレポートに含める事にする。



参考文献

  • 土庄町史 (1971 香川県小豆郡土庄町)
  • 小豆島お遍路道案内図