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「宇田川源流」【GW特集 日本語論文のススメ】(3) 主語と述語

2023.05.01 22:00

「宇田川源流」【GW特集 日本語論文のススメ】(3) 主語と述語

昨日は誕生日ということでお休みをいただ来ました。少し蛇足ながら、その日本語を使っていることによる「思考」がどのようになっているかということもかいた。日本人の性格や仕事に対する内容などは、日本人が日本語という言語を使い、その言語で物事を理解し、そして、その内容を考えるということによって、日本人特有の考え方や感覚が生まれるということになるのである。前回は特に「膠着語」という言語的な特性から、その考え方の特性をしっかりと見てきたということになる。

 さて、そのような「日本人の国民性」ということは、当然に私の「宇田川源流」の大きなテーマであるといっても過言ではないのであるが、しかし、今回はその内容を解くための連載ではないので、またその話題になった時に「脱線」することにして、そろそろ文章の書き方について見てゆくことにしよう。

★ 主語と述語

日本語という言語は、膠着語質であり、なおかつその膠着語の中で「装飾語」や「擬音語・擬態語」なども着けることができるという特徴がある。そのことから、非常に情緒的なことや風流を伝えることができるというような形になっている。しかし、そのようなことは、表現の幅を広げるだけではなく、相手に「感覚的に」物事を伝えることができるということになる。そのような特徴を踏まえたうえで、その内容を見てみよう。

まずは文章というのは「主語」と「述語」で構成される。

主語は「○○が」ということで、その行動の主体を表すものである。ところが日本語の文章の場合は、この「主語」を略してしまうことが少なくない。この主語を略してしまうということから、混乱をきたす場合が少なくない。実際に「主語を略す」ということは、「主語がその中でわかりきっている」時には他の言語でも主語を略す事がある。英語の命令形などは、まさに命令をする人と命令をされる人の主体と客体がしっかりとしているので、その内容をわざわざ書くことがない。軍隊で「前へ進め」ということを言えば、客体は軍人の多くがあるかもしれないが、しかし、そのことで混乱をすることはない。それは、主体と客体がしっかりしている前提条件で、その主語が略されても、全く問題はないし、その状況から「当然」であるということになる。基本的には英語も同じで「Help Me」というのは、「助けて」と略されるが、その内容は「誰か」とか「近くにいる人」というようなことになる。災害などにあった場合は「どなたか近くにいる人でこの声を聴いている人がいれば、その人は私を助けてください」というような意味になるが、状況から助けを必要としていることは当然の事であり、なおあkつそれだけの長い文章を話している時間がもったいない、一刻争う状況であることは間違いがないので、当然に「Help Me」だけでよいということになる。

この事からわかるように「文章」というのは、その状況や前提条件(さっきの軍隊の例で言えば、上官と部下というような人間関係や、災害の場面の例で言えば、災害に遭遇してしまい救助が必要な状況にあるということが明らかであるということになる。そのような関係があり、その前提で「話される」と言ことになる。

しかし、「文字で書いた文章」というのは、その状況が全く関係ない。上記に、ここにある要因いきなり「前へ進め」と書かれても、読んでいる人(皆さん)は何をしてよいかわからないであろう。まさかこの文章を読んで、命令形だからと言って読みながら前へ進んでいる人はいないであろうという気がする。もちろんそれは「状況を同一にしていない」ということであり、また、状況から言えば「文章の例である」ということが明らかであるから、その命令系に従う人がいなくて当然なのである。

逆に言えば「状況や前提条件を同一にしていない相手」に対しては当然に、それらの守護がしっかりと見えていなければならないということになります。つまり主語がしっかりしていない文章は、そのまま「何を言っているのかわからない」「主体がわからない」文章になってしまいます。ある意味でこのようなことは「あたりまえ」でありますが、しかし、それができていない文章が少なくないのではないだろうか。

若者たちの使っているSNSを見ていると、しっかりと主語の書かれた文章が少ないのは、今見てもわかるとおりである。まさに、主語が書かれた内容が少なくても、そのようなない世でうまく伝わってしまっているということが、現在見えている内容そのものではないか。

言語というのは、基本的には進化してゆくのであるが、しかし、上記にも書いたように人間関係のコミュニケーションのツールである。要するに「人間が、他の人間との関係が明確でない場合には、しっかりと文章の主体を示さなければな通じない」ということになります。しかし、現在のSNSは、文字数が限られているということもあり、また今の人々の内容がほとんどが「独り言」に近いもので、何かを伝えているというような者ではないのかもしれない状態で、その言葉が氾濫してしまっているということになる。これが今の日本語が乱れている状態の一つなのではないかと思うのである。

さて、では日本語の文章、特に論文などの場合は、しっかりと主語を付けた分掌を書くことが重要になってくる。独り言などではなく「何かを伝えなければならない」時には、基本的には「主語」をしっかりと書くということの重要性が増してくるのである。それは「誰が読むかわからない」「誤解を与えない」ということから、その重要性が増してくるということになるのではないだろうか。

もう一つ文章の内容に必要なものは「述語」である。

これハ「その主体が何をしたか」ということを書くものである。「私が、前に進む」という場合「私」が主語で「前に進む」が述語ということになる。主語に対して、その動作・作用・性質・状態などを叙述し、また問題点として提示された語に対して、その解決について叙述する。日本語では、主語が必ずしも明示されないため、述語が、文成立のための第一成分とされるが、場合によっては述語も省略されることがある。一般に、名詞・動詞・形容詞など、またはそれらに付属語を伴った形が、これに用いられる。

さて、これにしても、まずは「わかりやすく書く」ということが重要になる。単純に、「述語」は、主語以外のすべてが「述語」というような分類もできるのであり、そのことから、述語は「主語一つについて、述語をたくさんつなげる」ということができるのである。しかし、そのようなことをするとわかりにくくなってしまうので、基本的には「主語」に対して「述語」は一つしか書かない、という古語が日本語論文を書く場合の原則であるということになる。ただ、この述語に関しては、様々に書かなければならないことがあるので、ここではこれくらいの解説にしたい。

つまり、述語の書きただで日本語の文章というのは、様々な代わり方が出てくるということになり、そして、その文章は「なるべく単純で、短いセンテンス(述語を主語に対して一つ)にする」ということが「わかりやすさ」という点では重要になってくるということになる。

★ 文章の目的

さて、主語と述語の事を書いたうえで、あえて核のは「文章で何を伝えるのか」ということが重要になってくる。まさに、文章の目的ということであろう。文章は、間違いなく「何かを他人に伝えるため」でありそのコミュニケーションの道具であるということは間違いがない。その為に「目的」をしっかりとしなければならないということになる。

現在のSNSの文章などは、あまり目的を持っていたり、しっかりとモノを伝えるというような者ではない。その為に、誤解があったり炎上したりというようなことになってしまうことが往々にして存在するのである。意図していないような話があったり、または、そのような話に何もできなかった理というようなことは、当初からの目的意識がないからであろう。

そのように考えた場合、「目的は何か」ということをしっかりと見てゆく可能性が必要なのである。では、その「目的」はどのようにするのか。さて、文章の目的というのは、一つの文章(一文というものではなく、文章全体という意味)で、一つの目的にすることが原則である。実際に一つの文章に様々な意味合いを入れたりする人がいる。もちろん文章のプロの中にはそのようなことを入れる人もいるが、実際には多くの人がどんなに長い文章をしても、文章の目的というのは一つにするということをしている。これは「小説」であっても「論文」であっても、文章の種類を問わないのである。これは歴史小説や推理小説などでも、一つのテーマに従って書いているのであり、そのことから作家という人々は、「この小説はこのような小説で」と一言で小説を説明することができるのである。

しかし、素人になればずっと「一つの文章に様々な意味合いを入れてしまう」ということになり、そのことから、様々な問題を作り出してしまう。

しかし、このように書いても文章の目的をどのようにしたらよいのかわからなかった理、あるいは、分掌そのものを書いている間に目的やテーマを見失ってしまったりする。その為に、文章を書くためには「プロット」というものを作るのが普通だ。

「プロット」というのは、様々な解説をする人がいるが、基本的には目次やあるいは様々な内容の「設計図」のようなもので、文章を書くための設計図であると思ってくれればよい。フローチャートのようになっている人もいるし、私の場合は、ワードのアウトラインの機能のように、目次のような内容になっている。そのように捨て文章を作るときには「プロット」を作るのが普通なのである。

では次回は「プロット」の作り方を考えてみよう。