哀れ人魚にレクイエムを
△ 台本について
・4人劇 (2:2:0)
・所要時間 90分くらい
・協力 べにまる
どんなお話?
→高校生4人が深海の豪華客船に閉じ込められてしまったので出られる方法を探しつつも恋愛をからめてお互いのことを知るお話
△ 人物紹介
シズク:青木雫空 高校三年生。イツキの幼馴染。受験を控えた彼女は、眉目秀麗才色兼備な、絵にかいたような女性である。お嬢様な彼女にはどうやら想い人がいるらしく……
イツキ:緑川樹 高校三年生。シズクの幼馴染。年相応にふざけていて不真面目なようだがその実、誰よりも物を考えて行動をしている。そんな彼にはどうやら悩み事があるらしく……
ムギ:越田むぎ 高校二年生。カオルと同じ部活に所属している。部活にバイトにと学生生活を謳歌している女子高生。あまり頭はよくない。欲しいもののために毎日頑張っている。彼女にはどうしても憧れた人がいるらしく……
カオル:藤咲薫 高校二年生。ムギと同じ部活に所属している。学年順位の上位に常にいるイケメンである。日頃寡黙ぎみで、誰とも敬語で話す彼には夢があるらしく……
シズク:ねえねえイツキ、今回の課題はもうやった? 国語の、童話を選んで調べる課題のよ
イツキ:もうやった
シズク:早いわねえ。私なんて、割り振られた課題の題材すらまったく決まらないの。なににしましょう……
イツキ:ふうん
シズク:ア! つれない。そのままゲームをしないでよ
イツキ:頑張って。応援してる
シズク:いけず! ええっと、うーん、課題なににしようかしら。……随分前に流行ったディスニー映画の原作とか、えっと、雪の女王だったかしら? あとは……マレフィセント、いいえ、いばら姫? あの会社、素敵なお話を沢山取り扱っているのよね
イツキ:日本の童話にはしないんだ
シズク:ありきたりだし、私たち良く知っているでしょう。それに気分じゃないの。イツキだって日本童話じゃないでしょ
イツキ:そう
シズク:なんでしたっけ?
イツキ:人魚姫
シズク:あらかわいい!
イツキ:そうだね
0: 校庭で部活動が活発になりだし、声がシズクの耳に届いた。シズクは窓から身を乗り出して、校庭を見つめていた。
シズク:そろそろ大会かしら。みんな熱心ね。あ! 藤咲くん、今日は調子がいいのね。あれはご友人かしら? お話してる。あら。ねえあそこ、ムギちゃんだわ。精一杯走っている。がんばれムギちゃん
シズク:ア、そういえばスタバのね、表にあるメニューじゃないのですけれど[雪見フラペチーノ]っていうのがあるのよ。なんだったかしら。ティックトックで見たのよね。バニラクリームフラペチーノにシロップなしで、低脂肪ミルクのトールで出てくるものがそうですって。気にならない? しかも低カロリーなの
イツキ:へえ
シズク:ねーえー。良いと思わないー?
イツキ:そう
シズク:あら、なにかしらこれ、「童話さん」? 面白いはなしね……
シズク:ねえ見て見て、この「童話さん」宛てのアドレスに願い事を書きこむと、童話さんがなんでも叶えてくれるそうよ。面白そうじゃない?
イツキ:え、は? なに、おくんの?
シズク:ええ、面白そうだから
イツキ:いや送るなよ
シズク:なんでよ
イツキ:個人情報
シズク:なあに! 私はやっちゃいけないの?
イツキ:捨てアド用意しとけ、捨てアド
シズク:どうやって用意すればよろしいの?
イツキ:ええ、えと、機種はアイフォン?
シズク:ええ
イツキ:普通にアプリで捨てアド作れるのがあるから、それ入れて作って、送ったら?
シズク:アラ親切。ありがとう。貴方も送ってくれるのね
イツキ:はあ?
シズク:だって……
イツキ:やらないけど
シズク:童話さんのメールアドレス、教えてあげましょうか?
イツキ:……
0: イツキは目を細めて顎を引いた。シズクもおもしろがって同じ動作をする。しばらくそうして見つめあっていると、シズクは(これはもう少し押してみればやってくれるかもしれない)と確信した。見つめるのをやめて、ケータイを眺める。
シズク:いまさらメールなんて、前時代的ね。ガラケーの時代じゃないのよ? いまじゃラインとかじゃないかしら。でもお願い事を送るなんてロマンチック! 送るだけ、送りましょうよ
イツキ:バカ、アホ、マヌケ
シズク:面倒くさくなったらとりあえず変な事いうの、やめましょ。かわいいだけよ
イツキ:ダッッ(椅子から転げ落ちる)
シズク:アハハ! 椅子から落ちてるじゃない!!
イツキ:お前っっ
シズク:あーーおもしろい。もう帰りましょ。部活ももう終わりみたい。私たちももう帰らないと。先生に見つかったら怒られちゃう
イツキ:はーーーー
0:
0:***
0:
0: ところかわり個室の中。見覚えのない場所にムギは目覚めた。
0: どうやらホテルや宿のような立派な一室に見える。家具や壁紙に変わったところはない。しかし、ムギはここを訪れた記憶がなかった。
ムギ:あれ、ここはいったい……
0: 部屋の外から足音と話し声がする。
イツキ:203号室、ここか……
シズク:もし私たちの読みがあっているなら、ここに人がいるのよね
イツキ:いやお前開けるな。オレが開ける。下がってろ
シズク:アラそう
0:ノックをする。ムギが返事をする前にドアが開けられる。
イツキ:失礼しま、あ、
ムギ:ア
0:まったく知らない人で、ムギは反応ができなかった。イツキは女性の部屋をむやみに開けてしまった事実に気まずさを感じ、すぐに閉じてしまう。
イツキ:す、すみません
0:ドアが閉まる。
シズク:なに、誰かいらしたの?
イツキ:女の人がいた、同じ制服だった……
シズク:同じ学校の人なのね。私があけても?
イツキ:多分、いいとおもう
シズク:そう、じゃあ失礼するわ……
0:ノックの音がする。
シズク:入ってもよろしいかしら?
ムギ:え、あれ? 青木先輩?
シズク:あら、その声、ムギちゃん?
ムギ:そう、ムギです! 入っていいですよ!
イツキ:知りあい?
シズク:そう、部活の後輩よ
0:ドアが開けられる。
シズク:ムギちゃん! ほんとにムギちゃんなのね……
ムギ:あ、青木先輩! ここって……それに、えっと、さっきの男の人も一体……
0: 部屋の外で待機していたイツキが、誰かを見つけたようだ。
イツキ:あ、人がいる
シズク:どなた?
イツキ:しらん、……うちの学校の制服だ
カオル:あの、はじめまして、藤咲です。さっき起きたばかりで、ここがどこだかわからなくて……
ムギ:藤咲くん?
カオル:え? 越田さん?
シズク:どういうこと?
イツキ:……みんな、知りあいか
0:
0:***
0:
0: 個室と変わって広い場所だ。ビュッフェ会場のように机と椅子が並ばれており、照明は明るすぎず暗すぎない。心地いい雰囲気が漂う空間になっている。
0: 壁の大部分を覆うガラスの向こう側は海底のようだ。かすかに陽光が頭上から照らされているのはわかるが、地底に漂う砂の細かなところや、岩を詳しく見ることはできそうにない。海なのに大小問わず生き物の影が見えず、幻想さからかけ離れた寂寞(せきばく)さを感じる。
0: 四名は会場の中央に一番大きなテーブルを運び囲んでいた。中央にはいくつか紙がおかれている。文字が書かれているが、日本語にはどうも見えない。
シズク:まず自己紹介をしましょう。ふたりとも、イツキのこと知らないみたいですから
イツキ:えと、緑川樹(イツキ)です。シズクと幼馴染です。部活は入ってませんでした。三年生。よろしくお願いします
ムギ:先輩だ
カオル:先ほどは失礼いたしました。二年の、藤咲薫(カオル)です。青木先輩と同じ部活に所属しています。よろしくお願いします
ムギ:ムギです。越田むぎ(ムギ)。私も、青木先輩と藤咲くんと同じ部活で、マネージャーをしています。よろしくお願いします…
シズク:それで、私は青木雫空(シズク)です! 二人の先輩で、イツキの幼馴染です
イツキ:お前はいいだろ
シズク:一人だけ言わないのもおかしいでしょう?
カオル:えっと、すみません、僕、ここ来たことなくて……皆さんは覚えありますか?
ムギ:ムギ、わ、私も来たことない、です。先輩は?
シズク:それに関しては私もここには来たことないの
イツキ:俺もここには来たことない。無いが、俺とシズクがいろいろ探索をしているうちに、この紙を見つけたんだ。どうやら、俺たちをここへ誘拐したものの手紙だ。一枚のメモ書きと数枚の地図が同封されてる
カオル:紙……。でもこれ日本語じゃないですよね? 英語でもなさそう
イツキ:その通り。ここに書かれている文字はドイツ語だ。いろいろ書いてある。もう一枚はこの施設の地図だ。この形を見るにこの施設はどうやら船らしい。それも、随分大きい客船だ
ムギ:客船? でも窓の外は一面海……ですよね? もしかしてここ、沈んでるんですか?
イツキ:……おそらく、そうなる
シズク:私たち、本当にここに閉じこめられちゃったのよ
イツキ:そうだな。それを踏まえてこのメモだ。俺たちを誘拐したものの言葉が書いてある。……一応聞くが、「童話さん」という言葉に聞き覚えはあるか?
0: ムギとカオルは驚愕した。その反応を見て、イツキはうなずく。
イツキ:聞き覚えがあるんだな
ムギ:もしかしてあんな、チェーンメールみたいなおふざけが私たちをここに閉じ込めたってことですか?
イツキ:そうなる。何故ならこの手紙の差出人は「童話さん」だからだ
カオル:……そこに、出られる方法が書かれているのですか?
イツキ:よくわからないんだ。……内容は「私は悲劇を望む」の一文しかない
カオル:悲劇……
ムギ:……
イツキ:俺たちが見つけた手がかりはわかるものでもうこれしかない。地図の客室のほうに書かれたバツ印は4つで、この印に順応する部屋には俺たちが寝ていた。つまり地図は正確で、しかも俺たちを誘拐した後にわざわざ用意したものだ。……童話さんはここで舞台でもしたいんだろうが、出られない俺たちはそれに従うしかない。見ての通り船の外は海だし、陸まで泳ごうにもあまりにも遠すぎる。だから、しばらくここで暮らしていくしかないんだ
シズク:いろいろあったでしょ。今日はご飯を食べて、とりあえずおやすみしましょう。それで、明日からこの場所を探索しようと思っているのだけれど、皆さんいかがでしょうか
カオル:……異論はありません
ムギ:……
0:
0:***
0:
0: 深夜、シズクはイツキの部屋に訪れていた。
シズク:イツキ。……
イツキ:どうした? 寝れないのか?
シズク:そんな子供じゃないわ。いいえ、いいえ……お話を、したくて。だって、イツキにとっては知りあいが私しかいないのでしょう? いつ出られるかわからないのだもの。喧嘩しないで仲良くなってほしいの
イツキ:……ソ
シズク:同じ男の子からお話しましょうか。
シズク:藤咲くんはね。確かに部活は一緒でしたけれど、本人の性格と寡黙さでちょっと、集団から浮いちゃうような子なの。でも悪気はないのよ。ただ周りの勘違いがすごいだけなの。だから、なにか言っていても気にしないであげてね
イツキ:ふうん
シズク:女の子のほうね。あのね、ムギちゃんはね、すごくかわいくてパワフルな子なのよ。やさしくて、お友達も沢山いるの。私が部活にいたときも一番仲良くしてくれた後輩で、……あの子だって友達が沢山いるのに、それでも私とあそんでくれたりする、とってもいい子なのよ
イツキ:なるほどね
シズク:イツキにそっくりなの
イツキ:ハア!?!?!?!
シズク:こら! 深夜に叫んではいけません
イツキ:まてよ、どこが俺にそっくりなわけ? ちょっと、青木さん???
シズク:ふぁぁ、もう眠くなっちゃった。やっぱりいろいろあったから疲れたわね……。それじゃあね緑川くん、また明日、お話しましょう
イツキ:まて、まてまてまてまて、どこが!? どこがどうでこうとか話せよー!!!
0:
0:***
0:
0:二日目
0: 夜、皆は最初に話し合いをした場所に集まっていた。テーブルや椅子を動かし、話し合いに適した場所を形成していた。
カオル:言われた通り、昼食後はこの船の探索をしました。ここって随分広いみたいですね。ショッピングモールみたいに縦に大きい施設があって、……僕達が集まったのは食堂、地図でいうラウンジですが、食事処は他にもあるみたいで、レストランやバー、カフェテリアも見つけました。ただ、見かけただけで中はまだ詳しく調べていません
カオル:他にも公園みたいな広場がありました。ただ、そこに出る扉は開きませんでした。他にも外に出られそうな扉は全部うごきません。ノブは回るけど、それ以上ドアが動きません。外の景色をみるに、やっぱり海の中だとおもいます。水圧で開かないのかと。窓ふくめ、無理に開けたら海水が入ってくるかもしれません……
シズク:私はお客さんの部屋を全部見てきたわ。特別変な所は無かったと思うの。ベットメイクもきちんとしていて、誰かが居たような形跡は見られなかったわね。アメニティやハンガーなど、ホテルにおいてありそうなものばかりで、役に立ちそうなものは見つけられなかったわ。ただ、一か所だけ、客室ではない不思議な場所があって、そこでライフジャケットを見つけたの。使えるか確認してみたけど、この部屋にあったのは全部壊されていたわ。ハサミかなんかで意図的に切られていたみたいだった
ムギ:酷い……
シズク:でも、ここがもし一度でも客船として設計あるいは利用をされていたなら、ほかの場所にもライフジャケットとか、そういう救命用の道具があるはずなのよ。だから、生きているかもしれない道具は探しましょう。酸素ボンベなんかも見つけられれば、長時間泳げるし、もしかしたらそれで外に出て、泳いで陸にたどりつけるかもしれない
イツキ:でもここが水深何メートルかわからないのに、外に軽率にでるのは危険だ。水圧に耐えられなくなって体がぺちゃんこになるなんて、俺はごめんだぞ
シズク:でも! 出られるかも知れないヒントよ!!
カオル:まって、落ち着いてください。今は探索した結果を話す時間です。喧嘩をしても疲れてしまうだけです
0: 二人は黙った。
シズク:それと、工具や対不審者用の道具なんかも見つけたわ。多分この部屋にあった方が便利でしょうから、持てるだけもってきたの。ほら、バールとかドライバーとかあったのよ。キッチンにおいておくから、使いたかったら持って行ってちょうだい
カオル:わかりました
ムギ:えっと、それで、私はこの地図の大きい所にいこうとおもって、そっちに行きました。とりあえずたどりつけたけど……。すごく広いから、ひとりで行くのはお勧めしません。私が行けたのは、多分劇場みたいなところなんですけど、舞台のあたりを見ただけで客席とかそういう細かいところまではみてませんでした……。
イツキ:俺はどこ行こうかフラフラしてたんだけど、後半はここのラウンジをずっと見てた。そんでこんなメモを見つけたんだ。
シズク:メモ?
イツキ:そう。しかも謎解きでもしたいのか、あまり要領をえない内容だった。書かれた言語はドイツ語
ムギ:また?
イツキ:とりあえず読むと……。「家を追い出されたことを知らない子供。ささやかな月明かりを頼りに道をたどった。お金があればこんなことにはならないのに」
ムギ:それ、本当にそう書いてあるんですか?
イツキ:どう読んでもそうとしか読めない文章だ
カオル:お金、ですか……
シズク:でも思わせぶりな文章ね。一文々々はそうでもないけれど、全体的に見ると何だか考えたくなるわ……
イツキ:本屋か図書室みたいなところがこの船にあるなら、明日俺はそこにいこうと思う。ここから出られるヒントがあるかもしれないし、ドイツ語がわかるのは俺しかいないみたいだし……
カオル:他にもこの船にメモがあるかもしれないし、見つけ次第 先輩に見せにいったほうが良いですね
ムギ:そうみたい、ですね……
シズク:とりあえず! ご飯にしましょ! みんな、何食べる?
0:
0:***
0:
0:三日目
0: 客室エリアの廊下、カオルを見かけたムギは声を出してかけより、彼に話しかけた。
ムギ:ねえ、藤咲くん
カオル:あれ、越田さん。なにかありましたか?
ムギ:ううん。今日、藤咲くんと一緒に行動しようと思って。……話したいこともあるし
カオル:なるほど。……いいですよ。同じ部活のよしみですもんね
ムギ:今日はどこへいくの?
カオル:ショッピングモールみたいなところです。お店のなかに入って色々探してみようかなと思って、それに、どうやらここからしばらく出られないみたいだし、暮らしていく先で使えそうなのも見て置きたくて
ムギ:あ、いいね。さすがだ
カオル:そうですかね
ムギ:だって藤咲くん、部活でいっつも活躍してるじゃん。すごいなって思うよ。勉強もできるし、非の打ちどころ、ほんとに無いね
カオル:それほどでもありません。部活動は趣味で、勉学も、将来において必要なのでやっています
ムギ:でもできるのはすごいと思う。私も見習わなきゃなって思うし
カオル:そうでしょうか。越田さんこそ、部活にきちんと参加しているイメージ、ありますよ
ムギ:あの
カオル:?
ムギ:なんで敬語なの?
カオル:あ、もうしわけありません、癖で……
ムギ:ごめん、不快に思ったとかじゃないの。……部活でも学校でも、藤咲くん、敬語なイメージあって、どうしてかなって、単純な好奇心だっただけで
カオル:……本当に、癖です。僕、親にも敬語を使っていて
ムギ:え?
カオル:なんか、気づいたら使っていました
ムギ:それ辛くない?
カオル:辛いと言えば、ウソになります。しかし、タメ語で会話している人を見かけるとそれも羨ましい気持ちになってしまって
ムギ:じゃあ、練習しようよ
カオル:エ
ムギ:私たち、部活は同じでもクラスは違うし、選択も全部違うじゃん。私、藤咲と話したことそんなにない気がするし、こうやって対面で話すのも、それこそ初めてじゃん
カオル:そうですね?
ムギ:あー、えっと、なんていえばいいんだろ、私たち、どうせ戻っても接点あんまり無いし、練習するにはちょうどいいとおもうんだよね。だって、戻ってもそんな会わないじゃん
カオル:ええ
ムギ:誰にも言いふらさないよ。ちょうどいいし、よかったらどう? って話
カオル:……そう、ですか
ムギ:いま伝わった?
カオル:なんとなく、かな?
ムギ:いいね!
カオル:なんか変な気分……
ムギ:同級生に敬語で話されるほうが変な気分だよ。だからこれでいいの
カオル:そう、いうもの、かな
ムギ:うん
カオル:あ、この先にそのショッピングモールみたいなのがあるみたいです。順当に端から調べようと思うのですが、大丈夫ですか?
ムギ:いいですよ?
カオル:わかり、あ、うん。ハイ。あっ
0:カオルのぎこちない言葉にムギは少し笑う。
ムギ:なんかこの船って、本当にお金もちの人が集まってそうな、立派な船だよね。聞いたことあるブランドの服屋なんて、初めて見たし初めて入ったよ。店舗構えてるんだね。ネットでしか売ってないもんだとおもってた
カオル:すごいですよね
ムギ:……
0:少し無言になる。カオルは店舗内を見て回っているようだが、ムギは探し物もそぞろに、カオルに聞きたいことを言いあぐねていた。
ムギ:……藤咲くんはさ
カオル:? はい
ムギ:緑川先輩のこと、どうおもう?
カオル:あの、ドイツ語の読める先輩ですよね。えっと、純粋にすごいと思います。初めてお会いしたのであまり印象がありませんが……
カオル:先輩がどうかしたのですか?
ムギ:……私、あの先輩がちょっぴり好きじゃなくて。でもシズク先輩と仲いいみたいだから
カオル:確かに仲良さそうでしたね。あの距離感を友達っていうのでしょうか
ムギ:近すぎる気がするけどね
カオル:そうでしょうか
ムギ:だって、キモいよ、あれは……(小声)
カオル:?
ムギ:なんでもない
カオル:どうやらこの店にはなにもなさそうですね。次にいきましょうか
ムギ:はーい
カオル:そういえば、昨日見つけたメモの意味、どうおもいますか?
ムギ:内容なんだっけ
カオル:兄弟とか月とかお金の話していたアレですよ
ムギ:ああ、アレ。別にどうとも思わなかったなあ。私バカだからさ。なんにもピンとこなかった
カオル:僕、あの言葉がずっと忘れられなくて
ムギ:なんか気になることが?
カオル:ここから出られるヒントなのかなとか、しかけの説明なのかなとか、色々考えました。でもやはり今のままじゃなんとも言えないので。__「お金があればこんなことにはならなかったのに」
カオル:お金って、確かにここの船の中じゃいろんなところで使えそうですけど、真っ先にお金と言えばお店だと考察しました。だから今日はここを探そうと思って
ムギ:お金があればいろんな事できるのはよくわかるよ。ご飯もオシャレも移動するのにも全部お金を支払わなきゃいけないんだもの
ムギ:たぶんあれだよね。親の心境はどうであれ、結局育てていけるお金がなかったから兄弟は棄てられたって話だよね。まるでヘンゼルとグレーテルみたいに
カオル:僕の親も、ずっとお金の話をしているので、共感したのかもしれません。仕事で基本家にいないので……
ムギ:二人とも?
カオル:いえ、家には母親しかいません
ムギ:あれ? もしかして片親
カオル:そうです
ムギ:えっ、うそ、一緒だ
カオル:え?
ムギ:ムギもお父さんしかいないの。毎日働いてる
カオル:へえ
ムギ:余裕感じられないよね。お金の話をずっとしてるっていうの、わかるよ。ご飯も遊びいくのも買い物もずっと気ィつかって、贅沢とかしてられないもん
カオル:そうです。へえ、意外ですね。越田さん、流行りの話とかついていけているので……
ムギ:私こそ意外だなあ。まさあ藤咲くんが……。あれ?
0: ムギが探していた先。紙があった。触ってひっぱり出してみると見慣れた色をしている。よく見ると文字が書かれていた。
ムギ:紙だ。これ、メモ?
カオル:先輩のメモと似ていますね
ムギ:んん、んん……? 英語得意じゃないからかなあ。なんて書いてあるのかよくわからない……。藤咲くん、わかる?
カオル:……わかりません。これもやっぱりドイツ語だとおもいます
ムギ:あの先輩案件か……
カオル:やはり嫌?
ムギ:正直
カオル:すなおですね……
0:
0:***
0:
0: ムギとカオルはメモを見つけたあともしばらく探索を続けていた。しかし、メモ以上にめぼしいものはみつからず、夕食時になったためラウンジに帰っていた。ラウンジの中にはシズクとイツキが二人で先に待っており、手持ち無沙汰な二人はカードゲームをして遊んでいたようだった。
シズク:あら、おかえりなさい。……ふたりとも一緒にいたの?
ムギ:先輩! ただいまです。そうなんです。ちょっとはなしたいことがあって今日は一緒にいました。それに、ひとりだと心細くて……
シズク:あら、あなたさえよければ私、どこまでもついていったのに。ムギちゃんたらつれないのね……
ムギ:いやあのっ! 先輩が嫌いとかじゃないので!
シズク:フフ、わかっているわ。ムギちゃんはかわいいわねえ
ムギ:かっ、カ、せ、せんぱいっ
シズク:ウフフ
0: イツキは目を細めた。「茶番が始まったよ」というバカにしたようなまなざしである。カオルは二人の会話など気にしないようにイツキに声を掛けた。
カオル:緑川先輩、今日、服屋を探していたらこんなものがあって……
イツキ:……いつもと同じようなメモだな、ありがとう。読んでみるよ
シズク:あら、そっちも見つけたのね
ムギ:“そっちも?”
シズク:私たちも、今日見つけたのよ。でも昨日と同じであまりよくわからないメモだったわね。最初に見つけたメモみたいにはっきりとは書いてくれていないの
イツキ:俺たちが見つけたメモの文章は「働きものの小人。自分に着る服がなくても人のために毎晩靴を仕立てつづけている。姿がみられるその日がきたらどうするの」だった
カオル:働きものの小人……
シズク:もしかしたらここには小人がいるのかもしれないわねって、イツキとお話していたのよ。……本当にいるとは思ってないけど、こんな不思議なことが起きているのですもの、もしかしたら魔法なんてファンタジックな話が出てきてもおかしくないのかもしてないって
ムギ:マジですか……?
シズク:大マジよ?
カオル:海に沈んだクルーズ船、当然のように水没して使われなくなった船だと思い込んでいましたが……確かに、沈んだ当時のままの状態には見えない。娯楽施設や店舗、客室はあってもまるで人が使った形跡が見当たらない。“真新し”すぎるのです。……新鮮な料理が出てくるのも、僕達以外の存在の出入りがないとおかしいですね。まるで、僕達のために全部用意してくれているみたいだ
ムギ:……たしかに
シズク:そうなの。だから、今晩はちょっと遅くまで起きてその存在を確かめてみましょうって。私たちが集まるラウンジも、きっと誰かいるのよ
イツキ:藤咲くんたちが持ってきたメモの意味がわかったぞ
カオル:本当ですか?
イツキ:ああ、だが今回もあまり脱出のヒントになりそうなものじゃなかったな……
シズク:残念ね……。でも、わざわざ置いてあるのですもの。意味があるのでしょう。読んで損はないわ。きっと
イツキ:二人が見つけたメモの意味だが……。「私が一目ぼれをした靴。履けばたちまち素敵な人に。綺麗な人を夢見ていた」
カオル:靴だ
シズク:靴ね
カオル:今日見つけたメモは、……たまたまかもしれませんが、どちらも靴の話をしていましたね。なにか意味があるのかもしれません
シズク:無視できないわね
ムギ:昨日見つけたメモは結局お金の話だったんですよね。お金があればどうのこうのって……。今日私たちが見つけたメモって、お店にあったんです。昨日のあの意味不明なメモって結局、次のメモのありかのヒントになってくれてたと思うんです。……先輩たちが見つけたメモってどこにあったんですか?
イツキ:……たしかに、店の中で見つけたな。
シズク:今日見つけたふたつのメモも、随分思わせぶりですけど、でも無視しちゃいけない内容なのよね。これで明日はどこへいくか、絞り込めるのではないかしら
イツキ:……考えよう。それしかもう方法はない。
0:
0:***
0:
0:四日目
0: ムギとイツキはラウンジに座っていた。イツキは気まずそうに窓の外をみたり部屋内をみたりと目線をうろうろさせており、ムギは反対に机の一点をぼうっと眺めていた。何かを考えている目であった。
ムギ:一目ぼれをした靴……。綺麗な人を夢見てた……。
イツキ:えっと、越田サン、だっけ
ムギ:はい。越田です。緑川先輩
イツキ:どうしたの、今日はここにいるの。
ムギ:ちがいます。ちょっとゆっくりしたくて
イツキ:ふうん
ムギ:先輩は、昨日の文章を見てどうおもいましたか
イツキ:? いつもの意味ありげな文章だったとおもったけど、
ムギ:そうですか……
イツキ:なにか思い当たる節が?
ムギ:いえ、そんなものありません。文章をみてわかることは昨日全部言ったつもりです。ただ、昨日のメモで共感したことがあって
イツキ:へえ
ムギ:……靴にかぎらず、服やメイク道具も、好きなのを使いたいと思う心はみんな同じだと思うんです。私も、好きなアイシャドーの色を使ってみたいし、好きな柄の服を着たいです。それでも、骨格や肌色の関係で好きな色は自分に似合わないことがあります。もちろん自分の体重だって気になるところです
ムギ:自分の好きなものだけ使えば、憧れたあの人みたいに綺麗になれるって、思う気持ち、私にもわかるなって思って、昨日の文章に共感したんです
イツキ:ああ、なるほど……
ムギ:実は私、童話さんに「綺麗になりたい」ってお願いをしてるんです。シズク先輩を初めて見かけた時に感動して……「ああ、こんなに綺麗な人が世の中にいるんだな」って思いました。私、あの人の隣に立っても違和感がないくらいに綺麗になりたいんです。だからあの紙が用意されたのかなって、ちょっとおもったりしました
イツキ:へえ。……まあ、関係、なくはない、かもしれないね
ムギ:先輩は今まで拾ったメモで個人的にこう思った、って経験、ありませんか?
イツキ:……しいて言えば、今までのメモは全て既存する童話にもとづいているような気がしているんだ
ムギ:というと?
イツキ:最初に見つけたメモ、捨てられた双子の話はまるでヘンゼルとグレーテルのようだとおもった。二人は実際に親によって森に捨てられるし、なにかを頼りにして家に帰っている。捨てられた理由は、親が育てられないからだ。これって今でいういわゆる“お金が無い”のが理由の一つでもあるよな?
ムギ:なるほど
イツキ:で、昨日見つけたメモはどちらも店からでてきた。たまたまって線は薄いと思うんだ。
イツキ:次に出てきたメモの内容はどちらも靴の話。ただ、メモのありかのヒントをわざわざ2枚も用意する意味がわからない。それぞれのメモはモチーフこそ同じでも内容はまるで違うしな。赤い靴はダンスがやめられない娘の話だし、靴の小人は働き者たちのお話だ。それで、昨日のメモの書き方だと「憧れ」と「不安」じゃ、全然ちがうだろ
ムギ:先輩は小人の話を不安だと思ったんですか?
イツキ:不安だと思った。不安じゃないのか?
ムギ:えっと、私は昨日話をきいて、提案? っていうのかな、「あなたならどうする?」みたいに聞かれてるのかとおもってました。
ムギ:というか先輩……童話にやたら詳しいですね?
イツキ:次の国語の課題が童話なんだ。いろいろ調べて題材を決めて、文章を書く課題だよ
ムギ:ふうん……
0: 無言が訪れた。イツキはラウンジの外を眺めることに決め、外をじっと傍観していた。海には相変わらず生物の影すら見当たらない。ムギはしばらくラウンジを見渡すと、イツキの顔を見た。
ムギ:先輩って、シズク先輩のこと、好きですよね?
イツキ:ブッッ
ムギ:わかりやす
イツキ:……だからなに
ムギ:二人って付き合ってないんですね
イツキ:付き合ってないよ。……付き合わないよ
ムギ:どうしてですか? やっぱり幼馴染だから?
イツキ:……
イツキ:俺たちは、付き合えないんだよ。あいつは青木家の当主で、俺はたまたま近くに住んでた一般人だ。所詮俺は青木家にとってあいつの世話役でしかないし、あいつだって、別に好きな人がいる。それにあいつはすごくきれいだし、俺なんて、下の下だろ。つりあわないし……。あいつには、将来いい職つけるなり家業継ぐなりして、いい人見つけて家庭を作って、立派に暮らしてほしいんだ
ムギ:言い訳ですか?
イツキ:言い訳じゃない
ムギ:じゃあ聞きますけど、「青木家の当主」ってなんですか? 肩書? 令和になった今のご時世、跡継ぎがどうとかっていうのが、人間関係に左右することなくないですか?
イツキ:はあ? ある。あるだろ。だって青木家は代々歴史があって、この町の地主みたいなもんでもある。先祖をさかのぼれば戦国時代、有名な武士の家来で……
ムギ:それ、昔の話ですよね。たとえ緑川家がその青木家の世話役を代々してたとしても、今は「幼馴染」ですよね?
ムギ:それに顔がどう俺はブスとかも関係なくないですか? 確かにシズク先輩は綺麗だし頭いいしスタイルいいし、アイドル始めましたっていわれてもなんも疑いませんけど、恋愛に釣りあう釣りあわないとか、それこそ関係なくないですか? 少なくともあの人は、そういうつまんないこと気にしないと思います
ムギ:全部、あなたが一人でただ言ってるだけじゃないですか。ひとりで突っ走ってひとりで思い悩んで、言い訳つくって逃げてるだけ。もしかして告白すらしないのって、それが理由ですか?
イツキ:……
ムギ:逃げるのは勝手です。世の中結ばれないカップルって、沢山います。確かに、見た目とか立場とか、いろいろあるかもしれないですけど、それを言い訳にしてる先輩が一番カッコ悪いです
イツキ:……
ムギ:当たっていけばいいのに
イツキ:砕けるのは、いやだ
ムギ:……
イツキ:あいつの中で、俺はずっとカッコいい人でいたいんだ。幼馴染で頼りになるやつでいたいんだ。そこに恋愛感情はいらない。あっちゃいけないんだよ。わからねえか?
ムギ:……つまり、臆病なんですね
0
0:***
0:
0: 船にところどころ設置された地図を頼りに、二人はある場所へあるいていた。自室でゆっくりしていたカオルは、シズクに誘われて二人で探索をするのである。道中ふたりはいろんな会話をしていた。
カオル:出られないなら、このままずっと出られないままでいいと思っています
シズク:え?
カオル:いえ、いえ、違います。なんていうんでしょう。……たしかに、帰りたい心はあります。学校には行きたいです。会いたい人だっています。でも、“ここから出られないなら、出たくない”なって
シズク:……
カオル:あ、アハハ、なんでしょう。僕、まいってるのかな。変ですよね。こんなところにずっといていいわけなかったですよね。すみません。わすれてください
シズク:変じゃないわ。全然へんじゃないわよ。ずっと太陽光が当たらないところにいたら、まいっちゃうわよね。そうよね……
0:
シズク:ねえ、藤咲くんは、
カオル:はい
シズク:童話さんに、なんておねがいをしたの?
カオル:……笑わないでいてくれますか?
シズク:笑わないわよ。人のお願い事って、どうふざけてお願いしたって、どれも理由があってすることよ。笑わないわ
カオル:僕の運命の人に、会ってみたいんです
シズク:運命の人?
カオル:はい。……色恋の話に限らない話です。僕のことを受け入れてくれて、一緒に居てくれる人に、会ってみたいです
シズク:……きっと会えるわ。だって貴方は、素敵な人だもの
カオル:……そうだと、いいですね
カオル:先輩は? 先輩はなんてお願いしたんですか?
シズク:私? 私は……
カオル:……
シズク:……好きな人と、結ばれますようにって、お願いしたの
カオル:あ……
シズク:変、かしら?
カオル:いえ、あの、いますごい感動しました
シズク:なあに、それ
カオル:なんていうんでしょう、七夕で飾られたお願い事を覗いてしまったみたいな、こう、高揚感?
シズク:あはは、変な事いうのね
カオル:そうでしょうか
シズク:面白くていいと思うわ
0: 内緒話をするように静かに話し、笑っていた二人は、だんだん目的地に近くなると、探索の内容を話しだす。
カオル:それで、えっと、何を探しに劇場に来たのでしたっけ?
シズク:ライフジャケットよ! ライフジャケット! 劇場って、音がもれないようにとかそういう関係で箱の作りが頑丈でしょう? それに、舞台裏っていろんなものが置いてあるのよ。舞台用の小道具とかもそうですけれど、他にも、もし現実だったら消火器とかそういう防災できるものがおいてあるの。箱が頑丈なはずですから、事故があったときにどうにかできるよう、そういう脱出用のなにかがあってもいいはずなの!!
カオル:憶測ですか……
シズク:さあ! 探すわよ!
カオル:はい
0: 劇場につき、正面から分厚い扉を通ってシアターに入った二人。シズクはずんずん舞台の方へ歩き出すと、後ろを歩いていたカオルはだんだん歩みをとめだし、とうとうその場に立ち止まってしまった。そのまま離れて行くシズクの背中をぼうっとみている。
カオル:先輩、奥のほうにいってしまった……。僕は……
カオル:みんな、必死に出口を探している。でも僕は、ここから出たくない。家に帰っても学校に通っても、どうしようもないし……。でも、こんなこと皆に言ったって、きっと反対される……。どうしよう……
カオル:……もう、いいや、とりあえず先輩どっかいっちゃったみたいだし、僕も適当な椅子に座ってゆっくりしていよう……
0: カオルは近くにある椅子にすわると、明かりがついた舞台をぼんやり見ていた。ボルドーの椅子に深くもたれ、手をひじ掛けに掛けようとすると、ひじ掛けになにかがあるのを感じ取った。それは、いつも見かける謎解きのメモとおなじ紙だった。
カオル:あれ……紙が挟まっている、これは……
0:
0:***
0:
0: そのあとも探索をしていた二人は夕食の時間に間に合うようにラウンジに戻っていた。部屋に入ると、二人して別の方向をみていて会話もなく、空気がおもいように感じる空間ができていた。しかし二人がついているテーブルはいつも4人の話し合いで使っているあのテーブルである。シズクは初めて、二人は性格が合わないのかもしれないと予感した。
カオル:今戻りました。
シズク:戻りました。……あれ? 二人とも、どうしたの?
ムギ:いいえ、別に
イツキ:なんかめぼしいものでも見つけたか?
シズク:いいえ、私はなにもみつけられなかったのだけれど……
カオル:また、メモをみつけました
イツキ:なるほど
ムギ:はあ……
シズク:なんだか、そろそろここにいるのも疲れて来ちゃったわね
ムギ:うん……。毎日毎日、広い船内探索して、回りくどいメモ見つけて、これでなんにも関係ないとかあったらって思うと……
シズク:きっと、きっとそんなことないわ。きっと出られるわよ。みんなで脱出するのでしょ?
カオル:でも、もうアラカタ探したそうじゃないですか。あとはここの鍵がかかって入れなかった部屋と、地図に載ってなかった階段より上の部屋
シズク:でもこの地図、ほんとうに変ね。娯楽施設やお店には名前をきちんと書いているのに、船に必要な部屋は全部書いてないもの。ボイラー室? とか操縦室? とか? あら、わたし、船にはどんなお部屋があるのか知らないわ……
ムギ:うーん、わたしもわかんないなあ
イツキ:……メモの意味がわかったぞ。えっと、「人魚は王子に恋をした。けれど一生において陸に上がれる日は一度きり。人魚はどうしても王子にまた会いたかった」と
カオル:恋?
シズク:あっ……
ムギ:え、恋ですか
イツキ:そうだ
ムギ:実は私たち、コイバナしてたんですよね。ねー? 先輩
イツキ:おまっ! ばっ!!
ムギ:先輩あせってて笑う
シズク:わ、私たちだって! コイバナしたもの! ねっ、藤咲くんっ
カオル:あれってコイバナなのでしょうか……
ムギ:えっ? シズク先輩!? 藤咲くん!? どんな話したのっ!? てか好きな人いるの!? うそうそムギにも教えてっおしえてっ
イツキ:やめろやめろやめろ! この話はおわり!! おまえら飯食うぞほら早く立つ!!!
ムギ:先輩にげるな!
イツキ:逃げてない!!
0:
0:***
0:
0: 夜。ラウンジでの話し合いも終わり就寝するころ、ムギは自室からでて廊下を歩いていた。ほの明るさしかない照明をたよりに前へすすむムギは、客室のある部屋のドアが開けっ放しであることに気づいた。そこはカオルの部屋である。それに気づいたムギはなにか異変があるかもしれないとおもい、中を覗いてみた。
ムギ:ふじ、さきくん? いる? 不用心だな……部屋が真っ暗で、ドアも開けっ放し。て、わ!! 藤咲くん!? 出入り口にいたの……踏むかと思った……
カオル:越田さんこそ、こんな遅い時間にどうしたの……
ムギ:な、なかなか寝付けなくて、ちょっと暖かいもの飲みにいこうかなって。藤咲くんは……
カオル:……さびしくて、廊下の明かりをみていたんです
ムギ:……
カオル:部屋の窓、開かないし、外の風景みていたって、魚ひとつ泳がないしどこ見ても海藻すらない、正直、気が滅入りそうだ……
ムギ:……よかったら、一緒に行かない? 話、聞くよ
カオル:……
0: カオルは地べたに座っていたが、なにもいわずに立ち上がると部屋の電気をつけた。部屋の中はなんの変哲もない、他の客室と同じような部屋である。奥に案内され、ムギは椅子に座ると、カオルはベッドに腰かけた。カオルの表情はお昼のとき以上に悪く、くまが色濃く目の下に表れていた。
カオル:僕の、家の話をさせてください
カオル:僕、母親が嫌いなんです
ムギ:……
カオル:父は、僕のことを知らないのだと、母はいいました。内緒で産んだのだと。最初は友人と育てられていたのですが、その友人にも結局にげられたんです。だから、ずっと母と二人で暮らしていました
カオル:僕は、頭が良くなければならなかった。頭がよければ学費免除もできる学校に通えるし、将来困らないからって。母は僕に期待しました。うちにはお金がなかった。でも僕、ずっとこの生活が嫌だった、っていうか、なんていえばいいのか
カオル:母のことは好きです。でも、嫌いだ。僕のことを見ているようで、見てくれてないところが嫌い。愛してくれているようで、駒としか見られてないんだろうなって思わせてくるところが嫌いだ。僕の人生は、僕のものなのに……
ムギ:……そうだね。藤咲くんは、藤咲くんだ
カオル:だから、最近ずっとここから出たくないと思う気持ちが強くなっていて、でも皆は外に出たいみたいだ。どうしようっておもってすごく葛藤して、悩んでいて、ちょっと眠れなくて……
ムギ:そ、っか、それは、辛いね……
カオル:越田さんは?
ムギ:え?
カオル:片親だっていっていましたよね。どうして?
ムギ:……藤咲くんほど、大変でもないよ。聞いていて拍子抜けするかも
カオル:聞きたいです。僕以外の片親の子供の話
ムギ:……ママ、私が小学校低学年のときに、ガンで死んじゃったんだ。もう声も顔も覚えてないの
ムギ:そのとき私の親権で親戚とかが揉めて……、変な話だよね、私まだパパいたのに、何で揉めてたのか覚えてないし、今更聞く気もないんだけど……。それでもパパが親になれて、私はパパと二人で暮らすことになったの
カオル:……そっか
ムギ:でもそんな、毎日つらいとかないよ! 私は私の自由で生きて良いって言われてるし、まあ他の子みたいに好きなだけお金つかえるとか、お出かけできるとか、そんなことはないし、高校はいってすぐバイトいれて、家にお金とかいれてるし、そういう意味では自由な時間とかないけど……。でも、毎日充実してるし、ほんと……
カオル:……
ムギ:……でも、なんで私がこんな目にって、思うことはあるよ
カオル:……うん
ムギ:ね、藤咲くんさ、
カオル:?
ムギ:この船からでたら、一緒にどこか、遠くへ遊びに行かない?
カオル:とおくへ?
ムギ:そう、房古町(ぼうこチョウ)は山奥にある小さな町だけど、自転車でもいいからとりあえずなにかつかって遠くまで行って、そこでマックとかサイゼとか食べてみようよ。あと、海も見に行こう。一緒に
カオル:でも、時間あるかな……
ムギ:ううん、いくんだよ。約束だよ
カオル:……
ムギ:確かに、この船の外は一面海だね。私、海なんて見たの初めてだけど、まさか深海がこんなに暗くて怖さを感じる場所だと思わなかったの。だから、一緒に太陽に照らされた水面を見に行こう。どこまでも広がる海をみて、ちょっとクタクタになって、やっすいご飯食べて帰るの、いいと思わない?
カオル:……うん、すごくいい、かも。俺も海をみるの初めて
ムギ:そう、だからさ、
ムギ:船から出るまで、生きようね
カオル:……どうして、どうして越田さんはそんなに親身になってくれるの?
ムギ:……藤咲くんのこと、ずっと好きだったから
カオル:……
ムギ:な、なんか! 夜にごめんね。急だったのに、お話してくれてありがとう。それじゃあ、えっと、ゆっくり休んでね。いつ出られるかわからないんだから、体調には気をつけなくちゃ。お互い、生きて出ようね。それじゃ!
0: そういってムギは慌ててカオルの部屋から出て行った。出ていく背中を見つめたカオルは、しばらくぼーっとしていたが、口を手でおおって、目をきらめかせた
カオル:……好きなんて、生きててはじめて、言われた
0:
0:***
0:
0:五日目
0: 昼食を食べた後、イツキはカオルを呼び、船にあるどこの地図にも描かれていない謎の部屋の探索を提案した。カオルはこれに了承し、二人はそこへ向かっている最中であった。カオルの顔色は昨日にくらべだいぶ良くなっている。
カオル:僕なんかで大丈夫ですか? 学年だって一つ下だし、知識量とかいろいろ考慮したら、青木先輩と行ったほうがいいんじゃ……
イツキ:いや、おまえでいい。女性陣にはまた別のところを探してもらうし、ここは部屋から遠いんだ。地図も載っていない。なにかあったときは男手でどうにかしたほうがいいと思うしな。俺あんまり力ないし
カオル:そうですか? でもすごく背が高いですけど……
イツキ:それはよく言われる
カオル:そういえば先輩って全然たべないですよね。一緒にご飯食べるときもちょっとしかよそわないし、ダイエットでもしているんですか?
イツキ:……まあ、そんなもんだ。それより、ついたぞ。……ここが最上階だ
カオル:なんですか、ここ……
イツキ:まるで神殿や宮殿みたいだ。ここだけ別の場所から持ってきたような……。奥にも部屋がある。いってみよう
カオル:先輩みてください、あれ、中央に下がっているのは……檻でしょうか
イツキ:あれは、檻なんてかわいいものじゃない……まさか、なんでここに……
カオル:下がった鎖の繋がった先をたどると……あのレバーで下げられそうですね。ちょっと下げてみましょうか
イツキ:……問題ないと思う。ただ、近寄るなよ
カオル:わかりました
イツキ:壁にいくつか文字が書かれている。けど、どれもドイツ語じゃない。でも見たことある文字だ。「メメント・モリ」……趣味が悪いもので片付かないぞ
カオル:檻が下りてきた。遠くからだと檻にみえましたけど、これはどちらかというと棺桶みたいですね。でもへんなの、内側にトゲみたいな突起物が沢山ある。これじゃ人は入れないし、この棺桶も閉まらないんじゃないのかな……。……先輩? 檻が下りてきました。これ、檻と言うか棺桶に近いです
イツキ:ん、ああ、今行く
カオル:? 先輩、いまなにかとりました?
イツキ:ああ、埃で装置の文字が見えづらかったから、払ってただけだ
カオル:意味はわかりましたか?
イツキ:いや、よくわからなかった。……多分、この場所だけ使われている文字が違うんだ。おそらくラテン語。ほら、壁に文字が書いてあるだろ。“意味は忘れてしまった”が、あれがラテン語であるのは覚えてるんだ
カオル:ここだけ建物の雰囲気が違うし、文字が違うのも納得です。……この場所も、僕達みたいにどこかからわざわざ持ってきたのでしょうか
イツキ:……どうだろうな
0:
0:***
0:
0:六日目
0: 昼食後、たまたまラウンジを覗いたムギは、ひとり椅子に腰かけているシズクを見た。周りには誰もおらず、彼女の表情もどこか浮かない様子であった。
ムギ:先輩? こんなところで、ひとりでどうしたんですか?
シズク:あ……。ああ、ムギちゃん。こんにちは
ムギ:こんにちはシズク先輩。さっきぶりですね。……どうしたんですか? なにか、悩み事が?
シズク:え、ええ、悩み事ね。そう、ね……
ムギ:?
シズク:……なんだか、今更になって、ここにいることの意味をちょっと、考えていたの
ムギ:というと
シズク:私もイツキも、受験生なのよ。大学進学のために、勉強をしているの
ムギ:いってましたね。推薦を取れるくらいに優秀なのに、それを蹴って入試で入るために頑張ってるって
シズク:ええ、イツキも、私と一緒に入るのだからって、頑張っているわ。でも、この船に閉じ込められてから、勉強なんてちっともできていないの。ここはまるでファンタジックだわって、以前わたしは言いました。けれど、もしここで過ごした時間と同じ年月が現実でも流れていたらって考えたら、すごく恐ろしくなってしまって
ムギ:それは……
シズク:私の今までの努力が、この数日間で消えるとは言わないわ。一夜漬けで拵(こしら)えた知識ではなくってよ。でも、周りの入試の方々は、私たちが閉じ込められていようがお構いなく勉強を続けているでしょうね。なんだか、すごく焦ってきたのよ。それに、……
ムギ:それに?
シズク:……いえ、なんでもないわ
ムギ:つまり先輩はいろいろ考えちゃったんですね
シズク:フフ、そうね。つまりそういうことになるわ
ムギ:アーー……。じゃあ、先輩
シズク:なあに?
ムギ:これは他の二人には内緒の話だったんですけど。……実は私、いまからビュッフェ会場に行こうと思ってて
シズク:あのスイーツが沢山並べられているところ?
ムギ:はい。スイーツを食べにいくところだったんです
シズク:あらムギちゃん、悪い子
ムギ:そうなんです。ムギは悪い子なんです。どうですか? 先輩も一緒にいきませんか?
シズク:ウフフ、いいわね。気が滅入ってばかりじゃなにも良くならないわ。それに、考えことをするなら甘いものよね
ムギ:やった! そうと決まれば早速いきましょう!
シズク:わかりました。二人にバレないようにいきましょうね
ムギ:あっ、そうですね、こっそりそれとなくいかなくちゃ……。そういえば、次の国語の課題が童話って本当なんですか?
シズク:本当よ。どうして?
ムギ:緑川先輩がドイツ語が読めたり、童話にやたら詳しいから、私てっきり緑川先輩が誘拐犯で、童話さんって名前を使って私たちを惑わしてるのかと思ってました
シズク:アハハ! なあにそれ! 面白いわねえ。そんなわけないじゃない! そもそも、イツキじゃこんな大きい船、借りる事だって逆立ちしても無理よ。彼は童話さんじゃないわ
ムギ:そうですよねえ……。そういえば今日、緑川先輩はどこ調べるって言ってましたか?
シズク:いえ、聞いてないわねえ……
ムギ:そうですか……
シズク:藤咲くんも何をしているか知らないわねえ。またショッピングモールにいるのかしら
ムギ:彼は今日、船内を歩いて生きてる救命道具がないか見てくるっていってました
シズク:あら、藤咲くんもライフジャケットを探してくれているのね。見つかるかもしれないのだもの。私も元気になったら探しにいってこようかしら
ムギ:いいですねえ。結局、最上階の謎の部屋も、装飾が立派なだけで特にめぼしいものはなかったみたいですし
シズク:……良く知っているわね? それ、誰から聞いたの?
ムギ:カオルくんです。いつもみたいなメモもみつからなかったって
シズク:そう……
ムギ:先輩、やっぱり体調悪いですか? ごめんなさい、急に連れ出しちゃって……
シズク:いいえ、いいの。ちょっと動くくらいが気は楽だもの。それに、こうやってお話するのもいいわね。今日はムギちゃんとお話できてよかった
ムギ:えへへ、皆に元気が分けられてよかったです。ほら私、パワフルさにはすこし自信があって!
シズク:ええ、助かっております
ムギ:どういたしまして
シズク:では、そんなムギちゃんの最近うれしかったことを教えていただけませんか? 幸せ、わけてほしいなあ
ムギ:え~~、そうだなあ。内緒ですよ?
シズク:もちろん。なあに、どんなことを話してくれるの?
ムギ:彼氏ができたんです。すごくかっこよくて、頭も良くて、でもどこか不器用なところが可愛いひと
シズク:アラ、アラ! エ~~~~!!! 彼氏ができたの!? どなたどなた!? 私に教えてっ
ムギ:えへへ、カオルくんです
シズク:え!! 本当……?
ムギ:はい
シズク:あらヤだ……ふたりともすごくお似合いよ。ほんとうに
ムギ:えへへへへ
シズク:エ~~~~、なあにその笑い方。すっごくかわいいわよ。もうっ、先輩を差し置いて彼氏を作っちゃうなんて罪な子っ。幸せになるのよ
ムギ:はいっ!
シズク:フフ、いいこと聞いちゃったわ。みて、口角が下がらないわ。明日ほっぺたが筋肉痛になっちゃう
ムギ:アハハ。え、ねえねえ、先輩は好きな人いないんですか?
シズク:エ~~、わたし? わたしは“いない”わよ? 残念でした
ムギ:えっ、あのひとは? 緑川先輩は好きじゃないんですか?
シズク:イツキ? イツキはねえ、そんな人じゃないのよねえ。なんでしょう。兄弟みたいなものかしら
ムギ:でも兄弟じゃないですよね? こう、一時期でもいいから好きだったな、とか……
シズク:う~~ん、ないわねえ……
ムギ:ああ……報われないヤツ
シズク:……さあ! ビュッフェ会場についたわよ! スイーツを頂きましょう
0:
0:***
0:
0: 夜。ムギはカオルの部屋で話し合いをしていた。カオルと向かい合い、真剣な表情でムギは語っている。
カオル:「先輩たちには隠してることがある?」
ムギ:そう、カオルくんはなんとも思わないの?
カオル:全然
ムギ:ほんっとに鈍感だなあ。じゃあもう一回聞くけど、緑川先輩とあの部屋にいったんでしょ?
カオル:うん。先輩はよくわからないって
ムギ:そこがおかしいのよ!
カオル:え?
ムギ:なんでいままでなんでもないみたいに情報を教えてくれたのに、そこだけ教えてくれなかったのって、疑問に思わなかったの?
カオル:そんな時もあるかなあ、って。誰もが全部知っているわけじゃない。先輩は、あの部屋だけ使われている文字が違うっていっていた
ムギ:そこに、本当にメモはなかったの?
カオル:……、なかったとおもうよ
ムギ:煮え切らないねえ
カオル:……確かに、いわれてみれば、先輩がなんか拾ったものを隠したような、気も?
ムギ:……しょうがない、隠すならこっちも手を打つか
カオル:ムギちゃん、どこいくの
ムギ:決まってるでしょ、本屋よ
カオル:本屋?
ムギ:だって私たちがいま足りないのは知識でしょ? 私たちはここの文字もわからない。文化も知らない、部屋の意味もわかんない、物の使い方もわからないんじゃ、もーお手上げだよ。しらないなら、調べるしかない。本当はスマホ使いたいんだけど、ここ電波届かないし……
カオル:ここの建物に英語で読めるものがあるといいけど
ムギ:ほんとにね……
ムギ:……私英語は苦手だから、カオルくんよろしくね
カオル:わかった
0:
0:***
0:
0: そこから二人は夜中じゅう、ずっと行動を起こしていた。ムギが船の最上階からラウンジに戻るころには早朝である。ラウンジのドアをあけると、夜通し調べものをしていたというのに隈だけつけてぴんぴんしているカオルが彼女を出迎えた。
ムギ:ただいま。教会? 神殿? 見に行ってきたよ。確かに船と全然ちがう雰囲気だった。床も大理石みたいにかっこいいやつだったし
カオル:おかえり。こっちも、言われた通りそれらしい本いろいろ持ってきたよ。ムギちゃんすごいね。本屋のバックヤード言ったらほんとに台車あったから、持ってきちゃった
ムギ:外国だからどうだろうっておもったけど、最悪レストランの料理運ぶやつ使えたし、あったなら良かった
カオル:ここ、ほんとに僕達が入るのを想定して用意した船みたいだ。本棚に陳列(ちんれつ)している書籍は一見するとなんでも無かったけど、中身をみるとだいぶかたよっている。それも神話や聖書から、歴史上で起きた大事件や病魔、はてに黒魔術まで。まるで調べろと言わんばかりのラインナップだ
ムギ:私たちをここに拉致した童話さんも、さすがにそこまで不親切じゃなかったってことだ
カオル:しかもなんと、和英辞典と和独辞典、英和辞典と独和辞典、どっちもある
ムギ:ほんとにおあつらえって感じじゃん……
カオル:ムギちゃんが来るまでにちょっとだけ読んでわかったことをいうね。
カオル:建物の真ん中に下がっている棺桶の正式名称は「鉄の処女(アイアンメイデン)」。拷問器具と呼ばれ、使い方は中に人をいれて扉をしめるだけ。ただ、これがほんとに使われていたという事実は不明で、実際使用されたといわれる本物は現代まで残っていない。この世にあるのはそのレプリカだという……。これを考案したといわれているのが、人類史上最悪の連続殺人犯「バートリ・エルジェーベト」。600人以上の娘を殺害した彼女が娘の血液と恐怖を効率よく入手するために考えたと言われている説があって。なぜ恐怖を与えるかというと、そうすることで人間からアドレノクロムっていうのがでてきてそれが若返りの……
ムギ:まって、長い長い長い。もしかして夜通し読めたのって内容が面白かったから?
カオル:うん。面白かった
ムギ:はあ……。まあ、あの部屋の真ん中に下がってるのがアイアンナントカっていうのはわかった。あとあの部屋、他にもなにか仕掛けがないか隅までみたけど目立つもの以外にとくになかった。棺桶の真下にはお風呂場の排水溝みたいな穴があって、……あの部屋の真下って、鍵が掛かって開かなかったよね?
カオル:うん
ムギ:もしかしてだけどね。あそこで血を、もしもだよ? 考えたくないけど、もしその拷問器具を作動させて出た血が下に流れて行って、流れて行った先でどうにかなるなら、あの部屋ってとても重要な場所だとおもうの。例えば操縦室とか
カオル:なるほど?
ムギ:憶測だよ憶測! でもこの船って地図をみるかぎりのところは探したし、もうあのあたりくらいしかないじゃん! もし血をつかって動く船なのだとしたら、……あそこにいく価値、あるんじゃない?
カオル:行ってみる価値はあるね
ムギ:でしょ?
カオル:あと最後、これもわかったことなんだけど……、まあ、ヒントってわけじゃないし
ムギ:エなに、いってよ
カオル:あの部屋の壁、ある文字が彫られててるんだ。先輩は“わからない”って言っていた文字なんだけど、読み方と意味が分かったの。
カオル:読み方は「メメント・モリ」意味は「死を思え」
カオル:古代ローマからあり、のちにヨーロッパで黒死病が流行った時期に説教されたこの言葉は、これから死にゆく者たちに「今をめいっぱい楽しもう。いつ死ぬのかわからないのだから」という、死を想起させる意味から、「死ぬことは怖くない。みな平等に訪れるものだ」という安らぎや慰めの意味などで使われている言葉らしいんだ
ムギ:……胸糞わっる
カオル:ほんとにね。……僕達って、ここでほんとに死ななきゃならないのかなあ? 酸素ボンベとか見つけて脱出したり、なにかしらの無線とかで助けを求められたりできたらよかったんだけど……
ムギ:ああ、なんだっけ、ライフジャケットとか……? 多分この船にはないとおもう。だって、いままでさんざんこの船みんなで探したけど、どこにもないんだよ? 各所に保管してる場所みたいなのはあったけど、全部ズタズタに破けてるし、ボンベは無いし、その線で脱出は不可能かなって……
ムギ:もう、次あったら絶対ガツンと言わなきゃ。ふぁ……。先輩たちもひどいよね。なんでこんなこと黙るんだろ
カオル:知らなかったんだって
ムギ:いーや絶対知ってたから
カオル:はあ……。で、開かずの間にいくんだっけ。どうやっていくの?
ムギ:バールでこじ開ける
カオル:力技だ
ムギ:だってしょうがないじゃん。こんな広い所、隅から探してたった一本の鍵を見つけるなんてアホのすることでしょ。そんなことするならもうこじ開けちゃおうよ。たしかキッチンのほうにバールおいてあるんだっけ。それ持ってっちゃおう。それで、操縦席を見つけてるんだから。
カオル:了解
ムギ:童話さんはどうやら私たちを殺したいみたいっていうのはわかったけど。残念だったね~! 私たちのほうが一枚上手ってことで!
カオル:そんなにうまくいくのかな……
ムギ:いくって! ……あれ? バールが見当たらない。どっか持ってったのかな。最後に使った人誰だっけ
カオル:……ムギ、ちゃん
ムギ:なに、なんか見つけた?
カオル:包丁が、いっぽん無くなってる
0:
0:***
0:
0: バールを自室の壁に立てかけたシズクは、肩を回してゆっくり過ごしていた。時計は既に深夜を回っており、シズクは眠たげだ。とたん、イツキがノックをしてシズクの部屋に入った。やけにゆっくりとした歩みを不審に思ったシズクは、彼の様相をみて青ざめた。彼は自身の血液で服を汚していたのである。
シズク:おはようイツキ……なに? その怪我
イツキ:……例の部屋に行ってきた。アイアンメイデンの下には、おそらく流れた血を流す排水溝があったから、そこに血を流せば船は稼働する仕組みのはずだった
イツキ:でも、素直に血を流すのははばかられた。他にも道があると思って、だから最初は、何リットルか水を流したんだ。でも、何の反応も無かったから、俺の血を流した
イツキ:人間には流してもまだ助かる血液の量がある。出られるならいま瀕死になろうがいいと思って、
シズク:腕を切ったのね
イツキ:バカなことやってるのはわかってんだ。 でも、こうするしかねえだろ。誰かを殺すことはできない。俺だってここで死ぬつもりはない。でも犠牲がなきゃ現状は動かない。ずっと俺たちは閉じ込められたままだ
イツキ:だからオレがやってやったんだよ。 でも船は動かねえんだ
シズク:でも貴方がやらなくたってよかったじゃない!!
イツキ:じゃあ一体誰がやるってんだよ!!
0: 静寂
シズク:そこに横になって。手当してあげる
イツキ:いい、勝手にオレがやったことだ
シズク:そこに寝て
イツキ:……
シズク:具合悪いでしょ。いまどんなかんじ? 手当したら安静になるの。体を暖かくしなくちゃ。布団も他の部屋から持ってきましょう
イツキ:そこまでしなくても
シズク:じゃあ聞くけど、ここにきてからご飯はどれくらい食べたの?
イツキ:……
シズク:拒食症だって聞いたわよ。食べてないでしょう。どうして食べられないのにこんな、命を削るような無茶をしたの
イツキ:……
シズク:なんとかいいなさいよ……。いつまで私たちを心配させるの……。ねえ見てよ、もうあなた、ほとんど骨と皮みたいな体になっているのよ。船からでたら、また入院になるわ。血までとって、どうしてこんな無茶をするの。おねがいよ……いなくならないでよ……
イツキ:……
シズク:私たち、幼馴染でしょ……?
0:
イツキ:悪いと思ってる
シズク:思ってないわ
イツキ:ほんとに思ってる
シズク:でも
イツキ:俺は、どうしてもここから出たいんだ
シズク:……
イツキ:迷惑かけてるのは、ずっとわかってた。でも食べない選択をとりたかった。こんな体になるとも、おもわなかった。痩せてればいいとおもって、かっこいい自分に、なりたくて
シズク:……
イツキ:……おまえの隣に、立てるくらいに、かっこいい自分になりたかった
シズク:ほんとにバカよ
イツキ:……
シズク:それで、生きていけるかわからなくて、病院にかかって、入退院を繰り返して、本末転倒よ。そんなのになるくらいなら、お父様みたいにお腹が出ていたっておばあちゃんみたいに背が低くたって、わたし、なんにも気にしないわ。生きていてくれればそれでいいもの
イツキ:そうだ、だから、どうしてもここからでたいんだ
シズク:どうして
イツキ:お願い事をしたから
シズク:……
イツキ:「飯が食えるように」って、願い事をしたんだ。童話さんとやらが叶えなくてもいい、俺はここから出たら、きっと飯を食えるようになるからって、おもって、どうしても外にでたくて、
シズク:……ほんとうに、おバカね
イツキ:……バカバカ、うるせえよ
シズク:……
0: イツキが力んだ肩を降ろし、完全に寝台に横たわった。それを確認したシズクは部屋の温度をあげ、布団をしっかりかぶせてあげると近くに椅子を寄せて腰かけた。
シズク:私ね。昨日の夜、あの部屋の真下にある開かない部屋に行ってきたの。血を動力源に動くなら、流れつく真下には何かあると思って。……確かにあそこは操縦室だったわ
シズク:部屋の大部分がよくわからない装置で埋まっていて、操縦席は確認できたのだけれど、そこまでどうがんばっても行けそうにないの。下手に壊して永遠に閉じ込められるようなことがあれば困るから、なにもしなかったわ。ここで、……私たちの誰かが、本当に死ななきゃならないのね
イツキ:死にたくない、誰かを犠牲にするなんてバカげてる。それに、シズクを失うのは、もっと嫌だ
シズク:あなたは、頑張ったわ。ほんとに頑張ったの。もう、休んでいいのよ……。あとは全部、私がどうにかしてあげる
イツキ:そうだ、あいつを差し出せばいい、藤咲カオル、あいつ、あいつなら後腐れねえだろ。お前を選ばねえで、あのちんちくりんを選んだ目の腐ったやつ、あいつなら
シズク:やめてイツキ、私の好きな人たちの悪口をいわないで
イツキ:だって、だって……
シズク:いいの、もういいのよ、私はいいの
イツキ:嫌だ……いくな、シズク……。いかないでくれ……
シズク:おやすみ、イツキ。……あなたの想いに、応えてあげられなくて、ごめんね
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シズク:今まで船中で見つけた4枚のメモ。私はそれぞれどこかの童話の話に沿って、ここから出られるヒントが書いてあるのだと思っていた。でも、この前提が違うのよ。……童話の切り抜きだと思わされていたメモは、船じゃなくて私たちのことを言っていたの。人魚姫を私になぞらえていたのね。赤い靴はムギちゃん。ヘンゼルとグレーテルは藤咲くん、小人の靴はイツキ。でもこのメモはあくまでメモの役割でしかなかった。童話の展開や意味はどうだってよかったのよ。童話さんは【私たちをお話だとして】あえて童話で例えて、私たちに最初に届けたメモ「私は悲劇を望む」と、イツキが【最後のあの部屋でみつけたメモ】「物語は終焉(しゅうえん)へ進む」の意味を理解させようとした。わたしたちの人生をあの部屋でおわらせないと、ここから出られない仕組みになっているのだと伝えるために
シズク:物語が悲劇ばかり好まれた理由なんて、世の中沢山あるわ。だってそうだものね。世の中ハッピーエンドばかりで成り立たないわ。これが現実なの。そして、きれいなところだけを見せるのが大人の役目ではなくってよ
シズク:私は、皆の輝ける未来のために、ここで物語を終わらせてあげる。彼女のように。人魚姫のようにね
シズク:でも死ぬのって、すごく勇気がいるわ。それよりもっと勇気がいるのは、皆とここから出ないことを提案することだと思うの。だってみんな、日本に帰って、やりたいことは沢山あるのよ。それを叶えられる人になるのって、とっても素敵じゃない?
シズク:ごめんね皆、お元気で。私は先にいっているわ
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0:***
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ムギ:先輩? いないんですか? 入りますよ……あれ、先輩、寝て……
イツキ:……
ムギ:なんで緑川先輩がここにいるんですか? ……先輩、寝てる。……
ムギ:緑川先輩。緑川先輩!! 起きてください。緑川せんぱい!!
イツキ:……?
ムギ:なんで先輩がシズク先輩の部屋で寝てるんですか? シズク先輩は? てかこの部屋すごい暑くないですか……?
イツキ:……シズクに、会ってないのか?
ムギ:そうなんですよ! それに聞いてください。包丁が一本なくなってて、先輩なんか心当たりありませんか? 知ってることあったら、おしえてくださいよ。先輩方が何か隠してることがあるの、知ってるんですからね!
イツキ:……、あいつは、なんにもいってないのか
ムギ:シズク先輩が?
イツキ:……。
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ムギ:……シズク先輩が行った場所のこころあたりがあるんですね?
イツキ:そんなの、しらねえよ
ムギ:ちょっ、先輩っ! あっ、先輩、服に血が
イツキ:そんなの知るかっ
イツキ:あいつ、あいつほんとバカだ。くそ、やっぱりそうだ。あいつ一人であの部屋行きやがったな、ずっとそうだ。頑固で、まわりのこと何も考えてくれねえ。人のことを大事に思うのはお前だけじゃねェんだぞ、クソ。自己完結して、相談もしねえで、あいつ、クソクソクソ……
ムギ:先輩! どこいくんですか!!
イツキ:ついてくんな!!
ムギ:あっ
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カオル:すごい物音したけど……ムギ、ちゃん……? え? 緑川先輩? これ、え? なにが、あったんですか?
イツキ:……わるく思わないでくれ
カオル:え!? 先輩いっちゃった。ムギちゃん、ムギちゃんおきて! どうしよう、目を覚まさない……もしかして階段から落ちた? うそ、えっと、とりあえず、ムギちゃん運ばないと、えっと、ムギちゃん、聞こえる? ごめん、持ち上げるね……
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0:***
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イツキ:最上階に続く階段を登り切った先、教会の出入口のよこにおかれた台座の上に手紙が置いてあった。蝋封がしてあり、上質な紙を使っているのは一目でわかる。差出人は「童話さん」
イツキ:__「突然の誘拐と犠牲を、私はすまないと思っている。童話にあやかり人の願いを叶えてきたが、次第に相談者は増えていき、私だけの力では手に負えなくなった。人々の願いを叶えるために一人分の魂が必要になったのだ。ただの魂ではいけない。慈愛に溢れ、人のためなら自己犠牲も惜しまない美しい魂だ。もっともその魂に近しいものをここに集め、選定させた。一人の命を奪ったことを申し訳なく思っている」
イツキ:おとぎ話の中で、王子を思い自死した人魚はのちに、世界をただよう“空気の娘”となる。暑い場所へ風を送り、花の匂いを町中へ送り、世界をさわやかにさせる役目を追うのだ。この期間を経て、“魂を持たなかった人魚は天国へゆける”
イツキ:これは、彼女の選んだ道だ。周りがなんといおうと彼女の意思を尊重するべきだ。最期を誰にも伝えなかった彼女のために、俺は誰にも彼女の決意を語ることは許されなくなった。誰にも知られちゃいけないし、悟らせてはいけない
イツキ:ただ、全世界が彼女の事を忘れても、あるいは彼女の死をたたえていたとしても、彼女がこれで英雄になったとしても、知らないどこかで誰かの役に経っているとしても
イツキ:彼女にだけは死んでほしくなかった。
0: イツキは教会の中へ戻りベンチに腰かけると、顔を下げて静かに泣いた。彼女が入った部屋からは血の匂いがあふれ、彼女の血液が規定量に達した操縦室は、この船を陸のほうへ運び始める。
0: いずれ平和を願った人魚の歌声を誰もが忘れることだろう。水底へおかれた人魚の未来は、永劫(えいごう)、陸にあがることはない。
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0:終演
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