Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

かーさまんま鍼灸

マンマ鍼灸師 45歳 なんで鍼灸師になったのか②〜大好きな祖母〜

2023.04.24 07:46

私は3歳の頃

田舎のおばあちゃんの家に、約半年近く預けられていました。


弁当屋をしていた両親は

母の妊娠を機に

3歳の私の面倒まで見れなくなったようでした。


初めて田舎で預けられた幼女の私を

泣かさないように

グズらさないように

おばあちゃんはズブズブに私を甘やかしてくれました。


なかなか厳しめの両親に育てられていた私は

その、生まれて初めての甘やかしに

どっぷりと沼り

3ヶ月預けられて、

一度両親の元に帰った時に

タクシーの中から

帰るはずの都会のアパートに居る両親に向かって

「マサコはばーちゃんと一緒にまた田舎に帰る〜🎵」

と、3歳の私はバイバイをかましたそうです。

(もちろん、大阪にいなきゃいけなくて、

マサコ大号泣。

結局すぐに田舎へ行かせてもらったとか😅)


それからの私は

休みのたびに田舎に預けられ

厳しい両親も、面倒な妹もいない

田舎生活を満喫していました。


寒い冬は

布団を5枚も6枚もかけてくれて

おばあちゃんの太腿の間に

冷たい足を挟んでもらって寝たこと


暑い夏には

いつでも冷凍庫にアイスが入っていて

「いつでも食べないよ」と言ってくれてたこと


おんぶ紐を持って

畑仕事で忙しいおばあちゃんを

追いかけ回していたらしい私


松の木には

おじいちゃんがブランコを作ってくれ


流行りのTVをおばちゃんと観たり

ぶどう狩りに連れて行ってもらったり


おじちゃんは、私が妹に奪われた枕と

同じ模様の枕を縫ってくれ、


もう1人のおじちゃんは

港まで迎えに来てくれた。


とにかく皆んなが優しかった。

誰よりもおばあちゃんが優しかった。


もちろん、その田舎は天国だった。


厨二病を発症していた頃を除いて

大学生になっても

社会人になっても

私は、長期休暇のたびに

田舎に入り浸り

おばあちゃんの優しさに甘えまくっていました。


私の結婚式には、

ハウス苺をみんなに振る舞ってくれていた

おばあちゃん☺️


一年後

おばあちゃんの癌が発覚したのでした。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

親子でよく眠れるようになったとご好評受けております🎶

小児はり(生後1ヶ月から小学生まで) 600円

保護者のための5分治療 400円

健康の基本は、自己治癒力を爆上げする良質な睡眠から!

こちらの公式ラインサイトからご予約受付しております。

https://lin.ee/IwxCk0N

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎