(IF)ふらサナさんの話
※本筋じゃないエンドの詰め合わせです※死ネタを含みます※
息の根を止めた(精神崩壊エンド)
ようやく再会できたと思った直後、連れ去られて行方不明になっていた相手の元に呼び出された時には全てが遅かった。僕らの時間で2年、そしてこっちの時間では8年経過して、片割れだったはずの姉は2歳年上の学生になっていて。
自分より少し大人びた顔を子供のように歪めてただ震えるだけの姿は余りにも痛々しく、そしてあまりにも遠い存在になってしまったようで抱きとめるのさえ一瞬躊躇してしまった。
「珠莉ちゃん、これは一体……」
「…………」
状況を説明して貰おうと、覚えのある顔より大分大人になった『人攫い』に詰め寄る。けど、彼女は不貞腐れたような、まるでこちらが悪いかのように視線を反らしてそのまま背を向けてしまった。
「サナ」
そのまま、静かにサナちゃんの名前を呼ぶ。びくり、と腕の中で怯えるようにサナちゃんの肩が跳ねた。何があったのかの状況は掴めないまま、この反応から良い関係は築けなかったのだと今までの経験と感覚で察する。
「ごめん、これで最後だから。これ以上誰も困らせないで」
「っ……ひっ……」
そのまま珠莉ちゃんは部屋を出ていって、身体を強張らせたままのサナちゃんと二人きりにされる。サナちゃんは随分ともう魔力も使い切った様子で、酷くやつれていた。年を取って背は伸びたのに、身体は酷く軽くて……多分、僕が2年も経過して呼び出されて……話を聞く限り『これで最後』なのも、恐らく珠莉ちゃんだけじゃこの状況を打開できそうになかったからなのだろう。
それ以上の情報は他になく、僕は仕方なく俯くサナちゃんに静かに聞き出す。変に強く聞き出せば余計な恐怖を思い出させるかも知れないのが怖いから、出来る限り冷静に声を掛けた。
「や、嫌だ……いやだ……やだ……」
「……大丈夫だよ、ね、何があったの?」
「…………」
サナちゃんははらはらと泣き出して首を振るばかりで、話が出来そうな様子はない。ただ、その腕は痛いぐらい僕の腕に縋っていてた。見渡せば、他の人の家を間借りしているらしい部屋は、昔と違って整頓すらされていない。乱雑に置かれた本は、昔嫌っていたフィクションの物語が多く、床に散らばった教科書とノート……綺麗だった字はぐちゃぐちゃで、それも途中で板書をやめたように見えた。細った身体に来ている制服にはタイのひとつも付けていなく、結っていた髪も下ろしたまま。……その姿は……根は真面目な彼女が何かを放棄した姿に見える。
「あ、あぁ……あぁ……」
泣き崩れながら、言葉にならない叫びを上げる姿はもう、限界そのものだった。僕もこれ以上、聞けないままただ突っ伏して丸めた背中を撫でてやることしか出来ない。困惑と怒りと痛みでどうしていいか分からなかった。
それでも今までの経験で言えば、ここまで消耗する前にサナちゃんは意識を放棄する事を選ぶ。死ねない彼女が唯一、生から逃げる方法。魂を身体から切り離す魔法。記憶を自分の魔法で失うこと。
それをしなかったのは……いや、出来なくなってるのは、恐らく珠莉ちゃんが何かしらの手を加えたのだろう。
「あぁああぁああぁああああぁあああ!!!!」
ひとしきりサナちゃんは泣き喚いて、叫んで、怯えて力尽きた。ひとまず部屋の片隅に置かれていたベッドにその身体を寝かせた後、仕方なく散らばったものを片付けがてらに拾い上げる。……本当にこの人の持ち物だろうか。そのどれもが違和感を感じさせてしまう。
「寝た?」
「……君は?」
「あかり。珠莉の兄……だった、って言ったらいい?」
そんなつかの間の静寂を破ったのは、僕と同い年ぐらいの……でも妙に綺麗な顔立ちの男の子だった。顔の割に少し乱暴な口調、でもその声色は少しトーンが落ちていて、高い声と相まってしんと静かに響く。
「……珠莉ちゃんの、『兄』?」
さっきまで見掛けた珠莉ちゃんの姿を考えると、どう考えても『兄』の年齢には見えない。一瞬考えたところで、そもそもサナちゃんもこの世界の時間の流れと、身体の時間が食い違っていることに気づいた。
「……アンタ達と事情は似てるかな。元々対だったけど、珠莉に拒否されて時間が食い違った……って、僕の話はいいよ。ソイツ……サナの話」
「え……ああ、うん」
そう言うとあかり、と名乗った少年はぐったりと眠ったままのサナちゃんを指差した。どうやら現状を説明してくれるって事らしい。ソイツという呼び方から察して、そこまで仲が良いようにも見えないけど……一応味方という認識でいいのだろうか。少し警戒はしながらも、僕は耳を傾ける。
「…………珠莉に好かれてここに来たぐらいだし最初はまんざらじゃなかったんだろうけど……ソイツ、正直『重い』よね。無理やり勝手に珠莉に合わせようとして、その努力が実らないと勝手に不貞腐れて、珠莉もなかなか気づかないから、伝わらないって勝手にソイツが自滅していって……見てて面白かった」
「…………なにそれ」
けど、僕の予想は大きく外れて、聞かされたのは殆ど悪口だった。ただ、その言葉の意味自体には思い当たる節があるから強く否定も出来ない。サナちゃんはどこまでも強がって相手に合わせて、言葉にできない事を汲み取ってもらえないと分かると逆上する……その光景は余りにも想像に容易かった。
そうしないと誰かに愛してもらえなかった環境は忘れられないままだったのだろう。
それでも言い方に対して機嫌を損ねた僕に、目の前のあかりくんとやらは話の途中だから落ち着いてよ、と一度溜息を吐いてから続ける。
「あの頃はね。珠莉もちょっと考え方が極端だから、反対側に行っちゃうんだよ。ソイツがどんなに大切にしようとしても、その大切をぞんざいにして余計にイラ立たせるっていうか……ある意味似た者同士過ぎたのかもね。ソイツは我慢するばかり、珠莉は自分のことばかり……で、段々ソイツがイライラしてきて、珠莉もそのうち我慢させてた事に気づいて……珠莉が言うには『手を離した』らしいんだけど、ソイツの視点では『突き放された』らしい」
「それは本人が?」
「そう言ってた。捨てたくせに、って泣き喚いてたから」
そういうとあかりくんは、寝ているサナちゃんの前までゆっくり歩いてくる。未だ気を失ったままのその寝顔は、僕より年上になってしまったのに酷く子供っぽくて、寂しげに投げ出された指先が何かを探すようにぴくり、と動いた。
たぶん、珠莉ちゃんの手を取ったはずなのに、いつの間にか離されてしまった手の有所を求めているのかもしれない。
上手く想像することは出来なかったけれど、10年も孤独だったこの人が……また8年も孤独に藻掻き続けたと思うとあまりに痛い事実だ。
「第三者の僕が……しかも身内が言って正しい情報になるかわからないけど……無責任なヤツに拾われて、無責任に捨てられて……それでも心を許せるやつが居ないから、周りの大人に反抗を示しても相手にして貰えなくて、狂いきれないままずっと耐えてた……って思うと、流石にあんまりだと思っちゃうじゃん、不覚だけど」
そういうと、あかりくんはサナちゃんの前にしゃがんで、その投げ出された腕を取る。僕の腕も無理矢理に引っ張って、絡ませられた指は嫌に冷たい。もう力を使い切り掛けてて、生気なんて殆どない指先だった。
「でもアンタが来てようやく、コイツは狂えるんだな……」
「…………」
「……自滅なんてさ、馬鹿だと思うけどソイツの事怒らないでやってよ。いつ死ぬかも分からないぐらい自分を軽んじてる好きな人の代わりになろうとして、一生懸命自分の首絞めたんだよ……」
それだけ最後に、本当に同情が不覚らしい。彼は苦い顔をしたままサナちゃんを庇うような言葉を吐いて、そのまま部屋を出ていった。恐らく珠莉ちゃんを追ったのだろう。
取り残された僕はその言葉に何も言い返せないまま、未だ目を覚ます気配もないサナちゃんの寝顔を眺める。
どう捉えていいかわからない。この人の絶望を想像するには、余りにも僕と彼女はその8年で違うものになってしまっていた。
一等星(力尽きエンド)
サナが行き倒れていた。見つけたのは偶然だった。
玲子の家に向かう途中、入り組んだ道の端。自分でもよく見つけたな、と思うほどには物陰だったけれど、決してひと目につかないかと言えばそうでもない。その違和感に一瞬、ドキッとしてしまった。
まるでその光景は、『死期を悟った動物が身を隠し切る前に力尽きた』みたいな違和感だったから。
「サナ!?」
駆け寄ってその身体を抱えれば、その身体は身長の割に嫌に軽くて……指先は血が明らかに通っていない。
「どうして……あかりが助けたはずじゃ……?」
あかりは『消す力』を頼られて、教会の神父さんと知り合いだ。そのあかりの伝手で教会に行ったと聞いていたから、どこか安心していた。これでサナが力を供給できれば、助けなんか要らないなんて反抗もなくなるって思っていたから。
でもまあ今は理由はなんでもいい。また力を送る? とやらをしてあげたら回復出来るだろうか? 駄目元でサナの手を握ろうと、その冷たい指先を両手で温めるように包んだ。会ったばかりの頃はびっくりするほど綺麗な手だったのに、今や青白い指先は噛んだのだろうか、爪が欠けていた。『爪を噛む』ってストレスのはけ口みたいなやつだよね……。自傷行為癖のあった昔の私ですらやったことがない。その現状にまた、嫌に心臓が跳ねる。
「いらない……」
「いいから大人しくして!」
「要らない、貴女の助けなんか要らない!! 触らないで!!」
けど、すぐにその手は私の手をすり抜けて、サナは地面を這いずる形で私から離れようとする。その力でもう抵抗出来る程ではないけれど、反抗は変わらなかった。
「サナ、お願い。このままじゃ本当に……本当に死んじゃうよ」
「いい。黙って死なせて……要らない……」
「っ……!!」
サナの言葉に怒りが湧く。結局あんなに説教しても何も変わらない。言う事の一つも聞いてくれない。
何なの、この反抗。なんでまだ私を困らせようとするの?
本当は優しくしたほうがいいと解っていても、もうこの人に付き合ってやる程の余裕がなかった。噛みついたところで余計に反抗されるのは解っていても、耐えきれずに声を上げる。
「ねえサナ、貴女は昔の私に何度も同じことを言ってくれたよ。どうして聞いてくれないの!」
人気のない通りに、叫びが響く。
と、サナもその叫びに、余力を振り絞って起き上がった。その目がぎらりと私を睨むと、制服を着ていても尚『普通の女の子』ではない……未だ『悪魔』である事を思い出させて私の息は一瞬止まる。
「貴女はそうやって何度も、何度も何度も何度も何度も!!! 私に失う恐怖を突きつけてきた。自分ばっかりで私のことなんか見てくれなかった! 私の気持ちなんて散々踏み躙った癖に偉そうにしないでよ。大人になったぐらいで偉そうにしないでよ!! わかりましたって顔だけして、まだ踏み躙る真似をしないでよ!!! もう嫌だ、貴女だって結局今までと全部同じ、私を置いていく癖に、捨てた癖に……」
そう泣き叫ぶサナの目線は、さっきまで私が握ろうとした指先に落ちる。力なく開かれても閉じられてもいない、何処か寂しげな空っぽの手に。
「……サナ、でも、貴女は結局私を傷つけたよ。それでも貴女が正しいと思ったから私は手を離した。それで納得してくれないのは、こっちも納得がいかない。……私が解るんだから貴女に解らない訳ないよね?」
そのままくたりと身体を折り曲げ、力なく地面を引っ掻くサナにやっぱり私は反抗を許さない。悪く言えば、物理的に逃げられないからこそ、現状では私が有利だった。いや、『有利だと思っていた』。思う存分言い聞かせられる。サナが苛立ちをぶつけるのと同じぐらい、私も怒りをぶつけていた。二人きりだからこそ、あかりに引き止められることもないし、サナが誰かに話を聞かれることを嫌がって言い淀むこともない。
その読みが当たったのだろうか、私に言い返されたサナは勢いを失い、叫びから、徐々に静かに声を潤ませていく。それに続くように、俯いたままの呼吸に喘鳴が交じり始めた。
「……好かれないなら嫌われてでもこっちを見て欲しかった。魔力の問題じゃない、貴女が生きて、必要とされる事でしか、『悪魔』の私が納得する方法が無かった。……でもそれも終わったんでしょ? 貴女が私に『与えた答え』ってそれなんでしょ?」
サナの腕が地面を押し返そうとする。けれど、さっきみたいにもう力は振り絞れなかったらしい。バランスを崩して、真横に倒れるのが精一杯。ようやく見えた顔は真っ白で、視線はうつろながらに私をまだ睨んでいた。
「じゃあもう貴女は関係ない。手を離したなら放しきってよ……。私は……貴女を困らせる事しか出来ない自分に疲れた……」
それでも、もう思うように動くほどの力がなくても。サナはひたすらに私を拒み続ける。お願いだからもうやめて欲しい。難しく考えて欲しくない。埒が明かない。なんでそうなるの。こっちだって疲れた。こっちだって終わらせたい。
つられてこちらの心情も迷子になっていく。
ただ、そこにもう愛情はなかったとしても、死んで欲しいだなんて一度も思ってない。
私が手にしたあの物語で謳われたような『悪魔』の運命から自由になって欲しいという気持ちは、8年経過しても変わっていない。
「サナ、いい加減にして!!!」
なんで、なんでそれがこの人に伝わってくれないの……!!!
「はは、あはは……ぐすっ、あぁ……確かに辛いなあ……ごめん、ごめんなさい……反抗しか出来ない、子供で、ごめんなさい……ぜんぶ、全部……ただのあてつけだったの……」
「サナ……?」
「……自分が勝手に背負った罪とか、重いところとか全部……う……それでいいって言ってくれるの、勝手に期待した……ただのガキだっただけ……」
思わず叱りつけた言葉に、サナは対に嗚咽を溢しながら……それでも笑いを溢した。サナが私にしたことを理解した、と分かった瞬間。そして、サナのその言葉に……私がサナにした……放置を、無視を、見ないふりを、ないがしろを……理解した瞬間だった。
「新月さん……たすけて……本当は死にたく、ない…………」
「!!!」
始めて聞くサナの本音に、私は慌ててサナに手を伸ばす。
けれど、辛うじて上がったサナの腕は、手を取る前にぱたりと地に落ちて。
すうと吸われた息が止まる。吐かれないまま息が止まって……。
「……サナ?」
そのまま、サナは二度と動かなかった。
最後にサナが流した涙が、残りの力を全て持っていったこと。
静かに落ちる雫が地に吸い込まれていって、察せてしまった。
この国に神様は居ない。魂は空想上のものでしか無い。
サナの死は死でしかない。生き返るようなことはなく、肉体は抜け殻でしか無い。
サナがお世話になっていた教会で、形以外に意味のない鎮魂の儀式を執り行う。
この国の葬式は、そうして……移民であれば遺体の代わりに本を焼く。
肉体はあかりが消す。
ずっとそうして移民を見送ってきた。
けれど、今日だけはどうしても違って。
私は火に焚べられかけた『伝説の悪魔』を、気づけば煤も構わず抱きとめていた。
誰も……あかりですらそれを止めなかった。
「……今まで怒られるから言わなかっただけで、意味がわからなかったの。死ぬな、って言われる意味……サナにそう言ってたのも、先にそう言ったのはそっちでしょっていう仕返しでしかなくて!!」
何を言い訳したってもう聞く相手は居ない。
儀式の為に控えていたあかり以外、席すら立たなかった。静かな教会に私の悲鳴だけが反響する。
「でも違う、違った!! 私なんて事したの? なんて事を言っちゃったの? まだ抜けない……サナの最後の呼吸の音も、体温が消えてく感覚も……!!」
誰も何も言わない。皆もう知っていた。知らないはずがなかった。
この国でお互いの事情を知ることは自己紹介に近い。移民は皆訳があって……ある人を私が選んだから。
サナも例外なく、テロリストだった事は知らされていた。
だから距離を置かれることもあれば、あかりなんかそれを誂って面白がってすらいたし、逆にその辛さが共感されることもなく「人殺しくらい珍しくない」なんて言われてしまう事だってあった。
私がそんな相手を選んで、表面上だけ可愛がって、突き放されたってサナが喚いたことも、皆知っていた。
「誰でもいいから頼られたいって気持ち、移民を増やし続けた私が一番よく解ってた筈なのに見ないふりしちゃった……飽いたからって無視することを選んじゃった!!!!!!」
皆、ただ静かに私の悲鳴を聞いて俯く。そこに否定も肯定もなかった。誰も、どちらが正しいとも間違っているとも言えない。それが、今の私とサナの関係の評価だと思い知らさせる。
「……止めてあげられなくてごめん、本来、僕の役割なのに……でも、今までも、これからも、この先も、僕も同罪」
そんな私の腕から、あかりが淡々と焦げ付いた本を抜く。
私の心配しかしなかった彼の冷たい目が、再度火に焚べられて形なく消えていく様子だけを反射していた。
「繰り返したくないなら二度と、悪いように言わないで……コイツの為にもその後悔忘れないでやって」
そのまま、サナの抜け殻に手を翳す。
「あんなにコイツの事消したかったのに、嬉しくないもんだね……」
からの棺に、あかりの涙が溢れただけで、後はもう何もなかった。