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邪馬台国問題に決着をつけるサイト

高天原は邪馬台国ではなく倭国

2016.01.06 07:51

みやま市瀬高町の女山に在る神籠石。古代の居城の存在を示唆する。



明治時代末、東京帝国大学の白鳥庫吉教授は論文【倭女王卑弥呼考】を発表し、『魏志倭人伝』に記される【卑弥呼】とは、『古事記』『日本書紀』に記される【天照大神】のことであり、【高天原】は所謂天国ではなく、【邪馬台国】即ち【筑後山門】として地上に実在すると唱えています。

現在、元産能大学教授で【邪馬台国の会】主宰を務められる、邪馬台国九州説派の第一人者である安本美典先生は、【天照大神】は【卑弥呼】と【台与】二人のダブルイメージであって、天岩屋籠り以前の【天照大神】は【卑弥呼】のようであるが、天岩戸開き以降の【天照大神】は【台与】のようだとする説を展開され、【高天原】に関しては、白鳥庫吉と同じく【邪馬台国】であると見做しています。

しかし『魏志倭人伝』に【邪馬台国】は「女王乃所都」と記されており、卑弥呼が定めた【倭国】の首都ではあるが、【倭国】を構成する小国の一つに過ぎないと書かれています。


私は、【倭国】を九州北部に在った小国三十国の連合国だと考えているので、これを『古事記』『日本書紀』になぞらえれば、【天照大神】が治めていた【高天原】とは【倭国】の首都【邪馬台国】だけでなく、【倭女王卑弥呼】が統治する【倭国】全体のことになります。

【卑弥呼】は元々【邪馬台国女王】だったが、倭国大乱後、各小国の王により【倭国大王】に共立されたものと考えられます。

そうすると安本美典先生が【高天原】に在るとされる【天香具山】や【天夜須河原】が実在する福岡県朝倉市が【邪馬台国】だとされる説は、其れ等が【倭国】に在りさえすれば【高天原】に在ることになるので、それ等の地が【邪馬台国】でなくとも良いことになります。

第一、朝倉市は伊都国や不彌国から近すぎて、南邪馬台国に至る。水行十日陸行一月の記述に適合しません。

しかも連続説で辿る安本先生の説では、不彌国と邪馬台国の間に投馬国の置き場がないので、最近の安本先生は投馬国を宗像国に比定され、伊都国や不彌国の南ではなく、北に持って行かれているようです。
しかし、これでは『安本先生説』も『邪馬台国畿内説』と同じく、『魏志倭人伝』の記載を無視していることになります。
ところが私の【反時計回り連続説】を用いると、朝倉市の位置には巴利(はり)国が在ります。すると、旧朝倉郡杷木町が、杷木(はき)⇒巴利(はり)の名称が一致することからも、巴利国は卑弥呼の時代、杷木町辺りに国の中心地が在ったものと思われ、私は朝倉市は巴利(はり)国だと考えています。
巴利国は倭国のほぼ中央に位置し、倭国の首都邪馬台国からかなり近いことからも、倭国を構成する小国の王や代表者達(『記・紀』の語る八百万神)が倭国(高天原)中から集まって、天安(夜須)河原辺りで倭国会議を開いていた可能性があると考えられます。