#M002 男が「色」を使うとき
西 ゆり子(以下、西):
日本の男性たちのベースカラーは、紺・グレー・白だと言っていいと思うんだけど、どういうときに「色」を身に着けようと思うんでしょう。
河毛 俊作(以下、河毛):
少なくとも明治以降、第二次大戦が終わるまでは、男がファッションの表現として色を使う発想は日本にはなかったと思います。プライベートな服装は実は和服で、その色も紺、灰色、濃い茶色がほとんど。
西:
背広もそうですよね。
河毛:
対極にあるのが、たとえばルイ十四世の肖像画は、すごく派手な格好をしているでしょう。絶対王政時代は着飾ることが政治だったから。男も化粧をしてかつらを着け、権力を誇張する。
西:
確かに。女性より派手ですね。白ストッキングに、珍しい動物の毛皮つきの刺繍のマント姿で、短剣のケースは色とりどりの宝石つき……本当にゴージャス。
河毛:
ローマ法王なんかも、最も豪奢を極めた時代は白貂の毛布でやすんだそうです。映画『フェリーニのローマ』を見ると納得だけど、聖職者も王も、めざすところは人ならざる権威。いかに非日常な存在感をだすか。それはメンズファッションとは別の概念ですね。
西:
真田幸村の「赤備え」みたいなのは?
河毛:
精鋭部隊のユニフォームカラーといのが大きい。最近フランスのラグビーチームでも、ピンクを着ている例がある。大混乱の戦場で敵味方を見極めやすかったんでしょうね。昔の銃は煙がすごくて視界が悪かったというし。個人のファッションテイストとは少し距離があるかもしれません。
西:
それがある時変わるわけですね。
河毛:
18世紀末にボー・ブランメルがイギリス社交界の寵児になったのは大きい。余計なものを排した黒×白中心のシャープで控えめな装いで、ダンディズムブームを巻き起こすんです。
西:
白い麻のタイを100回くらい巻きなおす人ね!
河毛:
そう、「道行く人が君に振り返ったら、君の着こなしは失敗なのだ」という名言を残した。この変化と、働くことが当然と捉えられるようになったブルジョワ時代の到来は、切っても切れない関係です。
河毛:
現代の日本で男が日常に自然に色を着るようになったきっかけは、VAN でしょうね。その源流は、スポーツウエアの派手さから来ている。遡ればイギリス映画『炎のランナー』のボートハウスで学生が着ているパイピングのある派手なクラブジャケットあたりが本歌じゃないでしょうか。VANが上手かったのは、「IVYリーグ の服は、アメリカのエリートの服なんですよ」という理論で日本の大人たちを屈服させたところ。派手に見えてもジーンズとは違って不良の服ではなくて体制側の服であると。アメフトのユニフォームしかり、チアリーディングの服しかり、スポーツを通して男たちはだんだん色に抵抗がなくなっていった。ふーん、アメリカでは男らしい男もピンクや黄色のBDシャツ着るんだ、と。
西:
いいとこの優等生こそが、カラフルだった。
河毛:
だからアメリカの青春映画で、IVYルックの奴はたいてい悪役だよね。
西:
えっ、それはどういうことですか?
河毛:
映画『アウトサイダー』(1983年)なんか、完全にそのパターンで、「ソッシュ」という山の手の金持ちグループの子たちはVANみたいなプレッピースタイル。対立するグループは「グリース」と呼ばれてジーンズにTシャツ、髪はグリースで決めている典型的なワーキングクラス。でも主役のマット・ディロンやトム・クルーズたちはグリースなんだよ。
西:
つまり、VANはそのあたり、ものすごく上手く翻訳したのね……。
河毛:
敗戦国の日本人にとって、そういわれたら受け入れてしまうよね。みんなそうなりたかったし。
西:
もう少し大人の男はどうだったのかしら。
河毛:
本当の意味で現在のモードにつながるきっかけは イヴ・サンローランでしょう。1970年4月、青山通りと外苑の並木道がぶつかるあたりに サンローランリヴゴーシュの路面店ができた。「ドルメン」という喫茶店と隣同士でした。この店は当時ヴァンヂャケットの社員で、のちに アルファ・キュービックを作る柴田良三さんが、キャンティの川添夫妻の助けを得て招致した。僕の記憶が確かなら、ほぼ同時期に六本木のハンバーガー・インの突き当りにサンローランのメンズを扱う店もあったと思う。
西:
イヴ・サンローランのカラーパレットはビビッドでした。
河毛:
西さんもきっと覚えてるかな。ベルベットのジャケット。
西:
スタイリッシュで本当に美しかった!
河毛:
深いグリーンとかボルドーとかね。それにギャバジンのベージュのパンタロンとか合わせて、靴は少しヒールが高め。髪型はウエーブのある長髪でスカーフをしたり。
西:
あの頃の洒落男スタイルね。
河毛:
紳士ものでも、シルクデシンのブラウスとかね。くっきりしたきれいなストライプや細かい花柄、袖はわずかにパフスリーブになっていたり。どこか艶やかで、今でいうジェンダーレスな香りもあった。
西:
あの頃、ごく普通の男たちは何を着てたっけ。
河毛:
フレアのジーンズ。上はダンガリーシャツ。
西:
ヒッピーの名残りね。
河毛:
松田優作風の、日本におけるダンガリーシャツとフレアジーンズの時代は意外に長かった(笑)。
西:
トレンディドラマの時代になると、紺じゃないスーツが一世風靡しました。
河毛:
アルマーニの時代ですね。確か最初は1976~1977年頃飯倉のアルファ・キュービックの1階にあった レノマ・ブティックが入れ始めた。
西:
当時私はすでにスタイリストをしていて、知り合いの芸能人に「アルマーニが欲しいけど少し安くなるかな?」と頼まれたんだけど、「うちは一切値引きをいたしません」という返事で、逆にカッコいい!としびれました。
河毛:
アルマーニは、ご本人は紺しか着ない印象だけど、男の服の色を変えたと思います。決して派手な色ではないけれど。
西:
ベージュ、グレージュ……何色と言えないような曖昧な自然色。
河毛:
スモーキーカラーでスーツは脱構築的なつくりで。
西:
ふりかえると黒髪で黒い眼の日本人には、ある意味こなすのが難しい色でもありましたね。
河毛:
ファッションも、本来は街の色、空気の色のなかで生きるものですよね。今の東京は、かつてのモノクロームの美しさも捨ててペラペラに薄くなってしまった。自分たちがそれを選んだ結果だけど。
西:
そういう感覚を、日本ではまったく教えてこなかった。だから私は「着る学校」をやろうと思ったのかもしれません。
河毛:
ここまで色を語ってきたけど、結局男はあんまり色を使おうと意識しない方が、僕はいいと思うんです。基本、紺と白とグレー、加えるとしてベージュとカーキがあれば、一生大丈夫。
西:
そうね。限られた色の中で、それぞれの素材感やディテールにこだわるほうがいい。それを上手に組み合わせている男性が本当のお洒落という気がします。
河毛:
そして最後に、黒という特別な色。『シャネル&ストラヴィンスキー』で「明るい色は使わないの?」とストラヴィンスキー夫人に聞かれたシャネルが「この世に黒がある限り」と答えるシーンは強烈でした。黒と白の組み合わせは、確かに最高なのかもしれない。
西:
そして一番派手ですよね。
河毛:
そのせいか僕にとってはなかなか手が出ない色だったけれど、そろそろ着てみようかという気になっています。80歳までに黒が似合うようになればいいな、と思います。
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スナップキャプション
<河毛さん>
サファリジャケットはコヒーレンス。芸術家や文化人のポートレートをイメージソースにすることでも知られるブランド。エルメスの靴は30年物で、購入当時は純白だったが、今のクリーミーな色も美しい。経年変化の妙。
<西さん>
本日のポイントは、ポップなマルニのソックス。ソックスは分量も小さめで、色を積極的に楽しむ入り口としてぴったり。時にはコミュニケーションのきっかけにもなる。
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