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suzuno's house

【学パロ】僕らはからっぽだった

2023.05.10 02:54

昼休みに行われた放送室での部活紹介を慌ただしく終え、続いた英語の授業では睡魔との戦いだった。ようやく一息つけるな、とあくびと共に教室を出て、のんびり、春風の流れ込む廊下を歩く。目指すは玄関の向こう、旧校舎、その部室棟。

これ以上部員を増やすつもりはないからと、いい加減なアナウンスをして放送部に冷たい視線で睨まれたのもやる気を削がれた。次に備えてさっさと着替えなきゃなあ、と頭の片隅では思っていても、どうにもやる気が出ないのは授業中に見た夢のせいか。

……少し懐かしい夢を見た。

「おいーっす」

ガラガラと音を立てて古い部室の扉を開く。乱雑とした部室の中で唯一、型落ちのパソコンと家庭用のプリンタが並んだ、『部室らしい』一角からひょこりと一人が顔を出す。先程夢で見たばかりの顔より幾分穏やかな顔をした後輩がぺこり、と頭を下げた。

「部長、お疲れ様です。……部活紹介聴きましたけど、あれ、大丈夫でした?」

「あれ、サナ一人か?」

その顔がじとりと湿気を帯びたのを無視して、部屋を見渡す。部員は多少の変動があったものの、現在全部で7人、今いる1対1を除いて後の5人の姿が見当たらない。

「鈴乃3姉妹は新聞裁断のゴミ捨て、きぃは補修、ルーは……知りません」

「はは、凝りないな3姉妹、どうせつばさが率先したのをよくと翅が取り合ったんだろ?」

「はは、つばさごと担ぎ上げて行きましたよ」

そう言いながらも手元を動かしたままのサナの顔は全く笑っていない。その様子から面白くないと思っていることは明確だが、それを口にしないのがこの後輩の良くもあり悪くもあるところだった。折角相思相愛の仲だと言うのにいまいちに踏み込まないのは……やはり過去のことがあるからだろうか、気持ちはわからなくもない。

「部長は今日も陸上部ですか?」

時短、という言葉で誤魔化して制服の下に着込んだジャージを見て、サナはこちらに問う。あぁ、と軽く頷いてから、手に持った着替えを指し示した。

「大会が近くてな。はぁ、面倒だ……」

「その為の練習じゃないですか」

その着替えを乱雑に部室に置くと、無理矢理に背負ったカバンから書類を取り出す。サナに投げ渡せば、何も指示しなくともサナはそれをパソコンに軽快なリズムで打ち出していった。

『情報編集部』と銘打たれたこの部室は、アメが見つけたときには既にもぬけの殻、幽霊部員ならぬ幽霊部活だった。活動内容としては校内新聞の発行、先生達が使うデータ処理の一部の手伝い、校内に張り出すテスト結果の掲示物作成……など、雑用寄りの新聞部と言う所だろうか。

とはいえ、パソコンをまともに扱えるのは7人中2人、今作業をしているサナと、ゴミ捨てに行ったらしいつばさのみ。あとはアメが直々に声を掛けて在籍させただけで、部活や仕事を兼任している部員も多い。部長であるアメもその一人で、最近は兼任の陸上部に顔を出さざるを得ない状態だ。もうすぐ卒業も迫り、実質の部長はニ年生のサナであるといえるだろう。

「おはようございまーす」

「……おはようございます」

「おっす、ルナ、きぃ」

部室の角に段ボール箱を積んで造った小部屋で着替えをしていると、残りの二年生、サナの双子の弟のルナと、2人の親戚かつ帰国子女のきぃが部室へやってきた。段ボール箱に布を挟んだだけの簡素なカーテンから顔を出せば、ルナはうんざり顔、きぃは困った顔でこちらを見る。

「部長、着替えてから顔だしてください」

サナは未だ画面から目を離さず、静かにツッコミを入れる。

「パンツいっちょのセクシーな私になんてことを言うんだ、サービスシーンだぞ」

「……部長、セクシーの意味分かってる?」

黒一点ながら中性的な雰囲気と感覚を持つルナでも、そのジョークは通じたらしい。冷ややかな反応に立てた親指を背後に向けた。

「ルナ、お前部活終わったら体育館裏な」

「えぇ……!」

自分で言っておきながら理不尽な、とでも言いたげな不満げなルナの叫びを聞いた所で、天井に埋め込まれた校内放送のスピーカーがノイズを吐く、まずい、と思ったときにはもう遅く、怒涛の叫びが校内を震わせた。

『天崎 愛亜子! アメ! さっさと来い!!』

「やっべっ!!」

「ヘイヤも苦労するわね」

その声の主は、サナとルナの幼馴染で、陸上部部長、ニ年生のヘイヤの声だ。情報部部長……アメがいつまでも来ない事にしびれを切らしたらしい。普段は冷静な性格なので、ここまで怒らせるのはもうアメの才能だろうと、彼をよく知るサナは呆れる。ルナもそれに賛同するように肩をすくめていた。

まだ上着に袖を通さないままにアメは段ボール箱の小部屋を飛び出すと、荷物を抱えてご自慢の脚で駆け出す。

「サナ、それ終わったらあとみんな解散させとけ! 鍵は私やるからー!」

駆け出しながらサナに叫ぶ部長に対し、サナは手でメガホンを作りながら、あっという間に遠ざかるその背中に言葉を返した。

「ルーは体育館裏に行かなくていいんですかー?」

「えぇっ!?」

「んー……来週まで考えて置く! 逃がすなよ!!」

「ええええ!??」

アメが去って静かになると、サナはルナに向かって仰々しく合掌してまた作業に戻る。

その瞳がわざとらしく悲しげだった。

「来週でお別れねルー……短い間だったけど……」

「ちょ、ちょっと待ってよ!!!?」

「サナさーん、ただいまー!」

「戻りましたぁ……」

「うー……」

そこに戻ってくる一年生の鈴乃3姉妹。一番最初に入ってきたのは次女のつばさ。サナと相思相愛、表情が豊かで元気が良い、サナのお気に入りだ。

「おかえり、つばさ」

たった数十分の別れとは思えない勢いで駆けてくるつばさ。サナは彼女の少女らしい小柄な体を抱きとめる。これで成人済みだと言うのだから驚きだ。

その後ろで片頬に傷を作ってぐちゃぐちゃの科学部兼任、長女のよくと、ティーンズ雑誌で読者モデルとしても働く末妹の翅。その様子を見てサナは苦笑するしかない。

「……ふたりとも、何して来たの……」

「ゴミ捨てに行ったら姉さんと翅がプロレスしてました」

あっけらかんとつばさが答えるのを見て、サナはあぁ……と脳裏に鮮明に浮かぶ状況に納得する。どうせまた、つばさにいい顔をしたい二人が揉み合って喧嘩になったのだろう。つばさは完全に姉妹のアピールはアウトオブ眼中といった様子で、ごみ捨てという任務を遂行してきたらしい。

「「今度やったら絶対許さん」」

二人が声を揃えると、一同に諦めにも似た笑みが溢れる。

「……さ、部長からお許しも出たことだし帰れる人から帰って。私も一段落したら鍵閉めるから」

「サナさん、一緒に帰りましょうよ~」

「はいはい、もう少しだけ待って」

平和に流れて行く時間。普通の、至って何も変わらない放課後の光景。

ただその光景を見ていたサナが、何かを振り返るかのように目を細めたのを、きぃは見逃さなかった。

***

「うぃ~す、朝の会議初めま~~す」

部員全員がくたびれた会議机に集められた朝の部室。いつもより豪快にその柔らかい髪の毛を踊らせた部長の、いかにも寝坊しましたという姿はもう慣れっこだった。書類片手に気怠げに部室に入ってくるのもいつものことで、もう誰も驚きやしない。

『ああ……朝練がないから余裕を見すぎたんだな……』

という一同の心の声が揃った。

「は~い、今月はいつものテストのランキング作成、今月号の新聞、生徒会サイトの更新……全て原稿は揃ってるぞ~~~~、い、じょ~~~う、おわ~~~~~~り」

「はい」

「はい、サナ」

強引に間延びした部長の連絡にサナがすっと手を挙げる。部長は手に取ったままの書類でサナを指し、サナは「部長、棒が多いです」と意見を述べたが、部長は早々に「権限で却下だ」と切り捨てた。部活会議のこの時間、活動なんて二の次のこの部では会議する事など特に無い。なんとか持て余す時間を必死で引き延ばそうとした結果らしい。

「ま、いつも通りという事で頼むよ」

「了解です」

「了解しましたー!」

そのまま書類は編集を担当するサナとつばさの手に渡り、持て余した時間はすぐに雑談へと切り替わる。サナとつばさは放課後遊びに行く予定を立てているようだし、きぃとルナとよくは空いた机にトランプを並べ始め、翅は自分がモデルをする雑誌を広げて新商品のチェックを初めた。

部室におもちゃやら何やら、新聞や掲示物を発行する以外のものの方が多いのは、こうしてこの場所が部員の居場所、というか私物化されているからだ。どんなに暇でも新しく仕事を提案するつもりは、少なくともアメにはない。まだ眠気の残る頭であくびを零しながら各々の動向をぼんやり眺める。

……最初はつばさとの話に穏やかに返事をしていたサナの顔色が、時計が2時間目の時間を指すにつれて少し曇っていくのを、居眠りのフリをして眺めていた。

「おし、各自自分のクラスに戻れ、また放課後。解散!」

そうして一時間目のチャイムが鳴り響く頃。起きたフリで部員を部室から叩き出す。気後れしてか、席をなかなか立たないサナを後回しに、ぱらぱらと部員が出ていくのを見送った。きぃは次が移動教室だからと小走りに、3姉妹も何かを競うように出ていく。

ルナはサナと同じクラスだが、何故かサナよりも圧倒的に先を急ぐように。

「サナさん、また放課後にー!」

「ええ、また放課後」

ばたばたと手を振るつばさに、サナも微笑みながら小さく手を振り返す。

「……サナ、また放課後な」

「はい」

その背を部長が軽く叩くと、サナは困ったように笑いながらもまっすぐ、自分のクラスへと足を進める。ただ、その足並みは……徐々にトーンダウンしていった。同じクラスを目指しているはずのルナと距離を取る。

家ではきょうだい。部室では仲間。でも。

…………此処では、『他人』だ。

***

「あーあ……」

サナが入力する事で、古びたパソコンの画面に映し出されていくテストの結果を眺めながら、つばさは大きな落胆のため息を吐いた。ランキング形式のそれは先週のミニテストの結果。下から探した方が早く見つかる『鈴乃つばさ』の文字は、残念な順位と共に並んでいる。

「私でなんでこう馬鹿なんでしょうね……」

「馬鹿な訳じゃないと思うけど……」

椅子の後ろ脚だけでバランスを取りながら、つばさは窓の外を仰ぎ見る。わざとらしい程の晴天に、遠くからする運動部の声。ため息ついでにきぃが焼いてきたのだというクッキーを齧りつつ、見たくない現実から目をそらした。

「馬鹿ですよ、どうしようもなく……皆さんより年上なのに、一番成績悪いし……先輩たちが優しいだけで……私はついていくのが精一杯ですもん」

きぃがすかさず入れたフォローも虚しく、二度目のため息を吐いて肩をすくめる。つばさは家庭事情で学歴にブランクがあり、それはもう学歴コンプレックスとして彼女に根付いているらしい。

姉は部活兼任、妹は芸能活動ともなれば、自分の能力が霞んで見えるのもあるのだろう。

「つばさ、私、そういう事言う人嫌いよ。人の心配を足蹴にするような真似はやめて」

「うっ、すみません!!」

サナが横からすかさず冷静な声を上げると、つばさは肩をすくめて声を上げる。サナはつばさのその態度に少し苛立ったのか、キーを叩く手を止めた。

「……それに、貴女はちゃんと教えてれば理解してくれるでしょ? 最初より順位は上がったじゃない。物覚えはいいんだから」

「そうですね、あのときにサナさんが助けてくれなかったら、私は入学早々辞めてたと思います」

そう言って微笑むサナに向き合って、つばさはようやく浮かせていた椅子の脚と元に戻して、きちんとサナに向き合う。

「サナがつばさに勉強、教えてたんだ」

「最初だけね。図書室で唸ってたのが気になって」

「……すみません、煩くて……」

サナは授業をサボりがちな方だが、要領を得ているのか成績は良い方だ。ルナと大体学年ではトップを争っているのを、張り出されるランキングできぃは知っている。クラスは違うので授業態度まではよく知らないが、サナは大体語学や歴史、対してルナは数学や科学に強い。……ルナの方はたまに音楽で居残りを受けてるらしいけど、親戚のきぃから見てもルナの音痴は知っていたのでそれは意外ではなかった。

「入学初日でもう躓いちゃって、なんとか直そうって図書室まで行ったんですけど……ここの図書室そんなに大きくなくて、参考書とかなかったんですよね」

「ああ……そうかも。あんまり進学とか強い学校じゃないもんね、ここ」

つばさはそう言って頭を掻く。この学校は正直学力は弱く、近所ではそこそこ『不良校』で有名だ。生徒の態度もよくはなく、制服も含めて校則はあまり規定がしっかりしていない。そんな荒れた校風の図書室など、参考書が揃うどころか、素行の悪い生徒の溜まり場でしかなかった。

「で、私本好きなので逆に本が気になっちゃって……集中出来なさすぎて唸ってたら、横からサナさんがテストを掻っ攫って……」

「さ、サナ……強引だね……?」

「あそこまでわかりやすく頭捻ってる人も初めてみたから、興味本位だったわね」

そう言ってサナとつばさが揃って苦笑する。その光景からもサナとつばさの仲の良さが伺えた。そうして奇跡の出会いをしたらしいサナとつばさは、今となっては部の中では『暗黙の了解カップル』という扱いだ。部長もそれを解って、つばさを部に迎え入れたのだろう。

よくと翅はどこか認めたくない雰囲気こそ出しているものの、どこかで『サナには勝てない』という思いもあるらしく、サナに直接勝負を仕掛けることはないらしい。

「あのときにサナさんが助けてくれなかったら、私はやめてたかもですね」

「私だってつばさがいなかったら、それこそ部どころが学校をやめていると思うわ」

そう言って意味深にサナが微笑む。その言葉に若干の含みがあったことには誰も気づかなかったらしい。

「あーー!! 負けたぁ!!」

よくがルナにトランプで惨敗したらしい叫びに、3人揃って振り返る。

「……部っぽくないけどね」

「そうですね」

「あははは……」

肩をすくめるサナに賛同するつばさ。その言葉を聞いてきぃも苦笑する。ひとしきり笑った後で、つばさがまた笑みを解いて悩ましげに呟いた。

「……でも、やっぱり余裕があって充実した生活を送れる人、ちょっと羨ましいんですよ」

「忙しすぎるのも楽しくないと思うよ?」

「きぃの言う通りよ、つばさ」

サナもようやく作業に戻りつつ、そのつばさの意見を軽く窘めた。つばさはでもぉ、と納得のいかなそうな顔で頬を膨らませたまま。

「……それが悩みなだけ、幸せかもしれないもの……」

「……サナさん?」

ぼそり、とサナが零した言葉が、サナの叩くキーボードの音にかき消される。独り言とも返事とも取れない微妙な言葉をつばさが聞き返そうとしたところで、下校のチャイムが鳴り響いた。

「お困りならこれから図書館行く? 作業はもう印刷するだけだから」

「…………うう、でもサナさん結構スパルタなんだよな…………」

「それが何か?」

「ひい!!」

にこり、と笑いながらにつばさの頭を撫でるサナ。その笑顔に怯えるつばさ。

「…………」

その後ろでトランプを片付けていたよくが、密かに二人から痛ましい視線をそらしていた。

***

「……なんだ、話って?」

「すみません、先輩も進路とか陸上とかで忙しいのに」

「いいよ、部員の困りごとぐらい」

その日の夜の事、アメはよくと翅に呼び出されて、鈴乃家近くの公園に足を運んでいた。二人揃ってアメを待つその姿にいつものつばさの取り合いの喧嘩の雰囲気はなく、二人共どこか決意したような、それでいて何かに絶望したような表情で居るのが、アメの気に掛かった。

「ここにつばさが居ないってことは、つばさの話か?」

「……そう、なるのかな?」

「なるかも、しれないです……」

顔を見合わせて話す二人の言葉には歯切れがない。

揃ってアメに差し出されたのは、退部届だった。

「……オレ、学校を辞めます。隣町に引っ越すことになりました」

「一人立ちという事か? 学歴が……とは言わんが、高卒資格はなくなるぞ?」

つばさ同様、いや、姉である以上それ以上に、よくにも学歴のブランクはある。余り先生たちのような堅苦しいことは言いたくないが、こうして学生になったばかりで諦めるのはもったいないだろう。読み合っていても仕方ないので、シンプルな疑問をアメはよくにぶつける。

「オレは、つばさについていきたかっただけなんで……。科学部で知り合った人から研究員として誘われてて、家を出たいって言ったら助手として住み込みで置いてもらえるって言われて」

そう言って視線をそらすよくの表情は、どんどん濁っていく。どうにも諦めがついた、といえるように見えないのが、他人事ながら納得行かなかった。

「今日、つばさがサナさんときぃちゃんに、オレ達がコンプレックスだって話をしてたんです。ずっと前から知ってて、でも聞こえないふりしてきたけど、別にオレはつばさの悩みの種になりたくて一緒についてきた訳じゃなくて……。置いていくぐらいならもう諦めた方がいいなって、決めたんです」

「……そうか、そんな話をしてたのか」

今日は陸上につきっきりで部室に顔を出していなかったのが悪かったか。アメも一瞬の後悔を胸のうちに秘めて唇を噛んだ。しかし、部員の決定を無下にする権利は自分にはない。持ち直してよくに向き合う。

「……本当に、それでいいのか、よく? 確かにつばさは、今は…サナを選んではいるが……」

「……いいんだ、つばさがもしもサナさんと続かなかったとして俺と続くとは思えない、翅ともそうだけど、つばさは俺達と距離を感じてるのは分かってたから………」

そう静かに語るよくに、いつもの少年のような元気さはなかった。

「……翅もこれを渡してきた、って事は同じか?」

「……うん……私もモデルに専念しようかなって思って。姉さんから今日の話聞いて、お姉ちゃんの足は引っ張りたくないなって思っちゃって……」

そういう翅の表情も、明るくはなかった。かといって、引き止めて考え直すような雰囲気もないし、実際自分の目から見ても、つばさと二人の関係が変わりそうにないことはなんとなく理解る。反論のしようがなかった。

「……分かった。これは預かる」

そのまま二人の退部届を受け取って、ジャージのポケットにねじ込む。他に言えるような言葉はなかった。ありがとうなのか、お疲れ様なのか、誘ってすまなかったなのか、適切な言葉は見当たらなかった。

「お疲れ様っす……」

「……では」

それ以上なにも語らず、逃げるように駈け出して言ったよくと翅の背中に、部長は呟く。

「……諦めてねえじゃん……」

しゃーねえか……と呟くアメの顔色も、恐らく本人が気づかないだけで二人と同じ顔色だ。行く先がないなら、と誘った部員がこじれていっていることはずっと前から認識していた事。行く先が見つかったのなら、ここに留めておく必要もない。

不満か、愚痴か、なにだか分からない感情を飲み込んで、アメも公園を後にした。

「おぅ、つばさおはよう」

「部長、おはようございます」

翌朝。玄関先でつばさとばったり会ったのでアメはつばさに声を掛けた。つばさらしい元気な声色に変化はないが、心なし少し複雑な顔をしているのは恐らく部員が減った心配してのことなのだろう。アメも普段通りの声色を心がける。片手で鞄をくるくると手で回しながら壁により掛かり、つばさの話を聴いていた。

「よく、引っ越すんだってな?」

「はい、なんだか科学の道に専念する為にとかで……翅もモデルに専念したいって言ってるし、うー、また先を行かれました……」

……なるほど。アメはその様子に昨日の二人の言葉を思い出した。そうして姉妹の活躍に頭を抱えるつばさを見ていると、確かにこれ以上言う事は何もない。

「あまり焦るなよ? 慌ててやっても身につかないぞ」

「わ、分かってますけど……昨日サナさんに怒られたので、今はとりあえず目の前のテストに集中します……!」

どうやら昨日サナに色々絞られたらしい。気合からか両手を握りしめるつばさは、それはそれでどうやら大丈夫そうだ。アメは内心、静かに胸を撫で下ろしたところで、掛けられた声に顔を上げる。

「あ、部長、おはようございます。つばさもおはよ」

そこにサナがやってきた。サナは穏やかに手を振りつつ、弾みか、いつものスキンシップか、つばさの髪をひと撫でする。その流れの自然さを見れば『勝てない』事も明確で、アメもあの二人と同じような『諦め』がついた。

「おっす、サナおはよう」

「サナさん、おはようございます!」

つばさが少しだけ心もとない表情から笑顔を咲かせたのを見ると、よくと翅の諦めた気持ちもわかる。普段感情を表出さないサナが、ほんの少しだけ柔らかく微笑むのもあって、この二人が「続かない」ことがある訳がないなと自然と思った。

仕方ないか、と音を出さず呟いてから時計を見上げると、ちょうど時計の針がひとつ動く。あと数分しないうちに、次のチャイムが鳴るだろう。

「よし、二人とも、残念だが授業が始まるぞ。クラスに急げよ」

つばさは慌てて「じゃあ放課後にー!」と駆け出す。

が、それを見送ったサナは少し表情を曇らせ、無意識か、脚をすくませた。その様子を見逃さなかったアメはサナの頭を背伸びしてぽんと叩く。

「今日は新聞の入力がある。待ってるよ」

「……はい」

できるだけ優しく言うと、サナは少し微笑もうとしたのか、口元が軽く緩む。

ただ、その眼は笑うことはなかった。

***

「水野……えっと、姉の方。28ページ3行目から」

「はい」

教科書を手にして立つ。竦む体を悟られないように、まっすぐ、自然に、まっすぐ、自然に……意識すればする程、正しい姿勢がどうだったか、頭から抜け落ちそうになるのを必死で堪えて立ち上がった。

聞きたくないのに聞こえてくる、耳障りな笑い声が怖い。怖くて何処から聞こえてくるのかを探す事すらできない。

どこかがおかしくないか探すけど、何がおかしいのか分からない。だけど、笑っている。誰かが。

既に目の前の文字は霞んで見えるのを、ただただ必死で噛み殺して、『おかしくない』ように正確に文字を読み上げる。その教科書も誰かに傷つけられて、まともに文字が読めるような状態じゃない。水道に落とされたのだろうか、あるいは雨水か、それともトイレか。塗りつぶされたらくがきに書かれた文字は、どんな言葉だっただろうか。考えたくない、考えない。そう思って必死で気をそらそうとするのに、どうしても胸に突き刺さる。

怖い。恐い。こわい。動揺しているのを見られないよう、必死で抑える。背中に何かがぶつかる感覚があるのは、消しゴムか、ちぎったノートの切れ端か。

斜め後ろに座っている、見慣れた顔の少年は窓の外を見て知らないふりをするばかりだ。あれは他人。あれは他人あれは他人あれは他人……

「よし、次、29ページ6行目から」

「はい」

次に指名された誰かが席を立てばぴたりと笑い声が止む。お前の存在が邪魔で黒板が見えない、と言われる前に極力屈んで座った。ムダに高い背丈を呪う。多分、背がなくたってそう言われるんだろうけど。

震えた手で、投げられたメモを回収する。

『邪魔、早くお前も消えろ』

恐怖に零しそうになる悲鳴を噛み殺す。

なぐり書きで書かれた筆跡が誰のものかは分からない。わからない。分からない。

***

視界の端に見える縮こまる少女の震える手元の側。ルナは視線だけで盗み見るように、サナの机を覗き込んだ。

忘れたふりをして出さないノートは、もう冊子の形を保っていない。踏み潰されたのだろうか、なげつけられたのだろうか。ぐしゃぐしゃのただの紙の塊になっていた。

ノートとしての余白は既になく、鉛筆らしい筆跡でここからは読めないがなにかしら書かれている。きっと、心もとない言葉の山。聞いているだけでも痛々しい、聞こえる陰口と対して変わらない内容だろう。

前の時間に返却されたはずの、忘れるはずはない提出したばかりのノート。こんなことはしょっちゅうなのに、先生も敢えてそれを思い出してはくれないらしい。成績こそ悪くないものの、サナの成績表はいつも授業態度が悪いからと低く設定されている。サナも諦めてしまったのか、ここ最近は授業から逃げ出してしまうことも珍しくはなかった。

事の発端は一年生の頃、サナが友達と起こしたトラブルだった。合唱コンクールの近づいた秋頃、友達としてしまった喧嘩をクラスメイトに見られた事。その友達が運悪く引っ越し前夜だった事。コンクールでピアノを担当するはずだったサナが、それをきっかけに弾けなくなってしまった事。そのせいで足を引っ張ったと認識されて以降、サナはすっかりクラスの邪魔者となってしまった。

進級してからはその出来事はもう忘れ去られたものの、サナの立場は変わらない。陰口悪口は当たり前、私物に手を出されたり、影で暴力を受けたりと日に日に行為はエスカレートしていく。

……今朝も、家を出る前は恐怖で震えて、着替えもままならない状態だった。それを取り繕ってでも玄関を出る姿があまりにも痛々しい。

それを見る度、こうしてクラスの片隅で縮こまる度、いつも助け出したい、と思うのだが、どうしようもない。出来ない。手段がわからなかった。

一度、海外出張で家に居ない親に連絡を取ろうとか、主任や教頭に訴えようとか、大人に言う事も提案した。けど、サナは一度もその首を縦には振らなかった。

「余計なことをしないで、大丈夫、我慢できるから……貴方に出来ることなんかないでしょ?」

もう耐えなくていいから、お願い、もう「嫌だ」と言ってほしい。きっと彼女は、世界で唯一の血縁者の僕を恨む事しか出来なくなっていく。

それでも、ルナを恨むことで少しでも彼女が自分を恨まないなら、それでいいとルナは思ってしまっている。関係は既に壊れていた。壊れてる。いや、狂ってる。それとも、『フツウ』?

分からない。わからない。分からない。

* * *

今日の最後の授業は体育だった。授業と部活の開始の間には、掃除や部活の準備などの時間を含めた30分の空きがある。まばらに生徒たちが校舎に入っていく中、サナとクラスの男子生徒数人だけが体育倉庫の裏に取り残されていた。

「っ……!!」

生徒達が居なくなり、帰りのホームルームも始まっているクラスがある中、悲鳴を上げては響いてしまう。サナは動くことも声を上げることも許されず、ただされるがままに蹴られ、殴られ、倉庫の壁に叩きつけられる状況を受け入れるしかなかった。

気づけばもう半年はこの状況だろうか、蹴られるのも殴られるのももう慣れた。出来た痣を隠す術もすっかり見について、クラスの外では大人は愚か、多分別クラスのきぃにだってバレていない。

「ぐ……っ」

思考を先に殺して、他人事のように暴力を受ける自分自身を俯瞰する。髪を掴まれるのも、手を踏まれるのも、目立たないようにやられている分、まだいい。むしろ周りにバレないのは好都合だ。自分が痛いぐらい、どうってことはない。

一番怖いのは、つばさにこの傷を見られることだった。

つばさの前に好きになったクラスメイトにこの傷を見られた過去を思い出す。そこから崩れた関係は、数ヶ月ですっかり崩壊してなくなった。今や言葉を交わすことだって殆どない、他人に成り下がった。

つばさと二度とそうなりたくない、その一心で耐えられる。ルナに助けを求めた所で、突き放されてしまったら二度ときょうだい関係には戻れない。今までだって、ずっと一人でいたのだから、変わることなんてなんにもない。隠し続けられる。大丈夫。鋭い痛みに耐えながら、サナは自分に言い聞かせる。

「っ、そろそろヤバいんじゃね?」

「おい、片付けとけよ。バラしたらただじゃおかねーからな!!」

授業終了、部活時間突入のチャイムが鳴り、男子生徒達が校舎に引き返した。そろそろ部活が始まり、顧問の先生もグラウンドに出てくる頃。この姿を見られてはまずい。サナは自分に強く投げつけられて周囲に散らばったボールをひとり拾い集める。急がなければ、と痛む身体を強引に動かした。

屈むだけでも、強く蹴られた胸部が痛む。口に入った砂と血の味が気持ち悪さを呼ぶ。殴られている間、吐き捨てられた言葉のひとつひとつがその痛みを広げるように、頭に反芻していた。嫌だ、忘れたいのに、気にしたくないのに……。

「う……っあっ……うぁあぁ………っ」

嗚咽しながらも手は止めない。急がなきゃ。泣き止まなきゃ。もう20分もすれば、部活が始まってしまう。泣いたまま皆の前には出られない。壊したくない。

湧き上がる何かを噛み殺すように、サナはその場を極力片付けることにだけ集中した。

「っ……また……」

なんとか無理矢理に涙を引っ込めながら片付けを済ませ玄関まで戻ると、次は靴がなくなっていることに気づく。今月で隠されるのは24回目、見つからなかったか、見つかっても使える状態じゃなくて靴を買い直したのは3回ぐらいだろうか。これも誰かに見られないように、こっそり買いに行くのもそろそろ限界が近い。

もう隠し場所の目安も付いたが、画鋲やカッターの刃の「仕込み」にはなかなか慣れない。靴棚の上に転がされて居た靴は埃にまみれていた。払うつもりで滑らせた指がスッと音もなく切れる感覚は、何度体験してもゾッとする。

「い……っ!!」

痛い。と、言うのも許されない。

何度も誰かに言おうかと考えなかった訳では無い。でも、そのせいで誰かが犠牲になってしまうことが恐い。それに、サナには対等に話せる相手がいなかった。

つばさやきぃには心配をかけたくない。彼女たちは優しいからこんな自分にも情けをかけてくれるだろう。関係を壊して、また昔みたいに戻ってしまったら、今度こそ耐えられない。

部長はたまに迷惑をかけてしまうけど、彼女にはそろそろ決めなければならない進路がある。これ以上、できる限り邪魔しちゃいけない。

ルナは確実にもうクラスでは自分の事を無視をしているし、何より唯一の家族に心配はかけられない。翅やよくだって、自分のやりたい事を頑張る為に部活を去った。

これは、自分の背負うべきものだと、また言い聞かせた。

言い聞かせなければ動けそうにないぐらい、限界が近いことから目をそらして……。

* * *

『えー、情報編集部です。残念ながら我が部は現在部員は募集しておりません。掲示物の制作を行っています。掲示の際にはいたずらなどせず黙ってご覧くださーい』

「こら、適当な事を言うな!!」

「ちっ、うるせーなあ、嘘はついてないぞ」

新学期も程なくして、部活勧誘の時期。放送をいい加減に話して怒られた。

その後、すっかり気分を害したまま退屈な英語の授業の中で見た夢は、サナと出会った時の夢だ。

そういやあれから半年は過ぎたのか、初夏に入りつつある窓の向こうを眺めながら思い出す。

サナと最初に出会ったのは転校初日の事、放課後に部活を見て回っていた時のことだった。

特に部活に入ろうとはアメは考えていなかったが、担任が口うるさく『とりあえずでいいから』と勧めてくるので仕方なく各部の様子をドアの外から軽く眺めて歩き回っていた。

「とりあえず、って言ってもなあ……」

とはいえやはり興味はない。ピンとくる部は特になく、『やっぱり興味のあるところはなかったです』という返事を脳内に用意する。まだ建物の位置もよく把握していない転校初日、前の学校では怖がられて友達も特に居なかったし、欲さなかったせいでクラスメイトに案内を頼むきっかけも特に掴めなかった。どこまでがどの部活の使いっている部屋かもよく分からない。

「ま、散歩しとくか、もう二度と来ないだろうしな」

どこからか吹奏楽部の合奏が響き始めた廊下を悠々と歩いていると、その合奏が始まったはずの教室から一人の少女がギターを抱えて出てきた。

彼女は演奏をしないのだろうか? それともヘタすぎて外された? だとしたら大分スパルタな部活なんだな……と若干、その光景が気になり、アメは彼女の後を追う。

彼女が2つにまとめた髪のひとつが無駄に乱れているのがまた、スパルタ受けました、という感じで、少しだけ面白そうだとアメの野次馬心を働かせてしまった。

俯きがちに隣の準備室に入った彼女の姿を追い、アメはドアの隙間から覗き見る。ろくに使われても居なさそうな古びた備品が圧迫する小さな部屋で、ボロボロの生徒……恐らく下級生だろう少女は、異様に浮いて見えた。

髪は乱れているし怪我もしているし、何より死んだような、浮かない顔をしているのに……どこか、それが綺麗というか、魅力というか……強さを感じたのだ。

俯いていたからか、覗かれてるとは気づかないまま髪を結び直した彼女は、一人ギターの弾き語りを始めた。少しだけ泣きそうに震えた声で、しかし隣から聞こえてくる合奏に負けないような強い意思の声。ギターの弦を弾く腕、そのシャツの袖から覗く痣と、何かを訴えるような歌詞。

アメは湧き上がる何かが押しつぶされるような気持ちになり、その歌に魅了された。

この学校には音楽系の部活がどうやら吹奏楽しか無い。

一人弾き語りに興じる彼女は、その枠に収まりきらなかった人間なのだろう。

色は違えど、やはり枠からのはみ出し者のアメは、そのサナの姿を見て、思わずサナの前に飛び出していた。

「なあ君!」

「…………はい?」

サナのその警戒した目を思い出すと、今でも少し可笑しく思う。あの時のアメは自分で思い出しても相当の不審者だっただろうから。

「私と新しい部を設立しないか?」

「……は?」

そうしてアメがその日のうちにがらんどうになっていた情報編集部を見つけ、サナをはじめに、成績に唸っていたつばさ、ルナ、きぃ、よく、翅……皆を呼び集めるのにそう日にちは掛からなかった。

ただ、サナが吹奏楽を完全に追い出されてしまう頃には、サナは歌を歌わなくなってしまった。

* * *

「……私、部活始めた……らしいんだよね」

「へ?」

サナが一年生の秋を過ぎた頃。合唱コンクールも終わり、残ったのはクラスメイト達との亀裂と、隣に開いたひとつの席だけだった。『サナの隣』は完全に誰も座らない呪いの席になり、すっかりサナに対しての恨みのようなものは常習化して、サナもそれに慣れてしまった頃、クラスに転校してきたのは珠莉という生徒。

大人しく寡黙気味の彼女もまたそこまでクラスには馴染めなかったらしく、いじめられまではしなかったものの浮き気味になったらしい。いつの間にかサナと話をするようになっていた。そのうちに理由は分からないが、珠莉はサナに好意を抱くようになったらしい。最初は同情か、からかいのつもりか……と警戒していたが、話を繰り返すうちにそれに根拠も考えも無いのだとサナは実感した。

サナから見た珠莉はあまりにも純粋で、それでいて疑わない。そして少し考えが甘くて、一言で言ってしまえば『頭の悪い生徒』だった。なし崩し的に付き合うことになって数ヶ月、雪がちらつき初めた頃。空き教室での密会もそろそろ退屈が勝ってしまう。

自分自身への興味が薄く、食事におざなりな珠莉に合わせて買った菓子パンの味も、もう美味しいとも感じなくなっていたが仕方なく封を開けて齧りつく。

「吹奏楽は?」

「追い出された。そしたらなんか知らない先輩に声掛けられて……校内新聞とか作る部が空いてるから、って」

珠莉も乱雑にパンを齧りながら、淡々とサナの言葉に返事を返した。その返答は単純に話の続きを引き出すだけで、サナの言葉の裏にある「知らない先輩に巻き込まれて困っている」という意図には気づかないらしい。

端から期待などしてはいなかったが、心の何処かで言葉の裏に気づいて欲しい心理がサナを苛立たせていた。

「そうなんだ」

「…………それだけ?」

「いや、サナがいいならいいんじゃないの?」

無意味と分かっていても苛立ちに任せて聞き返す。指摘をされても気づかない所が、サナは本当に嫌いだった。こちらが我慢すればそれなりの関係を築けるかもしれない、という期待もこの数ヶ月ですっかり踏み躙られる。

「……もう少し関心とか無いわけ?」

「な、なんで?」

珠莉はただただ怒られた事にオロオロするだけで、サナの言っている意図にはまだ気づかない。この気の弱さ、押しの弱さ、自身のなさもサナにとっては苛立ちの要員だった。もしもここで珠莉が「はっきり言ってくれればいいのに」とでも反論してくれれば、まだ腹を割って話も出来ただろう。けれど、こうして理不尽に怒ったところで珠莉はわからないと狼狽えるばかりで話にならない。

「……もういい」

「え、なんか、ごめん」

いつもこうだ。サナが先に謝るなり諦めるなり折れるなりしたところで、こちらが譲歩した事にも気づかないだろう。……果たしてそれは『好意』なのだろうか。……その謝罪は『反省』になるのだろうか。

「……無理」

「え?」

一瞬の自問自答の末、サナの口から先に答えが出る。結局、自分ばっかり支えになってばかりで下手に消耗していく関係に結論が出てしまった。

「……もう駄目だ、ごめんなさい。私、もう貴女と居るの辛い……」

そう言うとサナは食べかけのパンを握りつぶして立ち上がる。私物をいじられないようにと持ってきた鞄、暖房のついていない部屋で過ごすために膝に掛けていたコートを抱えて教室のドアに手を掛けた。

「えっ、ちょっと待って……ご、ごめん、なんかわかんないけど、その、怒らせたんだよね?」

「……どうせもうすぐクラスも変わるだろうし、続けていける関係に思えない」

未だ意味もわからず慌てふためく珠莉に、説明している時間すら馬鹿馬鹿しく思える。

「ごめん、帰るから。聞かれたら帰りましたって言っておいて」

「え、待ってサナ……」

そのままぴしゃり、とサナは教室のドアを閉めて物理的に二人の間を遮断する。また授業は2時間ほど残っていたが構わない。もう馬鹿馬鹿しい。玄関まで駆け下りる途中、階段の踊り場で一度振り返ってみた。珠莉が追いかけてくる様子はない。

……もうチャンスは無くなった、と判断してサナは校舎を後にする為にそのまままた玄関まで駆け出す。

結局、誰の手も取ったところで突き放されるだけだ。ならもう何を言うつもりもない。誰にも助けなんて求めない。

そう心に決めたところで、クラスメイトに足を引っ掛けられて階段から転げ落ちる。

伸ばしていた髪を引き千切られたのはその日のことだった。

***

「あれ、サナは?」

「具合悪いそうで、奥で寝てます」

放課後、アメが部室に入ると、珍しくサナの姿が見当たらなかった。サナの代わりに作業をしていたつばさが指した方向、部屋の片隅に作られた段ボール箱の更衣室を覗けば、具合悪そうにサナがうずくまっている。この暑い日に長袖の上着を着ているのが『怪しい』。

「サナ? 大丈夫か?」

「……う、部長、すみません……今日、仕事……」

「いいよ、いいから帰りな」

声を掛ければもそり、と慎重に起き上がる様子からも、怪我をしているのは間違いなさそうだ。立ち上がろうとしてフラ、と倒れかけるサナを支える。サナがへにゃりと作り笑顔を浮かべる様子からも相当疲れているな、とアメは察してしまう。

ろくに歩けなさそうなサナを更衣室から引きずり出す。身長差で支えきれないアメの変わりに、倒れこんでしまいそうなサナをつばさが支えた。

「……つばさ、ごめん」

「大丈夫ですよ、掴まってください。保健室行きましょう」

サナは平気だから、と口では零すものの、いじめられている事実を隠しているつばさの手前、強くは反発出来ないのだろう。そのままつばさに支えられてよたよたと歩くサナの背を、つばさに聞かれないよう十分に見送ってから、部室の片隅で黙り込んだまま、まるで気配を消したように息を潜めていたルナにアメは声を掛けた。

「おい、ルナ。まだ、あんたのクラス……」

「……止められないんだ、どうしようもないよ」

やたらと冷静に、まるで当たり前のように、さらりとした口調でルナは答えた。その他人事のような言葉を聞いたアメの頭に、カッと血が上る。気が付いたら殴ってしまいそうだったが、殴ったところでサナは救われない、と、ギリギリ自制する。自分のせいで誰かが争うのが、サナにとって一番苦痛であることは一目瞭然だった。

「……実姉だろ。お前の家は海外出張で親だって居ない。お前が味方じゃなくてどうするんだよ……」

「……無理だよ」

それはどういう意味だ。問い詰めそうになるのを、アメは唇を噛んで耐える。何故、なんで、サナだけがひどい目に遭って、サナだけが苦しまなきゃならないんだ。サナと出会って半年、全てではないにしろ、怪我の跡やぐちゃぐちゃにされた私物、理不尽な目に遭うサナをそれなりに見てきた。サナが必死に誰にも言わないで欲しい、耐えられると頑なに頼み込んで来たからこそ、静かに見守って来たつもりだった。

それなのに、実の姉弟ですらこんなに冷たいのかと思うと腹立たしい。一触触発の空気が流れる中、いつの間にか部室のドアの前で震えているきぃがそこに居た。

「……ね、ねえ、なんの話……?」

いつから聞いていたのかは分からないが、良くない空気だけは感じ取ったらしい。それまでそっぽを向いていたルナが、きぃを冷たい目で見る。

「……隣のクラスでは聞いたことないの? サナちゃんの事。一年生の時も結構話題になったけど、きぃちゃんが海外から帰ってきたのは今年になってからだもんね」

「何、ねえ……サナが……どうかしたの……?」

部活中、普段は朗らかなルナの視線が嫌に冷たいことにきぃは怯えの色を見せる。が、ルナは構わない。

「サナちゃんは、クラス全員からのけ者にされてるって話だよ。つまりいじめ。」

「おいっ!」

当たり前のように、平然と答えるルナを、アメはいつの間にか殴っていた。ルナは悲鳴の一つも上げず、殴られた頬を押さえるだけでアメを睨み返す。きぃは目の当たりにした二重の事実に、思わず後ずさって部室から立ち退く。

「あんたみたいな、あんたみたいな奴がいるからっ…!!」

「……痛い」

「ふざけるな!! あの子はもっと痛いに決まってる、何倍も痛いのを何回も喰らってる、それだけじゃない、あの子はっ、サナは!!!」

「部長、やめて!」

きぃが再度ルナに殴りかかろうとするアメを取り押さえようとする。だけど暴れるアメを取り押さえられない。運動部兼任で喧嘩慣れしたアメの拳は、再度ルナへと迫った。ルナも反射的にその衝撃に身構える。

「部長」

そこに静かに掛けられたサナの声に、アメの拳は止まった。騒ぎを知ってか知らずか、サナの声も普段よりトーンが低い。

「……申し訳ありませんが、早退を……続きはつばさが。今は先生に呼ばれていますがやってくれるみたいなので……」

怪我の痛みを抑えてか、堪えるように話す姿が痛々しい。振りかざした拳を静かに下げて、アメはサナの両肩を鷲掴んだ。

「っ!!」

痛みと驚きにビクつくサナにアメが向き合う。馬鹿馬鹿しい。腹立たしい。こんな状況になっても、自分が頼まれた仕事の事を考えているサナ。それをどうしようもないと言い切るルナ。こいつらを追い詰めたやつ全部。

騒ぎの反動で机から落ちたのだろうか、床に転がっていたサナの荷物を部長は掴みあげた。

「サナ!」

「は、い?」

荷物を強引にサナに押し付け、彼女の肩を持ってぐるりと方向転換させる。

「……もう来るな」

「え……っ?」

きっと泣かないようにしていたのだろう。終始無表情だったサナの表情が、朝と同じように悲しげに曇った。さっきまで無理にまで笑っていたサナの表情が、初めて苦くなる。

「もう来るな!! あんなクラス……いや、こんな学校に来るな!!!」

「っ!!!!!! 部長、まさか話を!」

その後ろで苦い顔をしているきぃとルナの顔を見比べて、サナの表情に怒りと絶望が交じる。一瞬、その秘密を漏らしたアメに、サナが掴みかかろうとする手をアメが払う。呆気に取られて、サナは身を竦ませた。

「こんな奴らに関わるな。帰れ」

「…………」

アメは怒りを静かに沸騰させながら、サナを睨み続ける。馬鹿らしい。アメは呆れすら感じていた。

サナがひどくされるたびに、怪我を手当てしたり、ご丁寧に鉛筆書きで真っ黒にされたノートを綺麗に消してあげたりしてきた。だけど、誰も自分以外に改善しようなんて思ってないのだ。

これでは意味が無い。

この部を創った意味も、サナを誘った意味も、自分がこの半年でした事も。

「帰って……もう、来るな」

アメの発した声が、廊下に虚しく響いた。

***

季節は変わり、すっかり冬の風が吹く頃。陸上部の大会では可もなく、不可もなくの成績を残した後、呆気なく引退の時は訪れ、アメの卒業も秒読みとなった。進学をするつもりは元々なかったが、進路を決めるのも何となくやる気が出ない。適当に地元企業に声を掛けて、バイトから始めるという約束を取り付けた。フリーターとはいえ決まった進路に大人達が煩く言うこともなく、暇を持て余す日々が続いている。

あんなににぎやかだった放課後はしん、と静まり返った。

あれから、本当にサナは来なくなった。サナのクラスの事はもう知らない。ルナは学校には来ているようだが部に顔を出すことはない。

きぃは一応部に時々来ているが、サナにはあれから会っていないそうで、どうしていいか分からないでいるらしい。ただ、サナのクラスのターゲットが変わった事は噂で耳にしたそうだった。

つばさには完全に隠していたいらしく、つばさはまだサナの事実を知らないでいる。家庭事情か何か、という曖昧な言い訳をどうやら信じているらしかった。

サナがいないとつまらないという事と、本格的に勉強に追いつけなくなってきたという事を漏らし、やはりこちらも部活からは足が遠のいている。

翅も部をやめてから学校で見ることはなくなり、順調にモデル業をこなしているようだ。

年度末という事もあり今年中のミニテストも無く、今年度分の学校新聞も発行を終えて、本来の部としての仕事ももう無い。アメはがらんどうの部室でため息を吐いた。

一人、年末だしなと初めた掃除で手にとるのは、かつての部員たちが残したものばかりだ。揃って遊ぶ為のトランプやらオセロやらのテーブルゲーム。キャンプに行くことになって買い揃えた寝袋。天体観測に行くと行って買った小型の双眼鏡。海に行くからと持ってきた大きな浮き輪……がしわくちゃに萎んだ姿。翅が初めて載った雑誌、つばさが勧めてくれた本、よくが科学部で造ったよくわからない装置、きぃが持ってきたお菓子の包み紙、ルナがつばさに教えた数学の計算式が書かれたメモ……。

「……サナの、ギターのピック……」

まだ、部活を初めた頃。部員がサナとアメだけだった頃に、何度かサナはこの部屋でギターを弾いていた。サナが一年生の頃。髪は今よりも随分伸ばしていて、まだ私物へのいたずらも少なかったから学校にまでギターを背負ってきていた。

初めて会った日、サナは吹奏楽部に所属はしていたもの、ギターを弾ける場所を探していただけでそもそも吹奏楽を求めていた訳ではなかったらしい。その姿勢が他の部員との亀裂になり、合唱でピアノを弾けなくなった事も相まって、追い出されたのだそうだ。

その代わりに、という形でサナがこの部室でギターを弾いたのは2、3回ぐらいだったか。サナの歌声が好きだった。あの日のような粗削りな声感情を乗せたではなかったが、それでも好きだった。

が、それも秋を過ぎた頃。長かった髪を切ったサナの背に、あのギターケースはもうなかった。

もう歌わないのか、とは聞けないまま、サナは静かに音楽から離れていった。

……まるで、誰かと別れを告げた後みたいに、何かを忘れようとする姿がそこにあったから、アメは下手な事を言い出せなかった。

そしてその埋め合わせのように、今までアメに距離を取っていたサナが部活の仕事に精を出す姿を、アメはいつしか少し誇らしい目で見ていた。だから、きっと見落としたのだ。

「自惚れたのかもしれないな……」

サナのピックをごみ袋に投げ入れる。……一瞬の間を置いて、もう一度拾い上げてポケットに押し込んだ。捨てた方がいいと分かっているのに、どうしても捨てられない。

ため息を吐いて、もう一度部室を見渡す。

あんなに賑やかだった場所に、誰も居ない。

ひどい人間に囲まれるのなら、誰も居ない方がましなのかもしれない。

「居場所を作りたかったはずなのにな」

誰も居なくなった部室で、小さく言葉を漏らした。

自分に皮肉を込めて呟く。果たしてそれは、誰の為の居場所だったのだろうか。

* * *

アメが迎えた卒業式に、見慣れた顔の下級生は一人もいなかった。淡々と終わっていく式。結局ほとんどの時間を部活に使っていて、学校の事をよく知らないまま、その部活も締りの悪いまま卒業してしまう事が分かってしまえば、涙なんて1つも出なかった。

少なからず話し相手のようなものはいたが、特別仲がいい訳でもなかったので、惜しむ別れも無い。中途半端な時期に、地に足がつかないままこの学校に来てしまったからだろう。ぼんやり、別れに涙を浮かべる同級生たちを少し冷めた目で眺める。別れの歌は意地でも口を開けなかった。

式が終わった後、記念撮影ラッシュを自慢の足で抜け、部室近くの階段の最上階、校舎を見渡せる屋上でただぼーっとしていた。今年は冷たい風が吹きすぎたのか、サクラの開花には間に合わなかったが、ひどく綺麗に晴れていて、温かい風が心地よい。春の香りを無意識に吸い込む。

嫌気が差す程に天気と裏腹な気分を覚ますつもりで冷たいコンクリートにこてん、と寝そべるとその耳に近づいてくる音に気づいた。

「……部長」

「来るなって言ったじゃないか」

ふと声がする方向を見れば、サナが立っていた。寝そべったままのアメを覗き込むその顔は、あの日のような怒りにも悲しみにも染まっていない、ただ柔らかく微笑んだ顔をしていた。

「今日は授業もありませんし、式にも出てません。クラスにも行ってませんよ」

「あの部はもうもぬけの殻に戻ったよ、私は部長じゃない」

アメは拒絶のつもりで体を起こし、サナに背を向けた。サナはそれでも構わず、隣に座る。

「じゃあ先輩。卒業おめでとうございます」

そう言ってサナはアメの手に強引に何かを押し付けた。手渡したのは、小さな花束だ。ちゃんと花屋で買ったような、小ぶりながらもきちんとしたブーケだ。

「実を言うと花、苦手なんですよね……。枯れてしまうのが怖くて。……花それぞれに意味があるらしいのは知ってるんですけど、先輩に似合いそうなのを適当に見繕いました。変だったらごめんなさい」

そう言ってサナは微笑む。その顔を見ていると、悲しいような悔しいような気持ちになって、アメはゆるゆるとサナを抱きしめた。

「あんたはいい人すぎる、あんなにされたのに、私、あんなに怒鳴ったのに」

「先輩だっていい人じゃないですか」

「違う……違うんだ……」

サナもアメを静かに抱きしめ返す。内緒にしておいて欲しいと言われた事を裏切って漏らした相手に出来るとは思えないぐらい優しく抱きとめられて、アメは強く首を横に振った。

「いい人のふりをしてきただけの、狡い人間なんだ、私は……」

「……どんな風に?」

サナはそれでも、怒る様子も見せずただアメに静かに聞き返した。一人残された部室で思った事を、アメは素直に吐き出す。これでサナの内緒を漏らした埋め合わせになるとは思えないが、こちらもサナに黙っていたことがある、その義理だけは、嫌われてもいいから晴らしたかった。

「前の学校から……私は2年が終わるか終わらないかぎりぎりの所で転校してきた。喧嘩っ早かった私は不良のパシリにされて……ある日突然ふっかけられて、その喧嘩を興味本位で買って、ぼっこぼこにしてしまって……結局私一人が悪者扱い。補導されて、親戚の手でここに飛ばされてきたんだ」

サナはその言葉に驚くことはなく、静かに微笑んだままアメの姿をその目に捉えていた。

「親から同級生から、ニュースでもネットでも批判されて一人になった。もうダチなんてもんは要らないと思っていたが、部活を見つけろと言われて不自由を感じたんだ。このまま、一人じゃ何も面白くないって……そんな時に偶然、吹奏楽部を追い出されたお前に会って、あの部を見つけて……お前達がそれぞれ大変な立場にいるのを知って、面白そうだ、って……卑しい意味で拾った。今度は誰かを助ければいい。そうしたらきっと、『私の為』になるな、って……最低だよな……?」

アメは一気にまくしたてるように喋った後、自己嫌悪から膝を抱いてうずくまる。サナは仕方なそうに笑いながら、自分より小さい先輩の背を包むように抱きしめ直した。

「私は先輩の事、好きですよ。先輩は何度も私を救ってくれました、ノート綺麗にしてくれたり、敗れた服縫ってくれたり……だから私は先輩にだけは話せたんです。……動機と結果はどうであれ、皆の事を支えてくれたじゃないですか、私は……あの時間が大好きでした、一瞬でも輝いた日々だった、辛くなかった。だから耐えられると思ったし、実際耐えられてしまったんだと思います」

空を仰ぎ見るように、サナは一旦深呼吸をする。その視線に合わせてアメも空を見上げた。日が暮れかけて、空のはじから色が青から紫に代わっていくグラデーションも、ひどく美しく見える。

「……その過程を誇らしく思うのは私の自由ですよね?」

そう言うと、サナが立ち上がる。微笑むような表情から、少しいたずらな色に笑顔を変えていた。

「あ、あとつばさから伝言です、授業追いつけなさすぎて学校辞めるそうです、ありがとうございました、お世話になりました、とのことです」

アメはその言葉に頷くことは無かった。そうか、つばさ、お前も諦めたのか……。やっぱり私は何も守れなかったんだな……。そうぼんやりと思った瞬間、頭上から鳴り響くジャ~ンという音色。

その聞き覚えのある音に慌てて顔を上げた。夕日に照らされたサナが手にしていたのは、あの時のギターだった。出会って半年、いや、もう一年。いつの間にか諦めていたサナのギター。あの時より随分とくたびれて居るのは、埃を被っていたのか? それとも影で諦めていなかったのか。

「あ、あん……サナ、あんた、歌!!」

「……大丈夫です、出せます」

サナはにこりと微笑みかけると、ギターの本体を小突いて数拍、そしてかき鳴らすリズム。

歌い始めたのはあの歌だった。サナが準備室で叫んでいた、痛みと感情の歌。ただ、あの時は弾き語りでしかなかったあの歌が、『歌になっている』。綺麗に歌えている。

サナがもう一度、アメに向かって、歌声を止めないまま微笑む。サナは立ち止まっていなかった、そう確信した瞬間、ようやくアメの視界が滲んだ。

そっと、ポケットに入りっぱなしのピックを思わず握りしめながら、涙をこぼす。

「サナ……っ、ごめん、ごめんな……ありがとう」

サナの歌はしばらく続き、やがて余韻を残して弦の振動も鳴り止んだ。陽は大分暮れ、そろそろ下校のチャイムも鳴るだろう。サナはギターを背負い直すと、アメの手を取って立ち上がらせる。

「……つばさはよくと翅の支援で通信制の学校に行くそうです。部での作業が結構好きだったらしくて、あれから情報処理系の試験を受けました。よくと翅もつばさの為にと思えば仕事も順調だそうですし、きぃも部員にお菓子作ってたの結構好きだったみたいで進路は製菓学校だそうですよ。……私もちゃんと卒業します。……ルナとあれからちゃんと家で話し合いました」

「……日数は足りるのか?」

アメは恐る恐るサナに聞く。嫌気が差してしょっちゅう授業を抜けていたり、動けず出られなかったせいでサナの成績は点数よりよっぽど悪い。サナは苦笑して答えた。

「あはは、ギリギリですけどなんとか。全部はまだですが、何が起きたか……ちょっとずつ家族に話してみてるところです。きぃが聞いたお陰で親戚じゅうの話題です。先輩が言ってくれなかったら、多分きっかけが掴めないまま意固地になったままだったと思うので、これは先輩のお陰なんです。……どうですか? それでもまだ部は、先輩の卑しい目的の場所ですか?」

アメは涙をこぼしながら首を横に振る。良かったと笑うサナの顔も微笑んだまま、でも少しだけ眉を寄せた。

「……部はきちんと守ります。ルナときぃも年度末の忙しさが過ぎたらまた戻ってくると約束してくれてますから」

そこまでサナが言うと、校舎にチャイムが鳴り響く。そろそろ校門も施錠されてしまう。

……サナが授業を抜け出すのによく使っていた校舎裏の抜け道を除けば。

「……サナ、もう一回歌ってくれ。お前の歌が良い」

「帰れなくなっちゃいますよ?」

「裏道知ってる癖に良く言うよ」

それもそうですね、とサナは微笑むと、またギターの弦をかき鳴らす。二人きりの屋上コンサートは星が見えるまで続く。

それは、7人の、最高の青春の幕切れのエンディングだった。