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文学的な、余りに文学的な vol.6~田山花袋と蒲団~

2018.06.11 00:51

つづき


6月11日、月曜日。梅雨のはしりに寝屋にこもり、考え事をしている。

崇高な理想を掲げた卑屈な人間の矮小な行いと、それがもたらす人的影響なるは如何やなどと、また、人間の縁に関することなどを漠然と考えている。

外では雨が音もなく降りそそいでいる。

枕もとにある一冊の本を取りだし読み始める。


田山花袋『蒲団』。

先に投稿したとおり、田山花袋が『蒲団』を発表したのは1907年(明治40年)である。

歴史をみれば、1905年に結ばれたポーツマス条約により、日露戦争を勝利した日本が大陸にその足を伸ばし、1909年に伊藤博文が暗殺されるまでの、ちょうど中ほどの時期である。

明治の匂いを色濃く保ちつつも、日本は大日本帝国として、列国との大戦にのまれていく。

『蒲団』にはそのような影はほとんどない。

いわゆる自然主義文学というものはロマン文学と違い、起きた事象をそのまま誇張なく表現する。

だがそれは、客観主義とも違う。

現代において、哲学でも数学でも物理学でも客観なる神のような視点は存在しないというのが主流となったが、芸術や文学でもまた同様である。

真理なるものは主観により定められる。

真理をより確からしくするには、主観同士の一致が必要となる。

田山花袋が描いた文学というのは、田山花袋という人間から観察され体験された、その主観の表現である。

日本ではこのような「私」という視点から何かを表現する「私小説」というのが純文学の主流となっている。

社会や歴史の動向から人間を描く小説と違い、スケールが小さく表現されるものが個人的なものばかりである。

正直、つまらない「私小説」はたくさんある。

だが、それが面白いともいえる。

志賀直哉という作家の作品には、一人の男が散歩中にただ蜂の死骸を見るだけというのがある。

物語は何もない。

はたしてそれは文学なのか、といったことも言われるが、そのような表現がなぜか心に響く。

『蒲団』に登場する花袋の弟子であった岡田美知代は晩年、『蒲団』で書かれる「秀夫」と当時の恋人であった永代静雄は「主観的」に違うと書いている。

そういう批判も「私小説」にはたびたびある。

描かれた表現に憤慨する人もいる。

柳美里という作家はある作品について裁判をおこされ出版差し止めと慰謝料を請求され敗訴している。

「蒲団」のモデルとなった岡田美知代や永代静雄は、作品が強く人生に影響を与えただろうと想像することは決して間違いないであろう。

岡田美知代はその後いつくかの小説を発表し、永代静雄の間にはやがて子が生まれ離婚している。

永代は『鏡の国のアリス』をはじめて日本語に訳して出版した人物であるが、永代静雄の作品は今ではほとんど読まれていない。

そのような二人と『蒲団』の関係について、いくつかの論文が発表されている。

私もまた、自身の作品がいずれ誰かに影響するのを恐れている。

文学が誰かを救うこともあれば、文学が誰かを殺すこともある。

私は自分の言葉の力を信じている。

言葉が誰かに与える言葉自体の影響力も信じている。

私が世に作品を出すのを躊躇うのはそのためである。


話がそれた。

田山花袋の『蒲団』の話である。

次こそ内容に入っていきたい。