-Label 4 Trac.1- -もう一度、出会う-
生まれてみれば世界はとんでもなく平和だった。そこそこの紛争に、そこそこの政治、そこそこの科学と自然の世界。人がそれを「ふつう」だと評価する、そんな世の中。
いち社会人として「ふつう」のOLをしている私に、1つだけ「ふつう」じゃない事が起きた日だった。
***
パッポー、パッパッポー……パッポー、パッパッポー……
妙なリズムを奏でる交差点の脇で、私は思わず腕時計を確認した。取引先のセクハラおやじに長ったらしい自慢話をされて予想外の時間を食ってしまった。受け取った原稿だけはしっかり手に握って、爪先を続く白線の前に止める。
もうこんな時間だ。
と、言っても世間からすると「こんな時間」はまだ真っ昼間であって、普通であれば帰宅にも帰社にも急ぐような時間ではない。ただ、私の会社はいろいろな都合があって、夜をメインに仕事をする会社なので昼間はだいたい皆帰ってしまう。
つまり今、会社に戻った所で会社は開いてないし、この書類を確認してくれる部長も社長も同僚もいない。
時間が空くのならちょっと不動産にでも寄って行こうかな……? と思った所で、ようやく信号が青に変わった。天気が良い青空を見通すように綺麗な信号は、ついこの間新型に取り替えらればかりで、その時は工事中に通りかかって危うく工事のおじさんが落としたレンチが頭に当たる所だった。
旧型の電灯からLEDになったばかりの緑色の光は、街路樹に負けないような鮮やかなグリーン色を煌々と放っている。なんでこんなにはっきり緑色の信号にしといて、未だに『青信号』とか表現するんだろうなーとか、そこそこどうでもいいことを考えるぐらいには穏やかな日だった。
その瞬間まで。
「………っ!?」
交差点。人が通り過ぎる。いつもは対して気にしない人の山。そこに、目立つ人が一人。すらっとした背の高い女性。長い黒髪を2つにくくっている。
私は彼女を知っている。ただ、人生で一度も出会ったことがない。……『この人生では』。
幸い、相手も同じ感覚に気づいたようで、一瞬通り過ぎた私達はお互いに振り返った。
彼女の髪が、ゆっくりと翻る。目が合う。
あまり表情を変えない彼女の、少しだけ驚いた顔が初めて見たのに懐かしかった。
私の手に収まっていた書類が、吹いた風にばさばさと耳に障った。
信号の変わる時間が迫っていく。気がつけば私は彼女の腕の中で。
「前」よりは長くない、彼女の髪がまたゆっくりと上下するのが目の前。
「……奇跡だ……」
強く抱きしめられた、頭の上からそう、小さく聞こえた。
そう、これは奇跡だった。
「……サナ、さん……」
私はようやく彼女の名前を呼んで、抱きしめ返す。
そうするとサナさんはさらに私を強く抱えて、「……つばさ、ただいま」と、何十年、もしかしたら何百年ぶりの言葉を返したのだった。
「サナ」は、とある国で、世界を滅ぼすと言われているおとぎ話の中に出てくる悪魔の事だ。
触れた人間を呪い殺し、少女の姿をしていて、黒い翼を持つ呪いの存在。
私達が『現代』と呼ぶこの世界で言えば『鬼』や『妖怪』、『ゴースト』の伝承に近いだろうか。
しかしその正体は、天界で神様に罪をなすりつけられ偽の罪を負った一人の天使だった。彼女の存在によって地位を危ぶまれた神様の妬みによって、永い時間不必要な業を背負い続けた彼女は、傷跡を残しながらも戦い続けた。彼女の無罪が世に知られたのは彼女の存在が消えた後。人間で言う死を迎えた後だった。
私はそんな彼女に偶然出会い、一生を掛けて追い続けたひとりの旅人だった。その正体は、サナさんと同じ魔力、魔法を宿した人間で当時それをその世界では「能力者」と呼んだ。
私はその世界の記憶を一生分抱えたまま、普通の世界に普通の人間として「生まれ直した」。
誰の仕業かは分からないが、彼女も同じように記憶を持ったまま人間として生まれ育ったようで、「あんなに探したのに案外見つからないものね……人間一人ができることは小さすぎると思って諦めてしまっていたわ」と、後々、少し申し訳なさそうに笑っていた。
***
「とりあえず現状を整理しましょう、貴女の話も聞きたいしね」
サナさんと私はとりあえず適当なカフェに立ち入った。よく立ち寄るのだという小さなカフェからは、私の知っている頃のサさんにはなかった生活感……というか、感情? 人情? のようなものがあり、それだけでもサナさんは「以前とは違う」と思った。もちろんいい方向にだ。
サナさんはメニューを見ずに、オレンジジュースとショートケーキを注文。私はメニューを開いて、目についたミルクティーとアップルパイを頼んだ。
「ちょっと強引に連れて来ちゃったけど時間大丈夫? 明らかに仕事中っぽいけど」
「いや、仕事終わったとこですよ。会社夜型なんで今出ても誰もいませんし」
そう言って私は来ていたスーツのジャケットを脱いだ。
「会社員? って事はやっぱり成人してるのね」
「そこまでちびっこに見えますか……っていうかサナさんが大きいのかな……」
サナさんは明らかに私より年下なのに、やはり私が小さいのかサナさんが大きいのか、もしくはそのどちらもなのか……のお陰で、かなり大きく、そして大人びて見えた。サナさんは仕方なそうにちょっと笑ってから、手のひらで私を指した。
「まあ、今更だけど自己紹介。水野サナ18歳、高認で勉強してるから学生……かな。普段はCDショップでバイトしながら、趣味程度に音楽活動してる。今日はレコーディングの帰り」
そうやってサナさんは背負っていたギターのカバーをぽん、と叩いた。その音が少しだけカバーの中で響いている。
こうやってみれば、彼女は本当にそこらへんの女子高生と何の変わりもない。
「私は鈴乃つばさ、24歳。出版系のOLしてます。まあ、したっぱのしたっぱですけど、「プレナイト」の頃の知識活かしてちょっとは自分の本も出てます。まあ、売れてはませんけど……。さっきも言ったように、出版系は夜型の作家さんが多いので、昼間はほとんど会社が機能してなかったりして、多人数でやらなきゃいけない仕事の日は夜まで待たなくちゃいけなくて……」
そこまで喋って、私はひとつ思い出す。
「あっ!! そうだ、家探さなきゃいけないんでした」
「家? また家……」
「家出じゃないですー! ……転勤したんですけど引っ越しの手続き忘れてて……いま、ウィークリーマンションに住んでて」
あまりの軌跡に忘れかけて居たが、面倒なことを思い出す。なんだか現実に引き戻された気分だ。私はとんでもない高度から肩を落とし、勢いでがっくりする。ちょうど運ばれてきたジュースを受け取りながら、サナさんは呟く。
「家族は? つばさ、元々4人姉弟じゃなかった?」
「今はひとりっこです。両親は田舎で農業やってる普通のじいさんばあさんです」
「そう……。私は両親は輸入バイヤーだから、もう生きてるのか死んでるのかよく分からないぐらいに疎遠なのよね。家族は弟だけ」
そう言ってサナさんはジュースの氷をカラカラと鳴らした。私もカップに口をつけるが、まだお茶が熱かったのでカップを置く。しかし、ジュースとケーキを即答で選んでいるとか、案外この人は趣味が少女的というか子供舌というかなんというか……そういえば「アイオライト」の衣装もどっちかっていうと少女趣味っぽかったな……。
「何をニヤニヤしてるのよ?」
「いえ……なにも……?」
そうツッコミを入れてくるサナさんも、少しニヤけた微笑みを浮かべている。ふふ、と2人で笑い合うだけでなんだか心臓が痛いくらい嬉しくてまた笑えてきた。
「サナさん、家はこの近くなんですか? 羨ましいぐらい便利そうなとこ住んでますね……うーん、ここらへん結構人多いから空きなさそう……」
私はそうやってまた頭を抱える。夜に動くことを考えるとあんまり遠いところには住めない。位置的には閑静だけど程よく駅も近くて、お店も生活に困らないぐらいには揃っている。羨ましいがその分賃貸の空きは見込めそうにない。恨めしく窓の外を睨んでみた。
それを聞いたサナさんは、一瞬、意味ありげに視線を反らし……そして、ゆっくりと目を閉じた。
「?」
「……あのさ」
サナさんは覚悟を決めたようなため息を一つ吐くと、急に私の手を取った。
「……うち来ない…?」
「………えっ! あっ!! いやっ!!! そんな意味で話したんじゃないんですよ!?」
唐突なプロポーズじみた展開に慌てて私はその手を振り払って両手を振った。幾ら前世があったにしてもなんでも、今日会った人に言うセリフではない。とっさに手を引いた私のせいで、握りそこねた手をそのままにサナさんはまた少しだけ残念そうな表情をする。
「嫌?」
「あ、その……そのいやじゃなくて……えっと、……い、いいんですか……?」
「ん! 決定!」
確かにせっかく出会えたのだ。アイオライトとプレナイト……あの時のように、誰かに一緒にいる事を妨害される理由もない……と思う。私が知らないだけかもしれないけど。もちろん、サナさんが良いと言うのであれば私としては嬉しかった。サナさんもそうだと嬉しいけど、あんまりにいきなりで、どうして? という意味合いで言葉を返す。
しかしサナさんはその問いに答えることなく、頷いて手をぱっと顔の横に放って、同時ににこりと笑った。
***
「じゃ、また後でね」
「はい」
すっかり日が傾きかけた夕暮れになって、私達はようやくカフェを出る。サナさんの連絡先と住所を聞き、とりあえず私は会社に向かった。会社に出し損ねた原稿を見てもらって、ついでに引越し先の事を伝えて、とりあえずマンションに帰る。
その後でもう一度サナさんに連絡してこの先の事を決めようという事だった。あまり長くは話さなかったので、まだまだサナさんに聞きたいことはたくさんある。
「あぁあぁ……」
淡々と現状を確認して、未だ現実味を帯びない今日の出来事に色々な感情が湧き上がってしまう。思わずベッドに突っ伏して悲鳴とも感嘆とも取れない声を漏らしてしまった。
速攻で私を家に迎え入れる提案をしてくれたサナさんは、相変わらず、いや、抱きつかれはしたけど……冷静そのものだった。ちょっとだけ本心を誤魔化しているような、本性を秘めた雰囲気もそのままだ。やはり前の記憶を持っているだけあって、ハプニングには慣れきっているのだろうか。
私もまあいろいろあったけど……正直、サナさんはもうどこにも居ないのだと思っていた。サナさんは処刑され、消えてしまった存在のはずだったからだ。
だからこそ、この出会いに……私はどこかで疑いを持ってしまう。
これも……いつ覚めてしまう夢なのか、と。
***
次の日にサナさんと連絡を取り合い、引っ越しは淡々と、そして思い掛けないスピードで決まった。前世と言えど元旅人だったこともあって荷造りはすぐ出来たし、元々、趣味で溜め込んでいた本を除けばものが少ない。
サナさん家の開いてる部屋を予め見せて貰って、キャパシティだけ確認したらあとは引越し屋さんに配置もろとも丸投げした。
サナさんの家は郊外とはいえ、交通の便も悪くなく、かといって息苦しくない程度の住宅地の少し片隅。ひっそりはしているけど孤立もしていない場所に、なんと学生ながら一軒家を構えていた。位置も家そのものも、自然に溶け込んだ、広くはないけど女性らしくて可愛らしい家。スマートな印象な彼女には少しだけアンバランスにも見える。そっけないマンションに住んでいた私には、若干くらっとくるぐらいには飾り気があって……。
私はとりあえず片付けやら何やらの為に数日のお休みを貰い、その日の夕方にサナさん家に正式に訪れた。もう殆どの手続きは終わった。あとは私が来るだけの……これから、二人の家。ドアの前で深呼吸する。これから一緒に住むというのに、ありえない緊張感なんだけど、なんていうかもう、もう。
いろいろもやもやとしながらいつドアを開けるか迷っていると、家の中からギターの音が聞こえてきた。遅れて、サナさんの声。
―― I will be with you all the time…
―― Be honest with yourself…
『ずっと隣に居るよ 自分自身に正直に……』
有名な曲を英語アレンジしたものらしかった。防音室を作ったから、ちょっと他の家と離れているとはいえ夜はうるさくしないようにする、とか言ってた気がするんだけど、丸聞こえなんですけど……。
しかし、その声に安心した私はインターホンをゆっくりと押した。欲を言えばもうちょっと聞いてたかったけれど、盗み聞きもよくないと思うし。
何千年も叶わなかった……サナさんの隣を得られるのだと思えば、いち早く押したくなるのだから不思議だ。変わらないサナさんの声を聞いて、私はそう思った。
***
「言ってた時間より遅かったからちょっと片付けようと思ってたんだけど……ギター持っちゃったら、ねえ」
歌が漏れていた事を、サナさんはそう言い訳した。
私が使う部屋は、サナさんの使わない楽器置き場だったらしい。といっても、3本のギターと動かなくなった古いパソコン1台しかなく、ギターは廊下にあるクローゼットに仕舞うしパソコンは修理に出すと言って空けてくれた。
サナさんはギターを持っているとはいえ、作曲はいわゆる『打ち込み』『デスクトップミュージック』……簡単に言えばパソコン作曲だ。適当にギターを弾いて出てきたフレーズを曲にしている、と言う。
「あれ、じゃあこないだのレコーディングは?」
「歌は打ち込みしないから、どうせならと思ってギターと歌だけ生演奏なの」
サナさんはまた、壁に立てかけてあったギターケースを小突く。サナさんの相棒は、今はこのギターなのだろう。ケースもギターも使い込んでるようなのに綺麗で、こだわっているのがよく分かる。
「やっぱり曲作りから歌まで、しかも演奏もサナさんやってるんですか……なんというスペック……」
「演奏してるのはほぼ機械だけどね。歌も本当は歌ってくれる人とかいるといいんだけど」
サナさんが肩をすくめる。
「打ち込みならやっぱり、ボーカルシンセサイザー? でしたっけ? 使うんじゃないでしょうか?」
「持ってなくはないんだけど……うん……その、ね……」
察するに、どうやら満足行く出来にはならなかったらしい。サナさんの目線が完全に泳いでいったところで、私はこれ以上なにも言わぬ、と誓った。
***
その日は結構遅く来てしまった為、片付けは明日からと言っていろいろ話しながらサナさんの作った夕食を食べた。
サナさんの家は少しこじんまりとした変わった間取りの家。アイオライトのときもそうだったが、小さい家の方が落ち着くのだと言う。サナさんは立場としては通信学校の学生兼アルバイターだが、まさかの趣味の音楽でそこそこ稼いでおり、金銭面で困っていることはない。しかも代金の半分は弟さんが出してくれたのだと言う。
家の中も生活感が無いレベルで綺麗だし、本当に「ささやかに、幸せに暮らしていた」のが見える家だった。
その事を嬉しく思う反面、同じ人間なのに平社員ひらひらで、家もまともに探せない自分は何なのかと若干思ってしまったが。っていうかこの料理も普通に美味しいし。サナさんは過去に製菓店でバイトをしていた経験もあるらしく、調理の手際も恐ろしく良かった。盛り付けのセンスも家の食事とは思えない程に良い。この人一般生活で苦手なものないの?
「つばさ、明日から片付けとかで休み貰ったんだっけ?」
「あ、はい。ちょっと落ち着くまでは……って事で。今、そんなに忙しい時期でもないですし」
「ごめんね、明日私早朝バイトだからいきなり一人なんだけど……」
「いえ! 自分だけで全部出来ますから!!」
さすがに住まわせて貰って手伝わせるほどオトナ気ない私ではない。っていうかそんな事をされたらマジで凹みそうだ。まあ、年下にこれだけ面倒見てもらう会社員って時点でちょっともうかなりウルトラオトナ気ないんですけどね……。
ひと通り食卓を片付けて並んで皿洗いをした後、サナさんは「あとでつばさの分も食器買い足さなきゃね」と言いながらソファに腰掛けた。
「すみません、先に用意しておくべきでしたね。……あれ、でも今日は2セットありましたね?」
一人暮らしの割りには食器は充実していたが、その理由を「たまに来客があるから」とサナさんは言った。
それが私の知らない、サナさんの前からの知人なのか。それとも、今の人生で知り合った知人なのか……サナさんにとっていい人なのか、わるい人なのか。ちょっと勘ぐりたくなってしまうところが、私の、『私が』嫌なとこだった。
「つばさ、変な顔してる」
「してませーんよ」
サナさんに少し気づかれて、慌てておどけてみせる。サナさんは隣りに座った私の肩にちょっとだけもたれ掛かり、私の頬を小突いた。
「心配しないで。知人の中に悪い人は居ないわ。私にとってもあなたにとっても……もう、あの時のように邪魔する人はいない」
「……サナさんは、この人生で……変わったりしましたか、もう私がいないって思ってたりしましたか? ……私を諦めて、誰か……。男性と共に、とか思わなかったんですか?」
サナさんに招かれた時から、ずっと私の心のなかでそれだけが引っ掛かっていた。
私は、サナさんはもういないんだと思ってた。忘れたわけじゃなかった。忘れられなかった事が余計辛かった。サナさんと出会った後も、サナさんはもう私のことを好きじゃないんじゃないか? とか、やはりもう恋愛対象にはならないんじゃないか、とか……。
はっきりと言えば、この世界で女同士は稀だから。問答無用で異性同士の関係を前提に過ごさなければいけない世界だから。
泣きそうになってきた私のおでこに、サナさんはそっと手のひらを宛がう。ギターの弦でちょっとささくれた指が、まぶたを通過した。
「人間に生まれて普通の幸せを手に入れても、貴女以外を愛したりしないわ、つばさ」
なっ。
「ひぃああぁぁあぁぁ!!」
「うわっ!?」
サナさんが急接近してきたのに驚いて、私は大声を上げてしまった。更にそれに驚いたサナさんが、思わずのけぞる。
「す、すいません……びっくりして、でも、よくそんな小恥ずかしい事が出来ますね……」
「何よ『小恥ずかしい』って……! もう、滅多に言わない本心よ」
お互いに言い合って、同時に吹き出した。安心したのと、今の私達には似合わない空気がおかしくて仕方がなかった。
ただ、またサナさんに同じ気持ちだと言ってもらった事が、それ以上に嬉しかった。
「サナさん、ちょっと調子乗ってますね?」
「ごめん、ご飯食べたら眠くなってね、ちょっと悪ふざけしたくなるっていうか……なんていうか、明るいうちには出来ないじゃない?」
「どういう意味ですかもう……」
サナさんの肩を小突いてツッコミを入れる。ちょっとだけ調子に乗ったサナさんは、普段とは別の余裕がある。
「さて、コントも終わったところで、良い子はお風呂用意してシャワー浴びて寝ましょ。明日もお互い忙しそうだし」
「コントじゃないです、もうっ!」
「今度はお笑いコンビでも組む?」
「……それでもサナさんは上手くやっていける気がして恐ろしいです」
「あははは、ありがと」
***
つばさにまだベッドがないので、ベッドルームの床に布団を敷いた。
『わりとどこでも熟睡できますから~』と言った彼女は宣言通り、ものの数分でその布団で床についた。
私は眠気はあるものの、どうにもよく寝付ける気がしない。ベッドの上で縮こまりながら夜が明けるのを待っている。
それこそあの頃は全く眠らない日もあった、ただそれは自分が能力で補っていたから平気だっただけだ。
今はただの人でしかない以上、徹夜にメリットはない。
でも、つばさを家に招き入れたからには、あまりかっこ悪いところを見せたくなくて……。
だけど、それが自分の悪いところだとも分かるわけで……。
「貴女の側で、今度こそ心から素直になりたいわ……」
***
「ん……あ、サナさん? ……は、バイトかぁ」
翌朝、サナさんが出かけた後、私はひとり、のっそりと起き上がった。思わずサナさんを探すが、バイトに出かけたサナさんが返事をするわけがない。
適当な朝食を取り、適当な身支度をして適当な部屋掃除を終えた。何度荷物を整理しても、やっぱり元旅人の荷物は数分で片付けられてしまうぐらいには少なかった。これならわざわざ片付けるための休暇なんて、必要なかったなあ……。
「……まぁ、今更仕方ないですよね」
取ってしまった休みはとりあえず有りがたく頂くとしても、小さなこの家で引っ越してきたばかりの私に今のところやることがない。
私は仕方なく、周辺の探検も兼ねて家をふらりと出た。ちょっとでも暇になると出歩く癖も、元旅人由来なのか、それともただの家出体質なのかよくわからない。
サナさんの家の周辺は、整備されきった程よい自然が少し海外を思わせるようなおしゃれな街。サナさんの事だからあまり活気のない街に住んでいるのだろうと思ったが、街を歩いてみれば、その洗練されつつも穏やかな街の雰囲気は、今のサナさんに驚くぐらいぴったりだった。
私は妙に納得しながら、近所のお店や施設をしばらく眺め歩く。スーパーやら薬局やらといった生活の基盤となるお店から、小さなカフェまでが揃っていて、改めてここを選んだサナさんのセンスに圧倒されかけていた。
「サナさんは本当に何をさせてもうまくいくんだなぁ……」
今まで躓きまくってきた自分と重ねあわせると、その格差はすごくて、やっぱり少しだけ落ち込む。だけど、私だってサナさんの隣に居るためなら、と頑張ってきた、それは今だって同じだ。
特にサナさんは、自分を卑下する人が嫌いなぐらいに優しい人だから、私はサナさんの隣では笑っていたい。私が自信を持たなくてどうする! と意気込んだ。
***
軽く周辺を散策して家の前に戻ってくると、ちょうど反対側から見覚えのある青年の姿が見えた。
「……やぁ、こんにちは『旅人さん』?」
彼のほうが先に私にその正体に気づき、そう声をかけてくる。私は思わず後ずさりをしてしまうが、彼はその姿を見て、銃でも突きつけられたように両手を軽く上げた。
「……もう君達の邪魔はしないよ。する目的もないからね」
サナさんによく似た、やっぱり美形の青年はその中性的な顔立ちでそう緩く微笑んだ。
そう、サナさんの家にやってきたのは、彼女の弟……ルナさんだった。サナさんが言っていた時々の来客とは彼のことだったのか。
「……そういえば貴方も居たんでしたね」
私には姉さんも翅も、プルームもいなかったので、サナさんの弟の事を意識していなかった。そういえば実質的な家族は弟だけって言ってたな、と思い返す。……少なからずその言葉で、サナさんはルナさんとそれなりに上手くやっている事を察せた。
「サナちゃんから聞いてるよ、君は姉弟とは巡り合わなかったんだってね。僕らはこの世界でも双子で生まれたんだけど……あ、僕は隣町に住んでるよ。たまにこの家の庭の手入れとかしに来てるから、こっちの町も慣れてるけどね。……サナちゃんに差し入れ持ってきたんだけど、サナちゃんはバイト中かな?」
そこまで聞いてないよ……と私は内心思いつつ、自己紹介のつもりなのか、自分の事をペラペラと話す彼の話を聞いていた。なんというか、改めて彼と向き合うと、言葉の言い回しが妙に胡散臭くて、彼の言葉は真意が見えづらい。それがサナさんと似たもの同士っぽい気もするんだけど……。セリフ回しを気にしてしまうのは、編集者の悪い癖なのかもしれない。
微妙な表情をしたままの私を見て、彼は困ったように微笑んだ。とりあえず、と庭先にあったベンチにお互い腰掛けると、彼は窓の隙間からサナさんに持ってきたという差し入れを家の中に入れる。慣れた風なのを見ると、頻繁に差し入れを持ってきているようだ。
「僕は、君らの生活に首を突っ込む気は本当にないから安心して。まあ、あんな事しちゃった後だから疑われても仕方ないけど……君を見守るという使命がなければ、あの時だって邪魔したくはなかったんだけどね……」
「そう、ですか」
彼はもう一度そう弁解して、また困った顔をした。警戒を解く様子のない私に、恐らく弁解の手段を失ったのだろう。これ以上の弁解はどうせ通じないと思ったのか、彼は足を伸ばしその先に目線をそらす。
「サナちゃんも、僕も、いたって普通の人間として過ごしたよ。関係も良好だし、本当に何もない……まあ、サナちゃんがトラブルに巻き込まれやすいのは変わらないけど、『一般的』って表現に収まる範囲だよ」
「それだけでもサナさんが落ち着いて生活出来てるってだけで嬉しいですよ、私は」
サナさんが言う「今まで平和に生きてきた」は本当なのか? と少し疑問に思っていた所だったので、彼のその言葉は素直に嬉しかった。サナさんはどこか感覚が麻痺している部分があったから。
「……うん、君に再会出来たっていう事も本当に良かったと思っている。サナちゃんは、今のサナちゃんは君があってのサナちゃんだ。決別があったとはいえ、君を失ったと確信した時は……サナちゃんはサナちゃんじゃなくなってしまうと思うから」
「……っ……」
サナさんは私に出会う直前に、友達を亡くし、沢山の人を犠牲にした事件を起こした。私に出会った事で取り戻した心が、今のサナさんを保っていると彼は言う。あの日、サナさんと別れた日、永遠の絆があったからこそ、今まで私達は私達でいれたけれど……サナさんがどこかで、もしくは私がどこかでそれを「失くした」と思った時……お互いに今の自分を保てなかっただろう。
「でもね、同時に、サナちゃんが受けてきた仕打ちは消えてるわけじゃない。それも含めてサナちゃんはサナちゃん。記憶を消して本当に普通の人間として生きていたら、それは今より幸せかもしれないけど……サナちゃんが生まれ変わった意味はなかったと思う、だからサナちゃんの記憶は消されていない……意味、分かるかな……?」
ルナさんは、少し意味ありげな笑みで、小さく首を傾げた。私はぶんぶんと頭を横に振る。
「サナちゃんが受けてきたものが壮絶すぎて、サナちゃんはどこかに空虚を抱えてるかもしれない……あの時のサナちゃんなら、こんな生活選びはしないと思うから……サナちゃん、忙しすぎるのが心配なんだ……」
「……それは、私も思いました。サナさんはこんなに趣味に忠実な人じゃなかったと思います……」
かわいい家、おしゃれな街、音楽を楽しむサナさん。確かにサナさんがどれも好きそうだけれど、あの時のサナさんなら、こんなに『人間味のある生活』はしないと思う。
そりゃあ天使だった時と、今人間として過ごすのには差があるけど……アイオライトとして、共にあった時みたいな、少しスリルを求めているような……なんか、違う。言葉に出来ないけど。
「それに、サナちゃんにはまだフラッシュバックがある」
「フラッシュバック……」
「主に寝る時なんだけど、思い出したくない事を思い出すんだって……サナちゃんは基本的に耐える人だから……寝不足の時とか、具合悪い時とか、ちょっと周りの人と関係が悪い時とかにパニック起こしたり、泣き叫んだりとか……環境によってはそれにすら耐えたりすると思う。人前では絶対耐えるから気づきにくいと思うけど……」
私にもそれは覚えがある。刃物の夢だ、プレナイトを名乗っていた時に何度も見た、人を刺す夢。料理すら出来ない位の先端恐怖症に陥っていた。サナさんはたまにその夢を見た私を宥めてくれた事もあった。同じだったんだ。もしかしたら知らない内に一人でそれに耐えていた日もあったのかと思うと、苦しい。
「……私は、もうサナさんを悲しませたくないです。せっかくこんな世界にきたのに、今までサナさんが生かしてくれた私を、このまま無駄にしたくはありません、どうしたらいいんでしょうか……」
「……うん、ありがとう。実はそれを託したくて、今こんな話したんだ……通じてくれてよかった……」
そう言って彼は笑った。その笑顔を見る限り、彼は心の底からサナさんの事を想う一人だと思った。今こそ家族愛と語れる彼にだって、サナさんと何か摩擦があった事もあるのだろう。プレナイトの時……あの時は妙に険悪な空気を感じていたから。
この世界は、サナさんに対する私達の運命のリベンジなのだ。
「サナちゃんが拒否しないのであれば、サナちゃんの側にいてあげてくれると嬉しいな。ただ、サナちゃんは……君の前ではかっこいい人でありたいかもしれないから、様子が変だと思ったら連絡して欲しい。あの人、変に弱み見せて後から気まずくなるの苦手だから……君は、笑って隣に居てあげて」
「はい、わかりました」
彼が電話を差し出したので、私もポケットから電話を取り出す。連絡先を交換した。
結局話が終わってもサナさんが帰ってくることはなく、彼は用事があると言ってそのまま帰って行ってしまった。サナちゃんによろしくいっておいて、と言って手を振る彼は、もう私の目に怪しくはない。
彼もまた、この人生で何かにリベンジをかけているのだとわかったからだ。
ちなみにその数分後に帰って来たサナさんが彼の差し入れを確認すると、中身はお気に入りの有名店のお菓子だったらしく、サナさんは妙に上機嫌になっていた。流石双子というか、この辺りの好みは熟知しているらしい。同じ製菓店でバイトしていた事もあるぐらいなので、センスも元々あるのだろう。
「ルナさんも学生さんなんですか?」
「あまりその辺り詳しく話して貰ってないけど……最近民間の研究室に出入りしてるらしいの。学者さんに弟子入りをしたみたいね。後はフリーランスでコーディングとか資産運用とかしてるみたいだし、私よりよっぽど自立してると思うわ」
サナさんはあまりルナさんのする事に口を出さない事にしているらしい。他人事のように言いのけて笑っていた。この距離感もサナさんの様子を見れば悪くはない関係なのだろう。
後から聞く限りではどうやらルナさんは、サナさんの身体の事や心配を少しでも拭えるような技術を知りたくて、科学者を目指しているんだとか……。ルナさんも、彼も彼なりに人間としての生活の傍らでサナさんに歩み寄る努力をしているらしかった。
***
「さて、掃除完了、洗濯終了……つばさ出勤した……やることないわね……」
すっかり綺麗になった部屋の真ん中で、サナは腕を腰に当てて、ふぅ、と息を吐いた。バイトも用事もなく、つばさは出勤してしまった昼過ぎ。既に掃除など家事も済ませ、サナはやることを失くす。
「ちょっと早いけど、買い物行っておこうかしらね……」
誰に語りかけるでもなく、サナはそう呟きながら財布と家の鍵を手にする。どうせ近所だからと、鞄すら持たない軽装で玄関を出た。
近所にある小さな公園とふと通りがかった時、ブランコに小さな人影を発見した。
「ん? あれは……」
ブランコをつまらなそうにぷらぷらさせている、背丈の小さな少女がいる。少女と行ってもそう子供ではない。柔らかくウェーブした髪を下で一本にくくっている、オリーブ色のチュニックにショートパンツの、カジュアルな雰囲気の女性。
サナは彼女に見覚えがあった。見覚えと言うより記憶覚えというべきか。サナとルナの元の姿であった「アメ」。彼女はそのクローンから生まれた天使、「カン」だった。アメが亜展開で見つけた廃棄されたもうひとりの「アメ」。彼女もまた、この世界に生まれ直した。
『アメ』は神が追放された後、暫定的に神様となったその力で『過去の自分』『クローンの自分』、サナのクローンだった『きぃ』、そして『自分自身の分身』を天使として生き返らせ、今ではサナの家の近くで人に紛れて過ごしている。
サナも、天界戦争中の堕天使である『アメ』と、最終的なアメ自身、神を越えた神、『コエ』と顔を合わせたことがあった。
カン自身に会ったことは今までないが、話はよく聞いている。ちょっとやんちゃな性格だと聞いていたが、一人寂しく公園でたそがれる姿はどうやら落ち込んでいるらしかった。
「こんにちは」
ちょっと暇つぶしと挨拶を兼ねて……と、サナは彼女に近づき、声をかけた。彼女はぱっと顔をあげると、ちょっと困惑した顔を見せた後、何かを悟ったように表情を変える。
「あんたは、きぃちゃんの『オリジナル』?」
「きぃちゃんには内緒ね、私がここにいるって事すら知らないから」
彼女達『アメ』3人と、サナのクローンだった天使、きぃは共に過ごしている。
きぃはアメの為に、そしてサナの為に奮闘してくれたものの、その願いにサナが応える事はいまいち出来なかった。その関係性を引き摺るには少し忍びなくて、サナはきぃに対して、この世に『生き返った』事は秘密にして距離をとっていた。
「あなたはアメの……って言っちゃ悪いわね……。こんな所でどうしたの?」
「ん、ちょっと、喧嘩? かな」
そう言って再度、カンはブランコをぷらぷらさせた。サナも隣のブランコに同じように座る。まだ昼を過ぎたばかりの空は、じっとしていれば秋空でも十分に暖かい。
「……ねえ、えっと」
「サナ、よ」
「サナ、さん? は……きぃちゃんの事どう思ってる? ……いや、てた?」
ちょっとした沈黙の後、カンはぽつりとそうサナに問いを投げかけた。サナはその質問に、心のなかでは『はぁ、なるほど』と察しをつけつつも、静かに答える。
「正直に言うなら、悪いことをしたと思っているわ。……だからこそ会えていない。私自身が幸せな存在でなかったから、あの子が受けるかもしれない仕打ちとか、私自身があの子の願いや努力を無下にしてしまった事も申し訳ないと思ってる。だけど、それを否定するのは違う。会えたこと、仲間でいてくれたことには感謝しているし、何よりあの子がいなかったら私は本当に化け物になっていたかもしれない。ただ、同じ存在だとしても、在り方が変われば、それはもう別人よね。それが良いのか悪いのかはわからないけどね。……貴女はそれが嫌なのかしら?」
「やっぱり、分かっちゃうか……」
「適当に探るつもりだったのでしょうけど、その質問がもう答えよ。アメと別の存在になるのは怖い?」
サナは肩をすくめて微笑む。カンも仕方なそうにへらっ、と笑っていた。
「アメは誰にでも興味があるつもりで、誰の方向も向いてない。きぃちゃんの事は勿論、対等だといいつつ僕にも向き合わない。お互いに『本物偽物同士はいがみ合うものだから』って言ってくだらない喧嘩で遊んでた時も最初はあったけど……今は、適当にあしらわれている気がすんだ、やっぱりクローンといるのは気持ち悪いのかな……対等で、いつまでも一緒で、でもいがみ合うとかじゃなくて……変なのかな……いや、別に特別好かれたいとかじゃないんだけどさ、それはそれでまた違うって思うし」
そう告げるカンの指先が、悔しげにブランコも紐を握る。その言葉にサナの心臓も痛かった。アメも思っているのだろう、自分の運命にカンを巻き込んでしまった申し訳無さ、気まずさ。横並びで居なければいけないプレッシャー。自分が先に立ってしまえば、カンが偽物で造られたものであると証明してしまう事になる。ならば、最初から並ばない方が円満だ。
「貴女がそう思わないなら、きっと本人もそう思ってはいないと思うわ……ただ、私なら……自分だけの思想に、例え同じ存在でも付き合わせるのは悪いって思うかもしれない。それに、貴女はもう純粋なアメのクローン体ではない。それをモデルにした一人の天使、貴女は貴女、彼女は彼女という認識をしなきゃいけないかもしれない」
サナは淡々と、自分ときぃの関係を思い返しながらアメの想いを推測する。カンはブランコ下の砂利を蹴っ飛ばしながら、静かにサナの言葉を聞いていた。
アメの前ではアメの望むように、アメの喧嘩相手として、アメの理想であり続けていたであろう彼女。でも、いつしかその均衡が崩れる。彼女は彼女の在り方を、彼女自身に疑われていた。
サナもまた、カンの言葉を反芻しながら言葉を探すが、サナ自身から答えを出してどうにかなる話ではない事しか分からない。ただ、誠実にできる限りの回答を探した。
「アメも救われた存在じゃ決してなかった。おどけて見せる事の多い人だけどね。それが寂しいのかもわからない。残念だけど私に答えは出せない。でも、貴女がそう思ってるだけで、彼女は十分救われると思う。嫌いも好きも、その時貴女が思ったように決めてあげて」
「う……うん……よく、わかんないけど……あんがと……」
二人でちょっと仕方ない、といった風に顔を見合わせて、小さく笑う。いつの間にか日は傾きかけていて、少し風が冷たくなっていた。
「あ、コエだ……そろそろ流石に帰らなきゃな、サナさん……じゃあ」
サナはそう言って、公園の前を通り過ぎたコエの元にかけていくカンに小さく手を振った。と、同時にサナを見据えたコエにも小さく手を振っておく。それだけで神様のコエなら、2人で何をしていたかは推測できるだろう。コエもサナのその意図に気づいてか、何ノリかわからないが親指を向けてサムズアップを差し出していた。
さっきの落ち込みはどこにいったのやら、カンがぶんぶんと腕を振って視界から消えるまで、サナも手を振り返し続けた。
「ふふ、小学生の男の子みたい……」
思わずその可愛らしさに笑ってしまう。ようやくその姿が見えなくなったところで、買い物のために外に出たのを思い出す。
***
買い物の帰り、公園の前の通り過ぎたら、さっき家を飛び出していったはずのカンと、今はただの人間であるサナが一緒にいた。カンは私に気づくと、すっかりサナと仲良くなったのか、サナに手を降って別れを告げながら駆けて来る。
「コエ、ごめん。勝手に飛び出して……」
「珍しいな、サナと一緒にいるなんて」
「うん、ちょっと……愚痴ってたっつーか」
少しバツが悪そうに、カンはそう告げた。大体察しがつく。彼女はきぃにもそうしたように、サナに対して聞いてみたいことがあったと言っていたからだ。サナもこちらに気づいて手を振る様子、何かを……恐らくサナときぃの関係について話したのだろう。
カンは腕が千切れるぐらいに、サナが見えなくなるまで腕を振りながら、共に帰路を歩く。
「サナさんを生き返らせたのは、コエなんだよな?」
ようやく手を振り終わったカンが、私に追いつくように小走りで駆け寄りながらそう問う。私は静かに頷いた。
「ああ……サナ、ルナ、つばさ……ヘイヤ、ハルト……すべて私の犠牲者……やり直す権利はあったと思う」
「……でもそれって、必ずしも幸せなのかな……」
その回答に、カンは静かに疑問を零した。……そう言われてしまうと返す言葉に詰まってしまう。私だってそれは、一瞬でもそう考えなかった訳ではない。けれど、やり直させた理由は確かにある。
「……そうだな、本当に幸せにさせるなら何も知らないままで、とか、あのまま終わりにさせてあげるのが優しいやり方かもしれなかった。でも、それは、私の正義に反する。上手く表現できないが……見てみたかったんだ。皆が皆のまま、リベンジを果たす姿を、な」
「『私の正義』……」
その答えに何か思う所はあったらしい。カンは少し考えた後、ふぅん……と小さな返事をした。
***
「ただいま」
「あ、サナさんおかえりなさーい!」
「つばさ帰ってたのね、おかえり」
私が帰って来てすぐ、買い物に行っていたらしいサナさんが帰って来た。買い物袋を降ろした音で振り返る。
「今日は夜仕事じゃなくてよかったの?」
「毎日夜までやってるわけじゃないですよぅ」
スーツから部屋着に着替えるためTシャツに頭を通していた私は、すぽんと襟から頭を出すと同時にむくれて見せた。
サナさんは笑いながら、それはごめんなさい? と意地悪に呟きながら、買ってきた牛乳を冷蔵庫にしまう。
夕飯の準備の為に包丁を取り出すサナさん、偶然点けたTVの音声が微かに聞こえた。夕方の時間帯のバラエティー番組には、世界滅亡の予言の特集が流れる。
「サナさんって、世界滅亡とか信じますか?」
「信じないわよ、そんな胡散臭い……」
「天使だった癖に……そういえば元々お化けもだめでしたよね~天使なのにね~」
キッチンカウンターごしに、肘を付きながら、私はニヤニヤとサナさんを見つめた。
「もう、からかわないで、貴女も今夜のスープの具にしちゃうわよ」
「ぎゃー! 包丁向けないでくださいよ!!」
サナさんがキャベツを刻んでいた包丁を見せる。私は逃げるようにものすごい勢いでカウンターの影に隠れた。
「貴女、まだ先端恐怖症なの?」
「違いますけど、サナさんが持ってると妙に刺されそうな!」
「どういう意味よ、もう!!」
カウンターの影に隠れた私の腕を掴もうとサナさんが駆け出す。私はひらりとそれを交わし、ソファの上に飛び乗った。くるり、と私はソファの上で身を翻すと、ちょっと乗り出して静かにサナさんに問う。
「……もし、本当に世界滅亡があって、まだ魔法が使えたらどうしますか?」
「……いつだって私がする事は同じ。貴女の為に動くわ」
サナさんはソファの上で軽く跳ねる私を抱きしめる。私も今度は逃げず、サナさんに合わせてソファに膝立ちになってサナさんの肩に腕を回した。
「いえ、今ここで魔法がなくとも、それが無駄だったとしても」
「私は今でも、サナさんのためにならなんでも出来ますよ?」
「ふふ、ありがとう」
そう言って笑ったサナさんは、今までのような「少しだけ」笑った顔ではなかった。私はそんな彼女の反応が嬉しくて、思わずサナさんの手を取る。
「また二人で旅に出ましょうね、サナさん」
「そうね」
そう言って微笑むサナさんは、その手をしっかりと握りしめていた。
***
晩御飯を済ませた後、サナさんがギターのチューニングをしている。
防音室が~なんて言っておきながら、未だにサナさんが防音室で曲を作っているのは見たことがなく、今も弱音器をつけたギターをソファの上でいじっていた。
私はただなんとなくその音を聞いているだけなんだけど、それだけでとてつもない満足感を覚えていた。
この平凡な世界で、彼女がどんな形でも満たされている、その風景を隣で一緒に過ごせる。
それを噛みしめる。
いつまでも幸せじゃないかもしれない、またあの時みたいに突然突き落とされるかもしれない。
でも、私も、サナさんも、きっと今を思い出して……それぞれになってしまっても、また、たぶん、平気だ。
サナさんと目が合って、サナさんはにこりと笑った。
そしてサナさんのギターが、ゆっくりとメロディを奏でる。チューニングが終わったようだった。
その旋律は、サナさんが次に出すCDのタイトル曲。静かに、サナさんの声がメロディに乗る。
『あなたの旅路に 寄り添うような春風吹かせ
僕も行こう 君の帰る場所
終わり無き夢に 立ちはだかる壁あっても
ずっと待ち続けるよ 笑い合える日々
時に先が見えなくても 君がしたように僕が照らそう……』