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350A7 1967

2018.06.04 08:40

350 A7 

(リード)

1967年2月、A1の登場で新時代を迎えたカワサキは“ヤング・カワサキ”をキャッチフレーズに、高性能ロードスポーツ路線の到達点ともいえる350㏄のロードスポーツを発表した。『350A7』と命名されたこのモデルに搭載された2サイクル・ツインは、A1のボアを一挙に9㎜拡大(62×56㎜)することにより、338㏄まで排気量がアップされていた。また、フレームには、A1のダブルクレードル・タイプが流用されるなど、全体のデザインは先にデビューしたA1のイメージを踏襲していた。そのため、A7は当初、A1の単なるボアアップ・バージョンとみられていた。だが、実際にはA1と並行して、同時進行で開発が続けられたA7は、世界最速のロードスポーツを目指したカワサキの野心作であった。


(本文)

 公表されたA7のスペックは、最高出力は40.5ps/7500rpm 、最高速度は175㎞/h、そして0~400mを13.6秒で駆け抜けるという、350㏄クラスを遙かに超越したものだった。この性能は当時、世界最速の栄誉に輝いていたトライアンフの650㏄ロードスポーツに比肩するもので、数値をみるかぎりA7は開発目標を達成していた。こうしたカワサキの公表したA7のスペックをみて、まずマニアは我が目を疑い、やがて我にかえって興奮で身体をふるわせることになったのである。

 しかし、リッター当たり120馬力というパワーは、当時のレーサーの領域に踏み込んだものだった。実際、A7のエンジンに採用されたロータリーバルブ方式は、ヤマハのRD56GPレーサーなど一部のレーサーが採用していた最先端のメカニズムだった。また、指定プラグのヒートレンジひとつとっても、A7の2サイクル・ツインは並みの量産エンジンとは違っていた。

 実際に乗ってみても、A7は並みのロードスポーツではなかった。他メーカーの高性能を標榜する2サイクル・ロードスポーツのつもりでクラッチをミートしようものなら、A7はライダーを振り落とさんばかりにウイリーし、その直後に猛り狂ったような加速を開始した。その間、ライダーは激しく暴れるハンドルを全身で押さえ込んむことになるのだ。

 クロスレシオに設定されたミッションは全5速かきあげという変則パターンで、高回転域をキープするとA7は高周波のバイブレーションを発生して、ハンドルにしがみつくライダーの両手を痺れさせた。また、速度が上がると、今度は不気味なシミーがライダーを不安に陥れた。A7に乗るという行為は、人とマシンの格闘だったのだ。しかし、カワサキのファンにとっては、こうした荒々しさもA7の魅力の一部であった。バイブレーションが発生しそうになったら、さらにアクセルを開けてやればいい、A7はこんな気骨をもったライダーに好まれていた。 乗り手の意思に逆らう暴れ馬ほど、いったん乗りこなした時の喜びは大きいという考え方も、分からないではない。今とは社会環境がまったく違った1960年代のことである、極言すれば速さは正義だったのだ。そうした意味では、カワサキが世に問うた世界一を名乗るロードスポーツが狂信的なマニアを生み出すことになったのも、しごく当然といえたのである。

 こうした荒々しさばかりが注目されがちなA7であったが、その高性能には確かな裏付けがあった。まず、A1で採用されたスーパールブは、A7ではインジェクトルーブと呼ばれる給油システムに進化していた。このシステムの開発に要した時間が、A1とA7の発売時期の差といえるかもしれない。

 同じ強制給油システムでも、インジェクトルーブでは、クランクシャフトからピニオンギアを介してダイレクトドライブされるオイルポンプから圧送されたオイルは、コンロッドの大端部に直接給油された。したがって、インジェクトルーブでは、エンジンが回っている限り、いかなる回転域でも潤滑システムが有効に機能する点も特徴だった。ともあれ、A7でカワサキの強制給油システムは大きく進歩することになったのである。

 高回転域から低回転域に至るまで、A7の350㏄2サイクル・ツインの信頼性は、著しく向上することになったのである。また、A7のアルミシリンダーにはA1同様、キャスト・イン・ボンド製法で製造されたものが採用され、大きめなフィン形状と相まって、優れた冷却効率を発揮した。また、放熱効果を考慮した形状のピストンには、熱膨張係数の小さなアルジル合金という高コストな材質が奢られていた。こうした熱対策の細やかさをみても、A7が安直につくられたボアアップ・バージョンでないことが窺い知れる。

 強烈なメカニカルノイズを撒き散らして白煙とともに時代を駆け抜けたA7は、今日のレベルで評価すれば粗削りなロードスポーツだった、といえるかもしれない。しかし、この“アベンジャー(復讐者)”とあだ名されたロードスポーツには、世界最速のロードスポーツを目指した、当時のカワサキの意気込みがストレートに表現されていた。