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書くこと。生きること。:Hiromi's Blog

無題20230516

2023.05.16 05:11

車の中で、テレビの音声だけが聞こえてくる。

どうやら社会保障についての討論?らしい。誰かが大きな声で言う。


「高齢者は自らが生き続けることの負担を、働き続けることで分かち合うしかない」


負担。誰にとっての負担?

高齢者と呼ばれる前の時間、誰かを支えていた時間、そして今も支え続けているという重要な事実は無いことにされる。

「俺のパイを奪うヤツか、どうか」

そのパイはあなたが一から作り上げたものですか?

これまで自分が当然のものとして受け取り与えらたものはゼロカウントにして、与えるものだけ数え上げる。そのバランスの悪さにいつもモヤモヤするのは私だけか。


「生き続けることの罪」を声高に叫ぶ社会を、私は決して肯定しない。

生き続けられない社会に、誰が希望を持って子どもを産み育てようとするだろうか。


生き続けられない社会、誰かがその生を「負担」だと感じた瞬間に役立たずのコマとして切り捨てられる社会に、誰が希望を持って学び働こうと思えるだろうか。誰が、自分の命の分身である子どもの未来を託そうと思えるだろうか。


お年寄り、という言葉が好きだ。

年寄、という言葉は江戸時代にあって幕府体制の要職にあった人たちに使われた。若年寄、老中、大老。そこには老に対する敬意を含んでいる。

お年寄り、という呼称は、いつの間にか高齢者、後期高齢者、などという無機質な言葉に差し替えられてしまった。お年寄りへの敬意を消し去って、私たちはどんな社会を築こうというのだろう。


お年寄りを「負担」と言い切って憚らない社会は、生きづらさの中にいるすべての人を切り捨てる社会だ。

難病患者や障害者や生活に困っている人たちや社会に居場所が無いと苦しんでいるすべての人に「生き続けることの罪」をちらつかせ、絶望へと追い込んで、われわれが達成しようとするものは何か。

「生き続けることの罪」は、「産まれてしまうことの絶望感」とセットなのではないか。


「異次元」の何かが目指すべきは、いつか捨てられる労働力というコマを、誰かや何かのために増産することではない。

希望と可能性に満ちた未来をその手にギュッと握りしめて生まれてくる命を、私たち大人が両手を広げて迎え入れ、あなたはあなた自身の幸せを追い求めどこまでも生き続けてよいのだと伝えられる社会を全力で創ることではないだろうか。