令和5年4月度 御報恩御講 住職法話
『四条金吾殿御返事』
「一切衆生(いっさいしゅじょう)、南妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽(ゆうらく)なきなり。経に云はく『衆生所遊楽(しゅうじょうしょゆうらく)』云云。此の文あに自受法楽(じじゅほうらく)にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや。所とは一閻浮提(いちえんぶだい)なり。日本国は閻浮提(えんぶだい)の内なり。遊楽とは我等が色心依正(しきしんえしょう)ともに一念三千自受用身(いちねんさんぜんじじゅゆうじん)の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏(げんせあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)とは是なり」
(御書991㌻6行目~9行目)
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【背景と対告衆】
本抄は建治二(1276)年6月27日、日蓮大聖人55歳の時に身延で認められ、四条金吾(しじょうきんご)(※)へ与えられたお手紙です。
北条家の支流である名越家に仕えていた四条金吾は、主君である江馬氏を折伏したことにより、主君から疎(うと)まれたり、同僚から怨嫉(おんしつ)や讒言(ざんげん)を受けるなど苦境に立たされました。そのような状況の中で認められたのが本抄です。
内容は、一切衆生が題目を唱えるところに真の遊楽があり、たとえいかなる苦境に立たされようとも取り合うことなく、夫婦共に苦楽を思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え、強盛(ごうじょう)な信力に徹していきなさいと激励され、本抄を終えられています。
【対告衆】
四条金吾(1230頃〜1300)
正式名:四条中務三郎左衛門尉頼基(しじょうなかつかささぶそうらえもんのじょうよりもと)。藤原鎌足の後裔。北条一門の江馬光時(えまみつとき)に仕え、武術・医術にも精通していた。妻は日眼女(にちげんにょ)。子供は月満御前(つきまろごぜん)・経王御前(きょうおうごぜん)。
大聖人様への帰依は、27歳の建長8(1256)年頃。信心強盛であった四条金吾は、大聖人様が度重なる御法難に遭われるなか、富木常忍(ときじょうにん)・大田乗明(おおたじょうみょう)らとともに協力し合い、外護(げご)の誠を貫いた。特に文永8(1271)年9月12日の龍の口法難においては、裸足のまま大聖人様のもとに駆けつけ、自らも殉職の覚悟で御供しています。
後年大聖人様はこの時四条金吾の不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の信心をめでられている。佐渡御配流(ごはいる)中には、大聖人様のもとに参詣し、大聖人様御入滅の際には葬列に加わっている。
【四条金吾の折伏】
四条金吾は主君・江馬氏を折伏している。折伏をする理由として、折伏こそが主君の恩に報いる最善の道と信じ、邪宗への信仰を止め正法に帰依するよう折伏に努めた。しかし、結果は不興をかうこととなり、疎んで遠ざけられるようになった。更に日頃四条金吾をねたんでいた同僚達が、江馬氏より疎まれ遠ざけられたのを幸いとして様々な迫害を行った。
その迫害は、嘘偽りな讒言(ざんげん)や奸策(かんさく)に止まらず、命を狙うまでにいたった。四条金吾は度々大聖人様に御相談申し上げているが、そのようなときに賜ったのが本抄である。その後、領地を没収されることもありながらも、時々に大聖人様から御教導を賜り、大聖人様の御教導とおり、常に主君への恩に報いていた。
そんな時、主君江馬氏が病気となり、疎まれ遠ざけられていたが、主君の看病に努め、そして完治に至らしめている。この四条金吾の努めを見て・また感じた江馬氏は、今までの心を改め、没収した土地を倍増して四条金吾へ加増している。
更にはどの様な状態にありながらも主君の恩に努めた四条金吾の姿は鎌倉中の噂となった。主君を折伏し不興をこうむってより苦節三年と四カ月のことである。
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【御文拝読】
一切衆生、南妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。経に云はく『衆生所遊楽』云云。此の文あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや。
〔語句の解説〕
・遊楽…「遊び楽しむこと」で、仏法では、仏様を敬愛し、仏様の説かれる善行を行い、善徳を積む仏道修行こそ、「遊楽・自ら楽しむ法楽」であるとする。
・経に云はく…ここでは法華経『如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六』を指す。
・衆生所遊楽…法華経『如来寿量品第十六』に説かれ経文で、訓読すれば「衆生の遊楽する所」(法華経441㌻)となる。
〔通 釈〕
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱えること以外に真の遊楽はない。法華経に「衆生所遊楽」と説かれている。この文(もん)はまさに自受法楽を説いたものにほかならない。その「衆生」のうちに貴殿が漏れるはずはない。
〔解 釈〕
ここでは、苦悩に喘ぐ四条金吾を思われて真の遊楽・法楽とは「南無妙法蓮華経」と唱え、自行化他の信心に励む事であると仰せられています。
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【御文拝読】
所とは一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是なり。
〔語句の解説〕
・自受法楽…仏様の教えを正しく行い(善行)、法の楽しみを受ける・感じること。
・一閻浮提…閻浮提とも南閻浮提(なんえんぶだい)とも言う。仏教の世界観で、世界の中心に須弥山(しゅみせん)の南の州にあるとされる。この地に人間が住んでいると説かれている。
・色心依正…㈠色心…色とは身体(色法)を言い、心とは心及び心の働き(心法)を言う。㈡依正…依報正報(えほうしょうほう)のことで、依報とは衆生の住む環境世界を言
い、正報とは、我ら衆生を言う。この依報と正報は切っても切り離せない関係(不二(ふに))である。また現在、苦楽・善悪と現れる原因は、過去世の業因(ごういん)がもととなり、それが依正不二の関係から、我ら自身及びその環境世界に現れてくる。
・一念三千…中国・天台大師が、法華経に説かれる仏様の極理を『摩訶止観(まかしかん)』のなかで「夫(そ)れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。
一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り、若し心無くれば已みなん。介爾(けに)も心有れば、即ち三千を具す」と示され一念三千と説かれている。
・自受用身の仏…仏様と成られた(成道(じょうどう))の仏様の御身を受用身と言う。この受用身に自受用身(じじゅゆうじん)と他受用身(たじゅゆうじん)とある。自受用身とは、御悟りの功徳を自ら受け、その御悟りの法を自在に用いて衆生を救済する仏様(随自意の仏)を言う。他受用身とは、他に御悟りの功徳を与えるため、世情の機根(きこん)に随って仏様が色相荘厳(しきそうしょうごん)の仏身に現じた仏様(随他意の仏)を言う。
・現世安穏・後生善処…法華経『薬草喩品(やくおうほん)第五』に説かれ、「現世安穏にして後に善処に生じ」(法華経二一七㌻)と訓読する。
〔通 釈〕
その「衆生」のうちに貴殿が漏れるはずはない。「所」とは一閻浮提のことであり、日本国は一閻浮提の中にある。「遊楽」とは、我等の色心依正ともに、すべて一念三千・自受用身の仏にほかならない。法華経を持ち奉る以外に真の遊楽はない。法華経に「現世安穏・後生善処」とあるのはこのことである。
〔解 釈〕
ここでは、法華経の『如来寿量品』に説かれる「衆生所遊楽」の経文を訳され、「衆生」とは、大聖人様の信心をする僧俗であり、当然四条金吾も含まれると示され、「所」とは、大聖人様御在世の場所たる南閻浮提の日本国である示され、「遊楽」とは、末法時代を救済される仏様・御本仏様であり、その仏様が説かれた妙法蓮華経の教えを信心し仏道修行に励むことにより真の御仏智・功徳を賜れる。このことこそ真の遊楽であると仰せられています。又その御仏智は、現在だけに留まらず、来世までへも現れる功徳があるとも仰せられています。
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【御妙判を拝して】
本日拝読の御妙判とは、主君・江馬氏を折伏したことにより疎まれ、遠ざけられ、そればかりでは無く、所領をも没収され、またそれを良しとした同僚達からの様々な嫌がらせに合うという心身共に本当な状況にある中、大聖人様から心温まる御指南が本日の御妙判であります。
また拝読の御文に続いて「たゞ世間(せけん)の留難(るなん)来たるとも、とりあへ給(たも)ふべからず」(御書991㌻)とも御指南されて、同僚や世間の人が色々な悪口等の嫌がらせがあろうとも、気にせず相手にしては相手の思うが壺と成るとも仰せられています。
更に続けて「たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐ(い)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給(たま)へ」(同)と御指南されて、世間に振り回されず、苦しいときは苦しいと悟り、また楽しいときは楽しいと思い開き、苦しくとも楽しくとも、とにかく御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えていくことが肝要であり、それが自らの仏道修行の楽しみ・自受法楽である旨、仰せられています。
さて、我々も仕事の上での上司や同僚等、生活の上での家族や友人・知人等へ折伏をしたために、遠ざけられたり、嫌われたり等、することもあるかと思います。そのようなとき、我々が信心をいかにすれば良いのか。その答えが、本日拝読の御妙判及び『四条金吾殿御返事』の御指南であります。
即ち、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様に対し奉り、更なる強盛なる信心を起こし、本門戒壇の大御本尊様へ無疑曰信に信じ、大聖人様の御教示を正直に仏道修行に励むことにより、必ず様々な諸難を乗り越えることができると仰せられています。そのことを御先師・日顯(にっけん)上人が「どのような苦しみも楽しみも、それを素直に受けつつ、また執らわれずに南無妙法蓮華経と唱えるところ、すべてを超過しつつ、現在をそのまま大楽として受け用いる境界である。これが自受法楽の凡夫即仏(ぼんぷそくぶつ)の自行であり、また、これが必ず化他折伏(けたしゃくぶく)の行に至るのである」(『すべては唱題から』61㌻)と御指南されています。
この日顯上人の御指南に仰せられていますが、苦しい時に大聖人様の御教示の如く励む者は「化他折伏の行に至る」と仰せられていますが、四条金吾もそのご主君・江馬氏が病に倒れたときには、その看病を命に代えて努められ、見事平癒したのちには、江馬氏も心を改められ、没収した所領も倍増して返還したこととは、正に「化他折伏の行に至る」が当たるかと思います。
この四条金吾の姿、日顯上人の御指南より我々は、自分自身が苦しきときこそ更なる自行の仏道修行に練磨するのは当然として、苦しい時こそ、育成や折伏という化他行に励む心を持つことが大事であり、その心は大聖人様・御本尊様も御照覧あり、自行だけの者より、多くの御仏智・功徳を賜れることができることを拝し、我々は努めたいものです。
以 上