いなべ寄席に寄せた思い(2023.4.26)
昨年、いなべ地域在住のアマチュア芸人・落語家の方といなべ寄席を立ち上げ、本日の藤原町石川の妙福寺さんで9回目を終えた。
冒頭に妙福寺さんのご住職にご挨拶を賜った。
そのご挨拶こそ、私たちが、いなべ寄席を始めた動機だ。
「コロナで皆さんとなかなかお会いできなくなって、こうした楽しい寄席でお会いできることが本当に嬉しいです。また、昔からお寺さんは地域の皆さんが何かあると集う場、それを大切にされているいなべ寄席さんにも協力をしたかったのです」
若い方の孤立だけでなく、高齢者も多くが独居で、コロナで多くの方々が精神的な孤立をしています。いや、多分、昔からそうした孤立はあったのだけれど、そんな時に、誰もが好きな時に行けるお寺さんや神社は、真に心の拠り所であったです。
これはもちろん行政の政策ではなく、長い歴史が産み出した暮らしの知恵。宗教(心の拠り所)とは、実は人が生きる上で大切なしくみであったのだと思います。
いろいろなものが暴露され、合理的な思考に支配され、どこかしら胡散臭いものにしたてあげられてしまいました。
でも、今の若い方もスピ系に拠り所を見出している方も大変多いです。
人はそうしたものがないと生きていけないのです。
私は以下を考えています。
・地区にあるお寺さんを地域食堂の場(設備も整っています)にできないか。
・災害時、お寺さんを高齢者の避難所にできないか。(耐震化されているお寺さんも多いです)
・お寺さんをコミュニティホールやサロンにできないか。
しかし、これは行政ではできません。
有名なお寺さんや神社もよいですが、地元のお寺さんや神社に行ったことはありますか?
地域資源はなんでも使う。そして、受け継いできた先人の気持ちに寄り添い、なぜ、こうした地域資源が受け継がれてきたのか、少しだけ考えてみる。
ICTやAI、バーチャルな時代になりつつあるからこそ、アナログ、非合理として揶揄されるものの本質を捉え直してみる。
また、私が子どもやお若い方々に必ずお話すること。
「世の中は、そもそも理不尽です。その理不尽を乗り越える時に、生き甲斐や人の輪が生まれます。だから、共に乗り越えていきましょう」
多分、私が人間が生で演じる演劇にこだわるのも、そのあたり(アナログ、非合理、整合性など全くない理不尽な人生ドラマ)だと思うのです。
文化・芸術・風俗・風習・・・・。実は、そのようなものが人間には大変大切ではないかと思うのです。