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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

《聴く人》シェルシ(Giacinto Scelsi)、革命家。あるいは単なる詐欺師。そしてクリムゾンの引用

2018.06.02 09:49










《聴く人》シェルシ(Giacinto Scelsi)、革命家。

あるいは、単なる詐欺師。そして

クリムゾンの引用












Giacinto Scelsi

1905.01.08-1988.08.09









20世紀に活動したすべての作曲家の中で、もっとも影響力の強い作曲家は、ジョン・ケージでもウェーベルンでも、ましてやヴァレーズやブライアン・ファーニホウでもなく、シェルシその人だった、という気がする。







トリスタン・ミュライユ、ジェラール・グリゼーのいわゆる《スペクトル楽派》はいうに及ばず、ジョン・ケージの後期の作品に、シェルシ的な発想で書かれたものも、たしかに見つかると想うし、そもそも3分44秒的な発想自体、シェルシのような、《聴く》こと、音が鳴っていることを《聴く》こと自体への問題化がなければ成り立たない。


その弟子のモートン・フェルドマンにも、特にその後期の音楽の中に、ときに、シェルシ初期のピアノ曲《ピアノフォルテのための前奏曲》から流用されたと思しきフレーズが散見されたりもする。


だが、シェルシを誰も、20世紀で最大の影響力を持った作曲家であると明言し得ないのは、結局それをしてしまえば、20世紀に行われた夥しい音楽活動の殆どに、泥を無ってしまうことになるからだ。


なぜなら、シェルシは変わり者の詐欺師に過ぎない。











シェルシは金で雇った複数人の作曲家に、指示を出して曲を書かせ、自分名義で発表していたのだ。これは死後に、その協力者だったヴィエーリ・トサッティ(Vieri Tosatti)の告白によって明るみになる。


とはいえ、その発覚以前に、イタリア本国では、シェルシの《偽作》は大貴族の末裔の意味不明なお遊びとして有名だった、という話もある。


シェルシはイタリアの大貴族の末裔だ。有り余る財産を、作曲家の振りをすること、それだけに費やしたのだ。そして、その周辺では、それは、誰もが知っている貴族のお遊びに過ぎなかった。


外国の、事情を何も知らない作曲家や批評家たちが、能天気に《現代の天才》としてもてはやしていただけ、にすぎない。


とはいえ、これを逆に言えば、何も知らないで音楽だけ聴きさえすれば、そこで鳴っている音楽は、まぎれもなく、戦慄的な美しさと、瞑想的な静寂と、未来の音楽を示唆する可能性に満ちた音楽でこそあったのだ、ともいえる。


つまり、《馬鹿な外人たち》がこぞって賞賛したことこそが、シェルシの音楽が《本物》だったことを、ひとつの逆説として証明してしまうのだ。


以下、本人による《神話》と、トサッティの告白と、わたしの個人的な感想を並列しよう。


シェルシによるシェルシ

音楽理論に秀でた、先進的な作曲家だった。

イタリアで初めて十二音音楽を作曲した。


トサッティによるシェルシ

初期の作品も、

自分の前の協力者とシェルシによる共同制作に過ぎない。

実質的な作者はそのゴースト・ライターである。


個人的見解

初期のピアノ曲は、ラヴェル等の、フランス牙城の

風変わりな作曲たちにシンクロするもので、

かならずしも十二音音楽的ではない。

本質的に十二音音楽のような知性を感じさせない。

むしろ、感性的だ。


ウィーンとニューヨークでマーラーが交響曲及び古典派調性音楽を解体しようとしていた、まさにその時期に、イタリアでは脱オペラ=器楽曲志向の作曲家たちがその時代の最先端を突っ切っていた。


例えば、あの有名な《ローマ三部作》のオットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi)などだ。彼は美しいピアノ協奏曲や、弦楽四重奏曲を書いた。普通の意味で非常に優れた作曲家である。もっとも、交響曲偏重・ドイツ系偏重の日本では殆ど省みられない。








1880年代生まれの彼らは80年代世代と呼ばれた。


ごくごく単純に言って、オペラ・ロッシーニ主流の流れに逆らって器楽・ベートーヴェン的なものを志向した、という人たちなのだから、かならずしも語法は破壊的・解体的ではない。


彼らにとっては、器楽曲を書きさえすれば、それこそが破壊による突破であることを意味したのだから、無理して音楽それ自体を破壊したり、音楽の純粋論理を構築させようとしたり、微分音やトーン・クラスターを取り入れたりする必然性は必ずしもなかったのだ。


故に、音楽自体はベートーヴェンやバッハよりも寧ろ保守的だ。


この世代には、ほかに、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero 交響曲が絶品)や、アルフレード・カゼッラ(Alfredo Casella)など。


カゼッラは強烈なマーラーの影響下から、一気に新古典主義に舵を取った、という作曲家で、後年、イタリアのファシズム時代にはムッソリーニに協力する。初期の交響曲には、どす黒いなにかがのた打ち回る。

リズムも強烈で、結構耳に残るが、後期ロマン派どまりであることに変わりはない。


シェルシはその次の世代、いわば、カゼッラたちのようなマーラー同時代世代のあとのアフター・ウェーヴェルン世代に当たるわけだから、なんとなくこの世代が普通に作曲したら十二音音楽の影響くらいは、受ける。そしてそれが、イタリア初だったとしても、なにも驚くには値しない。










シェルシによるシェルシ

音楽を追求するにしたがって、精神を病む。

作曲が出来なくなった。

戦後、そこから、ピアノの鍵盤の、同じ音をたたき続ける、

鳴らし続ける、聞き続ける、という作業によって、

精神的安定を取り戻す。

もっとも、音符が一切書けなくなってしまったので、

いまは、代筆者に書かせている。


トサッティによるシェルシ

シェルシがなんとなく、大まかな指示をくれる。

二つくらいの音を鳴らすだけのときもあれば、

もっと具体的なこともある。

いずれにしても、

シェルシが気に入るように作曲してやる。

そして、シェルシが気に入れば、

楽譜にシェルシが自分の名前をサインして、完成。


個人的な見解

音符が書けなくなる《失語症》は、

モーリス・ラヴェル最晩年の伝説的な症状のパクリだと想う。

そんな疑いを持たせるほどに、初期のピアノ曲は、

ラヴェルに似ている。

50年代以降の後期シェルシの瞑想的な世界は、

《失語症》に陥って以降のラヴェルの

頭の中だけでなっていたという《音楽》を

イメージしたときに生まれた響き、なのではないか。

実際、初期シェルシのピアノ曲を

何の情報も与えずに聞かせれば、

フランス生まれのラヴェルのエピゴーネンだろう、と、

誰もが回答するのではないか?


いずれにしても、シェルシは、ピアノのキーを叩いたり、オンディオリーナOndiolineという楽器を使ったりして、作曲家にイメージを伝え、自分は、彼らの仕事を《聞いて》、その出来・不出来を判断していただけだ、と言うのが事実らしい。


オンディオリーナ、要するにシンセサイザーの走りだ。







シェルシは、詐欺師に過ぎない。


もっとも、にもかかわらず、シェルシの音楽はシェルシ固有の個性にあふれている、と言える。


シェルシ名義の音楽と、トサッティ自身の音楽とでは、似ても似つかないからだ。







本当に、シェルシは一音符たりとも書かなかったのか?


それに関しては諸説ある。


第一次大戦後から第二次世界大戦の終結するくらいまでの間の、シェルシの名前が署名されているピアノ曲を聞くと、…これは個人的な感想に過ぎないが、代作者によるものだとは、どうしても思えない。


《ピアノフォルテのための前奏曲》あたりはともかく、《Rotativa(1930)》《Capriccio Per Pianoforte(1935)》《Sonata No.2(1939)》あたりになると、明らかに本人が書いていると想う。


なぜなら、単純に、狂っているからだ。








イタリア人の癖に、いやになるくらいラヴェル趣味が露骨な音響なのだが、狂っている、としか言いようがない。


もっとも、本家ラヴェルの音楽自体、第一次大戦を越えたあたりから急速に、その純粋な《狂気》とでも言うしかない異物感の塊りのような音になって行くが、それと同じような《狂気》が、はっきりと刻印されているように想う。


代作者が丁寧に依頼人のオーダーを音化したのだとしたら、もっと理路整然とした狂気の表現になるのではないか?


例えば、日本の《佐村河内》氏の作品であるとか、優れて理性的な作曲家だったアラン・ペッテション(Allen Petterson)の交響曲であるとか、のように。


トサッティという協力者を得てからの作品は、むしろ、初期のような《狂気》にかけている。


明らかに理性的・哲学的な眼差しを感じさせるのだ。








50年代以降のトサッティ=シェルシの作品は、現代音楽の表現方法として《聞く》ことを問題化するという明確な意志に貫かれた、すぐれた芸術作品である。


逆に言えば、《…に過ぎない》とも、言える。


いずれにしても、シェルシは詐欺師に他ならず、そして、もっとも奇妙なのは、その詐欺が金銭目当てではなかったことだ。


先にも書いたが、大貴族の息子なのだ。

かならずしも作曲家として身を立てなければならない必然はない。

単に、シェルシ個人の趣味だったに過ぎない。

結局、シェルシにとって、本当に音楽療法だった、のかも知れない。


ちなみに、《スペクトル楽派》のミュライユとグリゼーが、わざわざイタリアまで出向いてシェルシを尋ね、教えを乞うた、という話がある。


その面会の詳細は伝えられていない。面談の詳細は秘匿にされた、とも言われる。ずいぶん思わせぶりな話だ。彼らに、シェルシは、なにを話したのだろうか?

ミュライユたちによって詳細が秘密にされた、というよりは、単純に、語られるべき何も、話されはしなかっただけ、なのかも知れない。


そんな無意味な詐欺師の作品は、20世紀の音楽を変えた。事実、シェルシがいなかったなら、後期ルイジ・ノーノさえ、存在しなかったかも知れない。シュニトケだって、どうだっただろう?


ところで、シェルシの影響力が猛威をふるっていた60年代後半に、《21世紀の精神分裂者》という歌を、そして《偉大なる詐欺師(The Great Deceiver)》という歌を歌ったロックバンドがいる。


もちろん、キング・クリムゾンだ。


キング・クリムゾンの「太陽と戦慄」「Starless and Bible Black」には、ノイズ塗れの静寂が散乱するが、そのような感性は、本質的にシェルシが50年代に確立したものである。


もちろん、ロバート・フリップがシェルシに直接影響を受けたとは想わないが、キング・クリムゾンから、あるいは、昔のボアダムスのようなノイズ系に至るまでの《ロック》的音響も、ある意味に於いてシェルシの間接的な影響下、シェルシが切り開いた眼差しの中で、見いだされた音響であることは間違いない。










The Great Deceiver



Health-food faggot with a bartered bride

Likes to comb his hair with a dipper ride

Once had a friend with a cloven foot

Once he called the tune in a chequered quit


替え玉の花嫁、まがい物のヘルス・フード付きで

お空の彼方でおめかししてやがる

むかし、毛むくじゃらの足の悪魔を知ってたぜ

あいつ、チェックのスーツで操ってやってたぜ



Great deceiver


偉大なる詐欺師



In the door on the floor in a paper bag

There's a shoe-shine boy with a gin-shop slag

She raised him up and she called him son

And she canonised the ground that he walked upon


ドアの中、フロアの上、紙袋の中に

靴磨きのガキとアル中のあばずれがいて

彼女はガキを育てて、わたしの息子よ、だってさ

彼女はガキが歩いた地面にひざまづいてキスをくれたぜ



Great deceiver


偉大なる詐欺師



シェルシ以前の音楽は、十二音音楽~セリー主義~新しい複雑系に至るまで、ある論理的な音楽様式の中で見いだされた、構築された音楽に他ならないからだ。


論理の構築を拒否する姿勢は、どう少なく見積もっても、シェルシを嚆矢とする、と言わざるを得ない。


…ゆえに、20世紀が音楽に関して体験した風景のほぼ半分は、ある風変わりな詐欺師の自分勝手な趣味の産物に過ぎなかった、と、言ってしまえば、言いすぎになるのだろうか?


結局のところ、シェルシは、明確な言葉は何も語らないままに、伝説的な《狂気の天才》として、その全生涯のほとんどを自分勝手な趣味に濫費して、死んで仕舞った。


真相は、誰にも、永遠に、わかりはしない。


文字通り、混乱こそがわたしたちの墓銘碑《Confusion will be my epitaph》、あるいは、くそいまいましいバイブル本の表紙みたいな、星もない空の下で、結局なにもわからなかった《Starless and Bible Black》、のだ。



2018.06.02

Seno-Le Ma