神様は自分の中にある。
失敗したくない時に「神様、お願いします」と普段何の信仰もしてませんが勝手なお願いをしてしまうことがあります。今までその神様に助けられたことも無いし、感じたことも無い。
50歳を超えて日々の過ごし方を考える時があります。ほどんどの時間を同じように使って変化のない生活を送れていることに感謝や幸せを感じる時もありますが、特に何もなくこんな感じで人生を終えるのかなぁとも思います。
いつまで自分の足で歩けるのか?いつ急な大病をするのか?・・・休みの日に健康維持を兼ねて、なるべく歩行するようにしてますが、5年前はどんだけ歩いてもまだ歩ける感じでしたが、今は途中で休憩を挟まないと歩き続けることができません。そのうち休憩しても回復が追い付かなくなるのかな、とも考えてしまいます。
段々と自由が利かなくなってくる身体を感じながら時間が過ぎて行ってるので先の不安を抱いてしまいます。そんな不安を抱きながらの生活の中で普段どの様に感じながら生きていくのか?代わり映えのない日々を時の流れに任せて生きていくのか?人が幸せと感じる事ってどんなことなんだろう?
普段の生活の中で、ふと気持ちが優しくなる時って「美味しいな、きれいやな、これ好きやな、いい匂いやな・・・など」ささやかでもそんな気持ちを見つけていけば幸せな時間が増えるのかな・・・でも忙しい時や何かにイライラしてるとささやかな気持ちの変化に気づきにくくなります。普段当たり前の様に居てくれてる家族や友達、ペット、季節で彩る花、毎度用意される料理(食材)など身近な存在への感情も見過ごしてしまってるように感じます。
結局は時間に余裕があったり忙しくない人しか出来ないように思いますが、普段からの意識付けで少しは気づけるようになると思います。
普段からささやかな事に気を付け、気持ちの変化を楽しむことは何かの窮地になった時に助けてくれる自分の中の神様なのかもしれません。窮地の時こそ余裕をもって色んなアイデアを出せれば脱出できるかもしれません。
改めて思うと世の中の全てに感謝する気持ちや、可愛いなぁ、きれいやなぁと普段からどれだけ思えることが出来るのかで人生って変わってくるのかなと思います。
神様ってどこかに居て助けてくれる存在ではなく、他者の感覚でない素直に物事を受け入れる自分自身の気持ちや感覚が神様という存在だと考える今日この頃です。
施設長 馬場