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EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

ボルゴ・グレゴリオーポリ Borgo Gregoriopoli(オスティア・アンティーカ)

2019.10.25 11:34

こちらのページでは中世のボルゴについて書いています。オスティア・アンティーカの地域情報についてはこちら。↓


【歴史】

830年にグレゴリウス4世(Gregorio IV)により小さな村が作られた。ボルゴ・グレゴリオーポリとも呼ばれている。


★ ユリウス2世城 Castello di Giulio II

オスティア城とも呼ばれる、ルネッサンス様式の要塞と城。後に教皇ユリウス2世(Giulio II)となった、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere)司教が1400年代後半に、彼の名を付けた城を建設。海からローマへの敵が入城させないよう建設ためであった。

設計者は、ヴァザーリはサン・ガッロ(Giuliano da Sangallo)の設計だと 主張していたが、現在はバッチョ・ポンテッリ(Baccio Pontelli)だという見解が有力である。

城は1557年まで税関として使用されていた。


★ 聖アウレア聖堂

枢機卿グリエルモ(Guglielmo d'Estouteville)の頃に、聖女モニカの墓(Tomba di santa Monica)と、聖女アウレアの墓(Tomba di santa Aurea)があった場所に、1483年ルネッサンス様式の聖アウレア聖堂(Basilica di Sant'Aurea)も完成させた。ヴァザーリ(Vasari)と、バッチョ・ポンテッリ(Baccio Pontelli)の建築である。


★ 宮殿 邸宅 ?

ローマ時代の石棺や、Baldassarre Peruzziの壁画が見られる。


★ 町の要塞

 1557年まで税務署や税関として使われていた城は町の防御になっていたが、テヴェレ川の流れを変えたため、町の溝も乾燥し、遺跡となった。 その後、農家の馬小屋として使われることとなり、塔は牢屋として使われ、周辺は沼地と化した。 1800年代、囚人はローマ遺跡の発掘に使われ、1900年代に何度も町は修復を重ねた。


★ 塩の産地

19世紀後半までオスティアは塩の名産地だった。同じく塩の産地で有名なロマーニャ地方から仕事を求めて来た人たちが住んでいた。その関係で功績を上げた人の像だと思われる。


お気に入りレストラン

★ Trattoria Sora Margherita al Borghetto

Trattoria Sora Margherita al Borghetto da Arianna Santi 

住所 via del Forno,11 

Tel 06-56352956


★ フラスケッテリーア 

大通りにある居酒屋風ターボラカルダ。お値段お手頃で気軽に食事ができる。


★ 15ユーロランチ



イベント


写真集

パラッツォから見た教会の鐘楼

大通りの建物

フィアスケッテリーアの料理


ブログ

2019.10



参考

Wikipedia

ローマ市HP