弁理士は非侵害の鑑定書を書くこともできるし、侵害の鑑定書を書くこともできる
初めて鑑定書を書くことになったとき指導弁理士から言われたことは御用鑑定にならないようにということだった。
出願明細書ばかり書いていたころ「鑑定書」に対しては一種の憧れ的なものもあって、鑑定書を書くことができる、となったときはとても嬉しかった。
さてこの鑑定書、訴訟において裁判所から依頼される鑑定書と、私的な鑑定書とがあって、弁理士が日頃携わるのは後者の私的な鑑定書なのである。
私的とつくこの鑑定書は、依頼者に対して忖度しないわけにはいかない事情があるのだが、当時の指導弁理士の言葉の裏にはそのことを暗に戒めていたのである。
鑑定書を作成して依頼者に請求する以上、依頼者が安心するような鑑定書を書いてしまいがちなのである。
御用鑑定になるなかれ、という意味は、依頼書の言いなりの鑑定をするな、ということなのだが、そもそも私的な鑑定書自体が単なる私文書に過ぎない。
侵害鑑定をする場合、明らかに侵害と判断できるものなら、そもそも鑑定が依頼されることはない。
侵害の該非がグレーであり、侵害と判断することもできるし、非侵害と判断することもできる場合に、外部の一応第三者的な意見として鑑定の依頼があるのである。
このような鑑定書の使徒としては、知財部だけの判断ではありませんよ、第三者の弁理士の言質もとりましたよ、という意思決定における言い訳的な材料として使われることが多い。
どのような意思決定か。
グレーだけど非侵害としてプロジェクトをすすめるか、グレーだけど侵害としてプロジェクトを中断するかである。
最初こそ、自分の考えを信じて鑑定書に落とし込んでいたのだが、何件かの鑑定書を書いているうちに、どちらの鑑定も同じような厚い理論で書けるようになっていることに気づく。
グレーなのだから、侵害の鑑定書もあるし、非侵害の鑑定書もあるのである。
立場によって、鑑定書を書き分けるのである。
これは至極当然のことで、出願発明に対して審査官としての意見、代理人弁理士としての意見があるように、意見の内容、鑑定の内容は立場によって変わるのである。
侵害警告に対して相手に提出する鑑定書で、侵害を認める鑑定書を書く弁理士はいない。
相手の警告を受け入れるのであれば鑑定する必要もないわけで、相手の警告に反論したいから、そのための武器として鑑定書を書くのである。
特許というものに慣れている人からすれば当たり前のことなのだが、そうでない場合、弁理士の鑑定が絶対であると思っている人もなかにはいる。
特許公報を提示され、依頼者の実施品が侵害するかどうかの意見を聞かれる場合があるが、相手側の代理人としてクロと鑑定することもできるし、実施者側の代理人としてシロと鑑定することもできる、ということをまず伝える。
弁理士の鑑定はあてにできないのである。