チッくん
「ペットがあまり好きではない」「ペットの意味がわからない」などとうっかり口にしてしまったものなら、今まで和やかに微笑んでいた相手の顔も一変、血の通っていない氷の女にでも出会したかのように強張り、笑顔の消えた顔には大抵「信じられない!」と書いてある。
決して動物を毛嫌いしている訳ではない。動物アレルギーもない。
ましてや憎しみなどある訳はなく、むしろ尊敬している。
同じ地球に棲む生物として、驚かされたり、感銘を受ける事もしばしば。
ただ、その動物と“ペット”として一緒に暮らす、家族の一員になる、という事がよくわからないのだ。
と、こうしている間にも批判の矢があちこちから飛んで来そうなので、この辺で。
実は我が家でも、たった一度だけペットを飼った時期がある。
私がまだ3,4歳の頃だろうか、知り合いの家で貰い手を探していたセキセイインコを、姉が「自分がちゃんと世話をするからどうしても飼いたい!」と渋る両親を泣く泣く説得して引き取ったのだ。
こうして、我が家にやって来た白と水色の羽のセキセイインコは“チッくん”と名付けられた。
生まれた時からペットとして育てられたチッくんは、然程大きくない鳥籠の中でも暴れたりせず、いつも「チッチッ」と控えめに鳴いたり、「キュルキュル」と喉を鳴らしながら、
白い棒を行ったり来たりしていた。
それでも時折籠から出してあげると、少し戸惑うような仕草をしてから、本来の役目を思い出したかのように、大きく羽を動かして部屋の天井ぎりぎりを飛び回っていた。
市販の鳥の餌の他に“はこべ”が好物だったチッくんの為に、私達姉妹は家の前の土手から、はこべの若草を競って摘んだりもした。
はじめの内は張り切って世話をしたり、チッくんに言葉を覚えさせようと熱心に話し掛けていた姉も、すぐに学校や習い事に追われ、面倒は疎かになっていった。
結局は世話の大半を一番飼うのを嫌がっていた母がする羽目になり、チッくんが覚えた数少ないボキャブラリーの中で初めて発した言葉は「ママ」だった。
兄姉が学校へ行っている間、末っ子の私は家で鏡の中の自分とお喋りしたり、お客が母一人きりの雑貨店を切り盛りしたり、家の地下には小さな一家が住んでおり、庭にはその住み処に続く秘密の通路があると信じ込んで、大きな石やブロックをひっくり返してはがっかりしていた。
そんな私にとって、チッくんは絶好の遊び相手となり、飽きる事はなかった。
その日もいつものようにチッくんと遊んでいた私は、途中母に「お昼ごはんよ。」と呼ばれた。
チッくんを部屋の中に放したまま私は台所へ向かい、母が握ってくれたおむすびと添えられたたくわんをそそくさと食べ終え、チッくんの待つ部屋へと足早に戻って来た。
そして部屋の扉を開けた時、思いも寄らぬ事が起こった。
チッくんが私目掛け勢いよく飛んで来て、私の顎をカプッと噛んだのだ。
私は突然のその出来事に、驚きとショックで泣き出してしまった。
そして泣きながら母の元へ駆け寄った。
母もその様子に少し慌て、私の顔を覗き込んだ。
チッくんが噛んだ箇所は、赤くプクッと腫れていた。
どうやらチッくんは、私が顎にくっ付けたままでいたお昼のたくわんの食べ残し目掛け飛んで来たようだった。
たくわんと一緒に私の皮膚も少し噛んでしまったのだ。
大した事は無かったのだが、自分にだけ押し付けられたチッくんの世話に日に日に矛盾と疲労を募らせていた母は、この小さな事件で堪忍袋の緒が切れた。
「チッくんはお返しします!」
姉もこれには何も言えなかったし、ちょうど他に貰い手も見つかったので、それからすぐに仲介の方がチッくんを引き取りに家へやって来た。
その日、私は朝からずっと黙っていた。
姉達がチッくんにさよならを言って出掛けた後も、私は別れの言葉も掛けず、鳥籠に近寄る事さえしなかった。
お昼過ぎに仲介の方がやって来た頃には、鳥籠には大きな布が被されていた。
チッくんの姿は、もはや遠目から眺める事もできなかった。
「チッチッ」「キュルキュル」という鳴き声だけが微かに聴こえてきた。
束の間母とお喋りした後、仲介の方は布が掛かったままの鳥籠を抱え、「それでは失礼します。」と玄関の扉を開けた。
私は黙ったまま玄関の外へ出て、母と並んでその後ろ姿を見送った。
チッくんが好きだったはこべの茂る土手の向こうへその姿が消えた時、ふいに母が「悲しいの?」と聞いてきた。
その途端、押し殺していたものがプツリと切れて、私はわんわんと声を上げて泣き出した。
嗚咽で呼吸が止まってしまうんじゃないかと思うくらい、涙枯れ疲れきって眠るまで、泣いた。
おそらくチッくんは、私にとってはじめてのトモダチだった。
だから噛まれた時ショックだったし、少なからず傷ついた。
そしてチッくんがいなくなると知った時、自分のせいだと思い、友達を裏切ったような罪悪感に駆られた。
ほんの数ヶ月の間だったけれど、チッくんは私に人間関係のもどかしさ、友情の何というか“しょっぱい”部分を教えてくれた。
幼い私も、それを幼いなりに身を持って受け止めた。
はじめてのトモダチ。
その二人の友情を引き裂いた火種が、食べ残しのたくわんだったというのが、また何ともしょっぱいのだが・・・。