5月13日(土)22時40分
今日は大磯町で開かれた「大磯ブックマルシェ」に行ってきた。
JR東海道線で平塚の隣、大磯町。以前大磯市(いち)という催しに行ってみたっきりの町だった。その時は港の辺りに出店が列をなしていて、喧騒と酔客で満ち満ちていた。
お酒にはあまり縁のない人生を送っていたので、見物もそこそこに早々に退散した覚えがある。
今回はブックマルシェ、大磯のあちこちのお店で本が並べられていた。お肉屋さんにも並んでいた。北杜夫の文庫本、買っておけばよかったかもしれない。メンチカツを買っている場合じゃなかった。おいしかったけど。
出版社や書店による新刊市や古本市も開かれていて、自分の企画の宣伝がてら見て回ってきた。荒天が心配されていたがさほど酷くはならず、ひとまず傘は持っていくけれどこれくらいなら差さずとも、といったいい塩梅の天候だった。
大磯は散歩にも適した地形をしていて、東海道線と国道一号線の間をいくつもの細路地が走っており、また元々別荘地として発達した経緯もあるのか、お庭が素敵な住宅が立ち並んでいて、散歩に飽かない。
どうやら大磯では一般住宅も交えてオープンガーデンという催しが開かれるそうで、いただいたパンプレットには「〇〇さん 庭」という個人宅が地図ごと載っていた。こういう世界もあるのか。
気になっていた本と、縁ができた本を幾冊か購入した。こういった買い物は久々で、少し楽しくなってしまった。
帰りしなに寄った大磯町図書館で、ブルーノ・ムナーリの絵本を見つけた。フレーベル館から出版されていて、現在絶版となっている9冊の絵本。心から復刊を希望している。
明日は「母の日」。
日ごろの感謝を母に伝え、それを相手が享受する日。
この営為が澱みなく行ない合うことができる間柄なら、とても良い日なのだろうと思う。
でもあいにくと、それが全てではない。誰かれもがそう在れるわけはない。そうであるなら構いやしない。
親子の関係は良好であるべし、というのは夢想に縋った空疎な願望だと僕は思う。
どうして親子という一点だけで、過程はどうあれ何もかもが最終的に上手くいく、と思えるのだろうか。
親の子への想像や誠実が欠けていても、子の親への隷属は期待されている。
その非対称性を生む弱さを省みることなく、関係を強いることの暴力性には眩暈がする。
こういった話は、結局のところ自分の身に降りかかったか否かで程度が大きく変わるので、誰かれもにそう容易く理解が得られるものではないと思う。
でも、自分とは違う他者に起こった出来事を識ることはできる。己の体験に照らし合わせてみて何一つ理解に及ばなくても、それは出来事を否定する理由とはならない。
容易く相手を否定することに躊躇がない昨今、何が正しいのかを惑わすことばかりに長けている世界の中で自分にできること、それはまず識ることだと思う。
幻想書店をコンセプトとする紅龍堂書店さんが、明日からクラウドファンディングを始める。大変に重い一冊に対してかける言葉としては不適切かもしれないのだが、期待している一冊。