小説《花々の散乱》④…きみの、想い出。
Quartet
花々の散乱
寝息。…理沙の、そして、目を何度も閉じ、眠りに落ちる努力をする。
群がった
どうしようもなく、冴えた目が、そして聞き取られる寝息を音楽のように聴くしかない。
呼吸音の
音楽。ジョン・ケージ。圭輔が好きだと言った。わたしが好きだったから。
戯れる
壊す。
束なりが
嘘だった。
ほら、
壊される。
聞こえただけ
クラシックなど、わかったためしがない。
もはや
壊れはて、そして。ましてや。壊れない。
なにも、壊れさえしなかった。
もう、
涙さえ流さない。愛が理沙の死を告げたときも。
なにも
自分のマンションにたどり着いた理沙が管理人に曝した青たんだらけの顔。
愛し合う前に、すべては
語りつくされていた
何人に曝したの。新宿のラブホテルから、初台のマンションまで、道端で、タクシーの中、さまざまなものにすれ違いながら。見下ろした空。
すでに
光の逆光。
いつか
色彩は?
ほら、
その、色彩は?
青。
空間を切るような叫び声を立てて、チャンが私にすがりついた瞬間に、その騒音。(がちゃん、と)
その
なにも(かちゃん、)壊れないまでも。(がじゃん、)
青空の
なに?
青
チャン、泣きそうな、その。どうしたの?「知らない」言った。「日本語、知りません。…リザード。」とかげ。
壊してごらん
テーブルの足を、トカゲが這っていて、わたしは声を立てて笑い、腕の中でチャンが大袈裟に非難する。ベトナム語で。
目に映るすべて
手が、触れた
従業員を。店を。ベトナムを。やがては世界の存立そのものを。
もっと、やさしく
すべてさえもが、ほら
チャンの下でベトナム語の発音が踊り、わたしは笑う。
すべての…
眼差しがわたしたちを捉えた。
触れてごらん
外国から来たらしい美しい男に保護された、幸福な女。
すべてのものを
いま、そっと
いまだ気付かない。誰もが、すでに滅びていたことに。生まれる前からすでに。
乱れる
生々しく、息遣う。街路樹の、荒々しい樹木の陰を猫が走る。疾走、沈黙した、樹木の強大な生命。
勇気を出して
その存在がふれるすべてを破壊するまで、
撒き散らされ
それらは繁殖する。
触れてごらん
散り散りの
剥きだしの。
君が触れれば
埋め尽くし
生命体。
石ころさえもが
飛び散る
群れる。
輝く
花々の散乱
匂われた、髪の毛の匂い。じゃれつくチャンの立てた嬌声を聞く。想いだす。昼すぎになって目覚めた理沙と、朝ご飯を食べに行く。昼下がりの日差しの下に、振り向いた髪の毛がわたしの二の腕にふれた瞬間に、道玄坂に轟音が響いた。叩き付けるような。その破裂音。トラックが街路樹にぶつかって、横転していた。群がった人々が歓声を立て、救急車はまだ来ない。人だかりの向うに、血痕が見えた。その、アスファルトを穢した黒い色彩。僕が背伸びするのを「行こうよ」理沙は、僕の袖を「やだよ」破ってしまいそうに引く。力ずくで立ち去ろうとする理沙の、髪の毛の匂い。わたしはそれを嗅いだ。僕は言う、…待って。後ろ向きのままの、眼をそらした理沙を、わたしは後から抱いた。僕の腕に、理沙の体温があった。
…見たくない。行こう。理沙が言った。
早口に、ささやくように。それは花屋のトラックだった。
散乱
大量に積み込まれた花々が、…霞想(かすみそう)。道玄坂に …薔薇。撒き散らされて、百合。アスファルトは 木蓮。その色彩に …明日散(あすちるべ)。まみれた。…華麗人(カトレア)。足元から、…雛罌粟(ひなげし)。向うまで。…南国紅(ハイビスカス)。埋め尽くされた、…純愛花(スイートピー)。そして匂う。理沙の髪の毛の匂いの向うに、花々のそれ。背後で悲鳴が立った。男が立ちあがろうとして、血を吐いたらしかった。誰もが、口々に何かを言っていた。叫ぶように。花々を見詰めた。
その色彩を。
匂う。
2018.05.20. Seno-Lê Ma