長文です🙏
全力疾走と睡眠不足のツケが来ており、昨日からちょっぴり体調崩していますが…頭痛薬が効いているうちに言っておきたいこと。
こども虐待の問題は複雑な状況が絡み合っており、顕在化されるようになるまで時間を要するケースが多く、また有識者によれば顕在化されないケースも多いと言われています。現代の「密室の孤育て」、且つ「子育ての責任は家庭」とされている中で、そうなってしまうのは当然のことだと思います。
まだまだ課題はあるものの、介護保険制度によって社会化されつつある「介護」と、「子育て」は対照的と考えます。
1994年、日本が「子どもの権利条約」に批准してから、今年4月のこども基本法が施行されるまで29年かかりました。
いま、親世代である私たちも、そして学校の先生たちも、「子どもの権利条約」の理念が当たり前にある社会で誰も育っていません。「子どもの権利が守られた社会ってどういう社会なんだろう」…という試行錯誤は、日本はこれからです。
(こんな偉そうなことを言っている私自身も試行錯誤している一人です)
スウェーデンでは、「体罰はしつけではない」と認識されるようになるまで、体罰禁止法が出来てから30年を要したそうです。
つまり何が言いたいかというと、虐待、いじめ、不登校、社会的マルトリートメント…これらの課題を根本的に解決していくためには、日本ではまだこれから、時間がかかることを覚悟しなければならない、ということです。
少しでも早く…のためには、当然ながらそのための予算も必要です。
「根本的な解決に至るまで時間を要する」…となると、やはり、現状において対症療法の手段を残しておくことは重要です。その手段の一つとして「地域の子どもの居場所」の存在はとても大きいと考えています。当然、そこがあるからと言って子どもたちの課題全てが解決できる、ということではありませんが、今あるものを有効に使っていくことを考えることは必要だと思います。
不登校児童・生徒数の数字(図)もこれが全てではなく、行き渋りや隠れ不登校の状態で苦しい思いを抱えている子どもたちの人数は含まれていません。
他自治体では、学校に行きづらくなってる子どもたちの学習サポートの場として、児童館を活用している事例もあります。
私は、地域活動の中で、家庭にも学校にも安心安全の居場所がない…という子どもたちと出会う機会がありました。出会った当初は知りませんでしたが、すでに児童相談所が介入しているケースもありました。
そうした子どもたちにとって、児童福祉法に基づいた運営がされているはずの常設の「児童館」という場所は、家族や学校以外の大人と関わりを持つことが出来、子どもたちにとって、家庭や学校では現状得られにくいかもしれない人と人の信頼関係が作れたり、遊びの中で”ぽろっ”と出てくる「SOS」に気付いてもらえる、救いの場所にもなり得る可能性を持ちます。さらに、子どもの権利条約・条例に基づく運営がされていれば、自己肯定感や自己効用感を育むチャンスにもなり得ます。
もちろん、その役割を「児童館」だけに課すわけではありません。
子ども相談室の存在は有難い場所だと思います。
しかし、子ども自らがそうした相談所へ向かうようになるには、まだまだ工夫や仕掛けが必要です。
中野区の児童館については、廃止ではなく「改革」が必要だと考えています。少なくとも、児童相談所の仕事が増えている現状で、「廃止」計画を進めることは時期尚早であり、そもそも子どもたちの声を聴かずに計画を進めようとすることは、子どもの権利条例の観点から齟齬があります。
「キッズプラザが出来たことで児童館のニーズが減っている」という考えにも違和感があります。子どもの権利条約、条例に基づいた運営のあり方について、利用主体である子どもたちを中心としたワーキングループをつくり、子どもたちの意見を元に、運営やあり方について再検討していく必要があり、そうした改革を進めることによって、子どもたちが利用したくなる「児童館」に出来ると考えています。
中野区が本気になるのであれば、世田谷区の青少年交流センター「アップス」は大変参考になると思います。
…ちなみに、世田谷区では、今後未整備エリアに児童館を8館つくる計画があるとのこと。
社会的マルトリートメントを受けたまま誰にもケア・サポートされずに大人になった、虐待サバイバーと言われる方たちの勇気ある声を聴いてください。
たとえ、児童相談所が、サポートが必要な家庭、子どもたちを把握できたとしても、児童相談所が365日24時間ずっと関わり続けることは出来ません。
子どもたちの生活圏域は狭く、そして選択肢が少ない子どもたちにとって、あらゆるネットワークが選択肢として必要であり、そしてその核となる場が子どもの権利条約、児童福祉法に基づいた児童福祉施設であれば、それは大変な強みです。
もちろん、それ以上のものがある、またはそれに変わるものが新たに創られる、というのであれば、私の主張に限られたことではありません。
なにも、固執しているわけではないのです。
そして、「孤立の子育て」に突入していく現代の子育て世代と地域を結びつけていく取り組みが根本的に重要です。
私自身、孤立の子育てを経験してきた者として、いかに地域と繋がれるか、は長きにわたる子育ての方向性を決めると言っても過言ではないと感じています。
そして、それは「困ってから」つながるのではなく、平時のうちにつながってしまう必要があります。「困ってから」だと、「子育ての責任は家庭」の壁が邪魔をして、つながることが一気に難しくなります。
そのためにも、今後の公共施設のあり方についても議論が必要だと思います。

…色々な提案や議論をしたかったけれど。
微力でも、地域活動の中で諦めずに声をあげ続けていきます。
ここまでの乱文拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

🍀追伸
私のこういう話に「まるもさんは思いが先行している」「まるもさんは真面目だから」と仰る中野区の計画立案者の皆さま。
まずは一緒に勉強しませんか?