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言葉は魂そのもの

2023.05.15 07:54

Facebook竹元 久了さん投稿記事

🔵伝承するということは、魂を伝えるということ!

よく、「つながり」が重要だと言われるけれども、親子遊び研究家の篠 秀夫(しの ひでお)氏は、「魂によるつながり」が重要だと言います。

心や魂が伝わるほどに、本気で「何か」を伝えようとしているか?

改めて、考えさせられます。

この世界には、「お金によるつながり」「血によるつながり」「利害関係によるつながり」など様々な「つながり」がありますが、「魂によるつながり」というものもあります。

そして今失われてしまっているのがその「魂によるつながり」です。

「伝承」にはその「魂によるつながり」を作る働きがあるのですが、その「伝承」が失われてしまっているからです。

「祭り」を伝承することの本質は、「イベント」を伝承することでも、「祭りの形」を伝承することでもありません。

「祭りを通してみんなが大切にしてきた魂」を伝承することです。

ラグビーの試合の時ニュージーランドの選手が踊る「ハカ」は単なる踊りではありません。「ハカ」を踊ると言うことは、「私は先祖の魂を受け継いでいます」という証です。

でも、テレビを見ていると、「ハカ」を単なる「かっこいい踊り」としてしか扱っていません。

「祭り」も、その「魂」が抜けて、単なる「観光イベント」になってしまっている所もいっぱいあります。

現代人は「魂」という発想を失ってしまったのでしょう。

お母さんから「お料理の作り方」を受け継ぐと言うことは、そのお料理に込められた「お母さんの魂」を受け継ぐことです。

小さな子が、異年齢の群れの中で大きな子から遊び方を受け継ぐということは、単に「遊び方を学ぶ」ということではなく「遊びにつながる魂の喜び」を受け継ぐことです。

「わらべ歌を受け継ぐ」と言うことは、「わらべ歌につながる魂の系譜」につながると言うことです。

そうやって人々は太古の昔から魂を伝承してきたのです。

まただから、職人や様々な芸事の世界の人が弟子に技を伝承する時には、技を教えるだけでなく、「生き方」や、「生活の仕方」にまで口を出すのです。

生活や考え方が乱れたら、魂の状態も乱れ、技も乱れてしまうからです。

(だからこそ、何かを学ぶ時にはちゃんと師匠を選んだ方がいいのです。)

ただし、この「伝承」は「人と人の直接的な関わり合い」がなくても起きます。

本を読んで感銘を受けて何かの伝承を受け取ることもあります。

特に、作者と読者の間の魂の状態が近い場合にこの「言葉による伝承」が起きます。「言葉」が同じだからです。

私自身も「本の中の言葉」によって、直接会うことが出来ない人から多くの伝承を受け取りました。

様々な文学からも、色々な研究をした人の本からも、釈迦やキリストや孔子やシュタイナーや宮沢賢治の言葉からも多くのことを学びました。

「私は一人ではない」ということを感じたのもその「言葉」のおかげです。

「私の魂の系譜」を知ったのも「言葉」のおかげです。

「言葉」は魂そのものだからです。

そして子どもは、その「言葉」をお母さんから受け継ぎます。お母さんの魂と共に。

お母さんの生き方がお母さんの言葉を作り、その言葉が子どもに伝わることで、お母さんの魂が子どもに伝わるのです。

そしてこれは避けられないのです。それが「母と子」という関係だからです。

どうか、子どもたちに色々なことを伝えてあげて下さい。お料理の作り方でも、お掃除の仕方でも、歌を歌い絵を描くことでも、工作をすることでも、森や野原で遊ぶことでも、「雲はなぜ出来るのか」ということでも、「私たちが食べているものは生き物のからだ」であることでも、かくれんぼうでも、わらべ歌でも、自分が子どもの頃遊んだ遊びでも、何でもいいのです。

大切なのは「何を伝えるのか」ではなく「伝える」という行為そのものなんですから。

その「何か」を伝えようとする時に、心や魂も伝わるのです。それが子どもの心や魂の育ちを促すのです。

最後に補足になりますが「伝える」と「教える」は一見似ていますが、心とからだに対する働きかけとしては全く異なる行為ですからね。

教えるのではなく伝えて下さい。

引用


https://ameblo.jp/otegami-fan/entry-11942325720.html 【言葉は魂そのもの】より

おはようございます

昭和天皇をはじめ、皇族の作歌の指導にも当たられた経歴をもつ岡野弘彦さん

日本の歌や詩が滅び、日本人の魂というべき言葉が失われることに危機感を抱かれています。

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70年前の敗戦によって 日本人の魂ともいうべき言葉や文体、文字といったものへの信頼が失われ、文体やしらべを変えることが平気になってしまっているでしょう。

中国が漢字を簡体にしてしまったことを日本は批判するけれども、僕に言わせたら日本人がやっていることもそんなには変わらない。

新聞に投稿される短歌も刻々崩れていく印象を持っています。

歌というのは本来叙情詩ですから、深く読んでいかなくてはいけないのに、その形が崩れて大切な調べも失われてしまった。

これは実に嘆かわしいことだと思います。

(中略)

パソコンなど機械を押して出てくるのは、決められた範囲のお仕着せの言葉ばかりです。

日本にはもっと大切な言葉がたくさんあります。

だから、心を繊細にして古典を読んだり、優れた詩歌にもっと触れていく必要があります。

言葉は魂そのものですから、機械の言葉だけでは人間の考え方や行動を狭くしてしまうと僕は危惧しています。

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魂そのものである日本の大切な言葉に触れ、伝承していくことの必要性を実感できます


Facebook清水 友邦さん投稿記事

先住民族の文化に、自然の中に入り力に満ちた聖なる場所で、長期間断食して、死と再生の体験をするイニシエーションがあります。

太古の昔、アメリカ先住民の人々は、生活に困った時「どのように生きていけば良いのか」長老に尋ねました。

長老は、一人で出かけて、母なる大地に抱かれながら、何日も祈り眠りなさいと、言いました。

そして、夢に現われる動物たちから教わりなさいと、告げました。

こうして、先祖は夢に現れた動物たちから、狩りのしかた、火の起こし方、薬草の使い方、ティピのつくり方を学んで、生き延びてきたのです。

『ほんとうの知恵というものは、ひとびとから遠く離れたところでのみ、見つけることができる。とてつもない孤独のなかでだ。

そのためにはとにかく苦しまねばならず、遊び気分でいては、まず見つかるものも見つからない。孤独と苦しみが、人間の頭を開く。

それがためにわしらはひとり遠くに出向いて、そこで自らの知恵を追い求める』

イグジュガルジュク(イヌイットのシャーマン)北山耕平 訳

聖地で何日も祈りを捧げていると、大地から霊的な力が入ってきます。

その力に身をまかせて明け渡すと、自我の境界が揺さぶられて、自我は不安定になります。

無意識の層から畏怖、恐怖、不安を伴う深い感情が湧き上がり、そのプロセスを経過すると、強い高揚とリラックス、至福を経験します。

夢見の状態の中で、自然界の生き物である熊や狼、クジラなどの動物が精霊として現れて、智慧と癒しの力が授かります。

現れた動物は、部族や人間の守護霊となりました。

大地は、地球のあらゆる歴史を記憶しています。

人間が、動物と兄弟のように暮らしていた時代は、お互いの言葉が理解できました。

今でも正しい方法で聞くことができれば、草や木や岩が話してくれるのです。

人間を非日常意識状態へと導き、魂を再生させる力を持っている場所が、聖地です。

古来から、特別な霊性を帯びた場所では、礼拝が行われてきました。

ヨーロッパの教会があった場所は、かつてキリスト教以前の古代宗教の礼拝の場所だった事が、知られています。

古代の人々は、聖なる場所に石や木や花を飾って祭壇をつくり、祈りをささげました。

古代の人々が祈りを捧げた聖なる場所には、泉や岩、樹木が茂っているだけで、もともとお堂も鳥居も建っていませんでした。

やがて素朴な社が出来て、のちに中央集権国家の時代になると壮麗な寺院、教会が建てられていったのです。

神聖な祭りは形骸化して観光客にお金を落としてもらう空虚なイヴェントだけになってしまいました。

西洋社会で神に話しかけるのは祈りですが、神がそれに答えて神の声が聞こえてくると精神病とみなされます。

先住民のシャーマニズムの文化では、逆に精霊からの声を心の耳で聞き取れない者は精神が病んでいるとされます。

他の生き物の苦しみや痛みを感じない現代人は心が病んでいるのです。

私たちは聖地に原子力発電所や化学工場、軍事施設を建設して環境を破壊しています。

現代人は、大地との繋がりを断たれ、霊性を失ってしまいました。

魂を再生させるには、もう一度、大地と繋がり

夢見る力を取り戻す必要があります。