遊行期
古代インドには人間の一生を四段階に分けた人生論があった。
①学生期(がくしょうき)
0歳~25歳→生きていく上で必要な知識、教養、学問などを身につける時期。
②家住期(かじゅうき)
25歳~50歳→仕事に勤しみ家庭を築く時期。
③林住期(りんじゅうき)
50歳~75歳→勤めを終えて、自分の人生を振り返って内観する時期。
④遊行期(ゆぎょうき)
75歳~100歳→人生の締め括り。これまでに得たものを世に還元して、「死」を見つめて余生を過ごす時期。
私は四つ目の「遊行期」に注目している。
年齢という数字による区分分けに縛られず、人間は常に死を見つめて生きること。
「明日死ぬかもしれない」と思えば何でもできるのではないだろうか。
私たちはいつ死んでもおかしくないのだ。
自殺で、病死で、事故死で、他殺で……死はいつも隣合せ。
手を伸ばした先に居座っている。
死は決して悲しい事象ではない。
現世を卒業して新たなる旅立ちをするのだから、喜ばしいことだ。
いつなんどき人生の幕が下りるのか分からない。
いつお迎えがきてもいいように「死」というものを考え見つめ、霊界に思いをはせて日々を生きるのだ。
霊的真理、即ちスピリチュアリズムを現世に生きる人たちは学ぶ必要がある。
向こうの世界へ行った時、霊的知識は必ず花開く。それによって順調に魂は向上の道を辿っていく。
スピリチュアリズムを現世で既に知っていた者の霊界での過ごし方は、とても恵まれ充実しているのだ。
反対に霊的真理無知の状態で逝った者、そういった世界を全否定する者、誤った霊的真理を習得した者。これらの者たちは向こうに行った際とても苦労する。
真実を教えられ、理解して、受けとめるまで途方もない期間を費やすことになるのだ。
そんな風にならないためにもスピリチュアリズムを現世で勉強することだ。
●死を考え、一秒後に訪れることになるかもしれない霊界(魂の故郷)へ思いを巡らせろ。
【私たちは常に遊行期を生きている】