地球には国境なんかない
Facebook兼井 浩 さん投稿記事
子供達に教えなさい、戦争には名誉も英雄もないことを。
名誉は戦争を防ぐ行動からやって来ることを。
そして、英雄とは実際にそんな行動を起こした者達であるということを。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
和解のためのメソッド
戦うための、殺すための道具がつくられ、売られ、それで膨大な利益が生じているということ・・・。それらは、使われるための道具であるということ・・・。
今年1月に亡くなられた、平和活動家で仏教徒のナット・ハン師によると、仏教には寺院の中での諍いを解決するために「和解のための7つの実践」と呼ばれるメソッドがあります。地域や会社や家庭で実践できるものです。
1、 対面して座る。呼吸と微笑みをして、争う気持ちではなく、役立とうとする気持ちで座る。
2、 思い出すこと。争いのいきさつ全体をそれと関わる細分のすべてにわたって思い出す。
3、 強情でないこと。結果が重要なのではなく、どちらもが和解と理解、受容のために全力を尽くすこと。
4、 ぬかるみに藁を敷く。尊敬を受けている先輩が選ばれて紛争をしている側を代表し、わだかまってかたくなになった感情をとかす役割をする。ぬかるみ=紛争。藁=愛に満ちた親切心。
5、 自発的告白。おのおの、自らの欠点を明らかにしていく。小さな弱点の告白であっても相手の感情をよくし、怒りと恨みを軽減する。
6、 全会一致による決定。争いをくまなく検証し、最大限の和解を実現したあとで、会合全体が評決を提案する。
7、 評決を受け入れること。提案が会合全体で受け入れられたら、どのような評決であれそれに従う。
瞑想や坐禅で悟りに近づこうとする僧たちの共同体であっても、諍いや紛争が起きるのですね。憎しみや暴力をどう遠ざけていくか、人間の大きな課題です。状況を変える=内面を変えるための実践的な教えと言えるでしょう。
FacebookKNOB ノブさん投稿記事
平和を祈ります。
~人種・宗教的なことを超えて 宇宙からみたら地球には国境なんかないんだ~
これが人と人、いのちといのちが心と心が結ばれていくためであるならば、、、
ジョンのイマジン
https://youtu.be/wARpk54fv8U
マイケルのヒール・ザ・ワールド
https://youtu.be/s8RtmyfU6ko
ビートルズのオール・ユー・ニード・イズ・ラブ
https://youtu.be/_7xMfIp-irg
ウィー・アー・ザ・ワールド
https://youtu.be/wXTcV0F4Dm0
もそうだけれど、僕は基本的にこういう世界が好きだ。
先日に上映会がありましたが、1992年 ドキュメンタリー映画 地球交響曲 ~ガイヤシンフォニー~を観て、グループ解散前の最後の曲の歌詞をみんなで、~僕たちのこの地球で~と書いた。
https://youtu.be/FJuWYrOkyA4
だけれども、、、今の世界の戦争 偏向報道だらけのメディア 完全に悪と正義が分かれ
だから支援を!平和を祈ろうには正直心が動かないんです。
流行り病に関することもそうだけれど、頭がおかしい?と思われるかもしれないけれど、今のアメリカ大統領が真の正義であるとは到底思えないし、そんな方が、悪だという世界を、メディアがこぞって、こちらが正義だという世界を僕は自分自身の感覚で信用できません。
国境なき世界 それが愛と愛 心と心が繋がるためであれば 素晴らしい世界だけれど、
今の聞こえだけがいいグローバリズムの世界は 国を超えて、より自由にビジネスをという世界であると思います。
ロシアもウクライナも、、、裏で糸をひき、戦争により多大な利益を産み出すような人々の思惑を超えて、、、人が真に目覚め コマーシャル的な 飾られた言葉を超えて、、、
正義も悪も超えて、、、宇宙本質の愛の働きが
今もきちんとちゃんと働いていること、すべてがおおいなる働きの光に照らされ、様々なことが明るみになることで、人々が眠りから洗脳から溶けてゆくために必然な通過儀礼だと信じ、だからこそ、、、
すべてがより良くなるために起きていることであると感謝を、、、導いていただき、今があると、、、本当に、、、
理不尽なこと、辛く、悲しいようなこと、怒りが生まれることもあるけれど、、、
やはり、、、ありがとうございます の祈りを僕は放ちたいと思います。
平和を愛を光を ありがとうございます。
Facebook北條 毅さん投稿記事
子供の頃に遊んだただ同じ言葉を伝えていくだけの「伝言ゲーム」でも 多くの場合最初と最後の言葉は異なるよね。
あんなにアナログな「伝言ゲーム」でもそうなんだから人づてでも、メディアづてでも得られる情報には必ず「ノイズ」が含まれる。必ずね。ㅤ
ある時代に誰もが当たり前に信じていたことが ある時に大きな嘘や間違いがあったことが広まって 評価が逆転した、ということなんて 歴史の中にはいくらでも見つけられる。
偏向報道だ、とか 隠されている、とか 捻じ曲げられている、とか そう憤るより
ずっと以前の段階の話で情報とは、そもそもそういうもの」だということ。
「だから信じるな」そういうように0だと全否定するのではなくㅤかといって、100全肯定するのでもなく 大事なのは、「何%かのノイズが入ってる」という前提で常にすべての情報に接すること。
ノイズの割合がどれくらいなのか 多いのか、少ないのかは その時・そのモノによって異なるわけで その情報の中の ノイズの割合の見極めは 自分自身で考え、確認し、判断すること。ㅤ
情報を得てばかりで自分で考えることをしないとㅤ自分で得たはずの情報に溺れていく。ㅤ
賢者のつもりで 愚者への道を歩んでいく。
「絶対に◯◯だ」そう思っている瞬間にこそ いつだって重大な見落としが隠れているものㅤ
自分で検証すること 自分で考えること その地道な行為を 積み重ねてきたかどうかが
これからますますあらわになっていく。
情報に操られる者じゃなく情報を用いる者になっていこうね。ㅤ
与えられるばかりじゃない自分で考え、判断できる者になっていこうね。