運命を越えていけ!
東洋経済の記事でも書いてもらったように、
俺が音楽をやっているのは、
父親の影響がかなりあると思う。
今でも、親父が風呂場でエレキを弾いていた光景を思い出せるし、
酔っ払うと大声で清志郎を歌い出すし、
ギターを弾ける親父はカッコよかった。
チューニングが出来るってだけで、
ヒーローだった。
そんな親父は、
若い頃(大学生くらい?)は、
ロックボーカリストとしてモテモテだったらしい。
確かに若い頃の写真を見ると、
めちゃめちゃイケメン!
そして、ロングヘアーで、高音も綺麗に出るボーカリストだったらしく、
ちょうど日本がロックブームだったので、
まさに時代も味方して、
それはそれはモテモテだったのだろうというのは納得できる。
だけど、
「じゃあ、なんで音楽やめたの?」
という疑問が当然わいてくる。
それには親父はいつも、
「ソフトボール大会で、フライを取ると時に、チームメイトとぶつかって、ちょうど喉に肘が当たって歌えなくなってしまった」
と言っていた。
これは、いつ聞いても、何度聞いてもこう答えていたから、
本当なのかもしれない。
でも、真相はどうだったんだろうか。
と、思ってしまう。
そして、仮に本当だとしても、
それはあくまできっかけで、
やはり、やめるやめないは"意思"の問題なのではないかと思ってしまう時がある。
そう思う理由は、
俺自身が、この半年〜1年くらい、
ずーーっと、喉の不調を抱えているからだ。
歌えないことはないし、
聞いてる人からしても、全然わからないくらいには歌えている。
だけど、自分の感覚として、
「どうも、調子が悪い。」
だから、何度も
「もう辞めた方がいいのではないか。歌がうまい下手とは別に、肉体的な適正も、才能のあるなしということではないか」
と考えることがある。
だけど、なぜやめないか。歌を続けているのかというと、おそらく、父親の影響だ。
父親は、どこかで自分の才能を、
自分で見限ったのだろう。
本当はあったかもしらない可能性を、
何かしらのきっかけを言い訳に、
自ら断ち切ってしまったのだろう。
と思うから、
自分は、「いい歳こいて」とか「才能ないよ」とか言われようと、
体調不良が続こうと諦めない、と思っている。
いつしか刷り込まれた、遺伝という思い込みを断ち切って、
血という運命に抗って、
自分で自分の道を作っていかなければ、
と思っている。
運命なんか、知ったことか!
自分のやりたいことを、やりたいように、やれる限りはやるんだ!
と思っている。
そして、いつしか、
俺を褒めることのない親父が、
素直に俺を褒めざるを得ないような男になりたいね!
(親父とは仲良しですよ笑)
今この本読んでる。