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弘法大師に想​う  左藤滋光

2017.02.24 06:00

想像しますね、

弘法大師でありますが、

いくら素晴らしいといっても、

修行に関しては、

近づきがたく、難解で、

自分たちも出来る修行があるかというと、

無理ではないか、と。

だから後の世、

誰もが救いにあずかれるように、

題目とか念仏が出現したのではないかー

こう想像してしまいます。

ところが、

誰もの救いは、

立義分で出されていた。

ではなぜ、

救済として広まなかったのか?

なぜ、

人を救い得るうねりに至らなかったのか?

この答えが神足です。

1月に神足を打ち出して、

2月に立義分に出会う。

この流れだったからわかった。

現代、

いくら心磨きに投入してきたからと言って、

右肩上がりにはならない。

乱暴な言い方をすれば、

むしろふつうの人で止まったままー

いったいなぜなのか?

その答えでもあります。

世に出さねばと、

気持ちを固めています。

今日も感謝から!

和顔愛語のあなたが、

一番いい。

左藤滋光 合掌