日本にいると実感しにくい契約書の良さ
ビジネスに契約書は必要。
ところが日本で交わす契約はセレモニー的なところあって、
ビジネスを始めることが決まったあとで契約をしている、
というのが実態です。
なぜ、そんなことになるのか。
一つは日本人の同質性。
日本人の高い同質性は、
契約を交わすことなくお互いに察し合うことができます。
そんなこと言わなくても分かっている、
と言われるように、
契約書を交わすことで契約に水を指しかねません。
そしてもう一つは成文法が充実していること。
契約は当事者同士を縛るものです。
かりに契約書を外れて民法典のお世話になった場合でも、
おおよその結論を予め知ることができます。
このことは外国でビジネスをすると、
その有り難さを実感することになります。
契約を離れてトラブルの判断を国家が定めた法律に委ねると、
日本のように予め結論を予想するという訳にはいきません。
日本は大陸法を規範としています。
その中でも充実した成文法が構築されています。
同じ成文法の国であっても、
日本のように細かいことまで定めている、
こういう国は多くありません。
そして英米法の国。
成文法を設置せず過去の裁判例に判断を委ねています。
これが全く予想がつきません。
英米法を採用する国は、
イギリス、アメリカを旧宗主国とする国々です。
ほとんどのASEAN諸国がイギリス、アメリカを旧宗主国しています。
ASEAN諸国といえば多くの日本企業が進出している国々です。
そんな英米法の国でビジネスをするときに、
日本と同じような感覚で作成した契約書は全く機能しません。
日本式契約書は極端に言えば、
信義則条項を設置するだけでよく、
仮にトラブルになった場合でも、
互譲の精神を以て協議する、
これで解決を図ろうとする方法です。
トラブルになったときに話し合いが成立しない、
このことは経験者なら感じていることです。
契約書に何も規定していない状態で司法判断に委ねても、
結果がどうなるか全く予想がつきません。
かくいう自分も、
中国にいたときに契約不備の洗礼を受けています。
そのときの経験談を経営者に話します。
とてもリアルです。