BLOSSOM
初めてのデート。
沈黙を避けるように、彼は離れて暮らす姉が選曲し送ってきたというテープを掛ける。
少女のような愛らしい歌声が車中にやさしく流れ、彼女は「素敵ね。」と言う。
すると彼は「彼女は最高だよ。80歳を過ぎた今でもニューヨークの小さなバーで歌っているんだ。」と返す。
去年の冬、邦題のせいで大して期待もせずに借りて観た「My life without me」。
重い題材を軽やかなセンスで描いた映画で、このシーンが何だか好きだった。
そして小鳥のような歌声にとても惹かれた。
サウンドトラックから、その声の持ち主がBlossom Dearieという女性で、「Try your wings」という曲だと知った。
その数週間後、飛行機内でヘッドホンから聴き覚えのあるハイトーンボイスが聴こえてくる。
案内を見ると歌声の正体はBlossom Dearieその人で、「Manhattan」という曲だった。
偶然の再会に嬉しく何かの縁を感じたので、帰国後CDを探して、くるくるのショートカットにアラレちゃんのような大きな眼鏡を掛けた彼女の姿がジャケットの一枚を買った。
それから数週間後、今度はラジオで彼女の声を耳にする事になる。
桜の蕾も膨らむ頃で、「They say it’s spring」という曲だった。
そして、その時初めて彼女が少し前の2月7日に老衰で亡くなったと知った。
私が映画の中で初めてその存在を知った同じ頃、彼女は天に召されていたのだ。
その後もう一度彼女は私の前に現れる。
友人の家で何気なく捲った雑誌に、数年前ニューヨークのあのバーで彼女を取材した記事と写真が載っており、本当に彼女はそのステージに立っていた。
佇まいも期待を裏切らず、小さくてチャーミングなお婆ちゃまだった。
何故か、彼女はその一生の終わりにほんの一時、私の元に小さな翼で舞い降りて、春の訪れを告げるように、心にぽっと一輪の花を咲かせ、飛び立って逝った。
彼女の名は、“Blossom”。
生まれた時、兄が満開の桃の花の枝を持って来た事から、そう名付けられた。
もし天国にもちょっと洒落た感じの小さなバーがあるのなら、きっと今夜もそのステージで、彼女は小鳥のように軽やかに歌っている。