給湯室掃除
「いやぁ……大分、給湯室も私物化してきましたねぇ」
「……ですねぇ」
とある昼休みの事だった。
私とライさんの目の前に積まれていたのは、持ち寄った食器やらキッチン用品やら、その他諸々の雑貨類。散らかりすぎた給湯室を見て、私とライさんは深くため息を付いた。
そもそも何故、こんな極小課に給湯室が個別で付いているかと言えば、ここが元々小さな休憩室を改装して作られた部署だからだ。そして、そこにあった給湯設備は残されていたので、ライさんがパーティションと冷蔵庫を設置して休憩室として利用していた。
「……に、しても、ライさん家はキレイなのに、どうしてここはこんな事に?」
そこまではまあいい。問題は、何故整頓上手なライさんの管理下にあって、こんなに散らかっているのかだ。私はストレートにライさんに聞き出す。
「いやあ、家に居る時間の方が少ないので、大体の私物がここにあったりして、細々と作業の合間に水やら薬やら飲んだりするのを考えると出しっぱなしの方が……と、考えてたら片付けるチャンスを無くしてました……」
ライさんは申し訳なさそうに頭を掻きながらそう答える。確かに作業効率を考えるとそうなる。しかし、此処まで積み上がってしまっては、必要なものを取り出すにも一苦労。逆に効率が悪いのでは? と提案すると、ライさんは白けた目を私に向ける。
「……人のことは言えないでしょうけれど、でも、音胡さんの私物も多いと思います」
「…………そうなんですよね」
ですよねー。私もライさんとほぼ同じ理由で、出しっぱなしです。あと持ち帰るの忘れたとか、使ってる内にあれもあったらこれもあったらとか言って増やしっぱなしだったりとか。
まあ、結論として言えば、二人共片付けるのがめんどくさかったんです。
「……ちょっと片付けましょうか?」
「…………ですよね、このままじゃ通れないし……」
そもそも私達がどうしてこの散らかった給湯室に絶望しているかと言うと、話は昨日の事に遡る。と言っても理由は一言、給湯室の冷蔵庫が壊れたから。
別に無いなら無くても、と私もライさんも思ったのだけれど、昨日一日過ごしてみて「やっぱり不便」「夏場は流石になまものの放置は怖い」という意見にまとまり、お金を出し合って小さな冷蔵庫を買ってきた。既に古い方は撤去したものの、その手前に新しい冷蔵庫が入ったダンボールが鎮座。
……この散らかりようでは、開けるに開けられない。
「……取り敢えず、ぶつかったら危ないものから片付けて行きましょう」
「そっ、そうですね!」
私達はお互いにそう気合を入れ合って、片付けを先にする方向性で一致した。
ライさんは意を決して食器類に手を伸ばす。
「……でもこれ、何処から崩したらすべてを割らずに片付けられるんでしょう……」
「さぁ?」
が、ライさんの手は数秒で停止しました。ただでさえ小さなシンクの上に、やたら積み上がったもろもろは、どこかを触ったら一瞬で崩れ落ちそうです。結局、何かしら割りそうです。
「私こっち押さえてますから、上から確実に一つずつ床におろしましょう。その後で最低限整理しましょう……! 私達、利便性に物を言わせすぎたんです!!」
「は、はいぃっ!!」
仕方なくここは共同戦線を張るとします。調子に乗って物を増やしすぎた責任は、己の腕で取らなければなりません。とかなんとかかっこいい事を言ってごまかさないとやっていけないぐらいめんどくさいです。ライさんも私のほぼやけくそな行動に引っ張られ、緊張した声を上げる。
ライさんはようやくてっぺんに詰んであるグラスを手にとっ……てない。ビビり体質が激しく働いたせいで、慌てて手を引っ込めるライさん。
「ひいっ!!」
「ライさん落ち着いて下さい、まだ触ってもません!!」
崩すのが怖くて触れないってもう本末転倒じゃないですか? 改めてこのヒト、どうやって警察に入ったんでしょうか。配慮があったにしても向いてないです。
私がそうツッコむと、ライさんは恐る恐る再挑戦し、ようやくてっぺんのグラスを抜き取って床に置いた。続いてもうひとつ、対のグラス。カップ、お客様用の茶のみをふたつ。完全に空気感がジェンガか黒ひげです。……順調だな、と思った瞬間、ライさんは深い溜息を吐いてしゃがみ込む。
「どっ、どうしましたライさん!?」
私はその態度に驚いてしまった。貧血かなんかでも起こしたのかな、と思うほどに、ヘナヘナと座り込んだのだ。
「だ、だめです。僕の精神力が持ちません……緊張で食器より僕が粉々になりそうです」
「どんだけ繊細ですか!!!!????」
……違いました。繊細が過ぎて最早意味不明。私は深い溜息を吐く。
「……代わりますよ、あと何個か崩せば倒れてこなくなるでしょうし」
「しゅいません……」
泣きそうになっているライさんと変わるべく、私は恐る恐る食器の山から手を離した。ライさんも立ち上がり、さっき床に並べた食器を避けて私と立ち位置を変わる……その時だった。
「っわあぁぁ!!」
「あっ!!」
既に集中力が切れていたライさんは、折角助け出した食器につまずく。蹴ったカップは割れはしなかったものの、コロコロと転がって部屋の隅へ。バランスを崩したライさんはパーティションの足を蹴ってシンクに激突。
「っ、た」
「大丈夫ですか!?」
痛がるライさんに慌てて声を掛けると、ライさんはすぐに顔を上げた。が、その顔色がすぐに変わる。
「だ、大丈夫で……ぁ、音胡さん、っ……!」
「わぁぁあぁ!!?」
追い打ちをかけるように、もみくちゃになった私達の上に、ぐらり、とパーティションが倒れてくる。ライさんは驚きに腰を抜かしながら咄嗟に腕で顔を庇った。明らかに顔だけ庇ってもダメだと大きさだと思いますけど。
私はそんなライさんに覆いかぶさるように上半身を預け、咄嗟にパーティションを受け止めるべく手を伸ばした。結果として、ライさんを腕の中に収めたままパーティションを受け止めた形になる。
……無事、パーティションはそこで受け止めることが出来た。でも、何故かその体勢のまま私とライさんは見つめ合う。
「…………。」
「………………。」
何故か訪れる沈黙。なんですかこの状況。
いえ、この状況を一言で表す言葉を私は知っています。いつだかの流行語でしたっけ? でも、なんというか、似つかわしくないというか、使ってはいけないというか、言ったらアウトというか。
ライさんの瞳が異様に輝いているのがそれっぽいんでやめてください、本当。
「…………音胡さん、壁ドン似合いますね……今一瞬、本気でかっこいいって思いました……漫画でよく見るイケメンに一目惚れの流れってこんな感覚なんですかね……」
「言わないでください、本当に……いやマジで」
今の一瞬、ライさんが本気で背景に花を背負いかけたのを私は見逃さなかった。上司を乙女にさせてどうしろって言うんですか。
「……とりあえず怪我がなくて良かったです、よいしょ……と」
私はパーティションをなんとか元の位置に戻す。意外と軽くて助かりました。力はそれなりにある方と自覚はしてますけど、支えきれなかったら二人でぺしゃんこでした。
「す、すみません、本来なら僕が置いたものですし、僕が引き起こした事ですし、僕が部下であり女性である貴女を守るべき立場なのに……」
いろんな失態をいっぺんに犯したライさんは、確実に耳からしっぽまでしょんぼりしてしまう。私はその謝罪を否定するべく首を横に振った。
「いえいえ、お互いに無事ならなんでもいいですよ」
「う、うぅ……そんな所もかっこいいです……音胡さん、羨ましい……」
「待って下さい、色々おかしいです」
……男性上司ににかっこよさで勝る女性部下ってなんですか。
* * *
それから、なんとか食器の整理を終えた私達は周囲の掃除を始めた。どうせなら片付いている間に綺麗にしておこうということで、ライさんは壁やレンジ、冷蔵庫のあった場所など細かい場所。私はシンクや棚の汚れを落としていった。
が、私はある意味読んでいた。このパターン。嫌な予感がする。
ただでさえ結構ボロな署だ。深追いすれば嫌にでも目にするものがある。
「うわぁぁっ!! 虫がぁぁ!!」
「やっぱり!!」
ライさんの驚きの声に私は振り返る。
すかさず視線の端にすばやく動くアレを捉えた。私は既に用意していたスプレーを振り回す。
的確に、狙いは外さず、少し先を狙って焦らずスプレーを構えた。
……予測した甲斐もあってか、一発で仕留めることが出来て一安心です。
勿論、仕留めたのはアレです。速くて黒いアレ。
「…………ライさん、もう終わりましたよ」
勿論、ビビりなライさんは唐突な虫の登場に驚き、床でうずくまっていた。床に垂れたままのしっぽを避けながら、彼の背中をトントン叩いて声を掛ける。が、ライさんは顔を上げない。
「……っ、うっ、うぅぅ……」
「……な、泣いてるんですか?」
よくよく近づいてみれば、嗚咽すら上げていた。流石に怖がりの泣き虫とは言え、虫一匹で泣きます? 20代男性ですよ?
「僕、今日恐ろしく足引っ張ってませんか……っ、ぐすん」
あー、そっちでしたか。ライさんは己の不甲斐なさに涙していた。
う、うーん、イエスとは言えませんが、ノーとも言えません。
* * *
「はぁ、ようやく片付きましたね……」
「これで冷蔵庫入れられますかねー」
それから数十分。ようやく給湯室は綺麗に片付いた。昼休みが終わるまであと15分ぐらいか、早く冷蔵庫を入れないと休み時間が終わってしまう。帰り際までここにバカでかいダンボール箱を置いておくのも邪魔だし。
「では、僕が箱から出すんで、音胡さんそっち持って貰えますか?」
「ライさん、下の方支えることになりますけど大丈夫ですか?」
「……それは、信用がないという判断でしょうか……いえ、実際無いんでしょうけど……」
ライさんは冷蔵庫を開封すると、箱を横にした状態で下の方から持ち上げようとした。その持ち方だと、置く時下を支えなければいけない。つまり上を支えるより重い。特にやらかしている今日のライさんに任せるのは若干不安だった。指摘すると、流石のライさんもふくれっ面で抗議する。
「持ち上げるんじゃなくて、上から起こして引っ張っていきませんか?」
「……そうですね、そっちの方が安全ですよね……」
しかし、ライさんに無理させてまた大変な事になっても困る。このままだと腰を痛めるライさんの姿しか想像出来なかったからだ。私は咄嗟の案として、ライさんには冷蔵庫を支えてもらうに留めて、私が上から冷蔵庫を起こし、それから引きずって位置調整する案を打ち出した。
ライさんは少ししょんぼりしていたが、頷いてくれる。
「よいしょ……っ、と、よしっ! これで大体元の位置ですよね?」
「そうですね……すみません、殆どやってもらってしまって……」
そうしてどうにかこうにか、冷蔵庫は定位置へと設置できた。ライさんは申し訳なさそうに謝るが、散らかしたのも私の私物メインだったし、冷蔵庫も使わせて貰っている身だったので、問題ない。私は首を振る。
「……あれ、電源は……説明書って入ってました?」
ライさんはいよいよ冷蔵庫の電源を入れるべく、冷蔵庫の裏に回る。コンセントは刺したが、動かないのを見ると、どうやら何処かに主電源かリセットボタンのようなものがあるらしい……が、見当たらない。動かし方を調べるため、ライさんは説明書を探していた。
「ダンボールの中にありませんか?」
「あ、ありますあります。底にくっついてました……えーと」
私は冷蔵庫が入っていた大きなダンボールを指差す。ライさんはしゃがんで箱の中を覗いた。どうやら箱の底にテープで固定してあったらしい。ライさんはそのまま這って、箱の中へ入っていく。
……果たしてライさんが小さいのか、箱が大きいのか、ライさんはしっぽの先まですっぽり入ってしまった。
「あっ、意外とがっちり張り付いてますね……剥がれない……」
「…………。」
私はその姿を見て、そっとダンボールに近づいた。どうやら説明書のシールが剥がせないらしく、ライさんは必死にテープを剥がそうと格闘しているようだ。
「…………。」
私はダンボールの蓋に手を添えて……パタン。蓋を閉じた。
「…………。」
「………………。」
ライさんのテープを引っかく音が止まり、急にしんとする給湯室。
「…………何故ですか?」
「……すみません、出来心で」
当たり前だけどライさんの冷たい声が箱の中からしました。なんか、箱に入っていくライさんがなんかっぽかったので、蓋閉めたらどうなるんだろうとか、邪な気持ちになっただけで深い意味はありません。なんかっていうか、猫なんですけど。
「でも、この中割と暖かくて、落ち着いてしまう自分がいます……」
「そうですか……」