DEATH NOTE デスノート The Last name
DEATH NOTE デスノート The Last name
2006年11月14日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザにて
(2006年:日本:140分:監督 金子修介)
さて、いきなりですが前編から4ヶ月で後編が公開される、という日本では異色のプロジェクト映画、デスノート、完結です。
当然、前作の終わりは「つづく」になりますから、公開されるの待っていたというか、あっという間だったというか。
やっぱり、矢神月、月と書いて「らいと」と読むのに改めてびっくりしたりして。
とうとう月とエルの対決です。自分が「キラ」なのに、キラを探すエルの特別捜査チームにもぐりこむ、という大胆な発想。
原作の漫画は相変わらず読んでいませんが、本格推理小説でいったら、「犯人は最初にわかっていて、それがどう暴かれていくか」というものですね。
だから、殺人の方法はデスノートに名前を書く、というシンプルな手法なんですが、どう、月、またはエルが「先を読んで、自分の身を守る、または犯人をあぶりだす」か、の頭脳戦が後半の見所。
捜査本部に来た月が、エルがひとりでやっているチェスにすっと、相手になってさっと「チェックメイト」と王手を決めてしまうあたり、この2人の先の読み合いが、なかなか上手くできています。
そして、前作では、ノート一冊、一人の物語が、もう一冊のノートが出てきて、別人の手に渡る、また顔を見るだけでその名前と寿命がわかってしまうという新ルールも。約束手形の裏書譲渡みたいですね。
月が拾ったノートには死神リュークがとりついていましたが、もう一冊の方にも別の死神がついています。新キャラクター、レム(声は池畑慎之介)そしてそのノートを拾ったのは、アイドル、ミサミサこと海砂です。
海砂が、月に接近するあたりから、なんだか危ないな~という予感がするのですが、やっぱり、頭がいいのは月であって、他の人はちょっと危なっかしいので、やはり、エルのライバルになれるのは、月だけでしょう。
さて、エルを演じた松山ケンイチくん。
この人は特に目立った特長のない若い俳優さんだったのに、「世にも邪悪な少年」という凄い役を軽々やっていたのにビックリした前編。
エルはいつも、甘いお菓子しか食べない、そのかわりいつでも何かしら食べている、という設定。そしていつも人差し指と親指しか使わず、猫背で丸くなっている。
後編で気がついたのはエルは、だんだん和菓子も食べるようになってきました。
おはぎ、葛餅、水あめ(びんからだら~ん)、すあま、団子(びんで味つけてる)、カキ氷(イチゴシロップに練乳だらだら)金平糖、極めつけは、「ういろう(緑)丸かじり」
ちゃんと前編でポイントだった、チュッパチャプスを常になめ、ぺろぺろキャンディをなめ、突然、月の後に出現するときは、板チョコばりん。
ガムシロップ、丸呑み、角砂糖かじりまくり・・・・とにかくスクリーンに出ているときはなにかしら甘いものを食べています。もう、胸やけしそうなほど。
この食べる、っていう見せ方は、原作漫画での設定だろうけど映画になると本当に生生しいのです。
妙に歪んだ幼稚性が生生しく感じられます。
あと喋り方ですね。抑揚のない声で切れ目なく喋る。
「そうですか、残念ですね、月君。君と会えなくなるなんて」
を・・・・
「そうですかざんねんですねらいとくんきみとあえなくなるなんて」怖い~~。
それに対抗する月役の藤原竜也もなかなかの熱演でした。どんなに追い詰められても、その頭のよさでくぐりぬけて、あえてエルに挑戦的な態度をとる図太さや、自分の計画が上手くいったときの笑い方など、これも、またひとつの「世にも邪悪な少年」です。
私は観ていてあまり先が読めなくて、月とエルのだまし合いをなかなか楽しく、驚きながら観ていました。
いわゆる昔の推理小説だと、いかに美学を持って、殺人を行い、それが暴かれるか、だったのを、がらりと視点を変えて昔の形にこだわらない自由さが、とても新しくて、またメディアを使った心理戦などなるほど、現代性もよく出ています。
しかし、ノートに名前を書くという「名前」の呪縛、というのは意外とオーソドックスな掟なんですね。さて、月はエルの本名をノートに書くことができるのか?
エルの本名はね・・・・・・・・・
おわり。