多忙に溺れる
「サナちゃん、いるんでしょ~?」
つばさが夜間出勤と聞き、ルナは少し久々にサナ宅を尋ねた。
しかし、チャイムを押しても声をかけても、サナが出てくる様子がない。
いつもなら庭の窓が開いているのでそちらに回るが、今日は玄関に鍵がかかってなかった。
サナが鍵を閉め忘れる事は無いだろうし、あったらそれは何かあったに等しい事。
口調は軽くも、ルナはその少し違和感のある光景に不安を覚え、サナの家に上がり込んだ。
「サナちゃん?」
リビングに入ると、もうすっかり日が落ちているというのに部屋に付いているのはインテリアのフロアランプだけ。
サナはテーブルの前のソファに座り、ブランケットを纏ってうずくまっていた。
テーブルと足元に紙が散らばっている。勉強に使ってたルーズリーフだ。
「サナちゃん」
できるだけ優しく声をかけながらサナと目線を合わすためしゃがみ込む。
サナは眠っていたのか、ぼんやりしたまま顔を上げた。
「ん…ルナ……」
「どうしたの、また徹夜?」
『音屋』のサナは、レコーディングが迫ると、人間の体では確実に負担がかかる程の徹夜をする。
それは酷い扱いを受け続け、常に危険の中に居た彼女が、急に平和な世界に生まれ落ちた事で出来た、『多忙』への依存。
サナがサナを保つためのものだと、コエが言っていた。
「課題、終わらなくて、昨日まで…制作やってたから……」
「大丈夫?」
辿々しく説明をするサナ。大分疲れているのが見えた。
「課題いつまで?」
「明後日に二枚…」
とりあえず散らばったルーズリーフや教科書を拾い上げる。
サナはまた顔を伏せてしまった、そんなに徹夜したみたいなじゃないけど…
「電気つけていいかな?」
「眩しい」
短く答えて頭を振った。
「このままじゃ何も出来ないよサナちゃん」
そう言ってサナの肩に触れる。
「…サナちゃん」
様子が変な理由が分かり、ルナは少し呆れた声でサナを呼んだ。
サナはびくっ、と身体を揺らすと、2,3度咳き込む。
「そこまで切り詰めちゃだめだよ、言えばよかったのに」
「………」
サナの肩が震えていた、呼吸も落ち着いていない。
「サナちゃん?」
「だ、だっ、てっ……」
顔を上げるサナ、泣き出しそうな表情で言葉を続けようとするが、続かない。
もう大分泣いていたのだろうか、よく見れば目が腫れていた。
元々体力と気力を魔法で補っていた名残で、今のサナは体調を崩すと精神が引っ張られるようになっていた。
フラッシュバックも起きやすくなる。つばさが連絡してきた理由が分かり、ルナは内心ため息を吐く。
実際のため息はサナを責めることになるのでこらえたが。
「熱酷いじゃん、薬ある? 病院行く?」
サナはまた顔をうずめ、小さく首を振った。
ルナはサナの肩を抱くと、とりあえずソファに横にさせる。
サナは何度か咳き込むと、ソファに収まりきらない身体を丸めた。
「とりあえず氷…、薬無いって事はまたつばちゃんに具合悪いの隠したね…具合悪くなる前に買えばいいと思って」
「……さっきっ、までっ……うっ、動けた、のに……」
つばさにはもうバレている事にサナは気づかない。
と、言うことはどんなにふらふらなまま、元気な振りを続けていたのか。
それを想うだけでルナは呆れ、そして苦しくなる。
サナはブランケットを握りしめ、意志とは関係なく泣きじゃくっていた。
「ひっ、う」
「落ち着いてサナちゃん」
「うっ、うあ…っ、あ」
フラッシュバックの予兆が始まった。この状況でのフラッシュバックは体力的にキツイだろうから避けたい。
本当はサナの記憶ごとどうにかしたい所だが、それを失えばサナはサナではなくなるだろう。
「あぁあぁ……、うぐっ、うあ、あぁ……」
サナは頭を抱えながら、殆ど痛みに耐えるような状態だった。
ルナはその肩抱いて、背を撫でる。
「嫌っ、だ、やだ、やだ」
ダメか、そう思う。
苦しそうにするサナは、自分にとっても、見ているだけで痛々しい、ルナは覚悟した。
「……っ…」
途端、サナの意識が途切れる。
「ごめん、これしか手段無かった」
驚くルナの後ろから気配。
庭先の窓から現れたのはコエだった。
「昼間にカンがサナのCD借りたいとかで、サナがウチに来てたんだけど、そのときからちょっと喉枯れてたから…普段管理きちんとしてるし、つばさが出勤していったのとすれ違って心配になって、ね」
眠るサナの額を撫でるコエ。サナの寝息が静かになるのを見て、記憶と具合をリセットしたのがわかった。
「人間だからね、あんまり魔法をかけると後で負担になっちゃうけど、今回は多分……」
コエはそれだけ言うと、また窓から庭先に出て行く。
「まあ間に合ってよかった、苦しい思いはできるだけさせたくないからね」