5月7日 主日礼拝
5月7日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書22章23~33節
イエスと論争をする者。
ファリサイ派、ヘロデ派、サドカイ派。
彼らの論調の方がイエスと比べて、実は私たちにしっくりくる。
税金を自分たちは納めている。
この税金はローマ皇帝のもとに行っている。
自分たちには異邦人と付き合ってはいけない、との教えがある。
相反することをしている、これで良いのか。
どうしたら良いのか。
復活があるというが、その時に私たちは皆、幸せになれるのか。
夫と死に別れになった女性。
再婚をした。
どちらの夫婦間も円満だった。
この者たちが復活をした時、誰と誰が結ばれれば良いのか。
この世では皆、幸せだったが、
復活をした途端、新たな問題が発生するのではないのか。
彼らのイエスに対する文句はよく分かる。
それに比べてイエスの回答は、その場ではうまく振る舞ったように思えるが、
究極何も解決していないのではないか。
コインを見せて「ここに誰の像が刻まれているか」と問う。
人々が「皇帝の像です」と答えると、
「ならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と言う。
確かに、貨幣は皇帝のものであり、神から与えられたものでもある。
だからと言って、これで税金の納め方がすっきりするわけではない。
復活の時に新たな問題が起きるのではないか、との心配に対して
「復活の時には天使のようになる。あなたたちはとんだ勘違いをしている」と言われても、復活の場面で想定できるものの解決になったとは思えない。
人々の心配、イエスの回答。
ここにはどのような溝があるのか。
私たちの感覚はイエスと論争をしている人々に近い。
私たちとこの人々。
何が共通しているのか。
皇帝に仕えること、神に仕えること
どちらを選べば良いのか。
復活をした時、再婚をした女性は誰と結ばれれば良いのか。
ここに共通しているのは、選択をしなければならない。
答えは一つだという信念。
一つに絞らなければならない。
一つにしなければならない。
一つにすること
それが答えの出し方、未来の築き方だと。
イエスの答え
コインは皇帝のものでもあるし、神のものでもある。
再婚した女性
どちらを選べと言われても困る話。
復活の時にはそんなことはしなくて良い。
何をイエスは言っているのか。
答えは一つではない。
優劣
善悪
答え至上主義
それがこの世界の在り方ではない。
どちらでも良い。
どちらかに神がいて、
どちらかには神がいない。
神は博打ではない。
神はどこにでもいて
神はいつでもいる。
全てに神はいて、全てが神のもの。
ならば、選択するのになんの躊躇いがあるのか。
どちらからでも行ける。
何を選んでも間違いはない。
敵、味方
正解、不正解
それは人が設えたもの。
神が造った世界は全て良い。
この世界には良いものしかない。
イエスと論争をした人々。
その溝は何か。
世界のどこかに悪が潜んでいるという世界観。
世界は全てが良いとする世界観。
世界への信頼が違う。
信仰者が求められているもの
悔い改めて福音を信ぜよ。
世界観の刷新が求められている。
答えは一つか
それで世界は先に進めるのか。