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更夜飯店

動くな、死ね、甦れ!

2018.06.09 12:42

動くな、死ね、甦れ!

Zamri, Umri, Voskresini!/Don't Move, Die and Rise Again!

2006年9月1日 DVD

(1989年:ロシア:105分:監督 ヴィターリー・カネフスキー)

1990年カンヌ国際映画祭 カメラ・ドール賞(最優秀新人監督賞)受賞

 インパクトある映画タイトルにも色々ありますが、私の中ではこのタイトルが一番、インパクトあります。

公開されたのはユーロスペースだったのを覚えていますが、「すごいタイトル・・・」と思いました。

なんとも矛盾したタイトルですが、後から考えると映画ってものは、フィクションとして作り手が役者に「動くな!死ね!そして甦れ!」などと指導する訳です。映画の内容には関係ないタイトルですが、ずばり、「映画というもののタイトル」だと思います。

 このモノクロの映画の舞台となるのは、第二次世界大戦終戦直後のシベリアの日本人収容所のあるスーチャンという町。時代はスターリン独裁政権時代。

この町が、閑散としていて、炭鉱の町でもあるのですが、交通といったら汽車だけです。これが後からこの映画のひとつの要素になるのですが。

何もない町に立派な線路だけが堂々と通っている。寒々とした風景。豊かさ、というものが全く見えない風景です。

そこに、突然、日本の『よさこい節』が聞こえてきます。演奏もなにもなく、収容所の誰かが歌っているように・・・土佐の~高知の~はりまや橋で~よさこい、よさこい・・・

 主人公はこの町に住むワレルカという12歳の少年です。父はいない母子家庭で長屋のような所に住んでいる。母は働きに行って、ワレルカは学校に行く以外は自由にしています。何もない、食料もないような時代でも、子供たちが群れてがやがやがやがや遊んでいる。

ワレルカは、父がいないことも、母に恋人が出来てもあまり関心がないように見えます。しかし、このワレルカを演じた少年が、孤独の影をいつも持っていて、遊んでいても、笑っていても、12歳にしてもう孤高の雰囲気を持っています。

近所には同い年の少女、ガレーヤがいて、ワレルカはなんだかんだいってガレーヤと仲良くしています。寂しいのを紛らわすかのように、おしゃべりなワレルカ。日本人捕虜にもぺちゃくちゃ話かける。そして小遣い稼ぎにお茶を売るワレルカ。

ガレーヤが同じ事をしているのをみると、「その水は泥水だよっ」なんて当てつけを言う。しかし、これって、気になる女の子をちょっといじめる心境のように思えるのです。

 この映画は、色々な人々を描くというより、だんだん、このワレルカとガレーヤの2人に焦点を絞っていきます。

この環境を見るだけで、この2人が甘い、楽しい子供時代を過ごしているのではなく生き延びている・・・という事になりますが、この2人からは悲壮感というものは全くありません。むしろ、2人の喧嘩や仲直り・・・突き飛ばすときは、本当にどーん、と突き飛ばす・・・でも仲直り、そんなあれこれを描いているので、空気が暗いのに、雰囲気は暗くありません。そこが映画というものの魅力のひとつだと、観ながら思いました。

収容所を出る為には何でもする、妊婦が特待を受けるのだから、さぁ、妊娠させて!なんて迫る女の子や、元学者だったという今は気が狂ってしまった男など、強烈で痛々しい描写も、何故かこの2人の子供を通すと不思議と痛みが消えてしまうようです。

 ちょっとしたいたずら心で大変な事を起こしてしまったワレルカは、家を飛び出し列車を乗り継ぎ、親戚の家に隠れる・・・しかしそこにもいられず強盗団の仲間になってしまった所へ、ガレーヤが現われる。2人でスーチャンの町にまた汽車を乗り継いで帰ろうとする。

結局、ワレルカが一番信頼できるのは、ガレーヤで、それはまだ、好きという感情ではないのですが、だんだん、淡い恋心のようなものもちらちらとする。

 このワレルカとガレーヤを演じた子供が、自然で演じているとは思えない程です。

そして、時々流れる日本の歌。『炭鉱節』だったり、『五木の子守歌』だったり、ロシアの極東の町の雰囲気がしみじみと出てきます・・・映画の醸し出す雰囲気がとても詩的です。

甘さを全く排した世界でありながら、その風景はとても詩情性あふれるものになっています。

甘いものを甘く描くのではなく、厳しい事を甘く描くのではなく、淡々としながらもそこには詩情性があふれている。どんな環境でも子供は、力強く生き延びる。それをカメラは、光と影をくっきりとさせながら、子供の姿を映し出す。それは、色鮮やかな、楽しい世界ではないけれど、力強く、そして、厳しい世界を美しく見せる世界です。そして映画という虚構も見せるのです。

新人監督賞をとったといっても、カネフスキー監督はこのとき、54歳でした。やはり政治的な圧力で、投獄された経験を持っており、その内に秘めた強い思いというものがよくわかる映画です。