梅仕事ではなく梅しごと
ていねいな暮らしの初夏の風物詩ともいえる「梅しごと」。Instagramでよく見かけるようになったので試しにハッシュタグ検索をしたら、10,985件の投稿があった(ちなみに「梅仕事」で検索したところ、出てきたのは70,478件。どうやら「梅しごと」とひらくのが主流のようだ)。
私はお酒が飲めないので、夏に飲むのは麦茶か炭酸水だ。だから、梅シロップや梅サワー(酢入りのシロップ)があると、飲み物のバリエーションが広がって単純にうれしい。暑い日に外から帰ってきて、氷と水で薄めたシロップをぐびっと飲むのは至福でもある。仕込むのは少し面倒だけど、梅から少しずつ出る果汁が砂糖を溶かしていく過程を毎日チェックするのは、何かを育てているようでとてもワクワクする。
そう、私は「梅しごと」をしているのだが、恥ずかしくてその言葉は使えない。画像についてもそうだ。梅酒や梅シロップの画像をInstagramで見ると素敵だとは思う。ただ、その素敵の中に自分が入ると考えただけで、いたたまれなくなってしまう。どうやら「梅しごと」は、私の中で「ほっこり」と同じくらいの意味をもってしまっているようだ。
自分が不器用な分、誰かが手作りしたものを見たり、食べたりすることが好きだ。でも、そこに「自家製の無農薬○○を使った〜」や「オーガニックコットンの〜」などの言葉がくっついていると、ちょっとだけ手を伸ばすことをためらってしまう。我ながら面倒くさい性格だと思う。
例外もある。子どもといるときは、食べ物であれば「子どもが口にできるか」にだけ着目できるため、ストッパーをあっさりと外すことができるのだ。そして、その先に待っているのは「おいしい」や「好き」の場合も多い。
ストッパーなんて外してしまった方が楽しいことが増えるのかもしれない。でもさ、少しの抵抗が残っているくらいが心地いい。たまに”ストッパーの向こう側”に行くくらいが私にはちょうどいいのかもしれない。