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オーリムの乙女 0179 フランク・パターソン

2018.06.02 01:32

オーリムの乙女(The Lass Of Aughrim)

 

歌 : フランク・パターソン(Frank Patterson)

 

 

    ***    ***

 

 

If you'll be the lass of Aughrim 

As I am taking you mean to be 

Tell me the first token 

That passed between you and me 


O don't you remember 

That night on yon lean hill 

When we both met together 

Which I am sorry now to tell 


The rain falls on my heavy locks 

And the dew wets my skin; 

My babe lies cold within my arms; 

But none will let me in

 

 

 

The Lass Of Aughrim(オーリムの乙女)は、

アイルランドの民謡ですが、

似たようなメロディと歌詞の民謡が、

スコットランドやイングランドなどにも、

多数あり、同じ歌と思われます。

 

どれがオリジナルであるかは、わかりません。

 

The Lass of Roch Royal や、

Lord Gregory や、The Lass of Ocram や、

Mirk Mirk や、Fair Anny などと、

インターネットで検索すれば、

切りがないほどに、たくさん出て来ます。

 

歌詞の内容は、いずれも、

雨の中に、赤子を抱いた女が、

領主の城を訪ね、入れて欲しいと頼みますが、

領主の母親に、追い返されます。

 

後日談があり、

それを知った領主が、女を追い駆けますが、

すでに遅く、浜辺に死体が上がった後でした。

 

   

   昔の私生児は、母子ともども、

   ひどい目に遭いましたが、

   両親や親戚兄弟姉妹まで、

   連座しますので、

   実家を追い出されるだけでなく、

   インドでは、両親や親戚の手に掛かり、

   殺されることが多く、

   今も、一族の名誉のための殺人が、

   道徳的に認められています。

 

   その一方で、ヨーロッパの領主には、

   荘園の小作の娘の結婚に際して、

   処女であることを調べるために、

   最初に、新婦と性交渉をする権利が、

   認められていました。

 

   アフリカでは、

   処女であることを、村の長老たちに、

   検分してもらわなければ、

   結婚できなかったり、

   赤子の頃に、

   クリトリスを切り取る慣習などが、

   今も、広く残っています。

 

   強姦されると、女のほうが、

   村八分にされますから、

   女性は、出歩けませんが、

   水汲みや畑仕事のために、

   外に出ないわけには、行きません。 

 

   そのくせに、

   子供が産まれない夫婦のために、

   村祭の時に、青年団の男どもが、

   天狗の面を被り、

   入れ替わり立ち替わり、

   一家の主婦と、

   性交渉を致す仕来りが、

   わたしの子供の頃の田舎に、

   まだ残っていました。

 

   昔の田舎の、性交渉の風俗は、

   現代よりも、

   遥かに開放的で奔放でありながら、

   私生児や未婚の母に対して、

   残虐な仕打ちを好みました。

 

   何が良くて、何が悪いのかが、

   都会の人間には、よくわかりませんが、

   一般に、同じ村の中は、

   親戚同士ですから、

   村の中の、姦淫や未婚の妊娠に、

   寛容でありながら、

   村の外との、勝手な性交渉は、

   厳しく咎められていました。

 

 

イエス・キリストは、私生児のせいで、

洗礼や割礼の儀式を、受けられずに、

村を出て、

疎外された者同士の共同体を、作りました。

 

釈迦は、妻が妊娠しなかったので、

呪術師を雇い、妻と呪術師との性交渉により、

妻が妊娠しましたので、

まだ見ぬ赤子に、

障害(ラーフラ)と名付けて、家を出ました。

 

いずれも、世代交代が、宗教の原因です。

 

 

   The Lass Of Aughrim の歌詞は、

   女が歌っている体裁で、

 

   あなたはオーリムの乙女を

   覚えているでしょうか。

   あの丘の2人の楽しい時を。

 

   いま、思えば悲しい。

   雨は降り、髪は濡れ、

   赤子は、腕の中で冷たくなっていた。

   だれも、城の中へ入れてくれない。

 

   オーリムは、Galwayの近くの、

   小さな町とする評論家もいますが、

   同じ地名が、イギリスに多数あり、

   Gregoryという領主の名とともに、

   架空の固有名にすぎないような・・・

 

   この歌が、

   ビデオの階段の上から、聞こえます。

 

 

ビデオは、ジョイス(James Joyce)の

短編集(Dubliners)の中の、

死者たち(The dead)という短編小説の

映画化です。

 

ジョン・ヒューストン(John Huston)が、

酸素ボンベで呼吸しながら、

監督しましたので、出来上がると死にました。

 

死にかけに、

こんな小説の映画化を思いついたのは、

悪い冗談ですが、

お金を出した映画会社が、悪乗りしました。

 

というのは、小説家のジョイスが、

若い頃に書いた作品ですので、

死にかけの気持ちを、何も知りません。

青二才です。

 

映画は、小説を、忠実になぞっているらしい。

 

 

   ジョイスの原作は、ビデオの女性を、

   若い頃に愛した病身の男性が、

   オーリムの乙女という民謡を、

   よく歌ってくれました。

 

   女性が、修道院に入る日に、

   雨の中を、見送りに来てくれましたが、

   生きたくないと、言い、

   1週間後に死にました。

 

   自分のために死んだに違いないと、

   彼女は、夫の大学教授に打ち明けます。

 

   それが、小説の最後の場面のようです。

   別に、その後、

   話が進展することもなければ、

   さらに述懐することも、ありません。

 

   中産階級が、舞踏会を催して、

   出席した大学教授夫妻が、

   見聞したことを、短編小説が描き、

   舞踏会の帰りがけの場面に、

   ビデオの、オーリムの乙女が、

   聞こえます。

 

   妻が、若い頃の経験を、夫に話して、

   小説はお仕舞い。

   夫は、結婚生活が、

   つまらないものだったと、感じます。

 

   わたしも、その通りと思います。

 

   

うちの母は、餃子が好きで、

理由は、若い頃に言い寄って来た男が、

餃子を奢ってくれたからです。

 

父は、ニューヨークで1人で暮らして、

私が、フロリダのマンションで、

白骨の父を発見しました。

 

私がバクーに滞在していた間に、

フロリダで死んだようです。

 

今、母は、上海で暮らしています。

 

わたしも、死にかけですので、

母よりも先に、死ぬかも知れません。

 

わたしは、自分の孫を、

10人までは、確認しましたが、

知り合いの女性の数が、不確定なので、

孫の数も、わかりません。

 

他人の住所や電話番号は、

医者や弁護士のそれと同じで、

わたしの知ったことでありませんから、

どこから孫が出て来るかも、わかりません。

 

子供1人を、育てるのに、

1億円はかかりますが、

わたしは、孫1人につき、

1500万円で済ませています。

 

藤原義江は、イギリス人の父に、

初めて会ったときに、掛けられた言葉が、

サヨナラでした。

 

あり得ます。

 

女が、子供を連れて、昔の男に会いに行き、

金をくれと。

 

その子が、わたしの子であると、

誰が言えるのか。

 

別れぎわに、小さな子に、

サヨナラと言ってあげます。

 

藤原義江は、わたしの親友に、

そっくりでした。