般若心経とマトリックス
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/35250830/ 【波動干渉と波動共鳴】
【喜び】
思春期和多志は「行きつく先が墓場なら 好きなことをして切羽詰まれば死ねばよい」と考え、好きなこと探し、喜び探しを始めました。
ところが探すほどに 好きなこと、喜び、自分を満たしてくれるものは失われて行き いつしか虚無の淵に足をさらわれていました。
心から喜ぶってどんな感じがするのでしょう?
もしかして 和多志たちは生きる喜びを体験するために 生まれたのではないでしょうか?
喜びの状態にある時・・・
後悔や恐れや不安を感じたり 自分が不十分だと感じたりすることはありません。
嫉妬や苦しみ、争いもなく誰かを憎んだり、責めたり、傷つけたりすることもできません
喜び・・・それはただある 純粋で無垢な自分を愛することで、初めて可能になること・・・
喜び・・・それはありのままに存在する「自由」から始まります。
喜び・・・それは世界でたった一人の自分をありのままに許し愛してあげること 世界を愛し 愛を受けとる力を培うこと
喜び・・・それは周りのすべてと調和する愛の自分を体験すること
喜び・・・それは愛と調和
人生の中で、自分を愛することより大切な愛はありません。
だって、自分を受け入れ愛して、初めてありのままでいる自由というものが存在するのだから
そして、喜びはその自由から生まれてくるのだから
その喜びがあって 初めて人の愛を受けとり 世界を愛することができるのだから
喜びとは・・・自分を愛してあげること今この瞬間、ただ存在する自分を
モロトミヨシヒコ@morotomiyoshi
人生の使命を知った時にだけ、人は自分を超えた力を発揮できる。腹の底から湧き上がる喜びを感じることができる。
一指李承憲@ILCHIjp
無常。変化と転換、成長、自己と大切なものすべての最終的な死は、人間共通の条件だ。この事実を理解し受け入れられれば、人を批判することをやめ、思いやりのある、謙虚で感謝の心を忘れない人間になる。その時初めてすべての経験の価値と意味を知り、誠意と感謝の心で物事に取り組めるようになる。
マノマノ稲穂@manomano_farm
相手を否定しないこと、争わないことです。あなたにはあなたなりの正しさがあり、相手には相手なりの正しさがあります。価値観は「否定せず、押し付けず、縛られず」です。人はそれぞれ違った価値観で生きていいのです。ぼくは雨が降れば読書をし、晴れていれば土いじりをしながら平和に生きます
マノマノ稲穂@manomano_farm
みんな「もっと自分にやさしくなれる」といいんですよね。周りに流されず、自分に背を向けず、自分に正直に生きるのです。それにはどんな感情も否定せず、どんな自分も受け入れること。人生において一番のパートナーである「あなた自身」を認めてあげよう。心をいい言葉で満たしてあげましょう
FacebookYoko Shimizuさん投稿記事 🌷価値観は十人十色🌷
自分の価値観で人を責めない 1つの失敗を全て否定しない 長所をみて短所をみない
心をみて結果をみない そうすればひとは必ず集まってくる ~吉田松陰の言葉~
人の数だけ正義があるという言葉を聞いたことがありますが それだけ人によって価値観が違うということですよね
自分軸をしっかりともちながらも相手の価値観も尊重して調和のとれた平和な世界を創っていきたいですね
すべてはどんな意識を持つか?から始まりますから🍀
https://ameblo.jp/synchronicity-cycle/entry-12111661814.html 【般若心経とマトリックス】より
こんばんは今日は、般若心経とマトリックスと題してお話します。
○はじめに 以前にも似たような記事を書いたことがありましたが、今回もチャレンジします。ちなみに、マトリックスは映画のです。図表のマトリックスではありません。
ややっこしい話ですが、夢物語な感じで読んでいただければ・・・と思います。
○色即是空とマトリックス
般若心経で押さえておきたいポイントとして、五蘊皆空と色即是空、空即是色があります。
五蘊とは、五官(五感)のことです。
五感といえば、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚ですよね。それが、皆(みな)空だといっています。一方、映画マトリックスも似たようなシーンがあります。
「ステーキを口に入れると食べたような気がするが、すべて電気信号がマトリックスに流れて味やにおい、食感など電気信号に変換される。」サイファという人物が話した言葉です。
どういうことかというと、目の前にある食べ物は本当に存在するのだろうか?という疑問を投げかけているのです。
視覚から入った電気信号が、脳みそに映し出されそれを映像化してみている。
本当は何もかも存在しているようで、存在していないのではないのか。こういう疑問が浮かび上がってきます。ならば、私であるサイファは存在するのだろうか。
このあたりは、デカルトの「我考えるゆえに我あり」というように、疑う自分こそ疑いきれない存在だと認識しています。
般若心経に戻ります。
五蘊皆空・・・。五感で感じたものは皆(みな)空だとすると目の前のものは存在するのか。
世界は存在するのか、自分というのは存在するのか?はたまた、自分とはいったい何なのかといった疑問がわいてくるわけです。
続いて、色即是空、空即是色とあります。ここでいう、色は五感で感じられるもろもろのものを指します。マトリックスのように、すべて映し出された・・・つまり、ある何かが処理した映像に過ぎないのではないだろうか?ということです。
色はすなわち空。ちょっと話は飛びますが、空という空間は地球を包括しています。
地球は空に囲まれています。地球といっても、様々な構成要素があります。
空のもとに、様々な構成要素があり、様々な構成要素が包まれているのが空なのではないだろうか。
これを自身に置き換えると、自身は空であり、色を包括した存在だということになります。
自身の皮膚の下には臓器をはじめたくさんの構成要素からなりたっています。
その様々な構成要素を包んでいるのが自分自身です。
神道に飛躍させてみましょう。
古事記のなかでは、3つの世界があります。
高天原という天上界。葦原の中つ国というこの世。根の国、底の国というあの世。
この3つの世界を色即是空で表すと、自分の心の中に3つの世界が内在しているという考えもできそうです。
飛躍していますが、高天原など3つの国を、3つの気持ちと分けることもできます。
例えば、高天原を、利他の精神をもった気持ち。葦原の中つ国を、平静な気持ち。根の国、底の国を、嫉妬心や闘争の気持ちと解釈するならば、自分の中にすべて内在していることになります。
仏教の六道輪廻にも共通します。
いろいろな世界がありますが、自分の感情の変化を意味しています。
そういうところからみても、色即是空、空即是色というのは便宜上わけてあるだけで、もともとは「1つ」なのではないかという推測ができます。
神道の考えでは、私たちの心の中に神様の分霊(わけみたま)があります。
以前にも書きましたが、100分率で何%の分霊があるとかではなく、100%あります。
この分霊を意識の底にある・・・とするならば、意識の底にこそ「1つ」があるということになります。
さきほど、私もろもろ包括した「1つ」だといったじゃないか・・・と感じるかもしれません。
そこで、次に疑問に持つのは「私」の存在です。私という人間は、他があって初めて「私」という存在が区分されます。しかし、個である私の中には意識である分霊があります。
仏教では、真我やアートマンと表現してまいます。心理学では、深層意識とも言います。
ややっこしい話ですが、私は私・・・と区分しています。
深層意識では人も同じ「1つ」であるならば、本来は私という存在はないかもれません。
マトリックスに話を戻します。
私、私、私・・・・、覚醒して自我を持ったコンピュータプログラムであるエージェントスミスが、私という自我を持ちました。
彼は、世の中のものすべて私であり、私がすべて世の中のものたらしめるために、自分のコピーを作っていきました。
もやは「エージェント」という役割から覚醒し「一人のスミス」となったスミスは暴走し始めました。
増殖したスミスは、コンピュータ「マトリックス」に負担をかける存在となってしまい、
もともと、敵対していたネオ達に運命をゆだねます。
この辺りは、般若心経とずれて今いますが、五蘊皆空と色即是空、空即是色の関係性について考察してみました。
神道の話しに戻します。
先ほど、我々は100%神様の分霊を頂戴していると書きました。
神道の祓は、罪穢れを祓うことですが、それを祓って本当の私を覚醒させることが大切なようです。
本当の私とは、私があなた(私のほかすべて)であり、すべてが私であるという、一つでありながら、つながりを持っている・・・そう色即是空、空即是色のように・・・自分を自覚することのようです。
色も空も常に固定せず、同じ姿ではありませんし、常に同じ自分というのもありえません
(諸行無常、諸行無我)
それらが、普遍であるならば、私は永遠なのかもしれません。
空海が以下のようなことを言っています。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し
これも、永遠を説いているのかもしれません。
覚醒する人は中々いない・・・というようにも取れます。
私であるあなた。あなたである私。来年は覚醒しちゃいましょう!
堅っ苦しいお話にお付き合いくださいましてありがとうございます。
ここいらで結びにします。今日も、祓い給え、清め給え!最後までご覧くださり、ありがとうございます。また、お会いしましょう。
写真は【まさはる君が行く!ポチたまペットの旅】のまさはる君です
黒い犬はまるの先代のワンコ「ラン」です。激しい靈現象でベットに釘付けになっていた時の唯一の見届け人です。
和多志が 【まさはる君が行く!ポチたまペットの旅】に見入る理由は ラブラドールが好きなことが大一要因。
その次が 和多志の弟の名前(「まさはる・正治」父平治の治の字をとってつけた名前です)と同じ名がつけられていたからです。
和多志の兄弟の血縁関係は複雑怪奇!!!
兄(武):最初の妻との間に生まれた子
兄(光義):崖から転落して 院内感染で死亡
兄(数彦):義母ミサエさんの死別した夫との間に生まれた子。和多志より一歳年上、常に和多志との比較対象であり続けました。
姉(貞子):父が親戚から追い出されたとき 海鮮問屋木村家の養女となって堺に残された。自分だけ取り残された恨みから 不幸な人生を歩み、くも膜下出血で死亡。時々やってきては金品を持ち出し続けた。
弟(正治)実際は兄・武の子
武は裕福な建具商から追い出され、すべてを失った父とともに山口県に移り住み和多志の実母(政)に育てられました。和多志はどうやらこの兄におもりをしてもらったようです。10歳上の兄とその友人たちに空き家の物置に連れ込まれレイプされた記憶があります。
兄は 理髪店に弟子入りし、その奥さんと駆け落ちして、子どもが生まれ、奥さんは蒸発。
途方に暮れて我が家に帰宅。その子は父の子として入籍。それ故父の名の一字をとり「正治」と名付けられました。
兄は理髪店を用意してもらって再出発することになりました。和多志の中一の時の出来事でした。
この正治君の風邪ひき時の投薬ミスがひき起した惨事が 和多志の中2の時の自殺未遂に繋がりました。
「風邪薬は多量に飲むと死を招く」と知ることになったからです。未遂に終わったのは父に見つかって止められたからです。
和多志は父も嫌いでした。両親が和多志と数彦さんを巡って争っていたからです。
父は義母に内密でお小遣いを渡そうとしたり、数彦さんに「誰のおかげで生きていけている云々」の暴言を吐いたのを小耳にしたからです。近所の心無い大人から「お母さんがいないのによく大きくなって・・」と言われたりで 母は義母であることを知りぬいていましたから
「なぜ生んだ!!!」と 何度も父を責めました。
家庭は和多志の居場所ではありませんでした。生きることにきりきり舞いを巻いていた和多志は 職員室、理科室、図書室、そしてプロテスタント教会が逃れ場でした。
退学届けまで出した高校を無事卒業し、家族から脱出するかの様に、県外就職の道を選びました。
関西ペイントKKに就職することになり 堺に住む父の妹のところで下宿することに決まり、故郷を後にするとき,父が見送りたいといいましたが「友達に送ってもらうからいい」と言い切りました。父の寂しそうな顔が今も蘇ります。
堺の叔母はこともあろうに熱心な創価学会会員でした。
プロテスタント教会に通う和多志を知ると「ご本尊様とキリストとどちらが勝つか」と毎晩和多志の枕元で呪いの勤行を上げ続けます。
食事も抜かれ 会社で出る昼食だけで済ました日々もありました。
西も東も分からない大阪の地で途方に暮れましたが、職場の同僚の家に下宿させていただくことになり、何とか生き延びてしまいました。
創価学会への怒りが キリスト教に賭け、受洗する 一翼を担ったのかもわかりません。
先日のシーターヒーリングDNAのセミナーのペアワークで先祖の開放もしました。
この時見たのがこの父です。もちろん成仏。聞こえてきたのは「ありがとう~~~」でした。
父の遺書には「人間らしい生活をしてみたかった。それを叶えてくれてありがとう」と書かれていました。
魂の成長のために歩む人生の 痛みや嘆きはその過程を豊かにする課題なのかもしれません。
花: 🌷🌸🌹🌼🌺🌻@lilacblueblue
花はつまれてどこへゆく ここには青い空があり うたうひばりがあるけれど
あのたのしげな旅びとの 風のゆくてが おもわれる 花のつけ根をさぐってる
あのあいらしい手のなかに わたしをつむ手は ないかしら 金子みすず
今日の誕生花:ドクダミ 花言葉:白い追憶