うちのアイドル
どうしても決意が揺らぎそうになる時がある。幾つかの世界を覗き見る間、どうしても叶えたい形にそれが叶わなかった時。力の強さだけではどうにも処理が出来ない現実を目の当たりにしてしまった時。当人の想いと自分の想いが噛み合わなかった時。
「コエ、いらっしゃい」
何となく顔を見たくなって、用事のついでに立ち寄るフリでサナの家に出向く。決して社交に積極的ではないものの世話好きな面で友達も多い。人が来るのには慣れているようだ。アメやカンも頻繁に遊びに来るのでそういうものだと思っているらしい。突然の訪問にも関わらずサナはさも当然のようにこちらを迎え入れたので、人間になった今でももしかしたら予知ができるのではないかとこちらが驚かされる時もある。
「つばさは?」
「今日は帰ってこないの」
最初の頃こそ生活リズムが合わないことに少し寂しさを感じていたように見えていたが、今やそれが同居人ながらも程よい距離感を保っているらしい。リビングの片隅に散らばっていたノートとギターは、どうやら曲の構想を練っていた跡だ。
「……サナ、歌ってみてくれ」
その跡を見て、何となく歌う姿を見たい、と思った。余りにも唐突すぎたか、と言い訳を考えるより先にサナが聞き返す。
「何かあったの?」
「…………少し、な」
「そう」
その声色は明るくも、まるで子供に問うように優しかった。そこまで酷い顔色をしていただろうか。あまり聞き返されたくない事柄である点も察してくれた様子、安心はするが気を使わせている気もして心配になってしまう。こんな半端な気持ちだからいけないのだと解っていて、救いたい相手に救われようとしているのがまた情けない。
「……私が言うのも説得力無いと思うけど、根を詰めすぎるのは良くないわよ。貴女の犠牲の上で救ってもらう事なんてこっちも望んでないのだけは解って欲しいわね」
サナはそう言うと、こちらの返答は待たなかった。返事をし辛い事もどうやらお見通しらしい。勝てないな、と返事代わりに笑みを含んだ溜息を返した所で、サナはこちらのリクエストに答えて歌を口ずさみ出した。
普段は弾き語り調の打ち込み音楽を配信するサナは、今日に限って穏やかながらも、振り付けを交えたバラード調の曲をアカペラで歌い始めた。伴奏も何も無いはずなのに、ただ歌うだけには見えない。派手に踊る訳でもない。それでもしっかりとした、魅せ方を解っているパフォーマンスがそこにあった。
「アイドルにならなくて惜しくはないか?」
「まさか。全部私の選択だもの」
静かに始まって静かに終わった歌に拍手を送りつつも、そのパフォーマンスを生かさない今のやり方を少し惜しく思ってしまう。聞けば簡単に首を横に振ったので余計な心配らしい。
「つばさが歌の道に行かなかった事は少し惜しいとは思うけどね」
また隣に並びたい、という願望は淡くあるらしい。が、それもつばさが歌ったきっかけを思えば選択はしない方が良いのだとサナは言い切って、またギターの隣に戻る。サナの歌声に少し気が紛れたこちらも見透かされているようだった。
「ま、機会があればまた目指してみようかな」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」
そう軽く笑うサナの顔を見て、こちらも笑みが溢れてしまう。すっかり杞憂は何処かに行ってしまっていた。どっちが神なのだか分からない夜が、さっき聞いた歌のように静かに迫る。冷たい風がカーテンを揺らしていた。