人生の棚卸
当時予測不能であった感染症の拡がりは、世界中からたくさんのものを奪っていきました。
『時間』『生命』『古き良き生活様式』・・・
多くの人々の生活が窮屈になり、
カタチを変えることのできない業種・業態はどんどん姿を消していく。
半面、現代技術の集約として、「オンライン」を中心とした交流が、
世界の中核を担うようになったこと。
これは、ホント今回の禍中では唯一といっても過言ではないくらい
大収穫だったように思います。
ただ、僕が個人的に胸が痛いというか、
可哀そうだなぁ思うのは、
多くの学生は、本分である学問習得のための授業は当然のことながら、
青春を謳歌することさえもままならない生活に追い込まれましたことです。
学生が学校というコミュニティに参加するということは、
単純に学問の場に参画するという側面ではなく、
ヒトとヒトとの『付き合い方』『距離の取り方』『感情の交換のやり方』などなどを
習得する場であると考えます。
その大事な時期をすべて奪われてしまったということが、
なにかしら恐ろしい将来を待ち受けているような気がしてならないのです。
ここ数年の社会の変貌を経て、
世の中は『自己判断』というカードを切りながら生きていく生活になっていきます。
『自己判断』は、周囲を顧みない決断を産みかねない要素も秘めています。
他人と関わる生活を極端に押さえつけられていたここ数年で、
自己判断の基準を学べたかどうか。それは大人たちも同様です。
人生が進むにつれ、決断をしなければならないことは重要度を増し続けます。
判断を間違うと、自分のみならず、他人様にも迷惑を掛けかねない。
けれども、最期のときを迎えるまで、「自分らしく」生きていきたい。
そう、それでいいんです。
『自己判断』に委ねられた世界なんです。
ではどう生きていくか...
『自己判断』に『他者への思いやり』のスパイスを加えるだけです。
他人さえ傷付けることがなければ、その『自己判断』は正解です。
人生の過ごし方を一度考えてみてください。
お手伝いします。