非て似なるもの
例えば、営業職の方が、新規顧客獲得のための、
飛び込み営業やアポイントメントを重ねての受注活動は
従来の所謂「営業活動」の中核を形成していると思っています。
僕は、社会に出始めてから、どうしてもこの「営業」という言葉に違和感を感じています。
職業としての「営業」という言葉に。
新規顧客、新規受注の獲得を営業というのならば、
既存顧客を守り続けること、
すなわち、
既存顧客が自社から離れていかないような活動も営業活動の一環となるはずです。
会社の利益を最大限に増やし、会社の規模を拡大し成長させ、
働いている従業員の収入を増やしていくこと
会社の損失を最小限に減らし、会社の規模を継続的に維持し、
働いている従業員の収入を安定させること
この二つはほぼ一緒と考えています。
個々の人生に置き換えると「生きる」ために何をしていくかということと
「死ぬ」ために何をしていくかということ
(くれぐれも、自ら断つという意味ではございませんので)
はどうしても前者に注力していきがちです。
例えば、『〇〇歳までに△△をしてそのために▢▢円稼ぐ』という設定は
「生きる」ためにすることの目標設定です。
もし、目標と現実に乖離があれば、
目標設定を変更するか、環境を変えるかして考え続けることでしょう。
それでは「死ぬ」ための行動をしている人はどれぐらいおられるでしょうか。
どうしてもマイナスのイメージのあることに関しては、
人は目を背けがちであり、
「考えたくない」という人が大多数を占めると予想しています。
けれど、世の中はすべて、相反することで形成されています。
ひとつの事象には必ずもう一つの側面がある。
「生きること」を考えることと「死ぬこと」を考えることは同義です。
是非一度考えてみてください。「生き方」と同時に「死に方」を。
お手伝いします。