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ささみのノート

「理解者がほしい」

2018.06.14 05:37

「理解者がほしい」


ずっと感じていたはずのつらさの正体の一部はこれだったのかもしれない。



パートナーを亡くし、実家で暮らしはじめてから孤独感を感じていた。

一人暮らしじゃなくなった分、人と会話することは増えた。家族とは概ねうまくやっていけてる……のかな。不満はあるけれど話はできる。

家族以外でも、まあ地理的に離れてる人ばかりだけれど、悩みを話せる人は複数人いる。Twitterをはじめてから似たような境遇の人や精神的な不調を抱える人ともつながり、随分と支えられた。あとは、主治医ともなんとなく打ち解け始めて、今では言いたいことは言えるようになった。カウンセリングで話を聞いてもらうこともできる。言いたいことは言える環境があるのです。



…でもどこかに孤立を感じ続けていた。

わたしのことを総合的にみて把握していて、今この時この瞬間に感じたものを共有できるひとはいないのだった。

いなくなってしまった。



こういうのは失恋した時とも似ているんだろうか……経験したことがないからわからない。





かつて、パートナーとはよく互いのことを話していた。5,6年かけて互いの悩みや過去の経験、ものの感じ方など聞いてきていた。もちろん違う人間なのだから全てに共感したり賛同できるわけじゃない。自分とは違うのだという理解のしかたもある。


そうして互いのことを理解しようとしていると、今この瞬間の悩みを話した時に、相手はかなり私に寄り添った反応を示してくれる。何が起こったか話したらそれが私にとってどんな意味を持つのか理解してくれるまでにさほど説明が要らない。


そうして一定の理解・共感をしてくれた上で、相手なりの考え方を投げかけてくれる。わたしには思いもよらなかった発想とか、似たような経験とか、彼の知り得ている情報とか…私の知らない色んなところから私の決断を助けてくれていた。それに必要最低限しか否定をせず、どちらかというと肯定されてきたのだと思う。お陰様でなんでも話せた。そして、悩みが深刻であっても、時には冗談にすら変えて笑わせてくれた。


待ち合わせて会ったときにはなんとなく浮かない顔をしていても、おいしいごはんを食べながら話して帰る頃には気持ちがすっと前向きになっていた。彼も私も笑顔が増えて、口数も少し増えて帰路につくのはいつものことだった。もともと表情に乏しい彼が少し元気になるのを見ているのが幸せだった。

……おいしいごはんは、たのしいごはんだ。





いま。

冒頭で書いているように、人には恵まれていると思う。決して孤立してはいない。


けれど、これまでのように私の心の重さをすっと軽くして笑いに変えてくれるような理解者はいない。

誰かにその役割を務めてほしいって言いたいんじゃない。むしろかつて理解者がいたことが奇跡的で稀なことなのだと思ってる。理解者になってくれなんて言うのはおこがましいことだと思う。



……けれど、やっぱりさみしいし心細い。

まだまだパートナーの存在の欠落は小さくなってはくれない。

その欠落をそのまま何かや誰かで埋めたいのではなくて、他の何かに心惹かれてゆくうちに欠落部分が小さく感じられるようになったらいいのかな、と思う。誰かを彼の代わりにしちゃうのは自分にとっても相手にとってもいいことは無いだろうから。「大切な人の死を受け入れるためには時間がかかる」というのは、この過程、大切な人の欠落分の人間関係の調整や自分の心のバランスの調整に時間がかかるということなのかもしれない。



誰かにパートナーが担っていた部分を背負ってほしいわけじゃない。頭ではわかっている。


けれど、理解者がほしい、孤独だ、ひとりではいられない、さみしい、という思いに駆られて必要以上に他人に寄りかかってしまいたいという気持ちもある。




いつか、気づいたら誰かの理解者になっていたり、理解者ができていたらいいな。


今日のハートネットTVの再放送で、精神障害を抱える娘とその両親が本音で語らっていた。自殺未遂の話も交えつつ、娘の障害や親の口うるささのことを話しながら、笑い、冗談にすらできるという場を目の当たりにして、心底羨ましく、懐かしく感じた。


そして、わたしの本音は「理解者がほしい」なのだと気づきました。