-Label.1 Trac.??? -メランコリック・フラワーガーデン-
「は? 違法花屋?」
自国の仕事の為、一時的に城に帰っていたサナが、お付きのメイド、シエルから聞いた噂はサナの耳を疑うような内容であった。サナは思わず上げてしまった声に自分自身で驚く。
「はい、なんでも見たことのないような動物を売っていて、すごく凶暴らしく……飼えばそれなりにしつけはできるそうですが、長くても一週間以内に死んでしまう、これは詐欺だと、何故出店を許可したのだとこちらにまで苦情が……」
そう、困った顔で告げるシエルは、この城の管理すべてを任されている妖精である。妖精と言っても見た目は人と変わらず、サナの仕事の大半も彼女が身代わりしている。サナが城を空けていてもお咎め無しなのは、彼女のおかげだ。
『家憑き妖精』ブラウニーの彼女にとって、『家』とは、ほぼ規模ハズレな城であろうと、この仕事は生きる事に等しい、まさにライフワークなので苦にはならないのだと言う。サナはそんな彼女に城を任せきりにしている引け目を感じつつ、やはりこの国は苦手だ。任せて欲しいというのならば任せた方が気が楽なので、こうして月に一度でも帰る今のペースを保っている。
そんな優秀な彼女にも手に負えない案件がある……という事にサナは一度驚愕し、その内容を反芻してもう一度驚愕した。
「待って待って待って?」
「はい」
「今、花屋って言ったわよね」
「言いましたね」
サナは頭を抱えながら、一度手のひらで視界を覆って冷静になる。ため息を吐いた。
「どこに花要素あった?」
「……わかりません」
無言。二人、白けた空気を漂わせる。
「何も間違ってはないみたいだね?」
その話を聞いていたサナの双子の弟、ルナは、机の上にあった書類を手に取り、パタパタと動かしながら二人に見せつけた。サナがそれを受け取って確認する。確かに今告げられた内容は間違っていない。それどころか同じ案件の苦情が山ほど寄せられている。プリントアウトされていないだけで、机の橋に転がるタブレット端末にもその倍以上、同じ案件のメールが寄せられていた。
「……はぁ……」
「す、すみません、サナ様」
「いいよいいよ……普段サボってるバチでも当たったのよ、行ってくる」
深い溜息を吐いてふらりとサナが立ち上がる。めんどくさそうな案件に、すでに疲れた顔でそう告げた。
「お力になれず申し訳ございません……」
「ううん、シエルはよくやってるわ、大丈夫」
その様子に申し訳なくもう一度謝るシエルに、サナは微笑んだ。しかしすぐに肩をすくめてやれやれとわざとらしく呟く。
「そう思うのならそろそろ報酬の一つでも受け取ってくれればいいのだけれどね」
その笑みを少しだけ歪ませ、嫌味混じりの意地悪を言った。
「ふふ、すみません……私が他の妖精であれば良かったのですが、私はここに置いていただけるだけで十分ありがたいですので……」
その意地悪に、シエルも意地悪そうな笑みで返した。幼い頃から彼女の世話係で使えるシエルに、サナの嫌味は通用しないらしい。
シエルはブラウニーであるにも関わらず、ブラウニーが本来、家事の報酬として貰う「ミルク」または「生クリーム」が口にできないのである。サナは色々と代替案を出したが、いつも決まって答えは同じ。城にいれればそれでいい、とだけシエルは答えるのだ。
サナはその返答にいつも眉をひそめる。自分にそんな慕ってもらえるほどの威厳はない。ただ、国王から教わった事をいい子に、いい子に習ってきただけ。それがサナにとって心苦しい。この街がサナを王として慕うのは、サナの父親がかけた呪いに由来している。つまりこの態度は、本当の彼女の意思ではないかもしれない。無条件に慕われることはサナには重すぎるのだ。
「まあまあサナちゃん、シエルには後で港名物のサラダでも買ってきてあげようよ、僕もついてくから。例の花屋、見に行こうか」
ルナはその空気を帰るべく、立ち上がってサナの手を引く。
「……そうね、行ってくるわ」
サナは話が変わったからか、ルナに触れられたからか、なんとなくほっとした顔をして歩き出す。数年前まで子供の頃ぶりの再開を果たしたと思えば、敵同士にも近い関係になったりしていたのに、近年はルナへの警戒が解けたからか、ルナの前では少しだけ感情を露わにするようになった。
城に来ると緊張してしまうサナが少しでも安心できるのならいいことだとルナは思う。手を強くぎゅっ、と握りしめてやった。
そうして二人は、その書類と聞き込みを頼りに、噂の花を売ってない花屋に向かった。
***
街の事に対する仕事の時、サナは女王であることを意識してか、普段よりもきちっとした格好をすることがある。城の式典の時はドレスを着ていることが多い。今日はまあまあ仕事という程ではないからか、シャツだけをYシャツに着替えていた。……が、真夏の港町。襟の詰めた服は暑そうだ。ふらふらと歩くサナはさっきより顔色が悪い。
「サナちゃん、少し休もうか…?」
「大丈夫……」
弱みを見せることが苦手なサナに、こう言っても無駄な事はわかっている。強がって大丈夫と言うサナだが、その一瞬に、2、3歩よろけてルナにぶつかった。
「おっと、ほらもう」
ルナはサナを支え起こしながら、言った通りになった事に口を尖らせて注意する。サナはバツが悪そうに目を反らしてぼそっと謝った。
「ごめん」
「とりあえず今は手がかりもないし、ちょっと座ってよう?」
「ん……」
気まずさから出る短い返事を聞き、サナを近くにあったベンチに座らせる。ここは人通りも少ないし日陰だ。すぐ近くにあった自販機で水を買ってサナに手渡す。サナが水を口にするのを見届けてから、ルナも自分の分に口をつけた。
日差しは強いが、黙っていれば涼しい風が吹くのが港町のいいところ。二人で涼風に吹かれていると幾分かサナも落ち着いたらしい。しばらく黙っていたがすぐに口を開いた。
「場所の情報、なくなっちゃったわね」
「そうだね……」
二人で呆けながら考えを巡らせる。
あんなに苦情が来ているというのに、その情報の中に一切場所の情報がないのもおかしな話だ。みんな怒りに任せて送ってきているのは文面でわかるが、詳細がないとなれば打つ手もない。解決出来るはずもなく、憶測だけが二人の間を飛び交った。
「そういえば、このあたりに普通にやってる花屋あったわよね」
「え? あそこはまだ花屋やってるんじゃないの?」
「わからないけど、辞めちゃって居抜きで入ったから花屋っぽいだけでペット屋……みたいな店があるのかもしれないし……」
二人でうんうん唸りながら、謎解きに興じるが、答えは出ない。やがてお互いに黙ってしまうと、しばらくして後ろからガタガタと強烈な音が聞こえ始めた。
「なに、この音……?」
「あ、サナちゃん、あそこ。ゴミ箱が揺れてる。自動ゴミ捨てできるゴミ箱には見えないし何か入ってる……?」
科学の発展したこの世界。森の奥、その行き止まりにある田舎の港町でも、ゴミ捨てぐらいは自動でやってくれるものもある。が、田舎故に大概がそうではない。目の前にあるのもクラシックな入れ物でしかないゴミ箱だ。そのゴミ箱が生きているかのように揺れている。
「や、やだっ! こわい……っ……」
「サナちゃん!」
サナはその得体の知れない動きに恐怖を感じたのか、立ちすくんでしまった。ルナは慌ててサナの前に出る。ゴミ箱の揺れは収まらない。手で安易に開けるのは気が引けたルナは、思い切って蹴り飛ばしゴミ箱を倒した。
途端、犬をおどろおどろしい感じにしたような、ゾンビみたいな生き物が跳びかかって来る。ルナは思わず驚きから躱すことしか出来なかった。
……と、なれば。
「ぎゃやぁぁあああぁあああぁああっ!!!??」
「あ!! サナちゃんごめんつい!!」
「つい、じゃないわよ!!!!!!」
向かっていくのはサナの方。生き物に……まあ生きていなくてもなのだが、サナは何かと引き付けやすいので襲われやすい。
「や、やだ、やだっ、来ないでっ……!!」
そんな理由で生き物が苦手なサナは、半狂乱で腕を振り回し追い払おうとしていた。が、届くはずもない。犬のようなものはむしろ、きょとんとしている。
「サナちゃん、落ち着いて、近寄ってきてないから」
「だ、だて、立てない、やだ」
パニックの収まらないサナは、どうやら腰を抜かしてしまったらしかった。ルナはサナを抱き上げると、安易にその犬っぽい生き物もつまみ上げる。ルナはサナより小柄だが、やはり魔族で男性。それぐらいは難しいことではなかった。
「ひぃーっ、ひぃいぃっ!! なんで一緒に持つわけ!!!???」
「僕の腕にも限界と言うものが……」
「いやあああああ私の理性にも限界があるわ!!!!」
「いだっ!!! 」
が、サナには難しい状況。サナはルナを蹴り倒し、ルナの腕の中から逃れる。同時に放たれた謎の犬も逃れて、どこかへと走り去っていった。
「サナちゃん、追うよ!」
「あっ……ええ!!」
ふたりはその生き物を追いかけ、走りだす。サナはまだ足腰に力が入っていないようで、よたよた進みだした。
***
「あれは何? 魔物? 使い魔じゃないわよね?」
「少なくとも見たことはないね……魔物にしても魔力を『あまり』感じないし……」
サナとルナは犬のようなものを追って、路地裏を駆け回っていた。二人に追い詰められているからか、ありえない程猛スピードで走る生き物に、二人は見失いそうになりながら後をつけるしかない。
「でも全くじゃなくて、微量に感じるところを見ると怪しいわね」
「サナちゃん、あそこで挟み撃ちにしない?」
「了解」
行く先は2つに分かれている。その道の先はぐるりと数件のお店を囲み同じ場所に戻ってくるだけの道だ。二人で双方向から攻めれば逃げ道を絞ることができる。ルナは白い悪魔の羽根を、サナは数分しか保たない黒い天使の羽根でふわりと浮かび、道の先へと急いだ。が。
「いない……?」
「居ないわね……」
道の角を曲がった二人の前には何もいない。その左側は塀。そして右側は……。
「パンジー? 帰ったの~?」
カラフルなオーニングテントの張られたレンガと漆喰の明るい小さなお店。ガラス張りの暖かそうな部屋の向こうには確かに花が並んでいる。その先から、小汚いカフェエプロンを付けた小さな女の子が、さっきの犬らしいものを抱えて出てきた。
「あったーーーー!!!????」
「うわ、マジで花屋っぽい!!!!」
動揺する二人の大声に、女の子はびくりと肩を震わせた。が、すぐに可愛らしい笑顔で近づいてくる。
「いらっしゃいませ!」
どうやらこちらを客と判断したらしい。サナはまだその子の腕に抱かれている謎生物に怯えて、体を反らしながら、女の子に話しかけた。
「……ええと、こんにちは。そ、その子は貴女が飼っているの?」
「ああ、この子は売り物ですよ! いかがですか!? ごはんはお水だけです!」
「水だけ……?」
「大人しいし、いい子ですよ!」
いや、今さっき、その「大人しいいい子」に飛びかかられたんだけど……そんな表情でサナは顔を引き攣らせる。店主の女の子はその様子に小首をかしげたが、すぐに後ろで呆れているルナにも声をかけた。
「彼氏さんもいかがですか?」
「彼氏!?」
「かっ……かれし……ぷっ」
サナがその反応に吹き出す。
「ルナが彼氏とかあり得な……ふっ……!」
「なっ……僕だってサナちゃんが彼女とか絶対ヤダ! 考え方重いし! そのくせ浮気するし!! かっこつけだし影響されやすいし!!!!」
「は? 私の事そんな風に思ってた訳?」
腹を抱えて笑い出したサナに、ルナが喧嘩腰で言い返す。双子が始めた喧嘩に、店主は慌てふためきながら割って入った。
「わわわ……ダメですよ喧嘩は!!」
「……ふん」
「……ちぇっ」
小さな子に仲裁されては二人も続けられず、お互いに背を向けてすね始める。しかし此処に来た目的は喧嘩ではない。二人は気を取り直し、女の子に問いだした。
「僕達はお客さんじゃないんだ、ちょっと君の事を聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
女の子は未だにニコニコ笑っている。
サナとルナの顔を知らない時点で、よそ者だという事は見て取れた。この街は古くから、双子の父親がサナとルナを守るように出来ている。この街の住人なら王の子の二人の顔を知らない者は居ない。
そもそも二人は大体の住民の顔を覚えている。彼女のことは知らなかった。
「君はどこの街から来たのかな? 名前は?」
「私ですか? 私はグリディア国のスターダー地区の出身です。 サキって言います!」
ルナはその言葉に、サナと顔を見合わせた。この国には、よそ者が入れないように魔法がかかっているのだ。許可を得て入る正門以外に無断で入ることは『人間』には出来ない。
「貴女、いつ頃ここにお店を?」
「うーんと、ひ…ふ……二ヶ月半ぐらい前ですね」
「この街に来るとき違和感は?」
「なかったですけど……」
サナはうーん、と唸りながら、ありえない事例に頭を抱える。彼女がこの街に入ってきた記録も、店を開くという届け出もなかったからだ。そして売っているものは謎生物……。
「私、『しきたり』の一人旅をしてて……大陸の方を目指してたんですけど……資金なくなっちゃって……」
「方向音痴?」
「そうみたいですね」
少女はえへへ、と照れ笑いをしてごまかした。サナは肩を落として深い溜息をつく。尋問されている事を理解してないのか、ただのお気楽ちゃんなのか、はたまたその両方か……。
「自己紹介が遅れたわ、私はサナ。貴女と名前が似てるわね、よろしく。こっちが双子の弟のルナ。秘書みたいなもんね。私はこの街の……うーん、町長とでも言っておこうかしら。普段はこの街に居ないんだけど、ちょっと野暮用でこっちにきたのよ」
「ちょ、何嘘言って……ゴブッ……!」
サナがルナの腹部に肘鉄を食らわせた。正体がまだわからない相手に安々身元を明かすほどサナは甘くない。長年、その身を追われて来たが故の知恵だ。その攻撃は見事、身長差が働いてみぞおちにヒット。ルナは崩れ落ちるように、地面に手をついた。
そうしてサナはさらり、とひとつの問題点を指摘する。
「ところで貴女、店の許可は出してる?」
その言葉にサキはびくりと肩を揺らし、唐突に慌てだした。
「ええっ……!? ごめんなさい、そうゆうの知らなくて……!」
「そうよね、来たばかりだものね。大丈夫よ。これ、申請書。必要事項を書いてサインをして、折りたたんでポストに出せばスタンプとか無くても私のところに届くから、一ヶ月以内に出しておいてね。まだ間に合うから」
「えっ、ありがとうございます!」
サナはサキの目線に合わせてしゃがむと、一枚の書類を取り出して手渡した。サキがにこりと笑うと、サナも優しい笑顔を見せる。地面に突っ伏していたルナはその顔を見て察する。
サナは小さい子にやたら甘い。女の子だとなおさらだ。誘導して個人情報を聞き出すという点では何も間違っていないが、そのついでに下心が見えている気しかしない。
考え直してサナちゃん。そいつモンスター売ってるんだよ。ルナはそう言おうとしたが、腹部に食らった激痛で息すらままならなかった。
「いつまでくたばってる訳? 帰るわよ」
「い、いや……君が、ゴフッ……っていうか解決してないけどいいの?」
しばらくすると話が勝手に終わったのか、サナがつま先でルナの頭を突いた。ルナは転げまわりながら、サナに当初の目的を告げる。
「なにが?」
「あの子、へんな生き物売ってるんだよ…?」
「……そうね、でも今すぐに刺激すると、逆に怪しまれそうな気がして……」
「本当にそこまで考えてる?」
ルナが送る白々しい目線を、サナはすすす……と避けるように足を進める。
「と、とりあえずは出店書類を見てみましょう。どんな仕事をするのかも書いてあるだろうし、出店禁止命令を出すにも申請されてないと出せないでしょ? 不審者かもわからないんなら、急激に動くのは危ないわ。私の正体だってさらっとは話せないわよ。見張るだけなら今からでも大丈夫でしょ」
「まあ、そうだけどぉ……」
店を後にする二人の背後で、その店から怪しげな光が漏れている事に二人は気づかなかった。
***
翌日、ルナは一人であの路地裏を歩いていた。それも、もう30分程歩いている。あの時『パンジー』を追いかけた時は、走っていたとはいえ10分も掛からなかったはずなのに……。昨日の今日で道を忘れるなんてことも、よっぽどじゃないと無いはずだ。
「な、なんで……? はぁ……サナちゃんも来れば分担できたのに……」
サナは昨日の夜で島の自宅に帰っていて、別口から彼女の事を調べているらしい。他の国の関門の履歴や故郷での噂などを検索している。なんとのんきなものだ……。何かあったらすぐ来てね、とルナが告げると「大丈夫」とだけ言っていた。何が大丈夫なのか。ルナには不安しかない。
「そういえば……『パンジー』は微量だけど魔力を感じたんだっけ……あー、昨日聞けばよかったのに!」
ルナは地団駄を踏みながら、昨日、サナに邪魔をされた事に腹を立てていた。こういう、対人関係に置いて回りくどい事は正直好きじゃない。違法ならさっさと捕まえてしまいたい。
「とりあえず魔力検知してみようかな……?」
使える魔法にもよるが、大体の魔族は微量の魔法を放つことで魔法の発信源を突き止めることができる。ルナはこれが苦手な分野だったが、道に迷った時や、人探し……特にサナを探していた時にはたまに使っていた。魔法使いにしか分からない神経に意識を集中させ、静かに、静かに……街全体にレーダーを巡らせるような気持ちで、魔力を放つ。
自然に紛れる魔力をふるいにかけながら、昨日と同じものを探していった。幸い、この街に住む人達の中にはあまり、魔族はいない。元々この土地には魔族がいなかったが、前国王、サナとルナの両親が来て初めて「魔族が居る街」として発展したからだ。
港などにいる漁師には能力者もいない事はないが、大体対岸に籍を持つ者ばかりだ。もう漁の時間は終わっている。皆この街を出て帰っているはずだ。……まさか彼女は海から……? いや、旅の途中だって言ってたし、まさかな……。
「……待てよ……?」
はっ、とルナは集中をやめ、頭に霞んだひとつの考えに辿り着いた。
「この街に入れないのは人間だけ……という事は、あの子が人間なんて保証はひとつもない……?」
途端、ルナの腕に巻かれた通信端末が、けたたましく着信を知らせる。その連絡先はサナだった。ホログラムにサナの名が浮き上がり、音声通信である事を知らせるアイコンがくるくる回っている。
「サナちゃん!」
「ルナ、私はとんでもない事を見落としていたようだわ」
「偶然、僕も今思った」
さすが双子と言うべきか、特に通い合わせてはいなくとも考えは似通るらしい。
「サキの出身地のスターダー地区は能力者の里と呼ばれるほどの魔法の町らしいの。将来的に魔法に関する教育の先駆けも計画されている一方で、まだまだ「人間世界の魔法使い」には疎い。文化の差だけなら、国の外は海外みたいなものね。」
サナがペンを机に叩きつけている音が遠くに聞こえる。イライラしているのだろう。ちょっとだけ早口になっていた。
「やっぱり、あの子は魔族なんだね?」
「可能性は高いわね。あの生き物も魔法の産物だから微量の魔力を検知できたのよ……それもただの能力者じゃないから、なんらかの原因で魔力を拾いづらいのね」
サナはため息をついて、椅子から立ち上がるような軋みの音を鳴らす。ルナもなんだかサナの逸る様子を感じ取ってしまい、つま先を道路に擦りつけた。
「お店の書類、こっちに来たけどやはり花の事しか書いてない」
「って事は……」
答えは大体分かっていた。しかしまだ疑いのほうが強い。サナの深呼吸の後に……思い通りの答えは返ってきた。
「あの生き物は『花』よ。魔法で形を変えられた、ね」
***
とりあえず、元からあった正規の花屋から、ありったけに花を購入してみた。思い当たる変形や幻想、幻覚の魔法をかけてみる。しかし花がモンスターになるなど、不可能に近い。犬にしたきゃ犬になるし、種類を変えようとすればチューリップはひまわりになる。
「うーん……これはあの子の頭がおかしいのかしら……」
「言い方……」
この世界の魔法とは、大体がメンタルとイメージで成り立っている。精神的な安定がなければコントロールが難しく、訳の分からないままに使っては形にならないのだ。
サナの言うことは間違っては居ないのだが、大分失礼な言い方にルナは冷や汗をかいた。サナは本音が漏れると口がすこぶる悪い。サナだってしょっちゅうトラウマとかなんとかで魔法をコントロールできなくなるのだから、コントロールだとすればおあいこだ。
「それに、お店に辿りつけないっていうのもおかしな話ね」
「それは現象として? それとも僕が?」
「………。」
「なんとか言ってよ」
サナは手に持っていた花を投げ出すと、オーマイガーのサインで肩をすくめてソファに寝転がった。
「とりあえず、明日も行ってみてくれる?」
「サナちゃんも来てよ、一人じゃ探しづらいよ」
なんだか仕事を押し付けられている感がある。ルナは少し拗ねながら、サナの服の裾を引っ張ってゴネた。サナはごろり、と背もたれの方に顔を向けて寝返りを打つ。
「嫌よ、あれに襲われたくないし」
「一方的にびびってただけじゃん……」
サナはひとつあくびをして、チッと舌打ちした。その態度に今度はルナが肩をすくめる。しかしすぐ、サナの行動に違和感を感じて体勢を戻した。ルナが突如として訴えを引いたことにサナは不思議そうな顔をして、またあくびをする。
「あれ? サナちゃん、眠いの?」
「うん……ちょっと……寝てていい……?」
珍しくサナがうとうとしている。よほど眠いのか、頭がふらふらしているのがわかった。
「いいけど……また、寝てないの?」
サナは夜中にうなされることがよくある。それがつらいのか、魔力で体力を補って倒れるギリギリまで眠るのをガマンする癖があった。一度眠ると起きないので、大事なことがあるときはちゃんと眠るようによく言っていたのだが。
「いや、ちゃんと寝てるん……だけ……ど……ね………んん…………ん………」
「大丈夫……?」
どうやら起きていられないようだ。話している途中でも、段々と意識が遠のいていくサナの背を、ポンポンと優しく撫でる。
「色々あったから……ね……きぃちゃんのとこ、直しに行かなきゃとも、思ってはいるから……忙しい……のが、きてる……のかも……」
「そうだね、今日は色々考えすぎたのかも。ちょっと休んでていいよ」
「う、ん………」
そう言うと、すぐにサナは寝息を立てはじめた。珍しい彼女の寝顔を見て、頬にかかる髪を静かに避けてあげる。
「ん……」
くすぐったかったのか、小さな声を漏らしたが、起きる気配はない。
「なんだろ……なんだか嫌な予感がするな……」
普通の光景のはずなのに、違和感を感じるのはなぜか。ルナはぐったりと眠ったままのサナを眺めつつ、胸騒ぎを押し込めるように深呼吸した。
***
翌日、今度はお店に辿り着いた。それもまた『パンジー』を追いかけてだ。サキはにこり、と軽く会釈をすると、ルナの元にまっすぐ駆け寄ってきた。
サナからは「あくまで慎重に接すること」と釘を差されていて、ルナは妙に緊張してしまう。サキはキョロキョロと当たりを見渡してから、あいさつをした。
「ルナさん、おはようございます! 今日は町長さんと一緒じゃないんですか?」
「おはよう、サキちゃん。 サナちゃんは今日は来てないんだけど、どうかしたの?」
「ああ……いえ、なんでもないです!」
やっぱりサナちゃんを狙って来てるのか? ルナは疑いが百パーセントで彼女を睨むが、何故か見透かせない。
心を読むことだってやろうと思えばできるはずなのに、何も感知出来ないのだ。
(生体的な反応すらほとんど汲み取れない……この子は……生きているのか……?)
「ルナさん? どうしたんですか変な顔して……?」
「えっ、あっ……いや、なんでもないよ!」
ああ、取り繕うのが得意なサナの事が、今は羨ましい。動揺したのが隠せなくて、ルナは不覚にも悔しくなった。
いっそここでもう何をしに来たのか問い詰めたいぐらいにじれったい。嘘をつくのは大得意なのに、こんな些細な演技は下手くそになってしまう。
「あ、あの……よければうちで休んでいかれては……?」
「え?」
どうやら具合でも悪いのかと思われているらしい。サナちゃんじゃあるまいしそんな事……と思ったが、家宅捜索のチャンスだ!
「あ、うん、じゃあちょっとお邪魔しちゃおうかな?」
「どーぞどーぞ! あ、パンジーが散らかしてますけど……」
「構わないよ、僕もよく散らかしちゃうから、パンジーと同じだね」
……な訳あるか。と内心悪態を零す。僕も大概、性格悪いな。まあ、あの姉の弟なら仕方ないけど。さっきからサナちゃんの事ばっかり考えてるぐらいには、いまここにサナちゃんが欲しい。助けてくれ、サナちゃん。急展開すぎる。
ルナは冷や汗をかきながら、天には祈れないのでサナに祈った。が、サナからの何かはあるわけもない。今さっき言ったとおり、性格の悪い人なのだ。知らないふりでルナの感情を閉めきっているか、感づいていても笑って見物しているに違いない。
今この状況をサナが見てたらいいのに……とルナはふっと考えて頭を振った。
あー、でもそもそもの単独行動理由が、サナちゃんに何かあったらやばいから、って事だったっけ……そりゃ来ないよねー……。ルナは心の中で、一人でこなさなければいけない現状に酷く落胆した。
「あっ、あっ!! ちょっと片付けるんで見ないで下さい!!」
「え? 大丈夫だよ……?」
「いやっ!!!! 恥ずかしいので!!」
気を取り直して部屋におじゃましようとすると、唐突に始まる部屋の片付け。女の子ってなんかこうゆうとこあるよね。サナちゃんにはないけど。またサナちゃんの事考えてしまった……。
「あ、あの……どうぞ……まだ全然綺麗じゃないですけど……」
「いやいや、おかまいなく」
数分後、何故か正座で部屋に招かれた。お店の奥にリビングとキッチン。奥は洗面所だろうか。こじんまりした住居スペースだ。部屋にたどり着くまで、5歩ぐらいで横切った店内スペースには、外から見えるショーケースに花。見えない部分に積まれたペット用キャリーケースにあの謎の生き物が……5匹はいるだろうか。
いやいや、これ花屋の光景じゃないって。今日になって店頭に、手書きでフラワーガーデンとか書いた紙貼ってあったけど。
これは素直に「花屋じゃないよね?」って聞くべきなのだろうか。それとも洒落が効いた感じに「君の故郷の花屋って愉快なものを売ってるんだね」とか……?大丈夫だ、僕は悪魔。言葉巧みに言い回すのは得意な生き物。
「ねえ、サキちゃん」
「はい!」
無理だ!! ルナは内心でそう叫んだ。
いい笑顔でルナの声掛けに応える彼女を見ていると、何故か聞けない。なんかこの子、隙がないのだ。なんでだろう。僕に集中している、というか……。警戒、にしては敵意を感じない。けど、とにかく僕をめちゃくちゃ見てくる……。
「……旅費稼ぎしてるんだってね、調子はどう?」
「あー……実はリピーターさんが全然来なくて……」
「そ、そうなんだ……なんかお客さんに言われたりしてる?」
してるだろうよ。あんなに苦情来てるんだから。
「いえ、なにも……結構宣伝して歩いてるんですけど、皆、ここの事知らないみたいで……二回目来てくれたのはルナさんだけですよ!」
「え……ああ……それはパンジーが案内してくれたんだよ……僕も一度来ようとしたんだけど、道が分からなくて……」
「そうでしたか! あんまり道は複雑じゃないと思うんですけどねえ……ありがとねパンジー!」
ルナはにこやかな顔をするが、その評定にほんの一パーセント程、驚愕を隠せなかった。あんなに皆怒ってるのに道がわからない? 知らない?もうこの花屋だけ、時空がネジ曲がってでもいないと無茶な話。
(時空がネジ曲がってる、か……)
しかしルナはその感覚に思い当たるものがあった。このお店に入ってから、なんだか違和感を感じるのだ。人のいる場所には感じない雰囲気……この世の物じゃないような空気を感じる。
ルナにとって違和感を感じないことが違和感なのだ。
(まるで、魔界か、妖精界にでも繋がってそうな……魔力を感じる……)
ルナは彼女の部屋を見渡す。彼女はどうやらお茶を淹れにキッチンに行ってしまったらしい。パンジーも店先で日向ぼっこ中のようだ。
密かに魔力を解き放ち、魔力に反応する異界のものが無いか探してみる。でも反応は……パンジーにのみ。先に感じ取っていたものだけだった。見た目にも、よく片付いた女の子の部屋。魔法的なものは感じない。能力者の街出身ならば、人間でもひとつは持ってそうなものだが……
(とりあえず能力は関係してる、普通の人間でないのは確かだな……)
とりあえず、ルナの勘はそう結論を出した。問題は、能力者なのか、魔女から魔法を買った人間か、魔物か、魔法をかけられた何かなのか……。魔法を発するものか、かけられたものか、だ。
ルナが考え込んでいる間に、サキはコーヒーを手にして戻ってきた。
「お、お口に合うかわかりませんが……」
「いえいえ、ありがとう」
一応、コーヒーに何か入っていないだろうか、魔法で調べてみる。純粋なコーヒーだ。砂糖すら入ってない。
ブラックコーヒーって久々だなぁ……サナちゃんといると飲む機会ないんだよね。苦いのダメだから。
ルナはありがたく一口啜って、顔を上げた。すると、サキが眉を寄せてド正面に座っている。ルナは思わず驚きで吹き出しそうになった。まさか女の子の顔にコーヒーを吐き出すわけにもいかないので必死で止める。ナイス紳士、僕。
「……ど、どうしたの? あ、これ美味しいよ? サナちゃんコーヒー飲めないからさ、一緒に行動してるとどうしてもね」
「あ、なら良かったです~」
味でも気にしているのかと、感想を述べるとサキの顔色は元に戻る。
しかし、出てきた言葉はなんだか嘘っぽかった。
(……魔法使ったのがバレたのか……? 能力者だったら分かる人もいるけど……)
ルナはその様子にまた迷う。思考を読もうとすれば読める。けど、相手が能力者かも分からないのなら止めておいたほうがいい。なんだか、かなり怪しまれているようだし、下手に出ると危ない。真意が見えないのなら尚更だ。今日はおとなしくしていよう。
ルナは正座していた足を崩し、足元に来たパンジーを抱きかかえてみた。
うーん、それにしても恐い。これ買った人、なんで買ったんだろう。苦情の前に買わなきゃ良かったんじゃない?
「きゅぅん」
「あ、ごめんね」
の、くせに鳴き声はいっちょ前にかわいい。行く手を阻まれたパンジーは、不満そうに鳴いた。鳴き声は犬だ。
「パンジーも早くお客さん決まるといいね~」
その発言ちょっと響きが良くないな……と思いながら、ルナもそうだね、と軽く同意しておいた。
「ルナさんいかがです?」
「あー、ごめん、うちの城……じゃないや、役所は………ダメなんだよね」
「そうなんですかぁ……」
いやこれ、動物って表現していいものなのだろうか? とりあえずぼかして表現してみたけれど、結果は出ない。これぐらいは思い切って聞いてもいいよね?
「あのさ、サキちゃん……」
「はい?」
うっ、聞きづらい。なんでこんな自信満々に笑っているんだこの人!
ルナはコーヒーを飲み干し、ワンクッション置いて口を開いた。普段は平気なコーヒーが苦く感じる。普段は嘘もペラペラ喋れるのに、なんで今回に限ってこんなにタジタジなんだろうか。なんだか、サキの目線がいちいち恐い。なんか読まれてるの? 子供とは思えない目線でじろじろ見られてる……。
「この子……なんて……種類なの?」
「パンジーです!」
「名前じゃなくて、その……何科何目的な……」
そう言うと、サキは目を見開いて肩を上げた。すぐにテーブルの下から取り出したのは、植物図鑑。やはりこれは植物のようだ。
「えーと……スミレ科スミレ属キントラノオ目……です!」
ドヤ顔するサキに、ルナは心の中で頭を抱えた。どうしたらそのスミレ科スミレ属キントラノオ目はこのようなものになるのだろうか、と。
「あの……えっと、その」
「……?」
そのままルナが何も言わないでいると、サキは急にしどろもどろになって言葉を続けようとしていた。ルナはそのまま言葉が出るのを待つ。
「新種のお花の形なんですよ?」
「ふ、ふうん……? ソウナンダ……」
言い訳くさい言葉が出てきたが、その必死に隠そうとする態度にツッコミを入れることが出来ず、思わずルナはイエスの返事をしてしまった。今日はもう聞き出すことは難しそうだ。
「サキちゃん、おじゃましてごめんね、そろそろ僕戻らないと……」
「大丈夫ですか? さっきより顔色悪い気がしますけど……」
なんだかヤバい事を聞いてしまったルナの顔色が悪く無い訳はない。ルナはその顔色をごまかすようににこりと笑い、立ち上がった。
が、次の言葉にルナの足は止まる。
「町長さんがさせてるんですか?」
「ん? サナちゃんがどうかした?」
「町長さんがルナさんを一人で仕事させてるんですか?」
予想外の質問に、ルナは目を丸くする。は? サナちゃんが僕を一人で仕事させている? まあ間違いではないけど、どういう意味だ?
「いつもルナさんひとりで街を回っているように見えるんですけど」
「え……いや、サナちゃんはサナちゃんで分担した仕事をしてるし……他にも仕事をしてる人はいるから……僕が偶然今こうして歩いてるだけで……」
その返答に、サキの目つきが険しくなる。
「じゃあ、出歩いているのはルナさんひとり、という返答でよろしいんですね?」
「ど、どうしたの、サキちゃん……?」
異様な食いつきに、ルナは思わず一歩二歩下がった。その反応に、ようやくやり過ぎた事を認識したのか、サキは慌てて頭を下げながら身を引く。
「す、すみません……ルナさんひとりに体力的なことを押し付けられてるのでは、と心配になってしまって……」
「ああ、そういうことか……お気遣いありがとう。でも僕は平気だよ。男手があまりなくてね、こうゆう事は僕が進んでしないと……」
ルナは内心驚いた。自分を心の底から気遣う相手なんか今まで居なかったからだ。いつでも心配なのはサナで、周りもサナばかりを心配して、ルナも自分の心配なんかしてこなかった。サナのことを言えないぐらいに。
……サキは、怪しいのは変わらないけど、心優しい少女ではないか。
と、思うと同時に、彼女がサナにほんのちょっとだが、嫌悪感を示しているのが感じ取れた。この街の住人じゃない彼女は、サナの嫌われ体質にやられているように見える。これでは、サナを近づけるのはやはり危険だ。
「僕も、サナちゃんも、したいことと、できることをちゃんとやってるから大丈夫だよ」
ルナは部屋を出ながらサキに、そう念を押す。彼女の心のどこかにその言葉が引っかかることを願いながら優しく呟いて店を後にした。
***
ルナは文字通りに飛んで帰ると、サナに今日あったことをすぐに伝えた。サナが高みの見物をしているのではと疑った点から、本人が「花の新しいかたち」と表現したところまでだ。
ただ、サナの事を嫌っていると思われる点だけは話さなかった。サナが怯えてしまっては今後に関わると思ったからだ。幸い、まだサキの理性が勝っているのと、サナが自ら近づこうとしていない点から、今すぐ何かが起きそうにはないので、まだいいだろう、とルナは判断する。
「確実になにかタネがあるわね」
「花だけにね……」
サナはルナと向い合ってテーブルに座って、上手いことを言っただろう、という得意げな顔でそう返した。
「まあ冗談はさておき」
「じゃあ言わないでよ……ツッコミに困るから……」
「いいでしょ、別に……。とにかく、怪しいわね……ごめん、もう少しだけ見張ってて欲しいの」
「うん、もちろん」
サナは少し申し訳無さそうな顔をして頼み込んだ。もちろんルナは頼まれる前からそのつもりだ。強く頷く。
その後はサナと軽く夕食を取って、ルナは自分の部屋に戻る。部屋の電気を点けると、机の上にはごちゃごちゃの資料。いじり途中で放置した通信端末。なんだか今日はいじる気になれず、ベッドの上に身体を放り投げる。
どうやら昼間に来ていたハルトがシーツを変えてくれたようで、パリッとノリの効いた、シワの伸びたベッドは心地よかった。
「………。」
どうしようか。ルナの本心から言えば問い詰めたいのが本音だけれど、サナの安全も確保したい。なんだか調子が良くなさそうなサナをひとりにしておくのも気が引ける。でも放っておくことは出来そうにない。
ただ、嫌な予感はまだ続いている。何故だろう。まさか予知能力にでも目覚めたわけでもない。予知なんかしていたら、よっぽどの意志の強さを持たないと一日足らずで魔力が付きてしまうだろう。
くだらない事をぼんやりと考える。気づけば、ルナはそのまま眠っていた。
翌日、少し寝過ごしたルナは、普段より遅い昼過ぎに花屋に出向いた。つもりだったが、やはり花屋に辿り着かない。路地裏とはいえそんなに複雑な道ではないはずだ。毎日飽きるほど通っているのだからそろそろ道だって覚えてもおかしくない。
「パンジー……? いるかーい……?」
またパンジーを追って辿り着いたらいいか、と思ったが、今日はどうやらパンジーにも出会えないようだ。
「……どうしようかな……」
こうなるともう確実に、「詰んだ」状態になってしまう。
『ルナ』
「わっ……びっくりした、サナちゃん?」
呆然と立ち尽くしていると、ふと頭に響く声。サナだ。魔力を伝ってルナに声を届けている。
「どうしたの?」
『今向かってる方向から、左に曲がって3件目』
「は?」
片耳を塞いで耳をすませば、サナは瞬時に理解できない言葉を吐き出した。
「歩いてきて、こっちに」
「え? ここから左に曲がればいいの?」
「そう」
言われたとおり足を進めれば、3分足らずで見慣れたレンガの壁に出会う。サナはそのドアの前で腕組みをして立っていた。
「は、花屋だ……」
ルナは目の前の花屋を見上げて愕然とした。こんなに近くにあるのに分からないなんてことがあるのか。
「ここらへん、方向感覚がおかしくなる「何か」があるのよ」
ルナに歩み寄りながらサナがそう呟いた。
「何か? 魔力じゃなくて?」
「分からない、魔力だと思うんだけど……感じる?」
「感じない。」
ルナはゆっくりと首を振った。そして壁に寄り掛かるサナを見て、疑問に思う。
「サナちゃんなんで先に? 来ないんじゃなかったの?」
「ちょっと、嫌な『予感』がして。前は開いてたのに、この時間……閉まってるでしょ?」
「本当だ」
サナが指差したドアにはクローズの札がかかっていた。物音がするのを見ると、中に人はいるようだ。
「入ろうか」
「先にお願い」
「分かった」
ルナは静かにドアを開ける。すぐ目の前にサキはいた。店内の電気は消えて薄暗い。目の前には植物ローソクがあり、サキはガーベラを両手で握りしめていた。ローソクの炎に花をくぐらせると花が燃え……足元で灰になって……猫のようなものになった。それは明らかな……魔法を組み合わせた手法。魔術だった。
「サキちゃん!!!」
ルナは思わずその姿に、忍ぶ事を忘れて叫ぶ。サキはこれ程に驚くか、と思うレベルでぎくりと肩を跳ねさせた。
「ルナさん!?!?」
サキは慌てて立ち上がる。がたん、と折りたたみの椅子が床に転がった。
「今のは……」
「あっ、あの、その……手品、みたいな」
慌てるサキ。思わず猫のようなものを抱き上げて、後ろ手に隠した。
「魔法、使ったね?」
険しいルナの言葉。サキの目が見開かれ、みるみるうちに顔色が悪くなっていった。
「花で動物化させて販売する。元は花だからすぐ枯れて死んでしまう。場所を分からなくして苦情を避ける……ってところかな?」
「え!? ちがっ……あのっ……私っ……!!」
サキはどもりながら弁解をしようと手を振り回した。ルナはその腕を掴んで、サキにじりじりと近づく。
「その花でどうするつもりだったの?」
「ルナ! 落ち着いて、決めつけるのは良くないわ……話を聞きま……」
慌てて棘のある言い方になってしまったルナの肩を、サナは静かに引く。ショックを受けたサキを落ち着かせる為にも、ルナの前に立った、その時だった。
「!?」
サナの腕に絡まる、花の茎。舞う花弁。花が生き物となり、サナに襲いかかった。
「サナちゃんっ!!」
慌ててルナが風を起こし、目の前の花を散らす。サナを引き剥がそうとするが、ルナは魔法の制御ができない。サナを守りながらも、サナに取り巻く花だけを退ける方法がなく足を止めてしまった。
「ルナ、私はいいから、サキを……魔法の暴走よ、本人の身が危ない」
「……っ、分かった」
しかしサナは、まるでこうなるのを予測したかのように、冷静にルナに指示をする。
植物の制御はサナの方が得意なのだ。大体の動きは読めるのだろう。魔力もサナの方が強いはず。ルナは渋々手を引く。サナはルナが離れてすぐ、片手を広げると、自分に向かってくる花弁を止めてみせた。
「……まだ、いけるわね」
押し返すように手のひらを向けると、花弁はさっきとは逆方向、花瓶が並んでいた方向に向かい、その勢いで花達を切り裂く。サナの得意な魔法の一つだ。追われた時、森の中に隠れ……木の葉で繰り出せば有利になる。
「これで動きは封じられ……」
花の動きは止まり、サナは安心したようなため息をつく。切り裂いた花が舞い上がる中を掻き分けて、サキの元へと一歩進もうとした、その時だった。
「……っ、ぐあぁっ!!」
「サナちゃん!!」
サナが切り裂いた花が形を変えてサナに取り巻く。サナはその勢いに突き飛ばされ、花屋の壁に叩きつけられた。ルナがサナに駆け寄ろうとするが、まるで龍のような姿になった花は、ルナの行く手を阻む。
「ゴホッ……ごほっ、な、何……? 効いてない……!?」
サナは叩きつけられた勢いに息を止められ、反動で咳き込みながら状況を確認する。花は素早く元に戻ったように見えた。となると、サナの魔法は効かないのかもしれない。
「くそっ……どうすれば止められるの……?」
そうする間にもサナに花の魔の手が忍び寄る。サナは応急的にバリアを連続するが、魔法が効かないのではすぐに破られる。サナのすぐに尽きる魔力では、何度も魔法を使うことはできない……。それに今は……あまり魔法を消費できない理由がある……。サナは悩んだ。
「いちかばちか……ってとこか……」
サナは武器の剣を取り出すと、構えて呪文を唱え始めた。旧式の魔法の呪文だ。サナが普段使う現代魔法は、魔力をそのまま使って事を成す。その為に、魔法に名前はあっても、それを唱えるための呪文はいらない。旧式魔法は魔力が少なくていいかわりに、周囲の魔力を集めるための呪文が必要だ。
「我、聖に捧げし者……立ち塞がりし木々に業火を打ち込め!!」
サナは剣に魔力を込めていく。その魔力を吸い取るのは、サナを襲う花たち。
「これでどうだ!!!」
サナは剣をぐるりと振るうと、その延長線上、魔力の勢いで花を散らす。その花が元に戻らないよう、サナは新たな魔法を発動した。その方法は……歌だ。
『咲き誇れよ花 どんな罪も色に変えて 枯れる運命だとすれば ならばそれを 私が連れだそう……』
歌いながらサナは向かってくる花達を散らしていく。今度こそサナに切り刻まれた花が動かなくなり、元の花へと戻っていった。
まだ暴走していないショーケースの花は念の為に動きを止める。サナの魔法のせいで、あの猫のようなものとパンジーが巻き込まれてしまったのは、もう仕方がない、と思いながらも悔しさにサナは軽く舌打ちをした。
***
シーンとした花屋の中、ルナに抱きしめられたままサキはガタガタと震えていた。花弁やリボン、花瓶の水……ぐちゃぐちゃの床にペタン、としゃがみこんでいる。
サナは静かに近づく。サキの目線に合わせ、汚れるのも構わずにしゃがみこんで優しく静かに声をかけた。怒られるのかと思ったのだろうか、サナの声と同時にサキの肩はびくりと揺れる。
「サキ……貴女、能力者ね……どうして、黙っていたの?」
「う……うぅ……」
サキは申し訳無さそうに声を漏らすと、ルナの腕の中からゆっくりと顔を上げた。
「私の街以外の……能力者って、世間的にどういう認識なのか……解らなかったので……すみません……お二人が能力者だって知らなかったし……能力者だってバレたらどうしようって……」
「……貴女の街には、外の世界の情報は入ってこないの? 魔法についての知識はかなり入ってくると聞いたけれど、外の世界に能力者が居ることは……」
サナはそう言うと、サキに手を伸ばす。驚きにびくりと肩を揺らしたサキの頭を撫でた。もう片方の腕は、ルナに軽く触れている。そのタイミングでルナはサキを押さえつけていた腕を離す。魔法はもうすっかり止んだようだった。
「私、魔法が……下手くそなんです。でも、故郷ではそれが「天才」の証として……私、見世物にされてて。周りが、なんていうかとても賑やかだったから、普通の人が手に入れられるような情報は貰えなかったんで。私、魔力の周波数が乱れていて……魔法を使い続けていれば治るそうなんですけど……故郷じゃ、珍しくなくなる、って、魔法を使うのが許された環境じゃなかったから結局慣れなくて。結局逃げ出して来ちゃったんです、準備のひとつもないまま……最初はお花を枯らせないようにしたかっただけなんです……ここ潮風が強くて……でも、能力者ってバレたらどうなるか分からなかったから……魔法を失敗したのを隠したくて……」
サナは小さなため息をついた。
「なるほど、こっちが場所や魔法かどうか、検知できなかったのは周波数が違うからなのね……」
「僕も、たまに周波数おかしくなるよ。もしかして、君の血縁者に悪魔はいる?」
「ああ……はい、おじいちゃんが悪魔でした」
サキは首を傾げつつ、ルナの質問に答える。ルナとサナは顔を見合わせた。
「悪魔の血統が魔力の根源の能力者には、乱れが見られるらしいわね……でも、使うだけじゃ治らないわよ、慣れる事は大事だけどね」
サキはサナの言葉にしゅんとうなだれる。ぽろぽろと泣きながら、スカートの裾を握りしめて、細い声で呟いた。
「……私だって、皆とおんなじ魔法を使いたかった……私、天才なんかじゃないんです、皆みたいに空飛んで……ぐすっ……」
サナもその言葉に釣られて眉を寄せる。望まない力ほど辛いことはない。サナにはよく分かる。
「……ごめんなさい、サキ……攻めるような事ばかり言って……私も……分かるわ」
サナはそう言って、静かにサキを抱きしめた。
「私は、魔力が強すぎてね……居場所が無かった……とても苦しかったわ……」
もしも、サナとルナに強い魔力がなければ、二人は二人じゃなかったし、サナはひどい目に合うこともなかった。サナは何度もそう思っていた。サナはサキの背を叩きながら、泣き出すサキの姿を自分の過去と重ねあわせる。
「辛かったね、もう大丈夫よ」
「……ほんと、ですか?」
サナはサキから離れ、もう一度だけ頭を撫でた。
「ルナ」
サナはすくっ、と立ち上がり、サキを親指で指差した。サキは涙目でサナを見上げて、ぽかんとする。
ルナは険しい顔でサナを見つめた。
この合図は、サナとルナの二人の間で、『記憶を消そう』という合図。サキが違法花屋をしたこと、魔力暴走させたこと、見世物だったこと……そして揺らぐ魔力。それを消せ、という意味だった。
ルナはサナとサキの表情を見比べる。サナの目は本気だった。サキは辛そうに涙を流したまま。忘れたほうが、確かに楽かもしれない状況だった。
魔力は、精神に影響する。見世物にされた記憶がなけれな、ぐんとサキの記憶は安定するはずなのだ。しかし、幾度とサナの記憶を修正したルナには一つ不安があった。
サキが何かのタイミングに、偶然記憶を思い出せば……今より苦しむんじゃないだろうか。サナは今でもフラッシュバックで、倒れたり寝込んだり……苦しんでるのは一目瞭然。それと同じ状況に……サキを置けるのか。ルナはもう一度サナの顔を見た。
サナも少し眉を寄せて、同じ面持ちでいる……覚悟の上なんだと分かると、ルナは自然にサキに近寄った。
一度振り返る。ルナは静かにサナに向かって頷くと、サキの頭に静かに触れた。どうせ忘れること、説明はなしに。
サキは状況を理解しないまま、ルナによって眠らされる。ふつうの能力者としての明日を迎えるために。
***
翌日、いつものように早起きして……あ、と一言。ルナはマヌケな声を漏らした。もうサキは、普通の花屋になった。見張る必要はないのだ。この早起きに意味は無い。
なんとなく睡眠時間を無駄にした気がして、綺麗なシーツのうえでしばらくぼーっとしていると、トントン、と遠慮がちなノックの音がする。
「……ルナ?」
サナの声だ。いつもの強気な態度ではない事に気が付き、その訳にもなんとなく察しがついた。ルナはサナを怯えさせないように明るく返事をしたつもりだったが、喉から出たのは低い、単調な声だった。
「どうしたの、サナちゃん」
「おはよう、あの、起きてこないのかな……って、ごはん……」
こうしてサナの言葉が幼くなるときは、不安を覚えている時だ。どうやらルナの態度に恐怖を抱いているように見える。こういう時のサナは、ちょっとした事で泣き出したり、怒りだしたりしてしまうので、ルナもなんとなくピリピリしてしまう。ルナはベッドから飛び降りて、ドアに向かった。
ドアを開けると、手を祈るようにぎゅっと強く握りしめ、困ったような顔をしたサナが立っていた。
「サナちゃん、手」
「あ……ごめんなさい……」
サナが不安になるとやってしまう癖。祈る手の形。神を敵とする二人にとっては、縁起の悪い仕草だった。
ルナはその姿を、ピリピリしたままの声でピシッと注意して、サナが姿勢を正すのを確認してから、ドアの前を塞ぐサナの横をすり抜け、洗面台へと向かった。鏡に映るルナの表情は、明らかにイラついている。
それがサナの態度に対してなのか、昨日の自分の行動に対してなのか……ルナは自分自身が解らなかった。しかし天秤にかければ、比重が重いのは昨日のこと。
サキの記憶を消した、そのことだった。
ルナは考える。
難しく考えてしまうときは、最初から辿って考え直して、シンプルに整理するのが彼の癖だった。
あれは……結論からすれば、仕方のない事だ。あの魔力では、こちらだってコントロールできない。街に何かあったら、大変なのはサナだ。サナを守るために仕方のない事で、サナだって決心して言ったはずだ。
ルナはため息をつき、冷たい水を顔に叩きつけた。仕方のないこと。頭では分かっているんだけどな。もっと、何か出来たのではないか……それがルナの気持ちを重くしていた。
サナだってあの様子じゃ、気分よく解決しました! という雰囲気ではない。関わりこそ少なかったとはいえ、魔力のことについては同情する程に気にかけていたんだ。心配なのはサナも同じ……。
……あれ? そういえばサナちゃんって、どうしてあの時、僕より先に花屋にいたんだろう?
まるであの騒ぎを分かっていたかのように、僕を導いていたような……。
***
食事中も、その後も、ルナはどことなく不機嫌そうだった。
はぁ、とため息を吐くルナを見ていると、サナはあの時、指示をしたことを後悔する。せっかく、サナを守ることばかりを考えて生きてきたルナが、友達になったみたいだったのに……余計なことをしてしまったのかもしれない。
勿論、サナだって考え抜いて出した、苦渋の選択だった。
サキの行動を、魔法で監視して、行動パターンを読んで、一日中監視して、分かりきった状態で……彼女の為を思って出した答えだった。
確かに後々、苦しむこともあるかもしれないけれど、毎日苦しむよりずっといいと思った。思ったけど……同時に、奪ってしまったものもあった……それは事実で。
過去に受けた仕打ちの数々が身体に響き、一度でもやったら命が危ないと分かっていても、サナはサキの監視の為に……能力者には到底無理と言われている、『予知』魔法を使ってしまった。
おかげでサナの魔力はもうガタガタで、少しでも「ゆらげ」ば、命に関わるだろう。
だからこそ、もうコントロールできないから……ルナに頼んだ。サキの苦しみを遠ざけることを。
でも、それって、良くなかったのかも。ルナがどうしたいのか、聞かずにしてしまったのだから。
結局ルナに頼ってしまって……寄りかかってしまった……。
そう思うとサナの胸の中も重くなった。ただ、そんな顔をしたらまた悲しませてしまうから、サナは笑う。
その無理が、またサナの魔力を揺るがせてしまう事は、わかっているけれど……もうサナに、「助けて」を言う勇気はなかった。これ以上、ルナに迷惑はかけられない。
***
サキの記憶を消した、ほんの数日後のことだ。ルナはもう殆ど、サキの店を監視することへの習慣を忘れつつあった。早起きは必要ない。
普通の能力者に戻ったサキはもう、見ていなくても大丈夫。そう思うと、サキ本人の事は心配だったが、サキの元へ向かう事は自然に忘れられたのだ。
しかし、サナはまだ、ルナがサキの事を気にかけていると思っているようだ。
そのため、サナはずっとそわそわと様子が変で、疲弊したままでいた。そんなサナの姿にルナは首を傾げる。普段は考えの似通った二人。たまにすれ違う事を、ルナは忘れてしまう。それがサナとのトラブルになってしまうことも、今回は忘れてしまっていた。
まさか、気まずい思いをしているとは、ルナは思いもしなかった。
それでも、サナは気がつけば何時も通りに振る舞っている。住処がボロボロで困っているきぃの家に出向いたり、ハルトやシエルの手伝いをしたり、とサキが来る前の、普段と何も変わらない々がそこにあった。だから、ルナは忘れたのだ。
サナの悩みが、サナの胸の奥でひどく重い物になってしまう事を。
しかし、そんな偽りの日常が長く続く訳はなく、サナが島に張っていた結界が崩れた。サナの能力を狙う者が、結界を破ったからだ。それは普段なら絶対にあり得ないこと。警戒心と魔力の強いサナが、幾ら不意打ちとはいえ人間に負けることなんて殆どないはずなのだ。
サキの為に使った魔法で減った魔力を、ルナを心配するあまり弱ったまま……回復できていなかったのだ。……一言で言えば、タイミングが、悪かった。
そうして二人は戦う羽目になる。サナとルナは敵陣での戦いの上……サナを失うこととなった。
***
サナの死後のすぐ後だった。無駄に天気が良くて悲しくなってくる。ルナはまだ、サナが負けてしまったことに実感が湧かなかった。
ルナが出来たことといえば、死にゆくサナの身体を物理的に守って……敵ごと爆破された建物の瓦礫からサナの身体が埋もれないように守ることだけ。サナの命は守れなかった。むしろルナがいなければ、サナはもしかしたら手加減せず戦えたのかも分からない。
小さな頃からひとりぼっちでも、あれだけ足掻いて、逃げまわって、諦めないでいたサナ。ようやく静かに暮らせる……と思っていたサナが、あんなにあっさり死んでしまうなんて。
ルナはそのショックで、サナの身体と身の回りの片付けもそこそこに、ふらふらと街を歩いていた。
サナはこの街が苦手だったが、愛していた。綺麗に整備された道、住人たちが自由に過ごせる、縛られない、でも決して無秩序ではない制度。森の奥の港町、便利な場所でなはい。でも、誰も不便な思いはしていない……。そこらじゅうにサナの愛を感じる。この街で、サナと謎のモンスターを追っかけまわしたのだってつい最近なのに、なんだか遠くなった気分になる。
今、後ろから、ルナ、何してるの? なんてサナが出てきても驚かないぐらい、街はいつもと同じ光景でそこにあった。しかし、ルナのそんな考えを否定するのは、サナと離れたことによる身体への違和感だった。
サナが死んだということは、サナの魂は天国に戻ったことになる。元々一つだったサナとルナは、本来、同時に戻らなきゃいけないのだ。引き寄せられるような感覚が、身体中を走っている。
ルナもそのうちに天界に戻り……また神からの罰を受けるだろう。褒められる事は絶対にない、ルナにはよく分かっていた。ルナもやり残した事を済ませたら、すぐ向かうつもりだった。
先に亡くなったサナが、どんな仕打ちを受けているかと思うと、早く行ってやらねばと思う。同じ天使だというのに、サナにとって天界にいる天使は、敵。周りがみな敵とは、どれだけ心細いだろう。
しかし、ふらふら歩きながら、出てくるのはこの後の不安ばかり。
サナが、サナに、サナを……どうすれば、どうしたら……今度こそはサナを救えるのか。自分たちは許されるのか。
正直、ルナだって恐い。逃げ出してしまったら。サナはどうなる?募る不安がぐるぐると頭の中を回っている。
「あと何百年、僕らは彷徨えばいいの?」
ふと、言葉が溢れる。
「サナちゃんは、あと何回苦しめばいいの……?」
それは終わりの見えない罰への、率直な疑問だった。
サナは悪いことはしていない。ルナだってしていない。どうしてサナばかりあんな目に遭うのかわからない。どうしたらサナは救えるのかわからない。どうして自分はサナを救えないのかわからない。
なんで、僕は、サナちゃんを守りたいんだろう。
その目的すら、もう忘れてしまった気がする。
ルナはそんな意識を巡らせて、自分がどこにいるのかも忘れて歩いていた。
ふと立ち止まる。目の前には、あの花屋だ。
普通の花屋になっている。サキの姿は見えないけれど、恐らく花の手入れをしているのだろう、鼻歌が聞こえた。
上手いわけではないが、素朴で聴きやすい旋律。歌ったら恐らく、綺麗な声になるだろう。
妙に聞き覚えがあるな、と思うと、いつだかにサナがギターで弾いていた曲だったことに気づく。音楽に疎いルナは、それが流行りの歌なのかどうか分からない。サナが歌う姿を思い描いて胸が締め付けられた。それでも歌詞を覚えている。鼻歌に合わせて、唇だけ動かす。下手くそな歌は歌えない。ただ、口先だけで辿った。
『たった一人の魔法の夢を 悪魔さえ抱きしめて
忘れる事も全部消して あなたの中で持てるように包もう……』
鼻歌が止まって、ドアの閉まる音がする。作業が終わったのだろうか……
ルナはそのまま、店を覗く勇気も出せず……仕方なくため息を零してから、店を背にして歩き出した。
彼女には……関わらないほうがいい。幸せに、国民の一人として静かに過ごして、また旅をして欲しい。
そしてまた、どこかでサナや、サナのような旅人と会うことがあれば、二人で旅の話や花の話をしてくれたらきっと嬉しい。魔法で嫌な思いをしたことは、思い出さなくていい。
そのためにも、旅の邪魔になるような話は、これ以上しない方がいいだろう。本人には隠す気があるみたいだし、人の世の中で魔法の存在はまだまだ夢物語の時代。本人さえ黙っていればもう悪いことは起きないはずだ。
……サナのこともそうやって、見守るだけでいれたら……もしかしたら上手くいくのかもしれない。ルナ自身がサナを傷つけてしまうことも少なくなかった。ふと、そう思いついて、ルナは原因の分からない苦しさに囚われた。ぎゅう、と胸の奥が冷たくて重い……そんな感覚。
思わず胸元を押さえてみる。だめだ。なんでかは分からない。でも嫌だ。なんでだろう。サナの事が頭にちらついて、サキの事は溶けてなくなる。
「……サナちゃん、なにしてるかな。大丈夫かな……」
なんだか、考えてはいけない事だった気がする。サナを見ているだけなんて、出来ない。その苦しい心の中に気持ちを押し込んで、ルナは静かにその場所から立ち去った。そしてサナのいる天界に向かう。
***
サナ、ルナ30歳。 よく、20歳。 つばさ、16歳。きぃは30歳から……逆成長が始まったばかり。
サナとルナ。一度は元の一人の天使に戻った二人だったが、新たな罰を抱え、そしてサナが地上に戻る為に魔法を仕掛けていたおかげでまた街に戻ってくることができた。
そうして街の外れに小さな家を構え、この5人で始まった新生活。サナは他人と暮らすことに最初は抵抗こそあったものの、今では家族同然に自分が表立って皆をまとめていた。同率とはいえ年長者だからと率先する姿に、かつての怯えた姿はない。
特に、つばさの事はお気に入りらしい。スキあればベタベタと甘やかしているようだ。強がって見せることの多かったサナが、つばさと一緒にいる時はリラックスしているように見える。サナにとってはいい事だし、ルナにとっても微笑ましくて安心できる時間だった。
と、同時に、つばさとよくには能力者として、来るべき戦いに備え戦うことを教えなければならない。緊張した時間でもある。
サナはつばさに剣術や銃術などの、武器の扱い方を教えている。ルナはよくに科学や武道、魔法などを事細かに教えていた。そうなればよくは自然とルナに懐き、行動を共にすることも多い。というわけで、ルナとよくは、サナに頼まれた買い出し中……あの花屋の前を通ったのだった。
ルナは懐かしい屋根の色を目にして、あ、と一瞬思って足を止める。
「ルナさん?」
「あ、ごめんね、よくちゃん」
正直、存在を忘れていた。あれから何年経過していると思っているんだ。流石にもうサキは旅立っただろう。何なら故郷に帰っているかもしれない。
ルナは頭をぶんぶんと振って、いつかの習慣から逃れようとした。
ここが花屋なのは、居抜きでまた花屋をしたからだろう。
会ったら、どんな顔をすればいいのか分からない。
向こうは記憶を消されたことすら覚えてない。
僕はただの懐かしの客にしか過ぎない。
会ったってしょうがない。
思いを断ち切って顔を上げる。
いつもならシンプルに考えられるのに、なんだろう、サキとサナの事だけは、考えがぐるぐる巡ってしまう。
「花、買うんですか?」
「ううん、ごめんねよくちゃん、行こう」
不思議そうな顔をしたよくの背を追って、一歩……より半分、進もうとした。その時だった。
「……ルナさん?」
とっさに振り返る。店先から顔を出したのは……サキだった。
ルナは目を見開くと、緊張から動悸がひどくなる。思わず胸元を握りしめた。
もちろん向こうも大人になり、髪は伸びて、薄化粧が似合っている。
でも、サキだって一発で分かった。雰囲気は何も変わっていない。
「……サキちゃん……」
ああ、思い出す。この子の記憶を消したこと。それを後悔した事も。
あの前もあの後も、記憶を消した人なんていっぱいいたのに。
なぜか、この子のことだけは……思い出すと苦しい。何故だろう。
彼女は悪く無い、っていう罪悪感?
サナちゃんと重ねあわせて見ているから?
「ルナさん、知り合いですか?」
「ああ、うん、サナちゃんと共通の、古い……ね」
黙ったままでいると、よくがすかさずそう問う。
ルナは慌てて胸の奥の苦味をしまい、震えた声を我慢して返答をした。
「ルナさん、そちらは……?」
その空気に押されて、サキもよくについて問う。
ルナはどう説明するか軽く考えてから、手のひらをよくに指して紹介した。
「能力者友達だよ、鈴乃よくちゃん。 元旅人で、最近こっちに帰ってきて……えーと、ルームシェアしてるんだよ、僕と、サナちゃんと、親戚の子、あとよくちゃんと、その妹ちゃん。」
「そう、なんですか……」
あれ、また機嫌が悪い? ルナはその返事に既視感を覚えた。
いつだか、サナの話の時の態度と同じだ。
また、サナの事が嫌いになったのだろうか。ルナはハラハラする。
今は戦いを控えた重要な時期。サナとのトラブルは誰であっても避けたい。
またサナの魔力のバランスが崩れては大変だからだ。
「よくちゃん、こちら、サキちゃん。ここで結構前から花屋してるんだ、いつもお世話になってるんだよ……あれ、そういえば、旅の途中だったよね、サキちゃん……あの後どうしたの?」
ふと疑問が湧き、ルナは思わず口にした。
サキは苦笑すると仕方なそうに笑う。
「ああ、旅はちゃんとしましたよー、ルナさんに会わなくなって3年ぐらい後に……このままじゃダメだなって……それで、ちゃんとお花の勉強して去年戻ってきたんです。お店のキープはお城の方々がしてくれたので……」
「ああ、そうなんだ……よかった……」
サキは懐かしそうな雰囲気でふんわり笑う。
ルナはなぜか安堵して、深い溜息を吐いた。安堵したのは旅に出たことではなく、帰ってきたことにだった。
キもいつの間にかニコニコ笑って、不機嫌ではなさそうだ。
かつてモンスターを売っていたとは思えない、可愛らしい笑顔で手を降ってくれる。
また来るね、と言って別れた。
「ルナさん」
「どうしたの、よくちゃん」
「……もしかしてあの子、ルナさんのこと……」
意味ありげによくが振り返る。もうサキは店の中に入っていっていた。
「どうしたの?」
その姿にルナは首を傾げた。その行動と言葉の意図が分からない。
よくはすぐに残念そうな、そして嘲笑に近い、複雑な笑みを浮かべて肩を落とす。
「あー……そうか、ルナさん、無性愛者でしたっすね……」
「うん? そうだけど……」
「あー、あー……じゃ、いいです。花、買わなかったんですか?」
「? うん、サナちゃん、お花好きじゃないし……あ、そうだ、ここのこと、内緒ね」
よくの意味深な言葉に首を傾げながらも、ルナとよくは家へと向かった。
***
翌日、サキが店を開けると、すでに客が並んでいた。
ちょこん、と店先に座ったままの少女……見た目には10代後半の学生に近い……といった年齢だが、そのきょとんとした表情、大人しそうな雰囲気が、彼女を幼く見せていた。しかし、その表情の奥に、鋭いものを感じる……不思議な少女だった。
サキはその雰囲気にデジャヴを感じ、すぐに思い出す。なんだか、サナに似ていた。
サナの親戚の子が来てるって言ってたなぁ、と思い出すが……まあ、お客さんである以上、詮索はしないほうがいい。
「いらっしゃいませ」
「花、」
そういって少女は青い花を指差した。
「はい、何本ですか? あ、それともブーケにしますか? リボンは無料でお付けできますよ!」
少女は小首をかしげ、しばらく考える。そしてすぐにもう一つの花を指差した。
「ピンク」
「こちらですか?」
桃色の、枝に咲いた、薄い5枚の花びら。サキはそれを数本つまむと、カウンターの上に並べた。紫にも見える濃い青と、白に近い桃色の花のバランスはよさそうだ。
「ブーケに……する。プレゼント……リボンは青色」
「はい、かしこまりました」
「長持ちする強さと儚い美しさに花のような可愛らしさを表現して欲しい」
「無茶だ!?」
***
「ただいま……あら、つばさ、それどうしたの?」
「…………サナ、あげる」
サナが久しぶりに帰宅すると、つばさが花束をくれた。青い大きな花と、桃色の花に蔦が垂れた、個性的な花束。まるで結婚式のブーケのような、盛りに盛られた花束だった。
「サナに、プレゼント……」
「あらら、ありがとう、つばさ」
サナは枯れてしまうので、花はあまり好きではなかった。『失う』という恐怖を思い出してしまうからだ。
しかし、大好きなつばさからのプレゼントとなれば話は別だ、枯れてしまう前にドライフラワーにでもすればいいかな、と飾るための花瓶を取り出す。
しかしこの花……久々に見た気が……ん?
「つばさ、これどこで買ってきたの?」
「ないしょ」
「か、かわいい……じゃなくて、そんなおちゃめ今要らないのよ……」
サナはつばさの前にしゃがみこみ、つばさの肩を揺らした。ないしょ、と呟くつばさの可愛さにメロメロになりそうだが、それよりも重要な話がある。これは大切な話なのよ、とつばさを睨んだ。
すると、つばさは珍しく気まずそうな顔をして、サナの腕の中に飛び込む。
不安そうな顔をして、ごめんなさい、と小さく呟いた。
「言ったら、サナ、どこかに……行かない?」
「あ……ああ……そっか、ごめんね、つばさ……」
この生活を初めてしばらくして、サナは留守にすることが多くなった。つばさは寂しかったのだ。だから何か贈り物を……と考えたのだろう。
「ありがとうね、おねーちゃん嬉しいな」
サナは優しくつばさの頭を撫でる。おねーちゃん、というのは、サナがつばさに、自分を指すときの呼び名だった。つばさが顔を上げると、涙ぐんでいた。頬を撫でると落ち着いたのか、サナの目の前にすとん、と座った。
「お姉ちゃんに聞いたの?」
こくん、とつばさは頷いた。お姉ちゃん、はよくの事だ。つばさは悪く無い。つばさは姉のおすすめの店で商品を買ったにすぎないのだ。
「ありがとう、言ってくれて、よく連れて来てくれる?」
こくん、もう一度頷くとつばさは立ち上がり、とてとてと軽い足音で走っていった。
サナは深くため息をつく。この青い花は……天界でもごく一部にしか咲かない花だ。ここらで採れるものでも、育つものでもない。しかも、魔力の強い能力者がそばにないと育たない……とすれば場所は一つ。
よくに問うと、出処はすぐに分かった。予測していたとおり、サキの店だ。
よくはルナと共に訪れた事、ルナに秘密にするよう言われていたが、つばさには喋ってしまった事を白状した。どうやら過去のあれこれはよくには話していないらしいので、よくも無罪だ。内緒、と言われただけだったので、サナが花が嫌いだからそう言ったのだろうと軽く思ってしまったと言う。
ルナは気づいているのだろうか……。
サナは頭を抱える。やることは沢山あるというのに、また問題が一つ増えた。しかも、めんどくさそうなやつが。
* * *
ルナを呼び寄せて花屋にたどり着いた。
妙な懐かしさを感じるが、できれば感じたくなかったやつだ。
店頭に並ぶ花の中には、確かにあの花を含んで、魔界からの密輸入らしい花がいくつも並んでいる。
「一度話したんでしょ? なんで気づかないの?」
「僕に花なんかわからないよ」
「何、その態度? 」
そうしてまたデジャヴ。店頭で喧嘩する二人の間にサキが割って入った。
「サナさん、ルナさん!! お二人共、喧嘩はダメですよ!」
そう言われると、二人でしゅんとしてしまう。
いい大人が、という目線が、昔と違うところだ。
サキは二人をぽかんとした顔で見比べた。
二人揃った登場は、記憶の消されたサキにとって一番最初、あの時だけだからだ。花を暴走させてしまったあの日の記憶は彼女にはない。
「お二人共揃って、どうしたんですか?」
「サキ、聞きたいことがあって来たのよ」
「はい?」
今度こそは暴走を起こさせないよう、サナが慎重に話を切り出す。サキはなんでしょう、と極めて落ち着いた様子だった。
「昨日、16歳ぐらいの女の子来たわよね? グリーンのチュニックシャツの、ちょっとだんまりした感じだけど喋る時はペラペラ喋る子」
「来ましたね、朝イチで……ブーケをお買いになられた子ですよね?」
「何の花、入れた?」
「え? えーと……桜と……ゴニャゴニャゴニャ……です」
サナとルナは二人で顔を見合わせた。直前の言葉に違和感を持つ。
「……なんて?」
ルナは思わず聞き返す。サキは同じ言葉を吐き出した。しかし言葉として認識できない。
サナは肩をすくめて冷や汗を拭う。花の正体をわかっている……これは完全に違法の密輸だ。
「ねえ、サキ、これは……どこから入荷したの?」
「あの……扉、から、です」
「は?」
次はサナは首を傾げる番だった。ルナはそのデジャヴに震えを覚える。
記憶を消してもサキはサキ。このパターンは変わらないようだ。
サキが指差すのは、花屋のバックヤードの扉だ。
そこから花が生えてくるわけはない。
「ここ、港町じゃないですか……潮風で、花が育たなくて……風を凌げる場所を探して、異世界に繋げる事を考えたんです、そうしたらお花畑を見つけたのでそこで育ててて……」
「ああ……なるほどね」
サナは頷いた。扉の向こうが魔界に繋がっているのだ。
サキはどうやらそれを侵入と感じてないようで、あっさりと真相を白状した。
「サキ、落ち着いて聞いて頂戴。 まずは花屋の外に出ましょう。」
「へ? なんでですか?」
「大事な話よ」
サナはサキの手を引き、無理矢理に店の外に連れだした。
ルナはその店のドアを閉め……密かに開かないように魔法を掛ける。いつ花が飛び出してくるかもわからないので完全に封じた。ルナの魔法はここ最近の修行でかなり安定している。仮にサナが襲われても助け出せるだろうが、用心はするに越したことはない。
サナは慎重に、サキの認識を確認する作業に入る。
「扉はどこに繋がっているのか分かる?」
「え、と、異世界……天界ですね」
「あの青い花、天界でしか育たないっていうのは?」
「知ってます」
「能力者以外の人間が触れると枯れるというのは?」
「それは知らなかったです」
サナは深い溜息をついた。そして決定的な質問に入る。サナは念の為に、薄く自分を守るバリアを張った。
「……ごめんね、見過ごせないの。これが、違法だって分かる?」
「……!?」
サキは驚きに身を引いた。これは知らなかったようだ。
「魔法もしくは魔法に関する物の密輸入と密売。あと不法侵入。誰の土地かも分からないもの。今回、売ったのは能力者にだけど、人間に売る可能性の時点で……違法なの……『魔女』としての……まあ、この花は人間が触ったら枯れちゃうから罪は重くないけど……他の花もあるでしょ?……こういうのを取り締まるのも、私のような地上の天使の役目だから……貴女を『魔法の密売人』……『魔女』として通報させて貰うわ……その、知らなかったっていう弁護は、つけるし……重くは、ならない、から……」
サナも罪を負ったかのように、苦しそうな顔でそう告げる。祈るように、ぎゅっと握った腕は震えていた。
「わ、私、知らなかった、から……ご、ごめんなさい……」
「その分の罪は、軽くなるようになってるけど……ごめんね、ほん、ごめ……っ」
怯えるサキを見て、サナも言葉を詰まらせる。その痛々しさから目線を逸らすように首を横に振って目を伏せる。ルナはサナの背を支え、少しだけサキから遠ざかった。
「うっ……うぅ……」
サナはまるで自分のことのように苦しんでいる。自分のしなきゃいけない事に、押しつぶされそうになっていた。友達を裁かなければいけないのは、失う恐怖を持つサナにとって、酷な事だった。
「サキちゃん、本当にごめん、これが、僕達の仕事なんだ……」
「……ルナさん、私は、悪いことをしたんですか……?」
サキはまっすぐ、泣きそうな目でルナを見た。その表情が、いつも見ているサナの泣き顔に被って、思わず目を逸らしてしまう。
「……して、ない……僕は、してないと思うよ…………」
サナを遠ざけたまま、ルナはサキに近づいてサキの手をとった。花の手入れに一生懸命だった彼女の手は決して綺麗ではない。この手で違法な花を摘みとったのだから、綺麗ではない。
でも、『悪い』の? 悪いってなんだろう。
サキは知らなかった。それどころか皆に見て欲しくて、喜んで欲しくてした事。
罪を見る為に存在する生き物……『悪魔』のルナにも答えは分からない。
悪いとすれば……。
「君にそれを教えてあげられなかった……君に同じ過ちを犯させた、僕は悪いのかもしれない」
「ルナ!?!? ちょっと待って!!!」
ルナの手元から、サキへと辿る光。それはあの時と同じ……記憶を消す魔法だった。サナはそうと分かると、その魔法の重大さに声を上げ、ルナの腕に掴みかかる。
「ダメよ、二度目はサキに負担をかけすぎる!!!! それにバレたらサキが!!!!!!」
サナは慌ててルナからサキを引き剥がす。サキは突き飛ばされて床に尻餅をついた。
しかし手遅れだった。倒れたままのぐったりとサキは店の前によりかかり、静かな寝息を立てている。サキは眠りにつく。目を覚ませば、また何も知らないただの能力者。2度も魔法をかけられたサキが、何を覚えたままでいるかは謎のまま……
「な、なんで……ルナ……」
「ごめん、サナちゃん……僕、見てられなかった……」
「うん……そ、うだよね……私も、ダメだった……っ」
二人は悔やんでその場を離れた。
***
それからまた何年と経っただろう。サナはその抵抗も虚しく、神様を裏切った天使として処刑が決まり天界の牢獄に捕まっていた。サナは神様を納得させられなかった。その少しの間。サナがまた居なくなった世界。サナがやり残したことを片付ける為にルナは街をふらふら歩いていた。
ルナはいつも、サナと一緒、同じ、サナの為に生きていた……。そうじゃなくなるのが、こんなにも気持ち悪いなんて……と思うと具合が悪い。自然と、足は勝手にあの花屋に向かっていた。
ルナにとってあの花屋はなんだか、癒やしの場所に近くなっていたのだ。家族……サナ以外の人間のいる場所に執着するなんて、自分でも不思議だ。なんでだろう。理由が全くわからない。
花も好きじゃないし、女性に特別な感情を抱くというのもピンと来ない。
ただ、なんだかゴールのような、目的地のような、行くべき場所としての安心感があった。
今度は迷わず辿り着いて、店の前で足を止める。
可愛らしい色の屋根を見上げると、店内から歌声が聞こえてきた。
「おはながわらった、おはながわらった、みんなわらった……」
幼児番組で流行った童謡だ。また可愛い歌を歌っているな、と思うと、ルナの口元は思わず綻ぶ。と、同時に、サナが歌っている姿が脳裏に過ぎって悲しくなった。
サナは、最後、あの戦いの最期……死を目の前にどんな気持ちだったんだろう。考えても考えても、もう二人じゃなくなったルナには分からない。
「ルナさん」
そこに優しく、声がかけられる。サキだった。
「どうしたんですか?」
あの時、サキの記憶を消したのはフェイクだった。サキはあの時のままきちんとルナを覚えている。ルナが掛けた魔法は……サキの罪をルナとサナに移す魔法だった。結局、サナがすべて背負ってしまった。どうやらサナが、死に際にそう仕掛けたみたいだった。サナは、つばさ達だけではなくサキまでをも自分ひとりで守ったのだ。
それが、嬉しいけど悔しい、やるせない。ルナは泣きたいような、怒りたいような、訳の分からない気分に支配されていた。
「なんで、花が笑うの? 顔なんかないのに」
ルナは先程の曲について小さな質問をした。うっかり苛ついた口調だったが、出た言葉は唐突でシンプルな疑問だった。
サキはふと頭をかしげて、ふふっと笑う。
「ルナさん、屁理屈を言う子供みたいですね。……そうですね、自分が嬉しかったら、相手にも笑って欲しいと思いませんか?」
「…………相手にも……?」
「ひとはそれを愛情、と言います。ルナさんには笑って欲しい相手は居ますか?」
恋愛や愛情に疎いルナには、愛情からの行動や愛情それ自体が分からないことが多かった。時によっては非効率的なものだとすら思っている。愛情を理解できないルナは素直に首を横に振る。
「……僕とサナちゃんの両親は戦争の中で庇い合って死んだんだ。周りの大人はそれが愛情だと言ったけど、僕はどうしても納得出来なかった。サナちゃんはこの日からずっと塞ぎこんだままで、こんなに悲しませる両親を僕はなんとなく憎んでる。こんなの愛情じゃない。……こんな事で笑って欲しいなんて思わない」
知識としての反応は分かっていても、何故そう思うのかは納得出来ないことがある。ルナにとって愛情は呪いの言葉だった。花に、愛しい者に笑って欲しい……なんて心とは無縁になるほど憎んでいる。
サナがどうして一生懸命につばさを救おうとしたのかさえ分からない程、ルナにとって愛情の得体は知れないものだった。
「でも、あの時……サナちゃんがどうして好きな子を庇い続けたのかを……行動で知ったんだ。最後までサナちゃんは好きな人のために生きてた。それが『愛情』だった……。好きな人のために尽くしきって戦うのが『愛情』だって……。それまで僕はサナちゃんが好きな人の為にする事を、冷静じゃなくて身勝手な行動だと思っていて、僕はサナちゃんを傷つけてた……わざわざ、人のために自分が傷つくなんて、おかしいって……もっと考えて行動してよって……」
もしも、サナのつばさへの気持ちに対する行動をもっと理解してあげられたら、サナの処刑が決まるよりも先に、サナは悪人ではない、と天使たちに気づいて貰えるように導けたかもしれない。サナに救いの手があったかもしれない。サナはもっと、つばさと長い時間を過ごせたかもしれない。
ルナはそれが悔しかった。サナと二人で一つの自分ですら、サナの事を分かってあげられなかったのだ。これじゃあ、サナを傷つけたあの天使たちと何も変わらない。
「……サナちゃんに……笑って欲しい……」
サキはその言葉に、眉を寄せながらも笑う。ルナの手を取って、花屋に飾られた……今度は違法じゃない青い花を指差す。
「今日、綺麗に咲いたんです。この潮風の強い街でも、お花、咲くんですよ。ルナさん自身は、こんな強くて健気な花を見たら、花にどうなって欲しいですか? 枯れてほしいと思いますか? 無駄だと思いますか?」
そう言って差し出された花を目の前にすると、その面影はサナに重なってしまう。強い潮風の中で咲く花。厳しい環境でも目的を果たす姿。青い花弁の色、どれを見ても今は……。
「……ほ、ほしくない!! 思わない!! 僕は……! 逆境で咲いた花を………ああ……そうだ……言えばよかったんだ……サナちゃんは何にも悪く無いって、言ってあげれたら……あそこまでサナちゃんを追い込まなかった……二人でつばちゃんの為に戦って……一緒に過ごささせてあげれたのに……」
ごちゃごちゃの気持ちが揃っていく。いつもは自分で出来る気持ちの整理を、サキにしてもらって気づいた。ルナは、サナへの、愛情と言うにはまだ不透明だけれど……家族としての気持ち、きょうだいとしての絆、情、執着が確かにあった。サナに笑って欲しい。サナに頼りにして欲しい。相方として側に居たい。自分の手でサナを救いたかった。サナをあそこまで孤独にしてしまった事を謝りたい。……今となっては確かに愛情だった。
その気持ちに、ようやく気づきルナは顔を上げた。その表情は、涙しているが、清々しい。ようやく理解した、人としての感情に納得して安堵した顔がそこにあった。
サキはそのルナの姿にふわり、と嬉しそうに笑った。まるで自分のことのように。
ルナにはまだ、出来ないやさしい笑顔だ。
「それがルナさんの本当の答えだと思います……理由なんてないです、なくていいんです。誰にだって笑ってて欲しいです。笑って、って言うこと、思うことは悪くないんですよ。それがひとの思う、おはながわらった、ですよ」
「……そっか、そうだよね」
ルナは頷いた。
サナに泣いて欲しくなくてサナに怒ってしまった、サナを責めてしまった……幾つもの記憶が過る。本当は励ますべきだった。笑わせてあげるべきだった。いつだって弱音を吐いて欲しくないから。傷ついて欲しくないからだった。笑って欲しかった。それだけだった。何をしたって自分を責めない、誇らしい姉であって欲しかった。
「お花は、もしかしたら思っていた花の色じゃなかったかもしれないですけど……確かに咲いたんです。花を咲かせて実を付けて枯れる。……悲しむことじゃないんですよ……」
「……サキちゃん」
サキはぷらぷらと店の中を歩きまわる。指先に青くて小さな花を摘んで、大切そうに花弁を撫でた。
「お花はいつか種になって、また咲きます……その時、お花『で』笑わせるのが……私の仕事です! そのお仕事の場所をくれたのが……ルナさんとサナさんというお花だった……私はそれだけで幸せです! ……けど」
サキは手のひらを重ねあわせて、指を広げた。
手で作る、花のサイン。
「おはながわらったら、みんなも笑って……ルナさんも……?」
サキはそこで、ふと言葉を止めてしまう。
ルナはしん、とした花屋の中で一言、
「笑うよ」
そう返事をした。
サキは愛おしそうに微笑んだ後、すう、と息を吸うと、覚悟を決めた顔をしてワンテンポ遅れて叫ぶ。
「……ルナさん、私も大事な人に……ルナさんに笑ってて欲しいです!」
もうやけくそのような、勢いだけでサキは言葉を吐き出す。
「………………え?」
ルナはいきなりの言葉に唖然として、小さな声を漏らした。
サキはそのまま続ける。
「初めて会った時から、ルナさんのことが好きでした。私は覚えてます。あの……密輸事件の時も、ルナさんが消したのは記憶じゃなくて、私の罪そのものだってわかってます。そんな、自分では分からない事なのにやってくれる優しさ、私はダメじゃないと思うんです!! ルナさんに恋愛感情がないことも、愛情が分からないのも、サナさんが一番なのも分かってて言います……ルナさん、好きです!!!!」
「っ、え?」
ルナは後ずさりした。
と、同時に納得した。サナやよくの話をした時の不機嫌さは、嫉妬というヤツなんだと。
***
ルナはその晩、ひどく悩んだ。サキを選ぶべきかどうか。サキの気持ちにイエスと返事をするかどうか。
正直、愛情を持つ者とはどんなに努力したって合わせられる自信はなかった。片割れのサナを相手すら理解できず、他人のサキ相手に出来る訳はない。ルナにはサナのように自分に嘘をついてまで平気な振りは出来ない。サナとつばさのように離れるとしても永遠の約束を……出来なくはないが……無責任にしからならないならしたくはない。
かと言って、いつまでもサナが、サナが、とか言うのもサナにやめて欲しいと言われていた。仮にもきょうだい。自分でもどうかと思う。過剰にそばにいればサナを縛ってしまう。
それに、サキの気持ちも無駄にはしたくない。でも、サキに優しくした自覚はなくて、あれはサナの為で。……やっぱりルナが守りたいのはサナだ。
サナはもうすぐ処刑されてしまう。ルナにもこの先があるとは限らない。けれど、もし次にチャンスがあるなら、やっぱりサナに笑って欲しい。サキの話を聞いて自覚した、サナへの姉弟としての「きょうだい愛」で……サナとの関係をリベンジしたかった。
……でも、正直を言えば知りたい。
サナがつばさにしたように、愛情は何にでもなる。勇気にも怒りにも悲しみにも変わる。その愛情を持った者が……偶然にも自分にその情を向けている。愛情。その理由、その正体、エネルギーになるものを知りたい……!合理主義なルナが初めて、感情的に強く、強く願ったことだった。
***
翌日、ルナは店が開く前から花屋の前に立って、サキを待った。
サキが店のシャッターと開けると共に、ルナはサキの店に乗り込む。
「ルナさん!?」
「ごめんね、開店前に。時間、少しだけくれるかな」
シャッターを乱暴にくぐってきたルナの姿に、勢いで告白してしまったサキは驚いて花瓶を床に転がした。青いガラスの花瓶。町外れの雑貨屋で売っている、サナが持っていたのと同じ花瓶だった。ルナはそれを懐かしく思いながらも、拾うことはせず転がしたまま、口を開きかけた。
「……。」
言いかけて、一度口を閉じる。一晩考えこんだ答えを吐き出す前に、ルナは白い翼を表した。
己が悪魔である証。サナ程ではないけれど、ルナにもコンプレックスの羽根の色。
ルナは昨日サキがしたように、一呼吸おいて叫んだ。
「……ごめんなさい!!! 情の分からない悪魔の僕にできることは……やっぱり感情を抜きにして罰を図る事だ……僕といても……きっと、君の嫌な部分だけを見てしまうと思う。それに僕自身も多分、君の気持ちに応えられない僕の罪を勝手に数えてしまう。それは笑えない結末だと思う。……僕に、他人と気持ちを共有する事は、難しいと思うんだ……」
そう言ってルナは深く頭を下げた。これ程頭を下げたことはなかったと思う。
サキは口を押さえ、ただルナの言葉を聞いていた。恐らく声が出なかったのだろう。
「君の意見は尊重したいと思ったけど……僕の意見と本能は……変わらなかったよ」
サナが天使としての戦う本能から逃れられないのと同じで、ルナも悪魔の本能として、人の悪いところを見てしまう癖があった。感情移入せず罪の度合いを図ることが、そもそもの悪魔の仕事だからだ。悪魔は必要悪。罰や後悔、痛みを与えるのに感情を切り捨てなければいけない。その為に嘘が上手い。
「でも正直、君の気持ちに興味はある。愛情ってどんなものだろう、って。でも、それは、不純な好奇心で、好意を持ってるわけじゃない。僕の探究心がそうさせるだけ。君が良くても僕が満足できない。これが……僕だ。それは、変えられない……」
ルナは一度だけ深く、首を横に振った。断りの意味と、自分の好奇心を断ち切るように。
3代も悪魔の血から離れたサキと、半分は悪魔の血のルナ。その間にある感情は……きっととても遠い。悲しませてしまうだろう。……これがルナの『言い訳』だ。
実質のところは出来なくはないだろう。ただ、やはり……ルナに赤の他人は愛せなかった。とても悩んだ。そんな気がなくても、文字通りの付き合いは出来るとは思う。しかし、やはり不誠実な気がした。サキとサナをどうしても重ねあわせてしまう。その度に苦しむ自分の姿が明確に想像できる。
愛を知らないルナだからこそ、家族への愛と他人への愛を同時にコントロールする事は出来ない。ないがしろにしてしまえば、ルナはルナ自身の罪を見てしまって苦しくなるだろう。
実際のところ、悪魔という名前を真に受けて『悪いことがし放題』と思う悪魔は少なくない。その結果、自分の罪を見てしまい、自責で潰れてしまう悪魔は少なくないのだ。ルナも自信はない。だからこそ、自分の為にルナは罪が軽い方を選んだ。
サキはしばらく固まったままでいたが、必死に頭を下げるルナの姿を見て後ずさった。普段は理論的、冷静に話し、さりげない優しさを見せるルナが、これだけ熱く話している姿は圧巻、とでも言えばいいのか。謎の迫力に押されたような気がした。
ルナは先程とは全く違う、静かな声で……ぼそりと呟いた。
「僕は、サナちゃんを、家族として……愛している。と言ってもいいのかな?」
ルナは初めて、自分のために自分の感情に素直になった。
サナを救う。救いたい。それがルナの……自分自身の願いだ。
サナちゃん、僕はまだ、サナちゃんの事を考えずに行動することは出来そうにない。でも、多分、今この瞬間は……僕は僕を考えてるよ。
「ふふっ……いいと思いますよ。サナさんに、沢山言ってあげて下さい。……もう、降参です。分かりました」
頭を下げたままのルナの頭上から降ってきたのは笑い声だった。
くすくすとサキは笑っている。驚きのキャパシティを超えて、笑えてきたようだ。
ルナはぽかんとしたまま、思わず顔を上げた。
まさか笑われるとは思わなかったのだ。
「……そこまで真剣になってくれて嬉しいですけど、だめですよ、私なんかにたぶらかされちゃぁ」
サキはケタケタと可笑しそうに笑っている。腹を抱えて悶えるレベルだ。
ルナは大真面目に返答したことがあまりにもマヌケな姿だった気がついて、顔を真っ赤にして、頭をかいた。
「私なんかって、そんなこと! 僕、真剣に考えたんだよ!? 女の子に……こ、告白されたの初めてだから……っ……」
「ふふふ……ルナさんって、本当にいい人です。でもダメですよ、冗談でも出来ないことをしようとしないでください。他の悪魔にないその気持ちを大事にして欲しいんです。いいじゃないですか、『守る悪魔』。私は、お花にもルナさんにも、笑って欲しいからですよ。あー、もう。OKされたらどうしようかと思いましたよ……私が悪者になっちゃうじゃないですか」
そう言ってサキはルナの下げっぱなしの頭をわしわしとなでた。
ルナは頭を上げると、泣きそうなサキの顔と目が合う。
「本当に、いいの……僕、君を選ばなくても」
静かにそう言い放つと、サキはふっと目を逸らした。
選ばれない事、選ばれても断ることは決定事項だったろうが、好きなのは本気なんじゃないの? とルナは静かにじっ、とサキを見つめる。もう目は合わなかった。
サキは誤魔化すように、思い出した顔をして手のひらを打った。
「ああ、昔サナさんから教わった『いざという時』の伝言です。『お前にこの子みたいないい子は勿体無いんだからな、この嘘つきインチキ野郎。どうせ臆病者のアンタに彼氏は務まらねえよ、それより城に戻って仕事しな!』だそうです」
「そ、そのまま伝えすぎじゃない?」
「お二人のそうゆうところが好きなんですよ、私は……」
ルナは少女に何言わせてるんだ! と居ないサナに怒りを顕著にした。
その姿を見て、サキはいたずらに笑う。
「で? ルナさんのご決意、聞かせてくださいよ」
「……分かった。約束する。サナちゃんのためにも、サキちゃんのためにも」
やはりこの子は、『モンスター売り』だったな、とルナは思ったのだった。
***
その後、サキは店を畳んだ。また旅を続けるのだという。その合間で花のことももっと学び直したい、と言っていた。ただ花を売るだけではない、能力者として魔法を活用できるような方法を探すのだと言う。
「この街で過ごして、大事なものに気づけました。もっと色々なものを見ないと、大人になってもなりきれないって事です。世間知らずのままではいられませんね」
サキは出発前、そう得意げに話した。
「僕も、結構長い人生を歩んできたつもりだけど……知らないことを知ったよ……ありがとう、お花屋さん」
ルナも出発前、得意気にそう返した。紳士に礼をしてみれば、それがまた似合わないらしい。またケタケタとサキは笑う。
「またまた、悪魔は嘘が上手いんですよ、信じませんからね」
「それなら君も悪魔由来の能力者だもん、信じないよー?」
二人で小突き合う。いつの間にかお互いに笑い合っていた。
「それじゃあルナさん、長い間ありがとうございました、さようなら!」
「じゃあね、サキちゃん、好きだよ?」
別れ際、小さな嘘を二人で吐く。
「「嘘つき!!」」
また笑い合って、サキは街の外へ。ルナは、サナの最期を見届ける旅へ。
もう会うことは、恐らくない。
ただ、花を見たら思い出す。
笑顔を思い出せたら、それが愛情の証。
さようなら、僕の大好きなお花屋さん。