「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「公の場で裸で日光浴をする権利」は認められるのか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「公の場で裸で日光浴をする権利」は認められるのか?
今週も「土曜日のエロ」の日になった。「エロ」を書くことによって人間の本質というか、我慢できない、なおかつ隠すこともできない本質を書いてみたいと思っている。実際に、このブログの中では「土曜日のエロ」は最もよく読まている。まあ「土曜日のエロ」という名称から、なかなか反応をしにくかったりするようであるが、それでも様々な話をしていることになるのである。
さて、今週のニュースでは「ジャニーズ事務所」の「性加害問題」がなかなか大きな問題になっているようであるが、このことに関しては様々な意味で別なところで、または来週以降しっかりと書いてみたいと思っている。まあ、「性加害」ということであるから「エロ」で取り扱うべき内容なのであろうと思っているが、まだここ出かけるほどの内容になっていない。そこで今回はその話はしないでおこう。
その真相ではなく、関連した話として、そのジャニーズ事務所の社長の記者会見動画で「ジャニーさんとメリーさんだけが知っていたことで、自分たちは知らなかった」ということを主張した。そしてもう一方で同じジャニーズ事務所のタレントたちは、ニュース番組やワイドショーなどでその問題に関してコメントをしないという状態になっている。
その問題のジャニーズのタレントは別にして、このような状況であるにもかかわらず、立憲民主党の人々は、「ジャニーズを国会に招致する」などと言うことを主張し始めたのである。立憲民主党は、現在のオンラインサロンで書いているが、結局はマスコミなどを利用して自分たちの主導権を主張しようとしているようなのであるが、しかし、それは単純に政治の介入でしかないのである。そのことが彼らには全くわかっていないという悲劇が、様々な意味で出てくるのではないか。
さて、なんでも「権利」と「義務」で話をするのは何かが異なると思う。実際に、権利というのは「やってもよいこと」であるが、しかし、「権利の濫用は許されていない」ということになる。権利を主張し続ければ、それだけの責任を負わなければならないし、また、権利にいh礼して義務も大きくなる。そのことが全くわかっていないのが現在の立憲民主党の人々ではないか。
さて、「権利」という意味では、今回はその本質が見えてくる話かもしれない。
裸で日光浴の権利認める判決、入居者の美的感覚は「無関係」 ドイツ
ベルリン(CNN)ドイツ・フランクフルトの裁判所は、賃貸住宅の所有者が自分の所有する物件の中庭で裸になって日光浴する権利を認める判決を言い渡した。
フランクフルト最高裁によると、原告の賃貸物件所有者は、この集合住宅の部屋をオフィスとして借りている人材会社の賃料不払いを理由に訴えを起こした。人材会社側は、所有者が中庭で裸で日光浴をしているという理由で賃料の支払い額を減らし、一部の支払いを拒んでいた。
人材会社側は、所有者が裸で階段を歩いて中庭に出ていたと訴え、たまたま階段にいた入居者や訪問者が所有者の裸と遭遇したと主張していた。
しかし現地調査ではこの主張については確認できなかったと裁判所は指摘。「常にバスローブを着け、日光浴をする時のみ脱いでいるという原告の主張は信用できる」と認定した。
その上で、この物件の使い勝手が「中庭で裸で日光浴をする原告によって損なわれることはない」として、所有者側の訴えを認めた。
さらに「美的感覚は無関係」と指摘して「はなはだしい不適切行為」はなかったと認定。裸で日光浴する場所は、オフィスの窓からよほど身を乗り出さない限りは見えないと言い添えた。
一方で、入居者が支払う賃料については3カ月の減額を認めた。ただしこれは近隣の建設工事に伴う騒音によるもので、粉じんや騒音を理由とする賃料の15%減額は正当化されるとしながらも、「他人の美的感覚を傷つけた」という理由ではないとしている。
2023年4月28日 10時52分 CNN.co.jp
https://news.livedoor.com/article/detail/24141080/
ドイツで裁判が行われた。
ドイツ・フランクフルトの裁判所は、賃貸住宅の所有者が自分の所有する物件の中庭で裸になって日光浴する権利を認める判決を言い渡した。<上記より抜粋>
さて、事件の内容は、オーナーが賃貸物件の中庭で裸で日光浴をしているという。その日光浴に応じて、会談などを裸で通行しているということで減額を要求していたが、裁判所は裸で日光浴する権利を認めて支払いを命じたのである。
さて「裸になる権利」「裸を公衆にさらす権利」というのはどのようなものであろうか。実際には裸になるということは、別段服を脱ぐだけの話であり、通常は着替えたり、または風呂に入るなどの状況では当然に裸になる。また「公衆」ということを言うが、公衆浴場などの場合は、当然に同性ではあるが赤の他人の前で裸になる。それは権利というような話ではなく、「そのようにしなければ目的(公衆浴場の場合は入浴することになるのだが)を遂げられない」ということになるのである。
では「公衆浴場」ではなく「日光浴」ということにあった場合はどのように考えるべきであろうか。これは何が異なるのかと言えば「入浴」は多くの人が同じ行為を行い、なおかつ、その行為の意味を知っているということになる。しかし、日光浴は裸で行うのかということが最も大きな問題になる。要するに「多くの人が行うわけではない」ということにkなるのである。
しかし、「権利はある」ということになる。いや「権利を禁じた法律はない」ということになる。ましてやそれが所有物件の仲であれば、自由であるということになる。賃貸物件の店子は「所有者の自由を許すこと」が条件になっているということになる。要するに「店子(契約者)とその関係者以外の目に触れることがない(中庭である)状況であれば、賃貸物件としての価値は損なわれない」ということになるのである。まさに、それがドイツの法律の要請になるのだ。
さて、本来は「全裸をさらす」のは「見られた側が恥ずかしがる」ということになるのであるが、今回の件は「みられることに対しては何の問題もない」と考えており、「見えてしまうことに価値の減損を感じる」という主張が否定されたということになる。当然に「公道など」では違う判断になるのであろうが、まさに、私有地であれば、太陽の光を浴びる事でも問題はないということになるのである。
裸になる権利が認められたというのも、なかなかあおもしろい。