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suzuno's house

【アイドルパロ】鴉の唄と偶像世界

2023.05.10 02:54

ギター用の保護ネイルコートが乾いたのを確かめて、ようやくギターケースを背負う。いつもはふたつに結っている髪を解き、顔がバレないように深くキャップを被って、衣装とは程遠いシンプルなパーカーとプリーツのミニスカート。変装としてはぬるいぐらいにシンプルでも意外と素性がバレないのは、素性を誤魔化す魔法を使っているからだ。

『ねぐら』を出て歩き出す。路地裏を縫うように身を隠すのは、少しでもリスクを下げる為だ。暫くして見えてきた大きな道に合流して、堂々と大通りを通ればレコードショップの店先でデモPVが流れている。

見慣れたようで見慣れない顔にブロンドヘアの女の子が、和服ともドレスとも取れぬ衣装でギターをかき鳴らしている。あの子が実は歌が上手いことは知っていたが、あんなに情熱的に歌えることは知らなかった。

その先の交差点を曲がれば、大通りのヴィジョンから、穏やかな男性の声が2つ。幼馴染の一人と、血縁者が共に歌っている姿は、なんというか……笑えてくる。ユニット名も自分にはおかしくて、思わずふふ、と声が漏れた。

TV局に辿り着けば、ホールにはアコギを抱えてふんわりと風を纏ったような宣材写真。その中からこちらを静かに見つめる女の子のポスター。本名からは想像もつかない洒落た名前は誰がつけたのだろうか。地味だと思っていた顔つきも、優しい歌に似合う。きちんとすれば綺麗なのに、彼女はいつもそうしないから勿体ない。

その足がようやく楽屋に近くなると、対面するのは見慣れた姿のポスター。しかしその表情は、自分の顔だというのに違和感しか見当たらない。自分で自分が気持ち悪くなるぐらい、アイドルの顔をしている。

2つに結った黒髪、羽根飾りの付いたインカムに青いギター。ネクタイにフリルスカート、鴉をイメージした尾付きの黒い、羽根を象ったベスト。

両端にはブロンドボブヘアをふわふわさせた女の子と、オレンジのショートヘアの双子の女の子。つばめとコクチョウを象った衣装で空を舞う。芸能を極めたものこそが強者となるこの街で、彼女たちの名を知らぬ者は居ない。大流行のアイドル3ピースバンド、「マイグラトリニティ」。

彼女はここまで続けていた正体を隠す魔法を解く。

「あっ、サナさん、おはようございます!」

すぐに廊下を行くスタッフがその正体に気づいた。もう夕刻だが挨拶はおはよう。それがテレビの世界だ。気づかない方がおかしいという程に目立つその存在が、此処では強力な武器になる。

「おはようございまーす! 今日も『マイグラ』をよろしくお願いしますねっ♡」

すぐに帽子を脱ぎ、サナは可愛らしい声を作ってついでにウインクを決める。ハンドサインとウインクに隠れた露骨な宣伝も今やキャラクターとして成り立っているのだから、これ程自分の実力に呆れる事もない。

そうして挨拶をやり過ごして楽屋に入る。ドアをきっちち閉めた所で、顔色は真逆の無表情に変えた。先程の態度とは打って変わっていきなり大きなため息を吐く。

「おはよう、サナ!」

「おはよ! サナちゃん!」

楽屋で揃って待っていたのは、メンバーの女の子二人。キーボードのリヤとベースのティヤだ。二人はまだ学生だが、アイドル活動と趣味、学生業をしっかりこなしている。演奏や歌の技術も履くわらじの数にしては抜かりがない。心こそ開かないもののそこだけはサナも評価していた。

センターでギター&ボーカルのサナを合わせて、3人で『マイグラトリニティ』。渡り鳥を意味する『マイグラトーリーバード』と、3人組を意味する『トリニティ』をもじった名前は、『マイグラ』の愛称で親しまれている。空を飛ぶパフォーマンスで人気を博すアイドルの正体は、16歳の少女と、13歳の双子。

「……おはよ、リヤ、ティヤ。チューニングは済んだの?」

サナはわざとトーンをアイドルとしての顔より1つ2つ下げた声で冷たく言い放つ。情は持ちたくないし持たれたくもなかった。『目的』の為に邪魔だから。

「ばっちりだよー」

「サナはどうしたの? 元気ないね?」

「別にいつも通りよ。 さ、ちょっと合わせましょ」

それでも双子はどうやら気にしていないのか、そういうものだと既に思われているのか。リヤの細やかな心配も軽くあしらって、誤魔化す為に微笑んだ。アイドルらしい輝いた笑顔の裏で取り繕った笑顔を見せる。

「サナちゃんは真面目だね、りょーかいっ」

「はいはーい!」

しかし、今日はその造り物の笑顔にも、特に覇気が見られない。それでも平気と言われれば、若干13歳の双子二人はサナを疑うことは無かった。内心の焦りを隠すように、サナはギターを取り出して見せる。

リヤはショルダーキーボードを、ティヤもベースを構える。軽快な返事とともに軽く演奏の音合わせが始まる。サナの指は迷わずそのギターの弦を弾くものの、心はそこになかった。

……最近、きぃも、ルナ達も、上に来ている……マイグラは……私は、まだトップでいなきゃいけない……。目的を果たすまでは……まだ勝ち続けなきゃ……。この子達の演奏なんて、本当はどうでもいい……。

考え込むうちに内心に迷いを感じて、慌てて音を合わせることだけに集中する。ここに、不必要に魅せようとする力は要らない。調子を整えるだけでいい。魅せる事は、ステージ上で魔法が働けばそれでいい。

『私』が失敗せず目立つ事、それが今すべき事。サナは自分を鼓舞する為に、静かに、でも不敵に笑った。仲間にも、ファンにも、嘘の笑顔だけ見せる。……そうして自分にも。

マイグラトリニティ、センター、ギター&ボーカルのサナ。

そのキャッチフレーズは、『鴉の勝手でしょ?』

悪戯なアイドルは、今日も甘い声で謳う。

***

収録終わりの廊下で見慣れた顔の一つと違った。二人組のオルタナティブバンド、デブルマーブル……『悪魔混じり』のルナとヘイヤだ。別の番組だったようだが、同じ局での収録だったようだ。2人は音楽こそ得意ではないものの、その穏やかなビジュアルや雰囲気で意外な人気を得ているらしい。自分を追いかける為とはいえ、『マイグラ』と同じ現場に何度も入り込んでくる様子を見ると実力は人並み以上。サナが最も警戒する身内だった。

サナはその姿を目線で追って確認しながらも、交わす言葉などひとつもない。目的の達成の為には、顔なじみとはいえ今は邪魔者の一人でしかなかった。黙って通り過ぎようとしたが、その腕はルナに咄嗟に掴まれる。

「サナちゃん、待ちなよ」

「……なーに♪ 『悪魔』さん♡」

「……その冗談やめてよ、正直、気持ち悪いよ……」

楽屋外では、実弟だろうが、アイドルフェイスをやめるつもりはない。仕方なく険しい顔をした、でも傍から見れば可愛らしく温和な顔をスタッフ用の給湯室に乱暴に押し込んだ。短い時間なら誰も来ないだろう。しかし用心ついでに魔法で結界を張る。正体を破られる事は出来る限り避けたかった。

ルナはその行動に更に眉をしかめる。

「……あまり使うと保たないよ」

冷たい言葉のまま、ルナは忠告する。サナもアイドルフェイスの可愛らしいオーバーな表情から、コロリ、と敵を射抜くような目つきに顔を変えルナを睨んで口を開く。

「余計なお世話っ……! う……っ……」

その忠告すら今は余計だ。思わず覚えた怒りに声を張り上げようとした瞬間、くらり、とサナを襲う目眩。うっかり体制を崩しかけ、2,3歩後ろに後ずさる。

「ほら! やっぱりもう!」

「大丈夫だってば!!」

魔法を使い続けたサナがどうなるか。ルナが一番知っている。言わんこっちゃないといった様子でサナを支えようとしたルナを、サナは叫び、突っぱねた。このままでは分が悪い。逃げ出そうとするサナを、後ろからヘイヤが肩を掴んだ。

「サナ、俺達にはお前の目的は分からない。どうしてそうしてまで維持するのか理解できない以上、今の俺達には安易には言えない。……が、そのままじゃ、ルナの言う通り、身が保たないのは確かだそ。お前は魔法を長く使える身体じゃ無いんだ」

「……目的? そんなの、理、解、る、でしょ♡」

その心配の目すら、今のサナには邪魔だ。反論の代わりに威嚇のつもりで、唇に人差し指を押し当てて、サナはくるり、と回ってみせた。鴉の羽根を模した衣装もふわりと回るのを魅せつける。それ以上は言わない。ただ、『マイグラ』の邪魔をするな、それだけを態度で示せば……2人はその有無を言わさない雰囲気に言葉を詰まらせる。

「――っと、時間切れ。じゃあね、『悪魔』さん♪」

「サナー?」

「サナちゃーん!」

周囲の人間の動きを感知する魔法も使っていたのか、メンバーが呼びに来たことを一歩先に気付き、サナは身体を翻し駆けていった。ふらつきの残る足取りが整っていくのを見れば、体力維持にも魔法を使ったようだ。ルナはその様子を感じ取って、余計に苦い顔をするしか出来ない。

廊下の向こうからした「サナの声が聞こえていたけど、何かあったの?」という小さな声は、サナが去った後のルナの耳にも届く。その返答だろうか、「モテすぎて困っちゃう♪」という、サナのわざとらしい声も響く。

「……ルナ、落ち着くんだ」

「……なんで、だろ……あそこまでサナちゃんにはっきり拒絶されたの始めてで、ちょっと驚いただけ……ごめんね、ヘイヤくん」

普段なら、助けを求めるまで行かないものの、事情ぐらいは話してくれる筈なのに。ルナは弱ったサナに突っぱねられた事にショックを受けていた。ヘイヤに肩を叩かれて、はっ、と正気に戻る。思わず握りしめたままだった手元を見れば手が震えている。こんな事は、長くサナとすれ違って来たルナにとっても、幾らなんでも初めての事だった。

***

「『デブマブ』に言い寄られてた!?」

「もー困っちゃうよねぇ♡」

帰り道、TV局から出るまでの道を、サナは先程の口実作りに費やした。ティヤは何故、と驚いた表情をし、リヤは流石サナ、と敬う視線でサナを見つめる。2人には悪いが噂を流して陥れるのも、ある意味でサナの戦略だ。

「デブマブって最近上がってきた二人組のオルタナティブバンドですよね、サナちゃんすごいな……」

「でも意外だなあ。ふたりとも女の子とは無縁っていうか、あんまり構わない雰囲気っていうか……」

「それだけ『マイグラ』の知名度が眩しいってこ・と♪」

サナは二人の先を行き、頬に手を添えて営業的な笑顔を突き出した。彼女の素『らしき』クールな表情を知る二人はその行動に苦笑しながらも、その言葉を疑わない。

「あー、そういえばデブマブのルナと、サナって似てるってこないだニュースで言われてたよ」

「ええっ、私ネットでKeyと似てるって写真見たよ?」

「は! 確かに!?」

しかし、精一杯に事態を誤魔化すサナの意向とは裏腹に、二人の会話が行って欲しくない方向に進み始めた。サナはまずい、と内心焦りながら、変装用のキャップを深く被る。今日はもう、魔法を使っている余裕が正直に言えば無い。ルナが近寄ってさえ来なければ、まだ魔力に余裕もあったし安全に帰れたというのに……。サナは心の奥底で舌打ちをする。

「じゃあっ、皆さんお疲れ様でしたー♡」

ここはさっさと手を引いて帰らなければ保たない。そう確信したサナは、そそくさと外に向かう。

「えっ、サナ! もう帰るの!?」

「ちょっとお急ぎかなー♪」

「サナちゃんおつかれー!」

サナはその場から強引に逃げるように、引き止めるリヤを振りきってTV局を後にする。帰り道は完全に頭に入っている。面倒くさいルートだが、誰にも目撃されず自宅まで戻るのは容易かった。……のは、しっかり歩ける時の話。

TV局を出て、すぐに大きな通りを反れて安全圏に入ると、すぐ帰りたい気持ちを抑えてふらふらとしゃがみこむ。そこまで耐えきるのが精一杯だ。倒れ込みそうになる身体を支えるために壁に手をついて、目眩から逃れる為に思わず空を仰ぎ見た。都会の路地裏から覗く僅かな夜空に、月はないが空が明るい。

「はっ……はっ、はぁ……くそっ、ルナ、めっ……」

体力を補う魔法も、かなりギリギリなところまで来ている。正直もう意識を保つのも精一杯だったが、ここで倒れて家に帰る前に気を失っては、正体の有無に関わらずとも大事件になってしまう。それは避けたい。

元々魔力で体力を補うだけでもギリギリの身体。変装やパフォーマンス、正体を隠すことにまで消費するのは正直、限界が近い。それでも、目的の為には仕方ない。

「……でも、負けてられない……」

一息ついてようやく目眩が収まるとサナは立ち上がる。疲れで上手く動かせない身体を引きずりながら、意地でも歩み進んだ。

……そう。好きでこんな馬鹿みたいなキャラを作っているわけではない。サナには、ルナにすら頼れない目的がある。

歩いて10分近くの道を30分以上掛け、ようやくサナは中心街の外れに『ねぐら』こと小さなマンションに帰り着いた。マンション内では最後の気力を振り絞り、部屋まで正体を隠す。不必要な騒ぎを起こさないよう慎重に。慎重に……限界はとっくに越えていた。が、失態をひとつでも起こせば目的には辿り着けない。此処はサナにとって全てが敵だ。

なんとか辿り着いた部屋のドアを開け乱暴に玄関に乗り込む。一目散に掛けたのは玄関からほど近い洗面所だった。サナは急な気持ち悪さに襲われて洗面台に突っ伏す。

「うぐっ、うっ……けほっ……」

気が抜けると一気に疲労がサナの胃を締め上げる。ここの所、正直調子は良くない。大事な喉にまで影響が出つつある。限界の近いサナ自身は気づいていないが、それは音程にまで影響が出る程になりつつあった。……この状態ではいつまで歌えるか怪しいが、ここで歌えなくなる事は避けたい。

「でも、これは、私が撒いた種……刈り取るまでは……ぅ、うっ…………」

息苦しさに意識が遠のいていく。ずるり、と洗面台に身を預けるように倒れ込んで……サナはそのまま、意識を手放した。

***

あの子を怒らせた。泣かせてしまった。

私が居なければ、きっと悲しませることはなかったのだ。そう考えたら私は珠莉にこう頼んでいた。手には私が造った、あの子に似合う世界の話。

『この物語の中に、あの子を送って』

珠莉は断った。はっきりしないあの子が唯一はっきり断ったこと。それでも私は食い下がらなかった。あの子はダメでなぜ私は狙われているのかと脅せば、ようやく頷いたのだ。

そうしてあの子を幸せの牢獄に送った後、歪みは生まれた。不覚にも頼りにしていた珠莉の記憶も消した後だ。

これを自分に置き換えればすぐ分かったことだ……この世界は幸せではない。送り出すのは、必要として生まれたあの子ではない。

不必要として生まれた私なのだ。

その為に私は……奪われたあの子を取り返すために…………。

***

「ん……」

目を覚ます。直前まで何をしていたか思い描けば、サナさんと大喧嘩をして、泣いて、不貞腐れて……その後の記憶はなかった。少なくともこんな無機質な天井を見上げるような覚えはない。

ゆっくりと起き上がって周りを見渡せば、狭い部屋の中に敷き詰められているのは沢山のモニター。真ん中には大きな一対のパソコンと入力機器。まるで私を取り囲むようなガラス張りの丸い部屋は、軒下に下げられた鳥籠にもよく似ていた。

「此処は……?」

自然と出た独り言。狭さを除けばオフィスのような、報道室のような見た目の部屋に自分の声が響く。

『司令塔だ』

「わっ……!?」

誰の影も気配もなかったその部屋に、誰か……男性の声で返答が返ってくる。驚きに身を引いて、思わずパソコンに手を付くと、一気にパパパッと部屋中を取り囲む画面に映像が並んだ。その向こうに居る人、人、人……。全員が私を睨む。何事か、とよく見れば……一人で映る人も、複数人で映る人も……アイドルだ。同業の経験があるからこそ一瞬で察する。楽器を構える人もいればそうでない人も居るけれど、身に纏う衣装がそれを物語っていた。

「『鈴乃つばさ』、またの名を『プレナイト』」

「……貴方は? 何故私を?」

ノイズ混じりに話しかける声は、私が丁度向き合っていた一番大きなモニターに影だけを落とす。徐々に聞こえる声は女性と男性の声色が混ざり合い始め……正体は分からずじまいだ。恐らくわざとやっているのだろう。私が『プレナイト』である事を知る人物はそう多くない。敵意の目をモニターに向ける。

「我々はあの『悪魔』を研究する者だ。取引をしよう」

「……『悪魔』ですか……」

そのワードで、画面の向こうの人物の立場を察する。サナさんを悪魔と呼ぶのは、サナさんを恨む人間達だ。そして研究、という言葉。サナさんにはサナさんを恨む天使達の息が掛かった、人間の科学者集団の敵対勢力が居る。恐らくその一員なのだろう。

「何故私と?」

「我々はあの悪魔を探してこの世界に行き着いた。我々の技術を駆使して。悪魔は君を求めてこの場にやってくるだろう……命に換えても」

「……サナさんが?」

あんな喧嘩をして、あんな事を言ってしまった後。それでもサナさんが私のために命を賭けている。そう知ると胸が痛む。この世界に私が居る理由こそ分からないが、こうして敵対勢力が掌握する世界であろうと私を助けるためにサナさんが動いている……。それだけで苦しい。思わず拳を握りしめた。

「我々としては死なれては困る。君もその立場は同じではないか?」

「……それを貴方達が言うんですか?」

命を狙っているのは自分たちなのでは? という意味合いでモニターを睨む。果たして何処から私を見ているのかは不透明だが、こちらの様子を探っているのは明らかだ。未だ周囲を取り囲むアイドル達が、私とモニターの先の誰かの行く末を見守っているのだからそれが一人ではない事も把握していた。

「……そうだな。言い方を変えれば君は餌だ。ここはあの悪魔が作った世界。君は此処で歌手として成功することをプログラムされていた。だが、我々はそれに介入を行い君を捕らえた。意味が分かるか?」

「…………サナさんが私を……」

その言葉でなんとなく状況を察する。サナさんは私を怒らせた事を悔やんで、それを恐らく自分のせいだと感じたのだろう。だから私を新しい世界に送り込んだ。……それだけでも見当違いだけれど、そこに更に邪魔者が入った事でそのルートは失われた。結果、私はサナさんを誘き出す餌となった訳だ。

「我々は君を助けに来る悪魔を誘い出す。これは神の命令だ。しかし、我々としてはあの悪魔の力、エネルギーに興味があるから死なれては困る。……そこで餌の君に選択肢を与えよう。これも実験の一環だ」

そう言うとモニターの向こうでノイズが私の後方を指差した。釣られて振り返れば、そこにあったのは一対のスーツだ。

「此処に映る人々は皆アイドル志願者だ。君はこのアイドル達をマネジメントして、彼女を1年でこの世界から蹴落として貰う。芸能の世界に送り出したはずの君を探し、歌うあの悪魔を君の力で負かすことが出来れば……彼女の命は保証しよう。但し1年、あの女が勝ち続けた時には……神のお導きの通りだ」

「…………私に、サナさんの敵になれ、という事……ですか……」

正直、言っていることはめちゃくちゃだった。どう取引しても、恐らく画面の向こうの相手がサナさんの敵に変わりはない。けれど、脳裏には喧嘩した時のサナさんの様子。私を怒らせ、泣かせ、絶望したサナさんの表情がちらついて離れなかった。あそこまで悲しませて、挙げ句サナさんは私を手放そうと別の世界に送り出して、自分は命なんか差し出すつもりで私を探している。

……舐めないで欲しい。

私にだって貴女を救える。

「……分かりました」

私は頷くと、掛けてあるスーツを手に取り羽織った。HANEをマネジメントしていた頃を思い出す。それこそ別れてしまった相手とはいえ、アイドルとしてはそこそこ成功させた実績はあった。

「マネジメント、始めます」

サナさん、私に……負かされてくださいね。

***

「う……遅刻……」

目を覚ませば、すっかり日付は変わり日は昇っていた。

結局洗面所に倒れこんだまま一晩を過ごしてしまったサナは、慌ててふらふらと手をついて立ち上がる。一晩意識を失った事で魔法は途切れ、少しだが回復は見込めたらしい。酷い目眩は過ぎ去っていた。

パーカーにスカートという私服のままで一晩過ごしてしまった事に気づく。一瞬、身支度をしなくていいか、なんて事を考えたが、流石にシャワーを浴びて服を着替え、簡単な身支度を済ませた。細かな支度をしている時間は無さそうだ、と思いながらに時間を確認するつもりで端末を確認する。瞬間、申し合わせたように着信があった。

開いてみれば、マイグラのマネージャーから今日の予定がなくなったというメール。リヤとティヤにも一斉送信されていて、2人は既に返事を返していた。

「……不自然だわ」

なんだ、それなら慌てて起きる必要はなかった。と一瞬思った後、あんなに忙しい予定がぽっかりと1日開いた事に疑問を持つ。何者かの邪魔だろうかと頭を回した瞬間、続けざまにまた着信が鳴った。もう一通は正体が分からない、内容も空っぽのメール。

ただ、映像ファイルがひとつ、添付されていた。

「……成る程、ね」

今日の仕事がキャンセルされた理由を知ると、サナは怒りに思わずその端末を握り潰す。画面にぴしり、とヒビが入り……衰弱した様子でパソコンの画面に向き合うつばさの姿が映し出されたその映像の上を走った。

***

サナが急いで向かったのは、マイグラの所属事務所が一角に入る一つのビルだった。事務所そのものは大手であるにも関わらず、大きな会社ではない。サナが所属アイドルとして足を踏み入れたのはせいぜい1フロアだった。……しかし、そのビルの殆どのフロア……表向きは証券会社や銀行。全てが『グル』だった。

今まで気にも留めなかったそのエリア。つばさを追ってドアを開ければ、そこは機械の海。ディスプレイに表示されているのは、今ステージに立つアイドル達だった。

「図ったわね!」

「……どちらが?」

その画面の前に立ち尽くす一人の女性。不敵に笑みを浮かべるのは、マイグラの担当マネージャーだ。メンバー3人に一斉送信されたメールでは、仕事がなくなったと言っていた彼女。

その後、サナにだけ送られてきたメールの映像で、ここにサナをおびき寄せたのは彼女だった。

「おかしいと思ったのよ。初めて逢った時、私がスカウトされた時からね……貴女の目に見覚えがあるわ。貴女はこの世界に紛れ込んで、ホログラムで変装した『ライト』の一員……そうでしょう?」

この世界……。『サナが造った物語』に歪みを加えたのは、サナの命を狙う科学者集団『ライト』。その一員とサナは過去に出会っていた。神の息が掛かった人間たちで構成されたその団体の中でも、サナを研究対象として見る目が強かった彼の事はサナも忘れていない。恐らくサナの歌に強い興味を持ったのだろう。つまり、『サナがここで歌うこと』そのものが、結果的にサナをおびき寄せる罠だったのだ。

恐らく映像か何かを通して『彼女』に変装した彼は、何も言わず、ただ不敵に笑っていた。

『……他人を欺く、という点ではお前の方が罪深いはずだ。そうではないか? なぜメンバーにすら素性を見せなかった? お前を追い掛けてきた身内にすら事情を話さず、一人で乗り込んでくるなど馬鹿馬鹿しい。事情を話した方が都合が良かったのではないか?』

「まさか、あんたなんか私一人で十分! ペラペラ喋ってあんたらのスパイだったら困るしね!」

知っているはずのマネージャーの声に、男の声がブレて重なる。同時にマネージャーの姿もノイズが混じり、誰かの影と重なった。サナはこのマネージャーが偽物だと気づいていて泳がせていた。何を仕掛けてくるのか、何が目的か。魔力を犠牲にしてでも正体を隠し続けたのは、彼と自分の間に余計な被害を与えない為。余計な情報を与えない為の警戒だ。

対して『マイグラ』に『彼女』が仕事を与え続けたのは……果たして観察の為か、それとも弱るのを待っていたのか……そのどちらもか。サナは歪むマネージャーを睨み続ける。

「……それよりも突然呼び出した理由は何かしら? 大事なものを預かっているって聞いたから来てやったけど? 特別ボーナスでも出すつもり? だとしたら要らないけれどね、生憎、私が欲しかったのは……」

サナはふわり、と地面を蹴る。ステージを飛び立つ為に使っていた魔法。彼女の影を見下ろして威嚇のつもりで叫びを上げた。

「貴方達、そしてこの会社を疑わせるために信仰させたファンの声よ! ここで私に何か起これば、確実にニュースになる! 芸能を征した『マイグラ』は、今やこの街を完全に支配しているのよ! そうすれば貴方たちは終わり!! この物語から出ていきなさい!!」

そう。サナが一見行き過ぎたアイドルフェイスを続けた理由。それは勝ち上がることでファンからの支持を集めることだった。注目を浴びやすいサナはその体質さえ利用して、この物語の中でアイドル事務所として介入した『ライト』の立場を追い詰める事だった。その歪みさえ追い出してしまえば、この物語は元の姿に戻る。つばさを助けられる。その為にならサナは大事な喉だって潰せる覚悟があった。

『ふっ、メンバーや仲間は愚か、何も知らないファンまでもを欺いた『悪魔』よ、これを見ろ!!』

しかし、向こうはその計画の一枚上を行っていた。マネージャーに向かっていくサナの目に飛び込んできたのは、探していた人影……。スーツを着た小さな姿に、サナの勢いと気負いはぴたりと止まる。

「つばさ!!!」

『おっと、こちらの声は聞こえてない、変な動きはしないほうが彼女の為だ』

機械の海の先。天井から下げられた逃げ場のない鳥籠。透明なホールの向こうでつばさは何かをしている。それが、アイドルへの指示だとわかったのは、壁一面に映しだされた沢山のアイドルを一つひとつ指さしているからだ。

『彼女には、お前達『マイグラトリニティ』を蹴落とすよう、総勢65組、230名のアイドルをマネジメントしてもらっている』

「なんでっ……なぜ、そんな事をっ……」

サナの表情が苦痛に歪む。その姿をどこか機械じみた動きでホログラムは指差した。つばさのマネジメントといえば、一度は引退したHANEのみならず、アイドル適正にハンデを持つ、自身である「プレナイト」を急速に登り詰めさせた実力である。そのつばさの指示で、山ほどのアイドルが、サナを蹴落とす、その為だけに……。

『マイグラトリニティがランキング上位を一年保持した暁にはお前の命は保証しない、と彼女に告げてある。お前を生かすために彼女は必死に働いてくれた。……そのランキングの発表は毎日15時。今日の発表は後一時間後……そしてその期限は、今日……』

「っ……!」

サナはその言葉に息を呑んだ。マイグラは勢いこそあるものの、ここ数日のサナの不調を考えるといつ負かされてもおかしくない状況。サナを追ってやってきたルナやきぃ達も実力を上げてきていた。そこにつばさのマネジメントするアイドル達……。リアルタイムで集計されるランキングに向けて、今も着実に多くがマイグラに忍び寄ってきているのだろう。

……まだ負けを認めたくはないが、確かに仲間の誰にも事情を話さなかった影響が、こんな所で追い打ちをかける状況に、サナは思わず唇を噛んだ。

『可哀想なものだ……彼女はお前に何度裏切られたのか分からん女だ、こんな世界に連れて来られたのも含め。なのに、お前を生かす為に、お前を蹴落とす……滑稽だ、無謀で、非現実的だ。だが、いいデータが取れそうだな?』

「っ……性格悪いわね、この外道っ……!」

サナは拳を握りしめた。遠い、遠いつばさを睨む。彼女も、長い間動き続け参っているのは確かなのに、遠くからでも分かる程にその姿はとても真剣なのだ。涙が滲みそうになる。喧嘩した原因も、ここに連れて来られた原因も、サナだと知って、尚だ。

「つばさ!! つばさ!」

『この距離だぞ、いくら歌手とはいえ声など届かない。黙って時が過ぎ、どちらに転んでも絶望する悪魔……見ものだ! どんなデータが取れるだろうな……そろそろ役割を終えるあの女の処分も考えるとより楽しめそうだな?』

マネージャーの影がそう言って愉快そうに笑いを零した。

ああ、どうすればいいの、つばさ。私は……貴女に、あと何が出来るだろう。

どう転んでも手詰まりな状況に、思わずサナは押し黙ってしまう。苦しさでどうにかなってしまいそうな程、苦しかった。自分のせいで。自分のせいでつばさが……気持ちは逸るのに、届かない。声も、手も……。

「サナ!」

「サナちゃん!!」

瞬間、サナ渾身の静寂を打ち破り、そこに飛び込んできたのは意外な相手だった。

「リヤ、ティヤ!!?」

ステージで使う飛行装置を装備したリヤとティヤが、サナの目の前に飛び込んできたのだ。2人はまるでサナの盾になるように、ノイズ混じりのマネージャーの前に楯突く。

「な、なんで……今日は臨時オフだって、メール……返事してたじゃない……?」

「だって!」

リヤが叫ぶ。女の子らしいふんわりした髪型が、荒々しく揺れた。その気迫にサナも思わず息を呑む。突き放していたとは言え、見たことのないメンバーの姿にはっとした。

「……ずっと、サナの様子がおかしいってリヤが……」

「ごめん、サナが全部嘘付いてるの、ほんとは気づいてたんだけど……それでも……最近のサナ、おかしかった。私、ずっと見てたから理解るの……」

「リ、リヤ……」

知らなかった。衝撃の告白。サナはリヤのまっすぐな瞳に、人を頼れないからと敢えて突き放し応えられなかった事に後悔する。同時に、彼女の好意が痛く感じた。

「昨日のすぐ帰っちゃったの、おかしいなって思ってて……。ごめん、後、尾行したの……そしたら遠回りで家に帰るし、帰ったらすぐ、具合悪そうな声がして……。かと思えば、仕事もないのに慌てて出て行ったから……」

「……ごめん、リヤ、ティヤ……」

サナはその言葉に、初めて二人に内心を明かす。謝る声は震えていた。

「……今更でごめんなさい。こうして、本心を明かすことが怖くて。だから、つい嘘をついて、大好きな人を傷つけた。それを忘れたくて、私は好きな人をこの世界に送り込んでしまった。だけど、それは余計不幸にしてしまう結果にしかならなかった……だから、私が撒いた種は、一人で回収するつもりで、その為に貴女たちを利用したの」

「「……うん」」

二人は声を揃えて強く頷く。その様子にサナは勇気を出して言葉を続けた。

「私はこことは違う魔法の世界から来て、魔法で皆を操りながら……ファンを糧にしてこの会社を潰し、この会社に捉えられたあの子を助けるつもりだった。でも、もう……」

サナは苦い顔をして俯いた。声はもう届かないだろうか。もう合わせる顔は無いだろうか。

「サナ」

ふと、ティヤが何かを放り投げた。両手で受け止めたそれは、サナのギター。

リヤが、眉を寄せながら笑う。

「私達の歌なら届くよね?」

「リヤ……?」

その悲しげな表情で、サナを捉えるリヤの顔は既に何かを覚悟していた。好きな人の為に、違う世界に身を投じたサナの姿。その相手を救うための背を、リヤは迷わず押そうとしている。その覚悟。

「サナちゃんの大事な人なら、きっと悪い人じゃないもの。あんなに真剣な顔で、沢山の歌手を見つめている人が……」

ティヤもそれに続く。サナの過剰なアイドルアピールを不信に思うところもあったティヤが、サナに完全な信頼を寄せ遠くに見えるつばさの姿も受け止めて笑っていた。

「リヤ、貴女は……それでいいの? 私が、貴女を選ばなくても……貴女たちを、踏み台にして利用した私でも」

今までサナのそばに居た人、そしてサナ自身も、こちらを向いてくれない相手を応援できる人間などいなかった。珠莉だってそうだ。サナ自身も勿論、HANEからつばさを奪っただけ『誰かを応援する』覚悟を持った事はない。

リヤはサナの目の前までゆっくり飛んでくると、サナの唇を人差し指で塞ぐ。サナがアイドルのポーズでよくするハンドサインのように。

「……『私の勝手』、でしょ?」

「……そう、ね!」

サナは俯きかけたその顔を上げ、つばさを捕らえた。その口元には不敵な笑みを浮かべている。魔法で衣装をマイグラの鴉の衣装に変え、アイドルの時とは違う笑顔で微笑んだ。

マネージャー、もといライトの手先は、その光景を蔑むような視線で見ていた。完全に傍観を決めているらしい。何をしようと、つばさに届きはしないという自信があるのだろう。

ならば、サナは、いや、『マイグラ』はそれを超えてみせよう。

リヤとティヤの手を取り、目線を合図に頷く。サナは、3人でより高く飛び上がった。つばさの居る籠の中、壁に阻まれ近づけないところまでサナは近づく。指先には愛機のギター。弦を確かめる。喉もまだ、持ってくれるだろう。

静かに呼吸をして、顔を上げる。サナのギターソロから、曲は始まった。そこにリヤのキーボードが入り、最後にティヤのベースが入る。

そうしてサナの歌声が重なれば、それは魔法も、細工もない……人気ナンバーワンのアイドルバンドの姿があった。サナの歌声は徐々にスピードを増し、歌詞は畳み掛けるように言葉数を増やす。その歌に呼応するように、サナの放った言葉は呪文となってビルのフロアを魔法で埋めていった。機械の海は徐々に火花を放ち、それは花となり、雪となる。いつかの2人のパフォーマンスのように。

あの日、つばさに出会った時の歌声。

つばさを救うための歌声。

それを越えていく、『マイグラ』センターの声。

届いて、おねがい。

あの人の元に届いて。

私の唯一の希望の元に。

すると、願いが届いたのか。

つばさが、不意に何かに気づいたように振り向いた。

アイドルたちを映す画面とは、真逆の方向。

それは、サナ達のいる方向。

つばさの靴先がこちらを向いて、数歩。すぐに駆け出す。

声は聞こえないけど、ガラス壁に駆け寄り、叫んでいる姿が確認できる。

サナの目に、とうとう涙が滲んだ。

それでも、歌声とギターを弾く指は止めない。

すっかりネイルコートも剥がれ、サナの指先は血まみれだった。

声も潰れかける。サナは思わず喉を押さえる。

それでも、つばさの為に歌っていたい。その気持だけがサナを突き動かす。

気づけば、騒ぎを聞きつけてか、サナがいなくなった事に対する違和感か。

それともサナが放った魔法が、歌が届いたのか。

足元に駆けつけたルナやヘイヤ、きぃの姿もある。

それぞれ、マイグラに加勢するように、演奏と歌が交じる。

「サナさんっ!!!」

駆け寄ってきたつばさの武器化能力で、つばさを閉じ込めていたガラスが粉々割れる。

衝撃で落ちていくつばさをサナが拾い上げ、焦がれたその存在をようやく抱きしめる事ができた。

一度は安堵を見せるつばさ。しかし、すぐに笑顔は曇った。

最後に逢った時から、喧嘩のほとぼりが冷め切っていない、どういう顔をすればいいかわからなかった。

その表情は、サナを小さく追い詰める。しかし、サナはその気持ちを殺して優しく微笑んだ。

「つばさ、会いたかった」

サナの飛行能力が重力に干渉する。ゆっくりと、宙を舞う二人。

「……だめね、もう一度顔を見るだけで良かったのに……っ、声を聞けたらそれで良かったのに……」

サナがつばさをこの世界に送った理由は、つばさが歌う世界が欲しかったからだ。サナに関わらなければ、きっと幸せなまま……『プレナイト』として活動できた。それは、HANEの元からつばさを奪った時から、サナが密かに考えていたことだった。

「貴女のファンのひとりでいるために、貴女をここに送ったのに……」

サナは、その『プレナイト』を見つめる一人のファンで居たかっただけなのだ。

「サナさんっ……それは! それは『私の幸せ』ではないです!! 『私の幸せ』は! サナ、さんがっ……居ないと成り立ちません……そばに、いないとっ……!」

「つばさ……」

サナのその言葉に、つばさはサナの鴉の衣装に縋りながら叫んだ。その声も長く拘束された疲労で霞むものの、そんな事は構わない。

「貴女を負かす為に、マイグラのセンターである貴女を見てこんなに悔しく思うとは思いませんでした! サナさんは、私の隣で笑っていないと、意味がっ……なかったんです、ごめんなさい、サナさん、私、サナさんの都合を考えず勝手なことを言いました……サナさんの想いを、理解していませんでした……だから…、もう置いて行かないでください……っ」

つばさは謝りながら、尚もサナに縋る。サナはその言葉に、首を横に振った。

「いいえ……悪いのは、貴女を……皆を信じなかった私、……っ」

「サナさん!?」

ふわふわと宙を舞っていたサナとつばさが、ガクンと重力に引き戻される。

「ぐっ、ごほっ……!!」

サナが強く咳き込んだ。今まで無理をして魔法で維持してきた体力が、ついに底をついたのだ。

もう限界はとうに突破している。気力だけで持ちこたえていた。それが、今ので完全に使いきったのだ。

「サナさんっ、サナさんっ!!!」

「っは、っ、うっ……」

途端、今まで見えることの無かったサナの『黒い羽根』が現れる。意地でもつばさを落とさないよう、持ちこたえようとする咄嗟の判断だった。魔力の更なる放出にサナの声が濁っていく。

「サナさんっ、しっかりっ、してくださいっ……!」

「……つばさ、いいのっ……貴女が無事なら……。私は……貴女を悲しませて傷つけた、私なんて歌えなくても、幸、」

その姿に、リヤとティヤは呆然とした。魔法使いと告白されても、天使と告白はされていない。しかもその背に生えるのは、不気味な色と印象を持たせる呪いの羽根なのだ。幾度とサナに向けられた恐怖の視線は、この二人からも向けられる。その光景は、更にサナを追い詰めて、心に連動した魔力に影響していく。

「サナ!」

「サナ!!」

持ちこたえようにもついに力尽きたらしい。サナの腕を離れたつばさと、失速するサナを追い、ルナとヘイヤが飛び立った。きぃも遅れて飛び立つ。ヘイヤがつばさを受け止め、ルナもサナに手を伸ばす。

「サナちゃん、サナちゃんしっかりして!!」

が、そのサナの身体が、不自然に跳ねた。

「……っぐぅっ!!」

サナのうつろだった目が激痛に見開かれる。それと同時になにかが弾ける音が、すぐ側でした。バラバラと散らばる羽根と、それよりも遠く散らばる赤。

『……タイムオーバー、約束は破られた』

さっきまでつばさが居た場所。その場所を囲む液晶はいつの間にかランキングの画面を表示している。すべての画面に連ねられたその名前。マイグラは一位だった。あと一歩あれば、他のアイドルが越していたであろうランキング。

マネージャーの姿をした敵の身体の先に、携えられる銃。

『『悪魔殺し』の銀弾だ……そして』

反対側の手には、栞。

「やめろっ!! ここで終わらせたらっ……サナちゃんは!!」

ルナがサナをようやく受け止める。ぐったりとしたままのサナを抱きしめ、ルナは叫んだ。

栞。珠莉が造った世界を強制終了する為の最後の手。ここで世界の流れを止めてしまえば、サナは助からない。

「いいデータが取れた、『悪魔』ももう終わりだ!!」

栞が、指先を離れる。ひらり、ひらりと宙を舞う…………もう、だめだ。ルナはそう思った。

しかし、そこに鳴るパァン、という破裂音に、ルナは思わず閉じた目を開く。

「つば、ちゃん……」

「よくも!!!!!! よくもサナさんを!!!!!!!!!!!!!」

親指と人差し指をまっすぐに向け、肩で息をしたまま立ち尽くしているつばさの姿。プルームと戦った時に使った武器化の魔法だ。ただ、つばさもサナ同様、ほぼ休みなく働かされていた。その状態で魔法を使えば、どうなるかは分かり切っている。

「つばちゃんっ、やめて!!」

「つばさっ、だめー!」

ルナときぃの静止の声も、もうつばさには届かない。

栞はつばさの魔法に打ち砕かれ、エンドにはならなかった。その状況に焦ったのか、はたまた、サナを殺った役目を果たしたからか……マネージャーの影が透けていく。

「逃がしませんよ!!!!」

つばさがそう声を上げると、その身体が揺らいだ。まるで声に『扇がれた』ようだ。

薄くなる姿が、一瞬止まる。

その光景に瞬時につばさは思いつき、サナのギターを拾い上げる。

サナに望まれ、歌手としてこの世界に来たつばさだ。

その声が、奇跡を生む。

仕組まれたバグを取り除く。

奇跡の歌声……。

***

「もう、病室抜けだしちゃだめだって何度も言ってるじゃん!!」

「ここ何もなくてつまらないんだもの」

「ろくに歩けもしないのにつまるもつまらないもないでしょ!?」

病室にルナさんの悲鳴が響き渡る。すれ違った看護師さんが苦笑いで私を迎えてくれた。

「まっ、まあ、ルナ……そこら辺にしておけよ……」

「ヘイヤくんはサナちゃんに甘すぎるの!」

「ル、ルナっ……私も言いすぎかなって、思うな……」

「きぃちゃんまで!」

サナさんのお見舞いに来てみれば、ドアを開ける前からこうである。サナさんはルナさんに叱られた事にすっかり拗ねていて、布団の中で丸まってそっぽを向いていた。

室内でじっとしているのが耐えられないサナさんは、しょっちゅう車いすをパクってきては病院外に出て行くらしい。点滴を引っこ抜いてでも出歩くので、ついにはルナさんの監視とお説教を食らっていた。

今は点滴を打ち直され、ベッドの上でむくれている。私が来てからは少し大人しくなったけど……。

「で、つばさはどう?」

「あっ、はい。体調も魔力も無事回復しましたし、デビューも快調ですよ」

私がひと通りサナさんの様子を聞くと、サナさんは私の様子を聞き返した。

サナさん程の消耗がなかった私は、すぐに回復を果たして、ついでにサナさん希望のアイドルデビューも果たした。来週には音楽特番での生ライブを控えて、声量の調整中だ。

「デビューって、君いつまでここに居座るの……?」

その過程に呆れるルナさん。

「サナさんの羽根が元に戻るまでですかねぇ」

「大分長いな……」

ヘイヤさんもその返答に呆れる。ふーん、いいもん。次は私がむくれたが、ルナさんの説教はまだサナさんに向かっている。

「サナちゃん! 魔力回復は元の世界に戻らないと完璧に出来ないんだからね!」

「わあってるわよ、もう……魔法使えるようになったら、珠莉の記憶も戻すわよ」

「反省の色が見えない!」

結局説教が通じないと分かればルナさんもむくれてしまい、ヘイヤさんときぃさんの宥めが続く。

ようやく落ち着いた時に、サナさんがぼそりと呟いた。

「……本当に、みんな、ごめん」

皆、顔を見合わせる。サナさんが、まっすぐこう言うのは……あまりに珍しい事だった。

「……サナは好きにやっていいんだよ」

その沈黙を破ったのは、『マイグラ』のリヤさんだった。

その後ろから、花束をもったティヤさんも顔を出す。

「そっ、サナちゃんが目的に向かって一心不乱だったから、私達は舞台に立てたの」

「リヤ……ティヤ……」

「私達、サナの何も知らなかったけどさ……サナの仲間なのは確かだよね?」

二人が、サナさんに向き合う。

サナさんもベッドから足を下ろして、きちんと向き合った。

「……勿論よ、また歌えるようになったら……セッションしましょう」

「「うんっ」」

二人が強く頷いて、サナさんも笑った。きっと初めて、二人に心から笑ったのだ。

***

全ての事が気がつけば済んでいて、ようやく瀕死だったサナが歩けるまでに回復したと聞かされた時。頭のなかに巡った言葉をようやくサナに向かって吐き出せたのは、それから3日後だった。

私はサナに頼まれ、望まない物語の中に、望まない人を連れ込んだ。そうしてサナも連れ込んだ後、自分もその中に飛び込んで、そしてサナに全てを消されて。

何も知らないままの私が、どう振る舞ったのかすら、彼女は答えてくれなかった。ただ、何も知らない私が感じた記憶だけは戻ってきて。

その中にある『サナ』は……、私の知るサナではなかった。それが、彼女の演技であることには、ただただ驚いた。驚いて、驚き疲れた後、湧いたのは疑問。あの子の為だとしても、わからない事はいくつもあった。

屋上のドアは重く、開けた音でサナは振り返った。髪を結っていないサナの髪は屋上の強風で煽られ、ぱたぱたと軽い音を立てて揺れている。

「珠莉、どうしたの。珍しいわね、こんな日差しの強い所に来るなんて」

歩けるようになった、とは言うが、まだ歩くのは辛いらしい。すいと車椅子を片手で器用に私に寄せる。それでも病室にただ座っている方が辛いぐらい、サナは本来、落ち着きのない人だ。こうして澄ました態度と、私の隣にいるときはあんなに大人しく見えるのに。……それが、付きあわせているだけだ、と思うようになったのはいつからか。

「ルナが部屋に戻れって、怒ってるよ?」

サナはその言葉を聞くと、ため息をついて空を見上げたまま、動くことはなかった。もうルナが怒ることは日常茶飯事になりつつあり、サナはそれに内心うんざりしているようだ。私は屋上にいる方が、暑くて眩しくてうんざりするんだけれどサナは違うようで、居心地の良さすら食い違っている事も流石にわかってきた。

「……サナ?」

「……なあに?」

久々のふたりきりだ。私が知らないだけで、もしかしたらふたりきりになった瞬間があったのかも分からないけれど。このチャンスを逃すまいと私はサナに、ずっと考えていた質問を零す。

「どうして、あんな事、したの?」

「あんな事? ……無茶の事なら、本当にごめん、もうしないから」

「そうじゃ、なくて、あの……喋り方っていうか」

サナは一瞬目を見開くと、ふふっ、と小さな笑みを零した。瞬間、魔法でサナは衣装をあの鴉の衣装に変える。

「あ!! 魔法使っちゃ……!!」

「こんなのなら少しも消費しないから大丈夫だよっ☆」

あの喋り方で、サナはウインクを決めた。やっぱり目の当たりにすると、狂気を感じるぐらい明るいサナ。

そもそもアイドルなら過去に『アイオライト』もあった。サナは普段から歌を歌うことだってあった。ウインクぐらいなら普通の仕草として違和感はないはずなのに。

でも、今、この『マイグラ』のサナは、歌とは違う。魅せ方が違うのだ。

どうやら妙な顔つきになっていたらしく、サナは私の顔を見ると、小さく笑った。すぐに表情と衣装を元に戻す。

「……私は、この芸能の街で、とにかく上にあがる必要があった」

ぽつり、とサナが言葉を零した。どうやら、この質問には答えてくれるようだ。

「それには、一瞬で人の目を惹きつける必要がある。注目体質ですら武器にしなきゃいけない。勿論姿を見られればいい。でも、それより前に、声や動きで目線を私に集める必要があった……その為に、あえて度を超えた振る舞いをした」

サナは目を細めて、遠くを見た。サナが活動していた街はここからそう遠くない。賑やかなセンター街。

「やりすぎなぐらい」

言葉が途切れる。何を思い出しているのか、全く読めない表情をしている。

「笑っていないと、立ち止まってしまいそうだった」

一層風が強く吹いて、サナの髪が持ち上がる。

空を見上げているサナは、ステージの上とは全く違う。自ら輝くようなあの存在感は何処にもなく、小さな、ちっぽけなものに見えた。まるで日の当たらない場所の小さな花のような。

「勢いだけでやってきたから……こんな結果になっちゃったのよね」

サナは小さくシャツを上げた。そこに残るのは、まだ影を落とす撃たれた傷。結局、サナを襲ったサナの天敵は捕まえられずじまい。この世界から追っ払ったに過ぎなかった。

「でも、私はつばさを取り返せたから、それで十分……他に何も要らない」

サナがそう悪戯に笑った。私はその言葉に笑えなかった。

サナはその反応を見て、少し得意げにまた微笑む。挑戦的な視線が私を刺した。欲しかったら、奪ってみろとでも言いたげな表情で。

流石に嘘を見抜けない鈍感な私でも、もうサナの嘘の数々には気づいている。

もしかしたら、この倍ぐらいこの人は嘘をついているのだろうけれど。

「……サナ、あのさぁ……」

次の質問も答えてくれるだろうか、口を開きかけた。が、その声は阻まれる。

「サナちゃん!! 出て行っちゃダメって言ったでしょ!?」

「うわ、出た!!」

病室に戻ってこないサナに対して、怒りでカンカンのルナが掛けて来る。サナはその姿に驚いて、車椅子とは思えない機敏さで逃げ出した。

残されたのは私の質問。

『私の歌は、どうだった?』