イカとクジラ
イカとクジラ
The Squid and the Whale
2006年12月19日 新宿武蔵野館にて
(2005年:アメリカ:81分:監督 ノア・バームバック)
両親の離婚・・・というのは、もうめずらしい話題ではなくて、新しい斬新な設定ではないのです。
しかし、自分には関係ない所の家族崩壊物語に、麻痺してしまっているとも言えます。
実際、自分の家庭にこんなことが起きたら・・・この映画はその「こんなことがおきたら」をとても繊細に描いています。
他人事とは思えない、いつ、自分の身にふりかかるかもしれない危機感のようなものを、ユーモアと文学、ロック、映画をちりばめた「知的」な会話の連続を通してしまった所がこの映画の脚本が上手いところです。
ただ、夫婦がヒステリーを起こしあうのに耐える子供たち・・・ではなく、両親と16歳の兄、12歳の弟・・・それぞれの立場と心境の変化、または変わらないもの・・・を見せています。
父、バーナードは作家であり大学の講師。母、ジョーンも作家。
しかし、作家としては母の方が売れている・・・というのが事実。兄いわく「パパの書くものは高尚すぎて、馬鹿な出版社の奴らにはわからない」
家族会議でいきなり両親離婚を言い渡された兄弟。
どちらかの家に行くのではなく、共同監護といって、母と父の家を行ったり来たり・・・・その内に、兄は父より、弟は母より・・・になってしまい、猫までいるし・・・だんだん共同で監護することは難しくなってしまう。家族4人の行動はバラバラになってくる。
父は、なにかと高慢。自分は知的な人物と疑わない。だから、ディケンズの『二都物語』、学校の先生も、カウンセラーも、母の浮気相手も「俗物」と斬捨てる。
しかし、そんな「高尚自慢」な父が結構俗物なんで笑ってしまいます。
また、父よりの兄も読みもしない本のレポートを出す、カフカの『変身』について「実にカフカ的だね」と言いますが、「カフカが書いたから、カフカ的なのあたりまえじゃない?」と言い返されたりして、足元スカスカ。
母は浮気を続け、弟は母よりで父が苦手。どうしても母の家に来てしまう。
父と母は、仕方なく顔を合わせますが、その度に嫌味の応酬。いかにもインテリらしい嫌味の言い方で、あからさまな罵倒ではないのですね。でも子供たちはそんな2人をじっと観察している。
イカとクジラは博物館にあった展示物。一見、イカとクジラなど戦いそうにないのですが、長男は、イカがクジラに挑んでいく展示が怖くて仕方なかった。父と母、または、親と子、どちらがイカでどちらがクジラなのか・・・そしてその戦いに終りはないように思えます。
ティーンエイジャーの思春期の長男とまだ幼いけれどこれから思春期突入の次男を演じた2人が、両親の離婚を通じて何かを乗り越える・・・時にはすごく後ろ向きで、時には楽天的に前向きに対処していこうという姿が、なんとも身近に感じられます。
また、高尚って自分で言ってしまったらお終いだ・・・というのもよくわかりますね。
「俗物っていうのは、本や映画に興味を持たない人たちのこと」というのが一応、俗物の定義ですが、本当にそれだけ?
『ショート・サーキット』を観ようという息子たちを、自分が観たいから『ブルー・ベルベット』(それにしても『ブルー・ベルベット』ですよ)にしてしまう父の強引さと高慢さ。
この映画の4人、なんだかもう、皆、疲れているのです。いがみ合う気力もないみたい。それに見栄をはって生活しようとする故のゆがみにユーモアを持たせた所が、赤裸々だけれども、身にしみる・・・そんな映画になっていました。
幸せいっぱいの仲良しインテリ家族・・・そんな仮面の息苦しい人々。
家族の為に、子供の為に、親の為に・・・それぞれが、個を殺してひとつの家に暮らしている悲劇を悲劇と描かず、繊細なタッチで描いたこの映画、後に残すものは苦さと痛さとあきらめと・・・そんな気持が複雑にからみあった「身近な出来事」という静かな迫力です。